私も、あなたも、世界も、瞬間瞬間で、全く違う何かになり得るし、なっていい|「みんな、ただ、生きてる(笑)」を味わうシリーズ
「なんでもいいんだよ。みんな、ただ、生きてるだけなんだから(笑)」
という超シンプルな気づきに出会ってから、何が変わっていくのかを深めていこうシリーズです。
この気づきとの出会いは以下記事参照
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昨日のあなたと、今日のあなたは、同じですか?
以下は私たちの細胞が入れ替わる期間らしいです。結構これ、面白いなあと思って・・・
これを見て、どう思いますか?
私は「思ったよりも短い期間で全部入れ替わっちゃうんだなー」という感想です
こんなに短い期間で、私の細胞全てが入れ替わる
つまり細胞的には私は割と短い期間で全く別の個体に入れ替わっているけど、それでも変わらず私を「私」とするものってなんなんでしょうね
去年の私と今年の私の同一性を約束するもの
昨日の私と今日の私の同一性を約束するもの
一瞬前の私と今この瞬間の私の同一性を約束するもの
もちろんそれは、私が同じ形状の身体を保つ雛形のようなもの(DNAとか含め?)があるのかもしれない。
でも、その約束してくれるものって、もう一つ、「思い込み」もあるんじゃないですか?
いやこれは、悪い意味ではなく。
私は、私が変わらず私のままだと思い込むことで、今この瞬間もさっきまでと同じ私でいられる
今この瞬間のあなたはさっきの瞬間のあなたと変わらずあなたであるとあなたは思いこむことで、あなたは変わらずあなたでいられる
私は、私が変わらず私であると思い込み、あなたは、あなたが変わらずあなたであると思い込み、私も、あなたが変わらずあなたであると思い込み、あなたも、私が変わらず私であると思い込む
でも私が思う私と、あなたの思う私は、もちろんそれぞれ違う私(のイメージ)であり、私が思うあなたと、あなたの思うあなたも、もちろんそれぞれ違うあなた(のイメージ)であり、
こうした自分と他者と関係性に向けられたそれぞれの思い込みが交錯して、世界は創造され、そして私も、あなたも、世界も変わらず維持される
そんなことを思うに至る
でも、この思い込みは、身体感覚に浸りきると、緩みます
この思い込みが緩むと、私も、あなたも、世界も、同時に緩みます
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こうなってくると、この思い込みが緩む時、
「私はこういう人だから」
「あの人はこういう人だから」
「世界はこういう場所だから」
こういった自分観、他者観、世界観はたいそう曖昧なものな気がしてきます
いや、私は極端なので、もはやこれも、噂の類となんら変わらないのではないですか、とまで言い切りたくなる衝動に駆られます(まあこれはいささか極端すぎますね)
でも、
あなたの身体感覚はあなたを定義したりしません
私の身体感覚も、あなたを定義したりしません
私の身体感覚も、あなたの身体感覚も、私や世界を定義したりしません
ただ、身体は、生きてるのです
はい、きました
「なーんだ、みんな、ただ、生きてるだけじゃーん(笑)。なんだっていいんじゃーん(笑)」
この合言葉と共に、ここまでの思考や言葉が持つ質感と馴染む時・・・
*
私も、あなたも、世界も、本当のところ、いないんじゃないですか?
むしろ、瞬間瞬間、ただ、変わり続けているのではないですか?
それはまるで、光が点滅するように
パッ、パッ、パッと
そしてその残像のようなものを私たちはリアルと思い込み、私やあなたや世界といったものを定義し、観念によって固定化し、そしてわかった気になっているのではないですか
しかし、わかるのは、「ああ、今この瞬間も、この身体は生きてる」ということだけなのです
そうなってくると、つまりは、私も、あなたも、世界も、瞬間瞬間で変わろうがなんらおかしくないのです
いやむしろ、「変わる」という言葉にはそもそもとしての静的な前提があります
そういう前提があるから、「変わる」という言葉が生じうるのです
変わるものも、変わらないものも、なーんもないのではないですか
私も、あなたも、世界も、瞬間瞬間の点滅のなかで、幾度となく創造されているとも言えるわけです
つまりは、私たちは、今この瞬間から、全く違ったものになりうるのです
私も、あなたも、世界も手放し、ただ生きる(笑)
いやてか、もともとただ生きてるだけなんだけどね(笑)
はい、言うことなくなったー
*
とにもかくにも、
なんだか深遠な学びに導かれてしまいました
恐るべし、「みんな、ただ、生きてる(笑)」
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