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「わたし」として生きる

整体師として20年、カウンセラーとして6年、仕事をしている。
沢山の人の身体を触り、たくさんの人の悩み事を聴いてきた。
そんな僕が痛感しているのは、誰一人として同じ人はいないということ。

骨格も違う、筋肉の質も違う、性格も違う、考えていることも違う、経験も違う、背景も違う。
何もかもがみんな違う。

それなのに、時として集団の一人として個性を無視されることが多い。
男らしさ、女らしさを求められ、
父親はこうあるべき、母親はこうあるべき、
大人とはこうあるべき。
日本人ならこうあるべき。
と、あるべき姿を押し付けれらる。
自分でも、自分にそれを押し付ける。

個性が大切だと言いながら、一方で、こういうステレオタイプなイメージを押し付けられ、自分もそうでなければいけないと思い込む。
その矛盾に苦しむ人はとても多い。

人間は一人では生きていけない。
集団を作り、助け合って生きて行く。
他人との良好な関係を築いていく必要がある。
集団の中に居場所を作ることはとても大切なこと。

ステレオタイプな自分でいる方が、集団に溶け込むはたやすいかもしれない。
なぜなら、他人をある特徴を持つ集団にカテゴライズすることで、簡単に理解できると思ってしまうからだ。
しかし、突き詰めていけば誰一人として同じ人はいないわけだから、自分を理解し、他人を理解する努力は避けて通れないはずだ。
カテゴライズするだけでは、理解したことにはならないということを、私たちは強く意識する必要がある。

この、カテゴライズ信仰はとても根強い。
良い例が血液型だ。
人間が四通りのタイプに分けられて、それで理解したような気になる。
しかし、血液型とその人の性格がリンクしているという研究結果はないのだ。
そんな怪しげなものに振り回されていること自体が、この問題の根深さを思い知る。

カウンセラーは、すべての先入観を持たずにクライアントと対峙することを意識する。
カテゴライズはしない。してはいけない。
その人を個人として理解しようと努力する。
それは整体師としても同じである。

考えてみれば、当たり前のことなんだけれど、これができない人が多い。
これからは多様性の時代といわれる。
多様性とは、男女平等とか、LGBTとか、そういう難しい問題ではなくて、他人を個人として理解するということ。
それは、自分を個人として理解するということ。
他の誰でもない、「わたし」として生きて行くということだと思う。

特に、日本人はまわりの人たちと同じように振る舞うことが正しいと考える人が多い。
しかし、「わたし」はそれを望んでいるのだろうか?
「わたし」はどのように生きて行きたいと願っているのだろうか?

心の声をよく聴く。
その声に従う。
それが、「わたし」として生きて行くということ。

自分が「わたし」として生きていると、他人が「わたし」として生きて行くことを尊重することができるようになる。
それが社会全体に広がったときに、本当の意味での多様性のある社会が出来上がるのだと思う。

多様性のある社会とは、どんな人でも自分らしく生きていける社会だと思う。
そんな時代が来ることを、心から望んでいる。

#多様性を考える

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