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蒙を拓く。[易経:䷃山水蒙]

山水蒙は、教育の基本姿勢を説く卦(啓蒙の語源)
:教える側、先生の立場。
童蒙:幼く蒙昧な者、学ぶ側。

啓蒙は、先生が「教えるから学んでくれ」というのではなく、学ぶ側から「知りたい、学びたい」と教えを求めることから始まる。
学ぶ側の一心の求めに対して、師も一心に応えることでさらに内容が深まり、相乗効果が働いて、一層充実してくる。
「学びたい!知りたい!」と求める時に、初めて蒙は啓くのである。

蒙は人間でいえば赤子の時代を終え、児童少年の時代であります。それで童蒙という言葉があります。
この時代になるともう小貞ではいけません。そこで大象には果行育徳ということばを使っております。果は結果の果でありまして、きびきびした実践を表します。
つまり小学校時代になると、甘やかしてはいけません。きびきびと活動させて徳を育てなければいけません。
果という文字は面白い文字であります。果物でありますから、その栽培を考えるとよくわかる。果物は鈴なりにしておくといけません。必ず間引かなければなりません。鈴なりにしておくと木が弱ってしまう。従って果物も駄目になります。そこで適当に間引かなければならんのです。これを果決、あるいは果断という。花もそうであります。上手に摘花しなければ、よい花になりません。
しかし、この果断、摘花というものはたいへん難しく、時期を外したりやりそこなったりするととんでもないことになる。まして人間の教育は、その意味においてたいへん大事でありまして、難しい。これは果行によって徳を養うことができるので、少年時代はできるだけ雑駁にならぬよう引き締めて、きびきびと躾け、つまらぬものを省いてよい習慣生活、よい癖をつけるようにすること。これが蒙の卦の根本精神であります。
徳というものは、人間の本質的問題であります。人間には本質的要素と付属的要素があって、徳というものは、その本質的要素であります。これに対して知能とか才能というものは、付属的要素であります。
この知能、才能、あるいは技能というものは、なくてはならぬ大切なものであるけれども、人間の要素としては、派生的なもの、付属的なものであります。また、躾、習慣というものがありますが、これは、徳というものを育てるうえにおいて大切なものであり、本質的要素の中に入れるのが普通であります。これは、東洋人間学の基本的な問題のひとつでありますが、易は明確にそれを教えております。
[安岡正篤]

暗い家に住む子供。
「蒙」は、若すぎるとか、見定めがたいぼんやりしたという意味です。また「蒙」の字をごらんになればわかりますように、草かんむりに家です。縄文時代にあった地に穴を掘り、柱を立て、茅などで屋根を地面までもってきた、昔の家の形です。薄暗い中で、両親が小さな子供を育てているところです。
だから、この卦には、見定めがたいとか、若い、児童、これから伸びる人、という意味があります。なお「啓蒙」という言葉は、教育でその無知をひらくという意味ですが、もとはこの「易経」からでているのです。
ところで、「易経」の真価を認めている者は、けっして東洋人だけではありません。たとえば、ヘルマン・ヘッセは「ガラス玉遊戯(ガラス玉演戯)」の中で、「易経」を「人間最高の知恵」と呼んでいるのです。その中で「蒙」について触れています。
ヨーゼフ・クネヒトという青年が竹林の隠者の庵をたずねて、弟子になりたいと頼んだとき、隠者は彼にたずねます。
「君はここにとどまっている限り、従順を旨とし、鯉のように静かに身を持する覚悟があるか」
「あります」とクネヒトが答えると、隠者は
「よろしい。では筮竹をもって神託をうかがおう」といって、占いをはじめます。

「これは『蒙』。青年の愚かさをあらわす卦だ。上は山、下は水、山の下に泉の湧くのは青年の例えだ。
青年の愚かさは成就する。
私が若い愚か者を求めるのではなく、
若い愚かさがわたしを求めるのだ、
最初の神託で私は教示する
彼が再三尋ねるならわたしは煩わしい。煩わしければ、渡しは教示を与えない
辛抱強くしてこと進歩する。」

これはドイツ文の直訳ですが、「蒙」という卦の原文はこうなっています。

蒙は亨る。
われ童蒙に求むるにあらず。
童蒙のわれに求む。
初筮は告ぐ。
再三すれば瀆る。瀆るればすなわち告げず。貞に利し。

ヘッセのドイツ文は、よく『易経』の原文の意味を伝えています。クネヒトは、それから隠者に入門を許され、数か月竹林にとどまって、『易経』の六十四卦の書き写し、暗記します。それから古い注釈書を読み、一人の悟りを開いていくのです。

さて、この「蒙」の卦の運気は、はじめあまりよくありませんが、努力次第であとへ行くほど好転してきます。ただ、濃い霧の中を手探りで歩くようなものですから、いつ、何に躓くかわかりません。できるだけ身辺を整理して身軽になっているほうがいいのです。
事業関係では、内部関係が暗く、困難をはらんでいることが多いときです。若い方は前途おおいに有望ですが、あまり、今暴走すると、正面衝突の危険があります。

目先のことでは、見当はずれが多く、身の回り、日常のことでも、かなりあいまいな、わけのわからない出費があるでしょう。結婚は、今は決められません。まず見送ったほうが無難でしょう。この卦の場合、男性もあまり当たりが暗いので、誰かを頼りたいときです。だから、普通の結婚ではうまくいきませんが、いいパトロンでも見つければうまくいきます。
ただ、学問研究に関係のある人に、この卦が出たら、男女ともに大吉です。将来はかならず大物になれるでしょう。

また、たとえば、物をなくした場合、見つかりやすいところに置き忘れたときには、すぐに見つかるという卦が出るものです。盗まれたり、落としたりしたときには、長い間、見つからないという卦がでるものです。ただ、想像もしないようなところに、紛れ込んだような場合には、よくこの「蒙」がでるのです。
[黄小娥/易入門]

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