Q.ホームズとワトソンはライバルになり得ますか?

 と、友人から見解を訊ねられて回答したところ、面白がってもらえた。
 本格的なシャーロキアンの方には叱られそうな中身なのだが、せっかくなので公開してみる。恥ずかしくなったら取り下げるつもりである。
 なお、私は彼らがモデルになっているいくつかのゲームや漫画に触れたほかは、ごくごく最近になって原作を翻訳の文庫本で全巻ひととおり読んだという程度の履修具合であり、記憶違いがありうること、再度読み直すことで印象が変わる可能性も大いにあることをご留意いただきたい。

 以下、友人への回答のほぼそのまま転記である。

Q.なかずさん的にはホームズとワトソンは見方を変えたらライバルになり得ますか?

A.考えてみましたが、わたしはやはりホームズとワトソンはライバルではなかろうと思います。
 ただ、「なり得るか」という訊かれ方をしてしまいますと、可能性は0ではない限り「ある」なので難しいのですが、わたしは現状そういう見方をできないので「なかろう」という回答です。

ライバルとは

 さて。
 まず、「ライバルとは互いに切磋琢磨し合い、多くは同じ分野や領域において相手を上回ろうとするもの」、「自らの刺激になる存在、ときに自分を脅かす相手をライバルとして認識するもの」とわたしは仮定します。

ホームズとワトソンの役割の違い

 ホームズとワトソンは同じ探偵物語の中にありながら、その役割をまったく異にしています。ホームズは犯罪捜査に必要なほとんどすべての知識と技術を身につけていますが、ワトソンはホームズの助けにならんとする一方で、これらの技術習得に努めるわけではありません。
 また反対にワトソンは医学博士であり、同時に優れた小説家として我々にかの探偵の類まれなる活躍を伝えてくれていますが、ホームズは一定の医学知識を有しつつもあくまで専門分野はワトソンに委ねるものですし、彼の活躍する物語のいくつかは彼自身が筆を取っ(た、というていになっ)ていますが、その中でホームズは自らが執筆の分野においてワトソンに敵わないような意のことを述べています。
 さらに彼らは、自らにだけ特有の能力について、これを相手を出し抜くことに用いません。ホームズが変装によりワトソンの度肝を抜くなど、いくつか(多くはホームズがワトソンに対して)得意になっているような場面はありますが、それらは得てして犯罪捜査上そのほうがよいという都合か、あくまで気の置けない友人へのいたずら心が表出したものであり、相手を出し抜くことを第一義とした行動ではありません。

彼らは互いを脅かしうるのか

 まずもって、ホームズは世界唯一の顧問探偵であり、謎こそが彼にとって最大の褒賞です。富や名声を求めるものではありませんが、有名になればその分だけ複雑で興味深い謎が彼のもとに舞い込んでくるでしょう。
 その意味で、ワトソンはホームズの行いを助けこそすれ、領分を脅かすことはありません。ワトソンが謎を運んでくること、安請け合いをすること、逆に捜査上の致命的なミスから謎を複雑にすることはあっても、探偵に取ってもっとも重要な「探偵自身が謎を解く」という行いになんらか悪影響を及ぼすものではありません。
 かといって、ほかの探偵やスコットランドヤードがホームズから謎を奪い取っていくライバルというわけでもない、と思うのですが……(なぜならロンドンはいつも犯罪者が無数にうごめく大魔境であり、警察は多くの場合、優れたる探偵ならば足を取られることもない些細で致命的な先入観に引っかかって辺りを転がっているからです)。

ホームズのライバルと呼べる者たち

 話を少し逸らします。
 ホームズは時折「優れた探偵は優れた犯罪者たりうる」旨を発言していますが、これは逆にも言えることです。この点で、ホームズとモリアーティはどうあれ互いの領分を脅かし合う関係といえます。モリアーティは自らが(厳密には自らの息のかかった誰かが)犯罪を行い続ける都合のために、ホームズを亡き者にしようと行動します。反対に、ホームズが探偵行為を続ける限り、モリアーティには必ずいずれ身の危険があるでしょう。(ロンドンで行われる犯罪のほとんどすべてモリアーティの手引きによるものなのですから!)
 ホームズとモリアーティは互いの行動原理が常に互いを脅かし、相手を上回らなければならない、上回ることを志向する関係にあるため、これを私は一種のライバルと捉えます。
 また私は、出番こそわずかながら、アイリーン・アドラーにもライバルとしての側面があると考えます。
 彼女は類稀なる豪胆さと変装術、演技力で以ってホームズを出し抜いた一人です。彼女の行動は、ホームズの探偵としての活動が彼女の平穏を脅かすものであったことに由来し、なおかつ、ホームズに対して一種の挑戦的な意図が感じられます。これはホームズのライバルたらんとする行動であり、またホームズも彼女の写真を譲り受けることで、彼女をライバルとして認識したといえるのではないでしょうか。
(ほかにもホームズが悔しい思いをさせられた犯罪者たちは幾人かいるように思いますが、代表としてアイリーンを取り上げさせてください。単なるわたしの贔屓目です。)

ライバルたらしめる/たらんとする

 さて重要なのは、そもそも「ライバルをライバルとして定義付けるのは誰か」ということです。
 私は「自らが相手にとってのライバルたらんとしているかどうか」を最も重視しています。どれほど周りが囃し立てても、当の本人に相手を上回ろう、出し抜こう、打ち負かそうという意図がなければ、それは果たしてライバルと呼べるものでしょうか。
 ホームズとワトソンを見てみます。
 ワトソンは、ホームズのライバルたらんとするものではありません。
 もちろん彼はホームズの相棒、伝記作家、親愛なる友であり続けるわけですが、ワトソンは作中通して「探偵の相棒としていかなる働きをするか」を重視するように感じられます。彼自身、一定の探偵行為や推理の真似事(大抵の場合は見当違いに終わる)を試みるところはありますが、これらはホームズを打ち負かすためではありません。
 まずもって、謎を解いて真実を明らかにするためであり、物憂げな依頼人の表情をいくらかでも晴れやかにするためですし、あるいは冒険そのものが何よりの目的という印象があります。見当違いを指摘されて悔しがることは(多くは初期の作品において)ありますが、彼は彼自身が一人で謎を解きたいというものではなく、ホームズの手で物事が明らかになるのなら、それで構わないように思います。

 そしてまたホームズも、ワトソンのライバルたらんとしてはいません。
 そもそもホームズは犯罪捜査に関して、絶対の自信と圧倒的な経験を有しています。さらに神経質な性格が手伝って、ワトソンに対してさえ鼻持ちならない言いぶりで時には接します。そもそもワトソンがライバルたり得るとは思っていない印象です。
 ではホームズが必ずしもワトソンを下に見ているかといえば決してそうではなく、先に述べた伝記執筆の点や、社会生活上のあれこれ(少なくともホームズはワトソンのようには他人との折衝や自身の健康管理ができないでしょう)においては自身よりもはるかに優れたる人物として、親愛の中に一定の敬意を含んで接しているように見えます。
 だからといってホームズが自らの生き方を変えるかというとそれは違いますし、ワトソンが結婚したからといって自分も躍起になって結婚をするだとか、同じような社会性を身につけようだとか、対抗意識めいたものは感じられません。(とはいっても英国社会で暮らす一人物ではありますから、求められる規範としてのマナーやレディファーストは行えるようですが。)

 ホームズとワトソンは互いになくてはならない存在であり、相手がいてこそ自らも大いに活躍をできるに違いありませんが、これは互いをぶつけ合ったり脅かし合ったりしてなし得るものではなく、相手より優れたる自分、自分より劣る相手をなんらか求めるものではないように思います。
 このようなことから、私はホームズとワトソンにライバルとしての側面は考えにくいと捉えているものです。

***さらに余談***

 だけど世界線が違えば、ホームズと対等に戦える状況が生まれたとき、ワトソンはそれを心底喜ぶでしょう(正直FGOにワトソンが実装された場合くらいしか想定できません)。
 そのとき、相手をより強敵として認識しているのは、むしろホームズのほうかもしれません。
 ですので、ライバルないし敵対関係、対抗意識の生まれることがあるとすれば、まずホームズからワトソンに向けた大いなる敬意ありきの危機感を発端とするでしょう。その上で、状況を喜んで享受するのはワトソンのほうだと思います。なぜならワトソンはそもそもホームズがいなくても社会生活を営めるので。
 でもホームズはどんな依頼もワトソンと二人で聞くことにしていますから、ホームズVSワトソンはきっとワトソンに有利で、最終的にはワトソンが負けるでしょうね。だってホームズは世界で唯一の顧問探偵ですから。

 これ、ライバルに「なり得る」が結論じゃないかしら。

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