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50年前の本01 『スピノザと表現の問題』ジル・ドゥルーズ

 宗教や神仏について考えようとしないことが、陰惨な偏見や迷信ではち切れんばかりの信仰に他ならないとしたら?何ものも信じようとしない生き方が、何ものかに決定的に隷属する生き方に通じているとしたら?もしもスピノザが生きていたら、こんな風に問うてくるかもしれません。

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ジル・ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』の翻訳書を、会社の行き帰りの電車の中で読んでいたのは20年くらい前のことだ。原著は1968年、約50年前にフランスで出版された。


ドゥルーズはこの著作で、スピノザとその哲学の肖像を「表現」という概念を軸に精密に描いている。未だに理解できない箇所が多々あるけれど、読むたびに新たな発見がある。

スピノザという人は、神さまと人間との然るべきお付き合いの仕方について考え抜いた。絶対無限にして万物の創造主たる神をどう応接すべきか、心身共に限られた被造物としての分を厳密にわきまえながら。
スピノザと同時代の多くの人々は、神のことを雲の上から賞罰の水をあちこちに降らせる気まぐれな庭師のように考えていた。人々は神を畏れ、天を仰いで懇願した。どうか辛い水を降らせないでください、できることなら甘い水を、と。
ところがスピノザの考えはまるで違っていた。そんな気まぐれは被造物たる人間に固有のものだ。限りある人間をものさしにすれば、限りない神の姿を見誤ることになる。無限と有限を結ぶ真の絆を、場当たり的な賞罰などとは無縁な神の栄光を、人間の本物の自由を発見しなくてはならない。彼はユダヤ教会から破門され、無神論者の烙印を押された。狂信者による暗殺未遂事件さえ起った。必ずしも好意的でない世の在りようを忘れぬために、彼は短刀で突かれて穴のあいたマントを手放さなかったという。


スピノザの時代から400年近くの時が流れた。人間が吹けば飛ぶような存在であることに変わりはないし、人間を凌駕する力は依然として数限りなくある。ならば、私たちを超える巨大な何かへの想像力と思考を研ぐ意義もそのままだ。「神はいない」という無邪気な言明さえも、人間と人間を超えるものに対する特定の認識を前提にしている。スピノザの思索を辿ることは、己の中に棲む一人の神学者が囚われている憶断や隷属を知る道行きとなる。


『スピノザと表現の問題』 ジル・ドゥルーズ著/工藤喜作 他訳
法政大学出版局 ページ数:444P
刊行年月日:1991年10月15日(新装版2014年1月)
原著刊行年:1968年(“SPINOZA ET LE PROBLEME DE L’EXPRESSION”Minuit社)

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50年後を考えるために、50年前の本を読み、今を見つめなおす。

毎月第一週の月曜日は、メンバーが価値を再発見させていただく『50年前に出版された本』を紹介させていただきます。

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