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元不登校児が、自分の不登校を振り返って思うこと


元不登校児の私が、今自分の不登校を振り返り、何を感じたか
何をしたらよかったかをブログに書きました。

<はじめに>

いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
また、コメントや応援メッセージをいただける機会も増え本当に嬉しく思っています。
支援をされている方も多く、少しずつできることを皆さんがやられている姿に刺激をいただいています。

<不登校から10年以上経って…>

不登校だった記憶は徐々に薄れ、辛かったこと・悲しかったこと・怖かったことなどが少しずつなくなっていると感じています。
ただ、不登校時代がなければ今不登校の子の手助けをしたいとも思っていなかったと思いますし、強くもなれなかったと思います。
つまずいてしまったけれど、あの時間は必要だったし過去の自分を責めることはできない。
昔の自分はその瞬間に最善だと思う選択をしてくれたんだと思っています。そして後悔もしていません。

<自分の不登校について思う事>

自分の不登校を振り返り、当時の自分は自信がなく、環境に甘えていたと感じています。
そして、学校という空間から逃げてしまったと思っています。
(すべての子がそうだとは思っていませんので、悪しからず)

<なぜ私が逃げたと感じるか>

私はいじめを受けていたわけではありません。もちろん友人に傷付けられたこともありますし、先生や上級生に嫌な思いをしたこともあります。
しかし、他人から直接攻撃されたわけではなく、日常の嫌なことを自分で増長させ、学校を嫌な場所・危ない場所・行きたくない場所にしてしまったのは、自分だったと思っています。
自分で現状を変える努力をせず、勇気がなかった。自分から友達に話かけることや、自分の意見を言わず、自分のやりたいことをやらず自分を偽り逃げていたのは自分だったと思います。

それが分かったのは、転校をして今までいた環境より厳しい環境に身を置いたことで分かりました

今までいた環境が甘いもので、優しい場所で、手を差し伸べてくれる人がいたことに改めて気付きました。
と同時に転校してからは、他人ではなく自分で自分のことをやっていかなければいけないと思いました。

<気が付いたこと>

不登校の自分と不登校から脱却し、転校した自分を比べると一つ変わった部分があることに気付きました。

それは、「他人任せ」か「自分任せ」かです。

不登校の時の自分は、何をやるにも自信がなく、親や他人に決断をしてほしいと思っていました。
そして行動することが怖く、勇気もありませんでした。
しかし、転校後の私は、自分で行動しなければ
誰もやってくれない場所に行きました。
すると、自分で動くしかありません。分からなければ聞くしかない。
聞くためには話しかけるしかありません。

私の場合は、やるしかない状況になったので、やる!と覚悟ができたのだと思います。そこから逃げることはもうしない!と転校前に腹を決めていたので、逃げることもありませんでした。他人が決めてくれない、自分でやらないといけない状況は確かに辛い場所でしたが強く成長させてくれたなと思います。

<本題に戻って>

不登校時代に何をすればよかったか、今振り返って考えると「勉強」(やってなかった)や「趣味」(その時はとくになかった)
「勉強以外の学び」(教室など)「読書」(いろいろな情報収集)など
学校に行っていない時間を、自分の成長のために使えばよかったなと感じています。
不登校だった時は、冷静にそんなこと考えられませんでしたし、精神的にも落ち着いてそんなことが出来るものではなかったかもしれませんが、今思えばやっとけばな~と思っています。(たらればですね)

<最後に>

私の体験は、少しスパルタ気味な部分があります。
そのため、全ての子に当てはまるものではありません。
私のたどった道を、不登校の子に歩んでほしいとも思いません。
ただ、元不登校児だった私が不登校を良い経験だと思えること。
そして、辛い環境でしたが、私を強くしてくれたことは間違いなく、
その経験と気持ちを共有できればと思いブログを書きました。

「自分主体」に動くか「他人主体」に動くか。ブログを書いていて、新しく気付かされることも多かったです。この気付きをまとめたブログをまた書きたいと思います。最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!

ご意見・ご感想があればコメントやDMで教えてください。
相談も受け付けていますのでお気軽にご連絡ください。
ではまた。

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