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スラタニ日記・・マレー半島を横断、路線バスの旅

前回・・


パトンビーチからプーケットタウンへ

パトンビーチからプーケット長距離バスターミナル2までの行き方が難しくなっている。以前のプーケットタウンにあった長距離バスターミナルは郊外に移転している。バンコクやハジャイ、サムイ島などからバスは郊外のバスターミナル2の発着となっている。以前だと、バトンビーチからソンテウと呼ばれるバスに乗ればたどり着けたようだが、今は難しい。

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時間の余裕もあるので、とりあえずプーケットタウンまではソンテウで行くことにした。ソンテウのバス停はなく、ビーチロードをのんびり、ホントのろのろと走る青色のバスに手を挙げて乗るシステムである。

通り過ぎてしまうのではと心配する人もいるかもしれないが、まず、停まらないことはない。ただ立っている人を見つけると、親切な運転手さんは停まって確認するくらいである。街を外れるとスピード上がって、快適に進むこととなる。バス停は決まっているようで現地の人は乗り降りが繰り返される。

プーケットタウン
終点は他プーケットタウンのバスターミナル1と聞いていたが、途中の噴水のあるサークルで降ろされた。

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降りると、ここが終点だと言ったおっさんのいろいろな斡旋が始まる。どこに行くつもりなのかとか、聞いてくる。旅行会社の斡旋を仕事としているようだ。一緒に乗っていた欧米人はピピ島に行きたかったようで、そのおっさんの案内でそこから消えていった。

長距離バスターミナルに行くつもりだというと、バスのチケットを売ろうとしてきたが、もう買っているというと諦めた。タクシーを勧めてきたが、ピンクバスを使うというと諦め、どこから乗ればいいのかと聞くと、ここを通るからここで待っていればいいと教えてくれた。ピンクバスとは、プーケットタウンの中を走っている循環バスで、ピンク色をしていると事前に情報をつかんでいた。ピンク色のバスがやってきたので乗ろうとすると、それはバスターミナルにはいかないという。

しばらくするとピンクバスがやってきた。先ほどおっさんがこれだと目で合図してくれた。バスに乗っていた車掌さんもバスターミナル2に行くと言ってくれた。しばらくピンクバスは走ると、バスターミナル1に着いた。ここでしばらく停まるという。

一人のおばさんが一緒である。日本人とわかるといろいろ話しかけてきた。自分はチェンマイ出身でいいところだからぜひ一度訪れたらいいと勧めてくれた。とくにこの時期はここと違って涼しいからいいという。

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ふと横を見ると、隣のバスはパトンビーチから乗ってきたバスが停まっている。噴水のあるサークルが終点だというのはなんか怪しい話のように思えてきた。ツアー斡旋のおっさんの策略かもしれない。

そうこうしているうちに、ピンクバスが出発し、無事バスターミナルにたどり着くことができた。10時にホテルを出発して、バスターミナルに着いたのが12時前。時間的にもこれていいんじゃないかなという移動手段である。ちなみに費用は、パトンビーチからプーケットタウンまでが30バーツ。ピンクバスは10バーツ。安い。


プーケットからスラタニへバス旅


本来は14時発のバスに乗る予定であったが、早めのバスに変えた。出発間近になって乗客が増え満席。荷物も何が入っているのかわからない物が乗ってきた。2時間ほど走ったところで休憩。トイレを済まし、その後バスは高速道路から離れジャングルの中、山道を走る。駅までは行ってくれなかったが、すぐ近くの交差点で下してくれた。

BS TBSでやっている、「地球バス紀行」をご存知でしょうか。
いつかやってみたかったこと・・・人間の鼓動に合う旅・・・
という、ナレーションで始まる番組である。ローカルバスを乗り継いで、目的地をめざす番組。日本版も人気が出ているようです。こんなバス旅行ができたらと思い、わざわざ、このコースを選んでみた。
さて、本来は14時発のバスに乗る予定であったが、バスターミナルについてみると、その前に出発するバスがまだいた。


バス会社のカウンターに行って予約変更を係りのおばさんは何か言いたそう。言葉は通じそうにないので、タイ人特有のヘラヘラ笑いでお願いしてみた。仕方ないなあという表情で変更してくれたが、いざバスに乗ろうとすると、バスの車掌さんは拒否。再度、バス会社のカウンターへ。

おばさんと車掌さんとの間で若干のバトルがあったが、おばさんが勝った。席が空いているのにどうして、しぶしぶながら乗せてくれたが不明である。4時間半のバス旅であるから途中休憩が入るはずである。その時に食事を取ればいいと思い、ちょっとした菓子パンと売店で購入した。本来の予定はバスターミナル周辺の食堂でビール飲みながら食事を取り、ほろ酔い加減でうたた寝しながらのバス旅であった。

出発間近になって乗客が増え満席でなった。出発してしばらくするとバス停で停まった。そこからは立ち席の客が出てきた。近場を移動する客のようである。しかし、プーケットの島を出るころには、停まるバス停ごとに乗客が増え、立っている人もひしめき合う状態となった。

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荷物も何が入っているのかわからない物が乗ってきた臭い。乗客は乗るだけで、降りる人は数名だけである。バス停でないところでも、声をかければ降りれるシステムである。こうなるとバスはなかなか前に進まない。進まないどころか、所々で脇道に入っていく。

2時間ほど走ったところで休憩所らしいところに着く。半分くらいの乗客はここで降りたので、カミさんと交代でトイレを済ます。同時に降りて、休憩所で食事を取りたいのだが、二人とも降りたら戻った時の席はないと思える。弁当にして持ち込もうと交渉したのだがそんなシステムはないようでここで食べて行けという。同じバスに乗っている人たちもぶっかけ飯を食べており、食べようかと思ったが、私だけ食べたら後はカミさんの鬼顔が待っている。

トイレを済まし、水を買ってカミさんが降りる番である。

しばらくして、カミさんが上機嫌で戻ってきた。休憩所のおばさんたちに「あの白い人見て」と評判になったようである。確かにあそこにいたおばさんと比べれば白い。

その後バスは高速道路から離れジャングルの中、山道を走る。途中途中で、乗りたい人は道端で手を挙げ、降りたい人は車掌に合図する。乗る前は、日本の長距離バスをイメージしていたが、このバスはローカルバスの路線が長いものというところである。

乗った時間が5時間になろうするころ、開けた街に入り、道路も6車線となった。スラタニ駅で降りたいので、タイ語指差し会話集で駅の単語の発音を練習する。道路が線路を越え、もう少しだろうと思っていると、突然隣に座っていたおばあさんが大きな声でこの人たち駅で降りるよと言ってくれた。私たちの様子をずっと観察してくれていたようである。駅までは行ってくれなかったが、すぐ近くの交差点で下してくれた。

なんとかなるもんだ。

今考えると、このバスは各駅停車的なバスで、本来取っていた予約のバスが特急バス的なものだったような気がする。車掌さんと、おばさんのバトルはそんなところでもめていたのかも。こんなとき、現地の言葉が分からないと、いろいろ困ります。でも、いい思い出ができました

スラタニ

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スラタニ駅前に、バスで着いたのは5時。

マレー鉄道のバターワース行は翌朝の1時過ぎ発。とりあえず駅に行って、列車の遅れを確認するが、まだ遅れはないようである。先ほどまでは、ローカル、ど真ん中のアウェーだったが、駅の中は、やっとホーム気分になれる客層である。駅でひたすら待つのは少しガタがきている体にはきついので、仮眠用に駅前にホテルを確保している。

ホテルクイーン


名前はホテル クイーン。なんか危なそうな名前だが、別の意味で危なそう。

トリップアドバイザーのこのホテルのコメントを読むと、一番好意的に描いている感想が「古いのときたないのは違う。このホテルは古いのである」。その他の感想の多くは、「外の路上で寝た方がましだ」とか、「チェックインしたがすぐチェックアウト」とか。

ワクワク、ドキドキしながら、チェックイン。昼寝起きのおねえちゃんに案内され、部屋へ入る。確かに、「古いのときたないのは違う」。掃除はできている。料金は約1200円。お値段通りの部屋である。

ベットは湿っているので、毛布をめくらないでその上に寝転がってみる。天井ではファンが回っている。クーラーもきいている。テレビも付く。無料の水もついている。シャワーもある。完璧である。

でも、古いのである。まずはトイレ。お約束のタイ式トイレ。終わった後、横にあるバケツの中の汲んでいる水でブツを流す。シャワーを浴びようと思ったが、トイレがびちゃびちゃになるので、後回しとする。ちなみに水シャワーである。

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スラタニ駅
とりあえず、気分転換に外に出かけることとする。宿に荷物を置き、身軽になったので、街の中心に行こうと市内行のバスに乗ったが、一向に発車する気配がない。

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外の日陰にいた運転手が出発が6時だというので、時間つぶしに近くのカフェでコーヒーを飲む。コーヒーが飲みたかったのではなく、ネットに繋げて日本に連絡することがあったからである。今夜の宿にはwifiが飛んでいないので、ここで連絡しておかないと、翌日のホテルまで連絡できないからである。それにしても文明の進歩はすごい。スカイプで会話ができるのだから。

ちなみに電波事情が悪いところではLINE電話は使えない。若干の料金、数十円だが、払っている分、スカイプ音がクリアである。昔、公衆電話から日本に電話をかけていた時代からすると夢のようである。

コーヒー飲んでまったりしていると、もう町まで行って食事をするのがめんどうになったので、駅周辺の屋台街で食事をすることにした。仕事帰りの人たちで混在している屋台街を見ていると、ここで食べるのではなく、おかずとして買って帰る人がほとんどである。テーブルもあるのだが、数は少なく、そして満席である。

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雷も近づいてきたので、駅近くの食堂で済ますことにした。店に入ると同時に雷をともなったスコールが始まった。ビールを飲んだらますます動くのが面倒になり、再度、駅で列車の遅れを確認した後、ホテルに戻った。

今日の夜は、長くなりそうである。

次回は・・


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