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私の闇は、小学生の頃の夢から始まっていた
はい、こんにちは。
今日もまた新たな私の闇に出会いましたであります。
話し方おかしいですが、このままいきます。
私、小学生の時、母親にこんな夢を語ったことがあります。
「お母さん、おれ、クラゲかおじいちゃんになりたい・・・。」
母はもちろん「どうして?」と聞きました。
「だって、何もしなくて良さそうじゃん。(憂鬱な表情)」
母:「あんた、大丈夫!?(焦り)」
私は小学生で既に、生き疲れていたのかもしれません。
私の親は両親とも自営で、忙しく結構家にはいない印象がありました(単なる印象で記憶違いかもしれません)。
友達が休日に親と一緒に遊んだ話を聞くと、ひどく羨ましくなっていた覚えがあります。
しかし、ある程度裕福かつ甘やかされて育っていたので、結構おもちゃとかは買ってもらった覚えがあります。
そして私は、そのおもちゃを、特に意味もなく友達にあげてました(笑)
「これ、あげる」って。友達はひどく喜んでました。
そしてその喜ぶ顔を見て、「ああ、なんて不毛なんだろう。なんて虚しいのだろう。」とひたすらに思い続けていました。(この小学生、たち悪すぎ笑)
「なんでみんな、生きてるんだろ?」
そんなことを沸々と考えていたように思います。
私の父は映画が好きで、リビングにはたくさんのビデオがありました。
小学生には明らかに刺激が強い映画もいくつかありました。
なんとなく私はそこから面白そうなビデオを選んで観るのが日課でした。
その中に、私がドはまりした映画があります。
「ファイトクラブ」です。
1999年に公開され、現代社会の資本主義/消費主義に警鐘を鳴らした問題作『ファイト・クラブ』。
イギリスの映画雑誌エンパイアが発表したアンケートでは「歴代最高の映画ランキング500」で10位、「最高の映画キャラクター100人」では作中のブラッド・ピットが演じたタイラー・ダーデンが1位と、多くの反響のあった映画です。
私も、社会のルールに縛られずに自由に、奔放に、無目的的にひたすらに生死の境で魂を燃焼させながら、テロ集団作って社会に中指を立てるブラッド・ピットが演じたタイラー・ダーデンにひどく惹かれました。
そしてこのファイト・クラブは上記にもある通り、「現代社会の資本主義/消費主義に警鐘を鳴らした問題作」だったのです。
これが、当時の小学生男子の私にひどく共鳴したように思います。
この世界は、なんて虚しいのだろう。虚無、虚無、虚無。
おもちゃを買ってもらって、どうなるのだろう。何かを買ってもらってどうなるのだろう。これを誰かにあげてどうなるのだろう。(買ってもらっているだけありがたく思えコラ)
これは大人になっても、結局何も変わらないのでは?
これは、いつまで続くのだろう。いつ終わるのだろう。
なんて不毛なのだろう。
あれ、なんで生きるのだろう?
なんかもう疲れたんだけど。
「お母さん、おれ、クラゲかおじいちゃんになりたい・・・。」
となったわけですね。
そして結局、あの頃から、私はどこにも行ってなかった。
結局私の夢は、今もあの頃も変わらない。「おじいちゃんかクラゲになりたい」なんですね。(そもそもおじいちゃんとクラゲに失礼な気がしてきました)
何か自分の中で、抜けない栓がある。心の、内面の、私の探究を邪魔する何か詰まりのようなものがある。
それは、結局のところ、「なんで生きるの?」なのです。
いつまでこれは続くの?
何回これをやればいいの?
そして振り返ると、私、パニック障害でぶっ倒れた時も「いつまでこれが続くの?」という思考がトリガーになっていたのです。
そう、結局のところ、私は小学生の時からどこにも行っていなかった。
不毛で、虚無なこの人生。とりあえず一旦、走ってみたんだと思います。
そしてやっぱりそれは私にとって、不毛であり虚無でしかなかった。
結局私の問いは「いつまでこれは続くの?」だったのです。
それは、「なんなんだ!この世は!」という言葉でもあります。
なんなんだ!この世は!
これはいつまで続くのでしょうか。
もう、終えたいのだと思います。
今すぐ死にたいとかではないので、安心してください。
もう、正直、300年後に生まれ変わろうが、1000年後に生まれ変わろうが、そんな変わらないと思うんですよ、人間も人類も世界も。
だって、結局300年前からも1000年前からも、様相は変わったとしても、その本質って何も変わっていないように思うんですね。
これ、いつまで続くの?まだやらないといけないの?
正直、飽き飽きしているのだと思います。
この人生を、自分にとって最後の人生にしたいというのが正直なところです。
「いつまで続くの?これ」「なんなんだ、これは!」「もう終えたい」
これが、結局小学生の頃からどこにも進めていなかった、私のテーマだった。
これが「やっぱりそうだったのね」と今こうして気づきとして戻ってきてしまった。
これが私が今日気づいた私の闇でした。
身体の死だけでは、私はもう満足できないです。
全てを終えたい。全てを終えたいのです。
病んでないので、安心してください笑
これは、希望の宣言です。本当の死を求める、希望の宣言なのです。
全てを終えたい。
いやあ、ぶっ飛んでるなあ。どうしておれはこんなにぶっ飛んでしまったんだろう。
また一つ、新しい私の探究テーマが浮き出てきました。
潜ります。どこまでも。
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