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本を読むこと。 ~ 他者の靴を履くこと アナ−キックエンパシーのすすめ ~

「他者の靴を履くこと」
この言葉でピンと来た方は、ブレディみかこさんのノンフィクション・エッセイ「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」を読んだ方だと思います。

著書の主人公であるブレディみかこさんの息子さんは学校の授業で「エンパシー」とは何かとの質問に対して「他者の靴を履くこと」と答えました。

これは誰しも経験があるかもしれませんが、他者の靴は自分の足に馴染まないのですぐに「他者のものである」ことに気づきます。

相手の気持ちになること、相手の立場になってものを考えること、そのことを端的に表現したのが「他者の靴を履いてみること」でした。

この端的に的を得た表現と、インパクトのある言葉がエンパシーと結びつき、この本が爆発的に売れたことをきっかけに「エンパシー=共感」という言葉が広まりました。

それは著者のまったくの予想外の出来事だったとともに、独り歩きした「エンパシー」という言葉が間違った解釈や理解で「万能薬」な使われ方をしていることに著者は違和感を覚えます。

そして、その違和感を払拭するために今一度「エンパシー」を掘り下げて考えて書かれたのが今回ご紹介する「他者の靴を履くこと アナーキックエンパシーのすすめ」です。

多様性の時代を生き抜くために私達はどのようにして「他者の靴を履く」べきなのか、本書を読みながら考えてみたいと思います。

エンパシーの定義

エンパシーは日本語では「共感」と訳されることが多いですが、英語の意味では「他者の感情や経験などを理解する能力」のことを言います。

つまりエンパシーは能力であり、人があとから身につけるもの、身につけることができるものであると言えます。

しかしながら日本に輸入されると感情的な共感を意味する「シンパシー」と「エンパシー」が同様に「共感」と約されてしまい、エンパシーのもつ「能力」の部分が薄まってしまう印象があると著者はいいます。

確かに私も本を読む以前はエンパシー=共感であり、能力的な意味の解釈をしていませんでした。

また、こうした混乱は英語圏でもあるとされ、著者は丁寧にエンパシーの定義について解説しています。

特に重要なのはエンパシーは「自分自身が感情的に巻き込まれて判断力に影響を及ぼすことなく、他者の感情を理解する能力」であるとする定義であり、エンパシーはより全面的で正確な知識を持って他者の考え方や感情を正確に想像することが能力の基準となります。

エンパシーの多面性

エンパシーの定義をみればそれが自分の「感情」に対して影響を及ぼさないことが大切だということがわかります。
この解釈を間違えるとエンパシーは使い方によっては「善」にも「悪」になりうるということがわかります。

例えばワクチンの副作用の報道で、副作用で重病になってしまった子に対して感情的に共感をし、ワクチン中止を叫ぶような行動を起こしてしまえば、そのワクチンで助かるかもしれなかった何百人という子供を結果的に重病にしてしまうかもしれません。

エンパシーという「気持ちの分かち合い」は特定の個人に焦点を当てすぎることにより、社会全体が良い方向にすすむ改革を実現するにあたって障害にしかならないという意見があります。

一方でエンパシーは各人が心に持つ認知的バイアスを外すことであり、そうした自らの偏見や先入観による認識の歪に気づくことで、思いやりのある行動に繋がり、多様性をともに認め合う社会の形成に必要であるといいます。

相反するようにみえる2つの意見ですが、エンパシーが必要論者は「認知的バイアスを外して、考え方を広げろ」といっており、エンパシー危険論者は「対象のスポットライトを絞らずに外して、視野を広げろ」といっています。

このことから著者は「外して、広げる」ことがエンパシーについて考えるための1つのキーワードになるといいます。

ミラーニューロンとエンパシー

エンパシー=共感力を科学的に説明する1つの指標としてミラーニューロンがあります。

ミラーニューロンはモノマネ神経とも言われ、相手があくびをしたらあくびが伝染ったり、相手の足の怪我の状況について聞いたら自分の足もザワザワするような感覚は誰しも経験があると思いますが、それらはミラーニューロンの働きによるものと言われています。

自分が見た他者の行為を、脳内であたかも自分自身がしているかのようにミラーニューロンが共鳴することにより、ヒトは他者の行動を理解することができ、それは非言語的なコミュニケーションの1つであるとも言えます。

「共感力」が高いヒトはこのニューロンの働きが活発なのかもしれません。

しかしながら、このミュラーニューロン=共感力といった歩調に異を唱えるヒトもおり、「自己と他者を区別しない神経システム」に人間の共感能力を説明させることは無理があるといいます。

面白いのは「そもそも他者は自分と同じである仮定されている」ところにミラーニューロンの限界があり、「私たちは自分をモデルに他者を理解しようとするがゆえに、世界には不幸(もらってうれしくない誕生日のプレゼント)が絶えないのである」との指摘は胸に突き刺さります。

自分自身を他者に投射するということは、他者を自己投影するためのオブジェクト」としてしか見なさないことにもなり、自分自身から「外れる」どころか、他者の存在を利用して自分を拡大していることにもなると著者は指摘しています。

アナーキック・エンパシーのすすめ


これまでエンパシーについて考えてきたがわかったような、わからないような、では結局エンパシーは必要なのか、どのようにしてエンパシーを扱えばよいのか、その1つの解として著者は「アナーキック・エンパシー」という語を考えます。

これは著者の造語であり、「アナーキー=無秩序な状態であること、また、そのさま。無統治状態」と「エンパシー」をかけ合わせています。
(この説明をするのに著者はアナーキスト「金子みすゞ」の共感力を例にとりますが、この話はとてもおもしろいのでぜひ本書を読んでいただきたいです。わたしは気になって金子みすゞの映画も見ました)

つまり、他者の靴を履くにはまず、自分の靴を脱がねばならず、自分の凝り固まった価値観や考え方、見方を一度脱ぎ捨てなければ真に他者の靴を履いたことにはならないということです。

すぐにそうした自分を取り巻くものから解放され、無秩序な状態=自由なアナーキー状態なり、他者になりきって他者の気持ちや行動を読みとることができる人がエンパシーに長けた人ということになります。

そして大切なのは「何にも支配されない=アナーキー」ということであり、他者に気持ちになっても「他者」に支配されないということです。

ニーチェはエンパシーに長ける人は自己がなくなり、強烈な対象に自分の意見やアイデンティティを譲渡しやすく、パワフルな対象に支配されやすいと考えました。

これはエンパシーの負の側面といえるものであり、そうならないためにも「アナーキック」である必要があると著者は考えています。

自分という軸をしっかりと持ちながら、時にはその軸を外して、他者の気持ちになって考えてみる。

そうして自分でも気づかなかった気持ちや考え方、新たな価値観を創造することができ、「自分」という人間を広げることができる。

この「外して、広げる」のがエンパシーの力であり、エンパシーはむしろ「他者」のためではなく「自己」のために必要な能力だといえます。

結語

今回はブレイディみかこさんの著書「他者の靴を履くこと アナーキック・エンパシーのすすめ」をご紹介しながら、エンパシーについて考えてきました。

本書には数々の事例や哲学的考察も踏まえてより深く「アナーキー」や「エンパシー」について論じられており、軽やかでも、かなり読み応えのある著書となっています。

本書を読後、エンパシーについて部署スタッフに紹介し、患者様の立場や気持ちにたって考えてみること、他のスタッフの立場や気持ちになって考えてみること、そのときに大切なのはまず「自分」の靴を脱ぐことだと説明しました。

スタッフにどこまで伝わったかはわかりません。

自分自身の成長のため、気づきのため、エンパシーの能力を少しづつ育てていきたいと思います。

興味を持たれた方はぜひ本書を手にとってみてください。

機能しなくなった場所、楽しさも元気もない組織、衰退している国などにこど「アナーキー」のマインドセットが求められている。
そしてそのマインドセットをもって人々が緑色のブランケットの周りに集まって話し合い「今とは違う状況」を考案するときに必要不可欠なスキルこそ「エンパシー」という想像力に他ならないのである

ブレイディみかこ
本書 第296項より引用

最後までお読みいただきありがとうございました。


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