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自らの資本を活かす 要約力

聴き手が「この話し手の言いたい事には価値がある」と納得した時、話し手の主張が聴き手に理解されている状態にある。聴き手は更に納得したい情報を、迷いなく尋ね返すことが出来る。聴き手の意識の地図上に結論を描かせ、その結論に至るための、聴き手にとって最大の機能を発揮できる道筋を創造させる。聴き手に、自らの機能を活用したいと欲する意識を喚起させ、自らの他律機能の高度化に誘う為には、話し手は聴き手にとっての価値を提供しているという意識が無ければならない。聴き手の価値観をイメージし、聴き手にとっての価値の提供を可能にする能力が要約力である。

雑談を要約する者は居ない。要約は聴き手に価値を喚起させるための手法である。聴き手の時間を最大限に活用させて頂くためには、聴き手の思考に選択肢を喚起してはならない。許される選択肢は「はい」または「いいえ」だけである。その選択肢を聴き手から獲得するためには、自らの主張に論理的な破綻があってはならない。勿論、未来における提案において、想定外が生じて選択肢とは異なる結果を招く場合もあろう。しかし、それは聴き手の思考空間においても想定外であったのだから、精一杯、思考尽くした自らを褒めるべきだ。それは未来の出来事であるけれども。

要約力は聴き手に対してのみ発揮されるべき力では無い。自らの思考や行動が自らのビジョンの実現に向かっているのか、価値観と合致しているのかを考える上でも必要な機能である。ただし、要約しながら思考を巡らすことは正しい思考手法では無い。思考は縦横無尽、全回転で全方位に気を配り、一分の隙があってはならない。その結果、目指すべきゴールが定まったと判断したら、枝葉を払い、幹のみの主張を創り上げる。その主張で自らを説得し、腑に落ちたならば、それは要約出来ていると考えてよい。思考の際には荒唐無稽なアイデアも盛り込んで良いのだ。それを失ってはならない。失わないための要約力なのである。