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自己変容の軌跡(2021年〜2023年3月)

見える世界も、生きる次元も様変わりしてしまう瞬間。

私はそれを「変容」と呼んでいます。

変容は心的な脱皮。それはわかりやすい成長曲線を描くようなことはなく、非線形でランダムに遷移するプロセスです。時に心的な負荷、苦悩や鬱的状況を生んだりもします。

一度自分の内に眠る闇の部分に深く潜り、その後顔を出して初めて変容は起こる。

さて、2022年に体を壊し倒れてから、私はこれまでの人生で最も大きな自己変容の真っ只中。そこでこれまでの自己変容の軌跡をちょっと振り返ってみたいと思う。

私の内外世界それぞれで何が起きてきたのか。


プロローグ:2010年頃~2021年頃

大学院時代、鬱状態になる日々が続く。

きっかけは直走っていた大学の研究生活に飽きたこと。国際学会に出ることが目標で大学院進学を決めたが、学部4年でそれが叶い、しかも最年少で表彰までされてしまい、大学院生活の目標を失いバーンアウトする。

研究は手につかないが、教授には厳しい指摘を受けたりと、鬱々とした日々が続き、研究室に行きたくなくなる。

1日中眠く、起きると「研究室に行かないと」という思考が働くので、思考しないように夕方までひたすら眠る日々が続く。いつからかベッドから起き上がれなくなり、眩暈、頭痛といったことも起こる。

「なんとか現状を変えないと」という気持ちはあり、すがるような思いで色々な本を読み漁る。自分で何を探していたのかわからなかったが、とにかくたくさんの本を読む。その分野は、心理学、宗教、哲学、精神世界と多岐に渡った。

そこで、内的な精神世界の分野と出会い、自己探求が始まる。瞑想も習慣となる。

結果、大学院途中から精神は回復し始め、研究活動に向き合えるようになる。

大学院修了直前、学会で再び表彰され、ある程度の成果が出た形で研究活動を終える。

その後、教育系民間企業に就職し、主に新規事業に携わりながら様々なことに挑戦する。

その後の10年間は、二つの世界をらせん状に行き来しながら走ってきた。

一つは、ビジネスといった現実世界。もう一つは、目には見えない精神や思想の世界である。

現実世界に直走る時期が続くと、吸い寄せられるように精神世界に没頭する。そこで栄養を吸収すると、また現実世界でひた走る。そんな揺り戻しが常に起こりながら、走り続けた感覚がある。

現実世界と精神世界。それがどちらか一方だけに偏ると自分の中のバランスが崩れ精神が乱れる感覚があった。

なお、精神や思想の世界で特に影響を受けたものは以下の通り。

  • バガヴァッド・ギーター

  • ラマナ・マハルシ

  • ニサルガダッタ・マハラジ

  • ラメッシ・バルセカール

  • カール・ヒルティ

  • マイスター・エックハルト

  • 禅(特に鈴木俊隆、乙川弘文、道元)

  • スピノザ

  • マズロー

  • カジミェシュ・ドンブロフスキ

  • 小坂井敏晶

  • ケン・ウィルバー

  • 各種瞑想(マインドフルネス瞑想・ヴィパッサナー瞑想・超越瞑想)

  • 老荘思想

  • シュタイナー

  • 神智学

  • エックハルト・トール

  • ダグラス・ハーディング

  • スコット・キロビー

上記影響を受けた思想から見える自分の傾向性は以下の通り。

  • 古今東西の思想問わず、神秘主義に惹かれる

  • 「私」という個人性、自我、自由意思といった存在そのものに疑いを投げかける思想や態度、実践に惹かれる

  • 没我的、超越的、統合的といった方向性に惹かれる

これから記述する2021年から2023年3月に起きた自己変容は、上記の約10年に及ぶ自己探求が前提となっている可能性がある。

また、小さい時から考えなくてもいいようなことをグルグルと考える傾向にあったことも影響しているかもしれない。(例えば、以下の記事)

「おまえの人生、それでいいのか。」

一つだけ、特筆したい出来事がある。

大学4年になる春休み、私は当時付き合っていた彼女に振られ、ゾンビのような放心生活を送っていた。

実家でそんな風に時間を無駄にする息子の様子を見かねた父親は「一人旅にでも行って詩でも書いてこい」という謎のアドバイスと共に私を家から追い出す。

私はそのまま、広島、京都、山口、奈良へ一人旅に行く。

行く場所も決めず、泊まる場所も決めず、ただその時その時の流れに身を任せ行動していた。

失恋をしたばかりで、良くも悪くも私は空っぽだった。何をする気も起きないぐらい空っぽだった。

それが良かったのかもしれない。

奈良で私は、千手観音に出会う。

そこで千手観音の瞳に吸い込まれる。

私は約3時間、ただひたすらに千手観音と見つめ合った。

なぜあんなにあの場所にいたのか、自分でも全く理解できない。

しかし、その時、明らかにどこからともなく声が聞こえた。

「おまえの人生、それでいいのか。」

確かにその声は、そう言った。

その後、私の中で確実に何かが変わった。その日の奈良駅の夕焼けが、ひどく美しかったのを今でも覚えている。

そして一人旅から戻り、私は「おまえの人生、それでいいのか。」という言葉に従う通り、なんとなく本屋に行った。

そこである本に出合う。

白洲次郎の伝記である。

ケンブリッジ大学で学んだ教養と流暢な英語を用いて、戦後GHQとの交渉にあたり日本の復興に寄与した人である。

白洲次郎はprinciple(あえて和訳するならば「自分自身の哲学」といったところか)の重要性をイギリス留学の経験から学び、その一貫した態度から、GHQは彼を「従順ならざる唯一の日本人」と呼んだ。

そんな彼の生きざまに強烈に惹かれた。私はたった一晩で、この伝記を読み終え、その翌朝にはイギリスに行くことを自分に誓っていた。

その3か月後には、人生初の海外となるイギリス語学学校を経験し、その後私は独学で英語が話せるようになり、仕事でも英語教育に携わるほど、英語なしでは考えられない人生を送ることになった。

千手観音の瞳に吸い込まれたときに聞いた「おまえの人生、それでいいのか。」という言葉から、点と点がつながっていくように、私は今の人生に導かれていったのである。

2021年

ある臨床心理士の方に出会う

ケン・ウィルバーのインテグラル理論を探究しているプロセスで、ある臨床心理士の方に出会う。

その後、その方の元に定期的に通うようになり、ニューロフィードバック、シャドウワークを実施してもらう。特に精神的な悩みがあったわけではなく、単なる好奇心であった。

施術時に脳波を測ってもらった際、「常に脳みそが興奮状態」という指摘を受ける。常に眠りが浅かったり、深夜、頭の中の思考が止まらずに眠れなくなることがよくあったので納得する。

シャドウワークの際、孤独と寂しさで体育座りをしている自分と、疲れ切って無表情で呆然と立ち尽くす母親に無意識内で出会う。その他、20代中盤ぐらいの焦ってひどく疲れているスーツ姿の自分に出会う。シャドウワーク中は涙を流すといったことが起きる。

この臨床心理士の方に施術を行ってもらった後は、全身の力が抜けた脱力状態になり、深く眠りにつくことができた(ただし、数日すると元に戻る)。

ある神秘主義者の男性に出会う

知り合いの方の紹介で、神秘主義の実践を行う男性の方に出会う。

この方と会ったり、ビデオ通話を行うと妙なことが起こる。通話中に自分の中に妙な焦りが起こる。自我が見つめられ、暴かれ、それに焦っているような感覚であった。そして、自我が少し剥がれ落ちるような感覚であった。

それをその方に伝えると、「ああ、今意図してそれをしているので」といったことを言ってくる。とても不思議な体験であった。

ある神秘体験

臨床心理士の方の施術、神秘主義者の男性とのビデオ通話がたまたま2日連続で行われた日。私は放心状態だった。その際、アメリカ滞在中の友人にふと何らかの要件で連絡する。

その要件の話が済んだ後、その友人がたまたま精神的にひどく傷ついた直後であることを知る(中学からのこの友人がこんなにも精神的に参っていたのを見たのはこの時が初めてであった)。

悩みを聞いて共感していたら、あるビジョンが降ってくる。その友人が幸せそうに、パートナーや家族と共に歳を重ねているビジョンであった。その友人は独身なので現在の様子ではないのは確かである。

その時私はひどく放心状態であったので、特に「こういったことが起きてほしい」といった自分の願望とも思えない。自分が意図して何かを見ようとしているよりも、映画のワンシーンをぼーっと観ているような感覚で、「え?なんか見えるんだけど・・・」と驚きながら、その友人に目の前に見えているビジョンを話した。

「そこに観えるパートナーはどんな人?」など友人にお願いされ、そのビジョンをもっと詳しく見ようとした。しかし、そういった自分の意図や願望が強くなるとビジョンはだんだん見えなくなっていった。

ある心理学コミュニティに初参加

先述の臨床心理士の方が通うコミュニティがあると聞く。心理士や精神科医といった医療従事者が学んでいる。参加を勧められ、好奇心から参加することにする。

初参加した日、そのコミュニティの主宰者の方に多くの指摘を受けることになる。その人は、本当の自分を隠している人間をとことん抉る。そうすることでその人の本質を抉り出す。私に対しても「え?初対面なのにこんな言い方する?」と言った辛辣な言葉を浴びせてくる。

「このまま走り続けたら必ず身体を壊す」「今まで得てきたものを全て手放す覚悟はあるか?」「ここで気づけないなら現世は諦めろ」

初対面ながらそんなことを言われ「なんだ?こいつ」という憤りと、胡散臭さすら感じて全く聞き耳を持てず、むしろ「そんなに言うなら走り切って体壊してやろ」と決意する。

それ以降、その心理学コミュニティに参加するのはやめる。

そこで習うことを素直に受け取る気が自分には全くないこと。参加の動機を深く内省したところ「もっと成功したい」というエゴを強める理由であったためあまり良いことが起こらないと感じ、継続参加を見送った。

その後、その主宰者への苛立ちが数日間続く。

運命の分岐点

その後は精神世界、思想世界そのものを一旦忘れ、ひたすら仕事に邁進する。仕事は徐々に軌道に乗り始め、「やっぱりあのコミュニティで言われたことは嘘だったんだ」という確信を強める。

そんな中、度々、鬱々とした気分に襲われるが、瞑想をして意識から飛ばしていた。仕事に邁進する上で邪魔だったためそうした。これは約10年に及ぶ私の癖になっていた。(これが後に、大きな抑圧を生むことになる)

ある日の夜、入浴時に浴槽に浸かっていた際、強い鬱感と虚無感に襲われる。

放心状態の中、ある直観的な考えが降りてくる。それは以下のようなものであった。

今、私の目の前に2つの道がある。明確な分かれ道が今、目の前にある。

一つ目の道は、今までと同じ道。社会の中で評価され、活躍し、やりがいを感じられる道。充実した仕事、安心できる家庭といった、いわゆる社会的な「成功」を享受する道。

二つ目の道は、それらを全て手放す道。そこは一寸先は闇。何も見えない。何も聞こえない。ただ、その先には、何かが待っている。既存社会の中では体験できない何かが待っている。今までの「成功」や「幸福」といった文脈では捉え切れない何かが待っている。

今この2つの道が、私の目の前にある。選択は今この瞬間行わなければならない。もう後戻りはできない。ここが、運命の分岐点。

誰かにそう言われたわけではない。自分でそういう風に考えたわけでもない。ただ、「そういうことなんだ。今この瞬間が、そういうことなんだ」とふと確信めいた強さで思った。

そして私は、二つ目の道を選ぶことを決意する。全てを手放す道である。もちろん恐怖はあった。しかし、他に道はないと思った。

なお、その時は特に自覚はなかったが今振り返ると、この出来事が映画「マトリックス」のワンシーンに酷使していたのが興味深い。

主人公のネオが革命組織のリーダーであるモーフィアスに出会い、2つの薬からどちらかを選ぶよう促されるシーンである。

この時、モーフィアスはネオにこう述べる。

This is your last chance. After this, there is no turning back. You take the blue pill - the story ends, you wake up in your bed and believe whatever you want to believe. You take the red pill - you stay in Wonderland and I show you how deep the rabbit-hole goes.(これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう。)

映画「マトリックス」

ここでネオは赤い薬を飲み、マトリックスという幻想世界から抜け出ることになる。

私もこの時、赤い薬を選んだのかもしれない。どれだけ走っても虚無感に襲われるこの現実世界から抜け出たかったのかもしれない。

この選択の後、鬱感は治り、翌日から変わらず仕事に邁進する。

2022年

知り合いの臨床心理士が主催するワークショップに参加

前述の臨床心理士の方が主催するワークショップが開かれる。先述の心理学コミュニティへの継続参加は見送ったが、内容的に興味があったこと、いつもお世話になっている臨床心理士の方からのお誘いだったこと、数ヶ月の期間限定であったことから参加を決める。

内容は主に、心理学と宗教学を統合した理論の座学、刀禅と呼ばれるボディーワークによる身体性の鍛錬、シャドウワークといった心理学的アプローチを実践的に学んだ。

その時に覚えているのが、ボディーワークをした際の身体の違和感である。胸から下のあたりの違和感、息苦しさが大きくなる感覚があった。

今振り返ると、今まで無視し続け深く抑圧された身体の違和感がボディーワークによって呼び覚まされたようにも思う。

全てがうまくいっている最中に倒れる

2022年7月。

直走ってきた仕事もある程度の成果が出始める。周りの評価も変わる。

私は、意気揚々と、さらに邁進する気だった。

そんな最中、パニック障害で倒れ、人生観は大きく変わる。内面において、全てを手放すしかない状況に置かれる(詳しくは以下の記事を参照)。

心理学コミュニティ主宰者の施術を受ける

体調を壊し、電車にも乗れず、起き上がることも大変だったが、仕事を休み徐々に回復し始める。

そんな中、先述の心理学コミュニティ主宰者の方の施術を依頼する。体調が悪すぎたため、気休めでもいいから何にでもすがりたい気分であった。

その方からは「自分の本質と向き合うことで今までの生き方とは変わってくるがその覚悟はできるか」を問われ、多少の恐怖心はあったがもう働く気力もないぐらい体調が悪く、全てを手放そうと思っていたので、失うものもないだろうと施術を依頼する。

施術自体は数分で終わる。「もしかしたら、自分の人生を生きてきたようで、親の期待する人生を生きてきただけかもしれないね」と指摘される。図星であったと思う。体を壊し自分と向き合う中で、そのことを自覚しつつあった。

施術後は頭の緊張がほぐれ、猛烈に眠くなった。一方で帰り道の足取りは地に足が付いている感覚であった。体調が大きく改善するといった劇的な変化はなかった。

心理学コミュニティに参加することを決める

その主宰者の方への質疑応答の時間。

細かい内容は思い出せないが、何か自分の中で腑に落ちるものがあった。10年間かけて探究してきた内容を踏まえると、「ちょっとこの世界を探究してみようかな。自分自身ととことん向き合ういいタイミングなのかもしれない」と思う内容であった。そして、心理学コミュニティに参加することを決める。

シャドウワークで抑圧が外れる

コミュニティ参加後は、参加者3名程度でグループを組み毎週シャドウワークを行う。シャドウとは成長の過程で抑圧され無意識下に眠るアイデンティティの一部である。シャドウワークではこのシャドウと向き合い、統合することを目指す心理的実践である。

継続的に行い始めて数ヶ月程度経った時、私は大きな葛藤が生まれる状況に追い込まれていた。その時は下腹部が常にグルグル何かが回っているような身体感覚があり、その渦に飲み込まれている感覚であった。

シャドウワークの際、私はいつものパターンに陥っていた。理性でその時の自分の状態を整理できているつもりになり、論理的かつ自己防衛的に状況を説明していた。

細かいやりとりは覚えていないが、シャドウワークの相手をしてくれたベテランの方が本質に迫る問いかけを続けてくれた。そして私は限界に追い込まれ、「認めたいけど認められない、認められないけど認めたい」といった極限の葛藤状態に追い込まれる。

最後その方が、「ここではどんなあなたを出してくれても大丈夫。カッコ悪くてもいいんだよ」と言った瞬間に私の中の何かが外れ、私の深くに眠っていた感情が噴き出て号泣する。

ひたすら泣いて今の感情を全て吐き出した後、まるで憑き物が取れたかのように身体が身軽になり、私はひどく放心状態になる。数時間は茫然としていた。シャドウの抑圧には実はとてつもないエネルギーを使っていると言われている。それを実感する出来事であった。

その後、私を葛藤に追い込んでいたその状況は不思議とそれ自ら私の前から消えていった。

2023年

心理学コミュニティに通い始めて私の内に起きていること

年は変わり、非常に流動的かつ根本的な自己変容がいくつも起きている。まだ全てが進行中なプロセスなため、今この時点で何かを断定的に述べるのは避けたいと思う。

ただ、今私に起こっていることを箇条書きで挙げるとしたら、以下のようになる。

  • 声の質感といった言葉を超えた身体感覚を扱えるようになってきている

  • 他者のシャドウワークを支援できるようになってきている

  • 自分の傾向性を俯瞰し、それに陥らないようになってきている

  • 社会が規定する「幸福」や「善」には絶対性はなく、単なる人間の創造物であることを身体で理解し始めている

  • 自身の中の「罪悪」を積極的に受け入れようとする姿勢と行動が見られる

  • 善悪感が薄まってきている

内的変容と共に起きている私の外の世界の変化

内的変容が起こると外の世界も変わり始める。別れと出会い。面白いほどに世界は動く。以下にその変化をまとめてみる。

  • 囚われによって生み出していた多忙さが無くなり、仕事がどんどん無くなる

  • 暇になる一方で仕事の成果は出やすくなる

  • 暇であることへの焦りが無くなる

  • 自分の中でこだわりが強かった仕事を自らで手放せるようになる

  • 仕事においてシンプルかつクリアな思考が行えるようになる

  • コミュニケーションの仕方が変わり、「優しくなった」とやたら周りに言われる

  • 家族の捉え方および関係性が変化し始める

  • 自分の全てを受け入れてくれる出会いに恵まれ、その関係性を通して自己受容と自己変容に導かれている

今後

私の中の心的負荷、自己変容の様子はこのnoteに綴っている。それは時にエッセイのような形を取ったり、詩のような形を取ったりする。いつの日か見返した時、私及び誰かの変容に役立つように思う。

この自己変容プロセスには完成も終わりもない。「もう私の変容は終わり、私は完成された」と思った瞬間、足をすくわれていると考えた方が良い。私たちは無限に自らを壊し、無限に新しい自己に出会っていける。

楽なことばかりでないが、私はこの変容をなんだかんだで楽しんでいるように思う。表面的な現実世界は私にとってはもはや副次的なものである。私の目的は、自己探求、自己変容、自己統合である。その結果として、現実世界が変わるのである。その表と裏の不可分な「生命神秘」を、私自身も含む形で、死ぬまで堪能していきたいと思う。

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