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震えるほどの後悔

吉凶悔吝(きっきょうかいりん)
悔吝を憂うるものは介に存し、震きて咎なきものは悔に存す。(繋辞上伝)


吉凶悔吝の吉は得る、凶は失う、悔は後悔する、吝は吝嗇・けちる・厭がる。
「吉凶悔吝」は人の心と行動の巡り合わせを表す。つまり、人は過ちを後悔して吉になり、吉になると油断して奢りや慢心が起こって吝嗇になり、過ちを改めることをぐずぐずと厭がり、凶になる。凶になって、そこでまた後悔するのである。
吉凶の分かれ目は「悔・吝」にある
恐れ震えて咎めがないのが「悔」である。
また、凶になる兆しが「吝」であり、凶が吉になる兆しが「悔」である。
「震きて」とは、「凶」という事実と、そこに至った厚かましいほどの吝嗇に恐れ震えること。
吝嗇を重ねると、人は善悪の感受性を失い、不正を働いても「何が悪い」というほどになる。
震えは感受性の回復である。恐れてブルブルと震えなければ、後悔の念は湧かない。後悔して身を改めて吉に向かうのである。
また、トラブルの原因を洞察する者は、恐れ震えるほどに後悔して、流れを吉に変えることができる。

吉凶悔吝とは、動に生ずる者なり。(繋辞下伝)
禍や幸福の吉凶は、天から降ってくるかのように錯覚している人がいるかもしれないが、決してそうではない。
地位を得る(吉)と慢心して諫言を厭がり(吝)、地位を失い(凶)、ようやく後悔する(悔)。
吉凶悔吝(は自らの行動から生ずるものである。

竹村亞希子先生『 #易経一日一言




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