くつ屋のペンキぬり-15(小説)

「こればかりは信じていただくよりほかにありません」
 男は、青年の目の奥のぎらぎらしたところをつかまえて、自身も目玉の奥の同じような部分を差し出そうと努めました。それから手元の貨幣をもう一度、すでに数えてから持参していましたがもう一度と数え直して、皮袋の中身を順番に一枚ずつカウンターの上に並べていきました。
 幾ら治安が良いとしたって、酒場の隅の隅といったって、それでも街の中、店の中には違いありません。金をじゃらじゃら、ぺりぺりと転がして捲って並べるなんて盗みに遭っても仕方がありませんし、第一あんまり品のあることとは男にも思えませんでした。それでも、男はすっかり中身を広げて、そうしました。これだけは幸いなことに、なにしろ遥かに北の国で豪邸が買えるほどの額を持っていたって、この太陽近くの国では乾いたパンの一つ買えないのです。誰もがそれは分かっておりましたから、成り行きを面白がっていたキャラバンの一行も、ひそかに様子を窺っていた店の反対端のスリも、彼らの貨幣に手を出しませんでした。
 男は一枚の銅貨をうやうやしく、ささくれだった右の親指と人差し指とで持ち上げて、ぺちり、と音を立ててテーブルへ伏せました。それが最後の一枚でした。
「これだけあれば私の故郷では、上等な宿を三日は取れます」
 男はあまり勿体つけずに言いました。この国の流通貨幣に替えたらこれくらいだ、と数字も付けてやります。青年は相変わらず疑わし気な顔つきをしていましたけれど、ちょっとだけ唇の角度が変わりました。酒器を手放した指はいつの間にか、ぎゅ、ぎゅぎゅ、と手元で握り、開き、握り、開きを繰り返すばかりになっています。
「ベッドと食事とボーイの態度を気にしなければ、七日か、十日」
「……本当にか?」
「一番に大きな町ではいけません。あそこは一晩泊まるだけでこれでは足りないほどのお金が要ります、もっと北東の外れの宿をお取りなさい。そうすればあなたが仕事を見つけるか、家を見つけるまでの間くらいは、この分で足りるはずです」
「いや、そういうことじゃない」
「あれほど野宿に向かない国もありませんが」
 男は少しだけ言葉を切って、口周りをむぎゅむぎゅとさせました。もう一度青年の顔を見て、バツわるそうに、しかし結局はいちばん大事なことを言いました。
「私もパンは欲しい。この国の貨幣が要るのです」
 だから替えてくれないか、と男は素直に頼みました。

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