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「私」を抱きしめ救いあげたのは「私」自身だった(2023年6月3日時点の「私」の傾向性)

数ヶ月に及ぶ、私の内的闘争が一つの終着点を迎えたように思います

ここまでの私のパターンを振り返ります

私は理性、思考といったもので規範を作り上げ、私自身を防衛してました

その規範は、親や社会から受け取った規範であったものの、いつの日か私の中の自己規範として独立して働くようになっていました

そして私は私自身を虐げていました

私は脳内であらゆることを勝手にシミュレーションし、わかったことにするのです

身体や心に向き合おうと思っても、何度向き合えたと思っても、結局は思考で作り上げられた「私」に絡め取られ、解釈の中に閉じ込められ、わかった気にさせられて安心させられてしまう。実に巧妙で狡猾な思考に私は騙されてしまうのでした

それは結局、私自身の恐怖からでした

ではその、「私自身の恐怖」という時の「私」とは誰か

それは「身体(心も含む)」としての私です

この理性 vs 衝動、思考 vs 感性、頭 vs 身体(心)という構図が、常に激しく争い続けてました

その身体は特に、心理的安全がなく正義を強要され、抑圧される規範で雁字搦めにされる家庭環境によって怯えていました

あまりに弱く、脆く、ナイーブな私の身体は、私の憎むべき対象でした

その身体のせいで、私は褒められない。認められない。成果を出せない

邪魔な存在でしかなかった

なので私は、そんな私の身体を無視し続けました

朝起きた時の違和感、誰かの何気ない一言によって傷つく私、そういったものを全て意識から飛ばしました

そして私の身体感覚、特に心の感覚は何も感じない固形物のようなシコリになっていました

そのことに気づき始め、私は私自身を止めることなく、現実世界に投げかけました

私を抑圧してきた私の周りの世界は、単なる私の過去の記憶による産物かもしれない

世界はもっともっと、優しいのかもしれない

そんな期待を持って、私は世界に働きかけてみました

「どうせわかってもらえない。どうせ理解してもらえない」

そんな風に諦め、しょげていた私を奮い立たせ、時にフラフラになりながらも私は私を表明し、理解を求めました

私は「ああ、私の勘違いだった。皆私を理解してくれる」というハッピーエンドをどこかで妄想してました

しかしそれは、違いました

ことごとく違いました

誰よりも私と長くいた存在。誰よりも私の近くにいた存在

社会では「家族」と呼ばれるその存在は、私を理解することはありませんでした

私自身の言葉を聞こうとせず、私の痛みや苦しみを聞こうとせず、彼ら自身の正義や幸福を、こうして時が経った今も、変わらず私に押し付けてきました

そして私は、その全てを、拒絶しました

それは、私にとって、人生初の試みでした

今までは、賢い私の思考が、身体を蔑み、意識から飛ばし、求められる姿に私自身の心を捻じ曲げ、私自身を求められる枠にはめ込んでいました

しかし、私の身体が、もうそれをできなくしていた

パニック障害以降、明らかに私の身体はその声を取り戻し、今まで散々抑圧されてきた私の心と身体の意思を、表明し続けるのです

結果私は、人生初の、拒絶を表明しました

その週末の夜

私の足は宙に浮いていました

フワフワと、現実感のない、孤独感と、虚無感

私は完全に独りぼっちでした

私は、笑いました

私は自分を笑いました

今までこんなに懸命に深読みし、幸せにしようと懸命になってきた私に最も近いとされる存在たちは、私のことを何も見てなかった

私が失ったと思ったあの人も、私が見つけたかったあの人も、私が憎んだあの人も、私が守りたかったあの人も、全てが、ことごとく全てが、私の単なる妄想でしかなかった

自分しか見えてないのは、彼らだけではない。私自身も、結局私自身しか見てなかった

私も私の閉じた世界を生き、彼らも閉じた彼らの世界を生き、お互いの世界が擦れ合い、削れ合う

そうした「世界」という憐れな水泡同士の戯れは、シャボン玉のようにパチンと全てが弾けました

あの時の孤独感、虚無感、非現実感

そして私は気づいたのです

「私を守れるのは、私しかいない」

「私を幸せにできるのは、私しかいない」

私はどこか、他者に私の安全と幸福を委ねていました

それは結局、私の依存でした

そしてその姿勢は、相手の私に対する依存を引き出してました

私と他者は、共依存でした

私はあの時、その共依存の鎖を叩き切りました

私は誓いました

私は誰よりも私に近い人を誰よりも大切にしないといけない

それは「私の身体と心」です

そして私は、心許せるコミュニティの中で、全てを打ち明けました

私の期待、絶望、孤独、虚無、憎悪

その全てを、ただただ、吐露しました

「私はある」

「私はここにいるんだ」

声にならない声でそう叫ぶ私の何か

その何かに私は全ての意思を委ね、その何かに全てを語らせました

そこである人が私に聞きました

「その時、どうして欲しかった?」

私の声にならない声は、こう答えました

「ただ、抱きしめてほしかった。あたたかく、やわらかく、優しく、包み込むように、抱きしめてほしかった」

そう答えた時、明らかに私の身体感覚は変わりました

実際に、私の声が述べた通りのあたたかさが、優しさが、私を包み込みました

それは私に常に寄り添い、共感してくれる人のおかげで気づけた身体感覚でもありました

私は、私自身がしてほしかった抱擁を、私自身の中にちゃんと持ち合わせていたのです

「本当にごめん。今まで散々いじめてきて、本当にごめん。本当に申し訳ない」

私は私自身にそう謝ると同時に、咽び泣きました

私を虐げていたのは、他者でも、世界でもなかった

私自身だったのです

他者や世界から受け取った高圧的で抑圧的な権威者を、私は私の中に住まわし、私自身がその権威者になり、私自身を虐げてきていたのです

私が救われるためには、私以外の何かが、誰かが必要だと思っていました

しかしそれは違いました

私が必要としていたのは、私自身だったのです

私自身の、あたたかく、やさしく、包み込むような、抱擁だったのです

私が私を抱擁し、私が私を救い出してくれました

こうして私の中で、私と私の闘争が融和しました

ただこれは、始まりにすぎません

何も終わっていないし、何も終わらない

私の中の、私と私

隙があらばその私と私は、闘争を始めたがります

私が私を虐めたがります

注意深く、私は、私と私に意識を向け続けなければなりません

責めるべき私は、1人もいないのです

全ての私は、私を守るために、必死だったのです

全ての私を、慈しみ、愛でる

必要なのは、それだけでした

いつまでもこの気づきが、私の中にあり続けてくれることを心から願います

そしてこの気づきが、私と私の闘争で苦しむ誰かの助けになることを心から願います

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