読みにくいと言われるたびに過日の私は死んだ(エッセイ)
なにゆえか、私にはさっぱりと分からないことだが(分からないことにしておきたいのだが)世の中では、他人の書いた文章を指差して「読みにくい」と発言することに、正義感めいたものを満たされるケースがあるらしい。
あるいは、自分自身が非常にロジカルに物事を組み立てられるからといって、感情の滲み出た表現を、さも、非論理的で説得力のカケラも無いものとして扱うような判断基準が採用される場面もあるらしい。それ自体がずいぶんと一元的で、冷静さや公平性を欠いた主張じゃあなかろうか。そんな文句