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親の価値観が「正解」ではない

僕がとても印象に残っている、父親の言葉がある。
それは、
「好きなことは仕事にせずに、2番目にした方がいい。好きなことを仕事にすると、好きでいられなくなるからだ。」
というもの。

どうして、「印象に残っている」のか。
それは、僕自身がこの言葉に大いに悩まされたからだ。

僕にとっては、ある意味で呪いの言葉だったかもしれない。
この言葉が頭から離れずに、好きなことに向かって真っすぐに突っ込めなかったような気がするからだ。

人生に正解なんてない

この言葉を聴いたのは、多分、高校生のころだと思うのだけれど、その時にはなんだかしっくりこない感じがした。
でも、父親が言うんだから、きっと人生ってそんなもんなのかもしれないなあ、と漠然と思った。それが「正解」なのかなって。

その時に、その違和感についてもっと突っ込んで考えればよかったのだけれど、どこかで、親が言うことは間違えていないんじゃないか、と思っていた。

それに、自分はまだ高校生で、世間知らずで、人生のことなんて考えたことが無くて、何も知らないもんだから、おそらくそれを考察することができなかったんだと思う。そういう材料がなかった。

きっと人生とか世の中には「正解」らしきものがあって、父親は高校の教師だったし、きっとそれが正解なんだろう。
そんな風に思ったのだ。

好きでもない勉強を頑張ることになった

そんなわけで、好きなことを追いかけるということを止めてしまった。
つまり、やりたいことを追いかけていくということに価値を見出せなくなったのだ。
そもそも、そんなことでやめてしまうようでは、そんなに好きじゃなかったのかもしれないけどね。

それで、自分の人生にとって有利になるようにと、好きでもない勉強もやらなければいけないと考えるようになった。

しかし、後々、この考えが間違えていたことに気がつくことになる。
この言葉が原因となって、僕はその後行き詰ってしまったんだと思っている。その件については、また後日に書こうと思う。

今回、この記事で書きたいことは、親の価値観が「正解」ではないということを、心のどこかにとどめておいてほしいということだ。

世の中には「正解のない問題」がたくさんある

僕たちは、子どものころから、正解を教わってきた。
テストを受けて、採点をされる。
間違えたら正解を教えてもらう。
そして、次のテストでは正解を答えられるように勉強をする。

国語のテストなんてひどいもので、本来、正解なんてわからないような、「作者が言いたかったことを書きなさい」なんて問題が出たりするわけだ。
そんなの、そもそも、作者に聞かなきゃわからないし、むしろ、作者が言いたかったことを読み取らなくても、自分が感じたことや、受け取ったことの方が大切だったりする。

だから、そういう問題を出して、それに点数をつけようとすること自体がナンセンスな話なのだ。

でも、僕たちは、小学生に上がった時から、ずっとそういう環境の中で大きくなる。だから、なんにでも「正解」があるような気がするのだ。

ところが、世の中には「正解のない問題」の方が多いのだ。
特に、どう生きるか、どんな仕事をするか、などという問題は「正解のない問題」の典型例だ。

にもかかわらず、まるで自分の意見が正解であるかのように話す人は多いし、自分と違う意見の人は間違えていると糾弾する人も多い。

そして、多くの人は、どこかに正解があると思ってしまう。
こういう感覚を「正解主義」と言う。僕も、若いころはずっと、この正解主義に陥っていた。

自分の意見を持とう

こういう、正解のない問題に直面した時には、自分の意見をしっかりと持つことが大切だと思う。
そのためには、自分の頭でちゃんと考えることが必要なんだ。

誰かの受け売りでは、結局その人の意見を「正解」だとみなしていることになってしまう。

きちんと自分の頭で考えてたうえで、「あの人は自分と同じ意見だ」と思うのはよいだろう。しかし、ろくろく考えもせずに、「○○さんが言っているから正解なんだろう。」ではだめなんだ。
「○○さん」がどんなに有名な人であってもだ。

自分の頭でしっかりと考えて、納得がいくならいいだろう。

自分の頭で考えるためには、それなりの材料が欲しい。
そのために、いろいろな知識を仕入れ、経験を積んでいく必要がある。

もし、自分に判断する力がまだないのであれば、一つの意見として参考程度に聞いておけばいい。しかし、それを鵜呑みにして、信じ切ってしまってはいけないのだ。つまり、疑う余地を残しておくことが大切なのだ。「それはホントなのかな?」と。

親の言葉も疑ってかかろう

子どもにとって、親の言葉というのはとても重い。
いつもそばにいて、いろいろなことを教えてくれて、基本的に自分の味方であると思っている。

親本人も悪意があるわけではなく、子どものためになると思って、いろいろな意見やアドバイスをする。
(悪意を持って虐待するひどい親も世の中には多いけれど、ここではそういうケースは考えていないし、それはまた別の問題だ。)

子どもが親を信頼している場合、その言葉を疑ってかかるということは、なかなか難しいかもしれない。

それでも、親といえども一人の人間なわけで、正解のない問題に関して言えば、親の言葉は一つの意見にしか過ぎない。そのことを頭の片隅に置いておいて、あくまでも自分の考えを持つことが大切なのだ。

(つづく)



自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!