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学歴というヒエラルキーから解放されて楽になった

33歳の時に会社を辞めて、一年後の34歳の時に整体とトレーニング理論を学ぶために学校に通い始めた。

僕が整体師になろうと思った理由はいくつかあるが、そのうちの一つに、学歴というヒエラルキーから解放されたかったというのがある。

上には上がいるのがヒエラルキー

僕自身は、おそらく一般的に見れば、良い学歴を持っていると思うのだけれど、学歴というヒエラルキーにどっぷりと浸かっていると、やはり上には上がいる。
自分に自信がない僕にとっては、常に自分より上を見て、さらに自信を無くすということが常だった。
特に、僕にとってつらかったのは姉の存在だったのだ。

そうやって突き詰めていくと、現実には学歴というヒエラルキーなんて無くて、僕の心の中(頭の中)にそういうものが存在しているだけなんだけれども、どうにもその存在を否定できずにいた。

学歴とは無縁の世界

整体師という職業は、学歴には関係のない世界なのだ。
どちらかと言うと実力勝負の世界。
現実に、僕が通い始めた学校では、まったく学歴なんて関係なかったし、年齢も経歴もばらばらの、実に多彩な人たちが集まっていた。

年齢も、経歴も、学歴も全く関係ない。
さらに、学校に入学した時期もばらばらで、誰一人として比較されるようなことはなかった。
純粋に、整体を学びたい、そう思っている人たちが集まっていた。
そういう世界は、とても居心地がよかった。

僕を救ってくれた嫁さんも(学校に入学した時は新婚だった)、学歴とは縁のない世界で生きていた。
そういう価値観を持っていなかった。

一般的には良い学歴を持っているとされる僕が、このような世界に飛び込むのは、もったいないという人もいるかもしれない。
でも、当時の僕は、そういう価値観から抜け出したくて仕方がなかった。

そして、学歴で評価されない世界は本当に居心地がよかった。

ヒエラルキーがない場所がある

僕が通った整体学校には、学歴というヒエラルキーは存在しなかった。
もちろん、理解の早い人遅い人、手先が器用な人不器用な人はいたけれど、みんなが同じスピードで成長していく事を目指しているわけではなかったので、成績によるヒエラルキーも存在しなかった。

しかし、人によっては、そういうものが存在していたと感じる人もいた。
僕は、この学校を卒業した後、この学校で講師として12年間教鞭をとることになったのだけれど、その間に、「自分はみんなよりも覚えが悪いから、心配だし、自信をしなった。」という相談を受けることがあった。

こういう相談をする人の頭の中には、もしかしたら、そういうヒエラルキーがあったのだと思う。

僕はそんなときにはこう答えていた。
「あなたの目的は、整体師となって困っている人の役に立てるようになることで、この学校はそのために存在するんです。人によって、成長するスピードは違って当たり前なので、他人と比べる意味は無いんです。それに、呑み込みが早い人が必ずしも人気整体師になるとは限りません。学生時代に苦労した人が人気整体師になるのはよくあることです。だから、焦る必要は全くありませんよ。」

入学時期も違う、年齢も違う、定期試験があるわけでもなく、成績表があるわけでもない。
ましてや、その人の学歴によって扱いが違うわけでもない。

学歴によるヒエラルキーなんて存在しないのにもかかわらず、自分で勝手にそういうものを作り出してしまう人はいたのだ。

ヒエラルキーは個人の頭の中にある

スクールカーストという言葉がある。
カーストもヒエラルキーも階層という意味だ。

現実にはそんなものは存在しないのに、あたかもそういうものが存在するかのように感じるのは、そう感じる人の頭の中に存在するからだ。

そして、頭の中にヒエラルキーが存在している人が多数いる集団では、それがあるのが常識と認識されてしまう。
実際は存在しないものなのに。

学歴コンプレックスも、実は私たちの頭の中にだけ存在する。
そんなことを気にしない人たちは沢山いて、そういう人が集まっている場所においては、学歴に大した意味は無いのだ。

そんなわけで、僕にとって、整体の学校は学歴というヒエラルキーから解放される場所だった。
その事が、僕にとっては居心地がよかったのだ。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!