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子どもの自尊心を奪う危険な親心

前回のつづき。
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40代で子宮筋腫の手術を受けて、卵巣まで摘出してしまった母は、その後、ホルモンバランスの影響からか心身とも不調に陥った。
精神的に不安定になり、時々感情を爆発させるようになった。

そんな母に手を焼いていた父と姉は、ある日、激高して家を飛び出した母を追いかけようとはしなかった。

その様子を見た小学生だった僕は、この家族の中には母親の味方がいないと判断して、自分が母親の側につこうと決意。
それ以降、母親の言うことをよく聞き、母親に心配をかけるようなことはしないようにしようと思った。

この決断が、その後、母親の束縛を受け、そこから抜け出すことが難しい状況を作った。

べきべき人間

母親は、戦前の尋常小学校の校長先生の娘だった。戦前、学校の校長先生と言えば、地元の名士だった。つまり、母はいいところのお嬢様だった。

ところが、母がまだ幼いうちに、祖父は医療事故でなくなってしまった。
祖父が亡くなってからは、裕福な暮らしができなくなってかなり苦労をしたらしい。

母の母(祖母)は、女学校を首席で卒業して教師をしていた才女だった。
そんな家庭で育った母は、曲がったことが嫌いな性格で、「人はこうあるべき」という理想像を持っていた。

それに加えて、私の父も学校の教師だったので、やはり、理想的な立派な人間になることが大人になることである、というような考えを持っているように見えた。見えた、というのは、ちゃんと話をしたことがなかったということだが、本人の生活態度や言動から、そういう考えでいることはよくわかった。

母の口癖は、「言うべきことを、言うべき時に行ける人間になれ。」ということ。そう、何かにつけて「あるべき姿」を子どもたちに求めてきたのだ。

大人になるということは完璧な人間という型にはまること

そんな家庭で育ったからなのか、僕は、成長するということは、完璧な人間になるということだと思うようになった。

僕の頭の中のイメージでは、西洋甲冑のような完璧な人間という型枠のようなものがあり、そこに自分を押し込んでいくような感じだった。

足りなところを一生懸命に膨らませて空間を減らしていき、飛び出したところは切り落とす。
そうやって、理想的な型に近づいていく作業が、成長することなんだというイメージが出来上がったのだ。

自分の足りないところが気になる

母は、母の求める完璧な大人像に対して、僕の足りないところを指摘し続けた。
あなたはここが足りない、あそこが足りないと言われ続けた。そして、最後には、「あなたが心配だ」というのだ。

僕は、そのたびに、自分は未熟でダメな人間だと思うようになった。

今でこそ、世の中には完璧な人間はいない、と理解しているけれど、思春期以前からこういうことを言われ続けると、自分に自信を持つということができなくなる。

これはもう、僕の心の中に染みついていて、僕は今年54歳なのだけれども、今になっても拭い去れない感覚となっている。

「心配している」の意味するところ

母親は、ことあるごとに「心配している」と言っていた。
これも口癖のようだった。

確かに、母は心配性だった。
だから、成長してからも常に連絡をしてくるように求めたし、今どこで何をしているのかを把握しておかなければ安心していられないようだった。

これは、僕の側からすれば、まるで常に監視をされているような気分だった。

また、「心配だ」の裏返しの意味は、「あなたはまだまだ未熟で安心できない」と言われているんだと僕は解釈していた。

僕は、子どものころに、母親の側につこうと思った。
そして、母に心配をかけるようなことはしないでおこうと決めた。
ところが、母はいつまでたっても「心配だ」と言い続けた。
どんなにきちんと生活をしても、どんなにきちんと勉強をしても、どんなにきちんと仕事をしても、いつまでたっても「もう安心だ」とは言ってくれなかった。

ある日、「心配だと言うな」というと、「心配してくれるのは親くらいしかいないんだから、ありがたく思いなさい。」と言われた(笑)

しかし、僕は「あなたなら大丈夫。もう心配ない。」と言ってほしかったのだ。
そういってくれたなら、もう少し、自分に自信が持てるようになったかもしれない。

だから僕は、自分の子どもには「お前なら大丈夫。問題ない。」というメッセージを伝えるようにしている。
親からこう言われることは、子どもにとっては大きな自信になると思う。

子どもの自信を育てられない親

親の理想を押し付け、その理想像に近づくように教育をする。
そして、その理想に足りないところを指摘し続けることが、子どもを育てることであると信じている。
こういう親は多いだろう。

子どものすべてを把握していなければ気が済まない。
子どもを自分の思うように育て、コントロールしようと干渉する。

こういう、過干渉な親は、子どもから自尊心と自信を奪っていく。

あなたが心配だから。
あなたのためだから。

しかし、人生においてもっとも重要なものは、自尊心であり自信なのだ。
自信のない人間は、自分の人生を自分の思うように切り開いていくことができない。
なぜなら、自分を信じることができないからだ。

これは、その人の人生にとってとても大きな問題なのだ。

安心したければ子どもの自信を育てること

親が、「自分が安心するために」子どもを育てようとすると、子どもは自信を失う。
子ども自身が自信を持てなければ、親はいつまでたっても安心できない。

もし、親が安心したければ、子どもの自信を育てることだ。
そのためには、子どもを信頼するしかない。
信頼して、「お前なら大丈夫」と言い続けるしかないのだ。

その人を生かすにはどうすればいいのかを考える

子どもを理想的な人物にしようと思うことは危険だ。
「こうあるべき」を押し付けると、そうなれない自分に対して劣等感を抱く。
そして、それはやがて自信を奪っていく。

私たちは工業製品ではない。
理想的な型通りにはならない。

むしろ、「その人が持って生まれた自然の型を生かすにはどうすればいいか」を考えたほうがいいだろう。

ありのままの自分を受け入れ、それを生かす。
短所も見方によっては長所となりうる。

親の役割は、どうしたらこの子の良さを生かすことができるかを考えること。
そして、それを伝えること。
そのままで大丈夫だと勇気づけること。

それが、子どもの自尊心と自信を育てる。
自尊心と自信こそが、その人の人生において大きな財産になるのだ。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!