非常識な決意
実家を追い出された僕は、彼女のアパートに転がり込んで、ようやくしっかりと心身を休めることができるようになった。
家族からも離れ、縁もゆかりもない場所(実家からは車で40分ほどかかる場所)で、誰とも連絡を取らずに、ひっそりと隠れるように疲れをいやすことができたのは、僕にとっては本当にラッキーだった。
それもこれも、すべて彼女のおかげだった。
将来のことを考えるようになった
朝から晩まで、ゴロゴロとテレビを見続けて、どのくらいの時間が経った頃だろう。3か月くらい経つ頃から、少しずつ将来のことを考えるようになってきた。
もともと、会社を辞める時に、健康関係の仕事に就くことを考えていたし、整体とトレーニングを学べる学校についても調べていた。
その学校は、4月と10月に入学のチャンスがやってくることがわかっていた。
もともとは、3月に会社を辞めて、半年休養を取った後、10月に入学するつもりでいたのだけれど、母親が倒れたり、彼女が転がり込んできたり、実家を追い出されたりと、予定外のことが重なったので10月のチャンスを逃していた。
次は来年の4月。
それまでに、多少は体調を回復させておきたいと思った。
ずっと寝てばかりいたせいもあって、体重がものすごく増えていた。
年の初めごろからすると、20キロ以上は増えたのだ。
このままではさすがに活動できないと思い、少しずつ身体を動かそうと考えるようになった。
彼女のありがたさに気づいた
それと同時に、彼女には本当に申し訳ないという思いと、感謝の気持ちが両方芽生えてきた。
変な話だけれど、20代前半から薄毛に悩んでいたので、当時はすでにハゲていたし、会社を辞めてから20キロも太ったし、そのうえ無職という状態だった。
要するに、「ハゲ」「デブ」「無職」という最悪の状態になっていたのだ(笑)。
そのうえ、うつ病で寝込んでいるわけだから、最悪のさらに上を言っている。
それなのに、どうしてこんな僕を甘やかしてくれるのか。
わざわざ、長野からリスクを冒して東京まで出てきて、隣のおじさんに怒鳴られて怖い思いをしたのにもかかわらず、ずっと僕のそばにいてくれるなんて。
本当に、奇特な人だ。
そして何より、僕自身が彼女といると、とてもリラックスしていられる。
「こんな人にはきっと、この先、出会うことはないだろう」と考えるようになった。
前に進もうと決意
この時、僕はもう34歳で彼女は30歳だった。
ここで足踏みをしている場合ではないと考えた。
彼女のことを考えれば、いつまでもダラダラと甘えているわけにもいかない。
そう、彼女と結婚しようと決意したのだ。
うつ病になる前の僕だったら、食えるようになるまではダメだとか、収入が無いような状態では、前に進むなんて考えられない、そんな風に考えただろう。
でも、当時の僕としては、そんな状態になるのを待っていたのではいつになるかわからない。
それまで、彼女を待たせるわけにはいかないと思ったのだ。
だったら、見切り発車でも何でもいいから、とにかく決めて前に進むほうが良いと判断したのだ。
冷静に考えれば、これほど非常識な決断は無いだろう。
重大な決断をしないほうが良いと言われるが
「うつ病の時には、重大な決断をしないほうが良い」と言われる。
その事については、僕もわかっていたし、かなり悩んだことも事実だ。
「今は、冷静な判断ができていないのではないか。」
その懸念は確かにあった。
でも僕は、逆にうつ病の時だからこそ重大な決断ができたような気がする。
うつ病の苦しさから逃れるために、自分を苦しめている常識をかなぐり捨てるしかなかった。
そのおかげで、自由な発想を手に入れることができるようになったと思っている。
色々なものに縛られていない状態だったからこそ、大胆な決断ができたのではないかと思うのだ。
確かに、一般論としては、うつ病の時の重大な決断は避けたほうが良いかもしれない。
客観的な判断ができていない可能性があるからだ。
でも、それはあくまでも一般論であって、個別の事案ではそうとも言い切れないこともある。
だから、一般論を気にする必要はないのだ。
これは、僕の経験からも、カウンセラーになったからこそ、ますますそう思うのだ。
僕は、うつ状態に陥ることによって、半ばヤケクソ気味に、常識をかなぐり捨てることができた。
それに縛られ続けることが、苦しくて仕方なかったからだ。
そのおかげで、常識に縛られない決断ができたんだと思うんだ。
(つづく)
自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!