雑誌で見かけたトレンチコートのオレンジ色が忘れられない(エッセイ)

 集英社の雑誌『Seventeen』が月刊誌ではなくなるらしい。
 まさか『Seventeen』も休刊か廃刊か、と思ったがそうではなく、ネット媒体に重きを置きつつ不定期の季刊誌的な発行になるとのこと。少しほっとした。
 私は購読層ではなくなって久しいが、一時期でも愛読していた雑誌が姿を消すのは寂しいものだ。そもそも私が読んでいた時期は月2回刊行だったし、表記も『Seventeen』ではなく『SEVENTEEN』だった。

 今はどうなのか分からないが、当時『SEVENTEEN』を読んでいるのは実際の17歳よりもう少し下の年代、だった気がする。
 実際、私が初めて買ったのも中学生の頃だった。
 衝撃の実写ドラマ化を果たした『美少女戦士セーラームーン』でセーラーマーズ役だった北川景子ちゃん、同じくセーラージュピター役だった安座間美優ちゃんの両名がきっかけである。(少なくとも当時、誌面ではニックネームや「ちゃん付け」でモデルの方々が呼称されており、私も脳内でそう呼んでいた)
 二人が『SEVENTEEN』に出ていることを知り、わくわくしながらわずかなお小遣いで、近所のコンビニで購入した……と記憶している。ひょっとすると、わりにミーハーな母が「今のセブンティーンがどんな感じか読みたい」と言って買ってくれたことも、幾度かあったかもしれない。

 あの頃の『SEVENTEEN』はほかに、鈴木えみ、榮倉奈々、木村カエラ、水原希子などなど、そうそうたる顔ぶれが流行ファッションに身を包んでいた。
 どんなファッションだったかは、正直、記憶が定かではない。「ファッション『ファッションに憧れる中学生』」みたいなものだった私は、おそらく「SEVENTENNを買っていること自体」でお洒落になれた気がしたのであろう。

 誰の財布で買ったのかも、どんな流行が生まれて出会って別れていったのかも定かではないけれど、それでも一着だけ、目に焼き付いて忘れられないコートがある。


 懐かしきあの頃の誌面から、今日の夕方へ時間を戻す。

 私は本を一冊買いたくて、職場からの帰路を遠回りした。目当ての本屋はビルの一階にあったから、最寄り駅から続く二階部分の通路をそのまま駅ビルまで渡って、一階に降りるつもりだった。

 降りたには降りたのだけれど、問題は、通りがかりの駅ビルのショーウィンドウに冬物の新作コートを見つけてしまったことだった。
 つい、足が止まる。前を通ったことは数あれど、店内に入ったことはないお店だ。店頭に並ぶ暗めのパープルのスカートなんか、レース地がかわいいけれどマーメイドっぽいラインは自覚症状としてあまりに合わないんだよな、と三秒前に通り過ぎたばかりだった。
 その店のショーウィンドウに、目に飛び込む、あざやかなオレンジ色のロングコートが飾られている。
 マネキンにまとわれたそれは、よく熟れた蜜柑みたいな、はたまた夕焼けをこぼした海のような、あたたかな橙色でそれはそれはあたたかそうで、胸元の切り替えがなんとなくお洒落だった。うわあ、かわいいなあ、と思う。

 まだ夏が過ぎたばかり、あるいは、過ぎそうで過ぎなくて寒さが急に来たと思ったら今日は暑い、そんな頃合い。ウールの分厚いコートを着るにはまだまだ早い、買うにもちょっと早い、気がする。
 とはいえ、うかうかしていれば瞬時に冬が来て、その上、いつまでもいつまでも続くのが北国の常というものだ。世の人がこぞって防寒着を買い漁る頃には、気に入ったデザインのものは見当たらなくなっている。それなら、ほんのちょっとだけ眺めてみたってバチは当たるまい。
 そう思ってショーウィンドウに近付く。
 ガラス越しに、マネキンの足元に並んだコーディネート一式の値札を覗き込んだ。

 ……忘れることにした。
 買えない金額ではない、はずである。旅行一回分の交通費程度だから、旅行が何回も流れている今とあっては、買えなくはない値段である。けれど、たぶんこれを買ってしまったら私は、冬物の一切を新調せず、コート以外はすべて去年以前の購入品で過ごすことを、己に誓わなくてはいけない。
 予算の問題以上に、信条の問題になる。貧乏性と言ってくれるな。買えるといったって、『普段の私が服飾品に用いる金額』を基準にしたらじゅうぶん、"清水の舞台から飛び降りるような値段”なのだもの。

 そういうわけで文庫本だけ購入し、すごすごと自宅へ帰って、本を買ったぶん今夜は節約するかと冷凍うどんを温め始めたところで、そういえば――あんなオレンジのコートがあった、と思った。


 時間をぐるんぐるん巻き戻そう。

 中学生の頃である。これはおそらく確かな記憶で、本当に初めて、一冊目に購入した『SEVENTEEN』の誌面のことだ。
 北川景子ちゃんが身にまとったオレンジ色のショート丈のトレンチコート。
 合わせたボトムスは、たしか白っぽい細身のパンツだった。景子ちゃんといえばその頃、さらさらストレートのロングヘアがトレードマークで、変わり種のコートを着てすらりと立った彼女は誌面でさえまぶしく、たまらなく可愛かった。

 そのオレンジ色のコートが可愛かった。
 ブランドも、値段も覚えていない。中学生のお小遣いで買えない金額だったことは確かだと思う。(昨今はどうか判らないが、ファッション誌ってもしや購読層が若いほどにお財布事情と掲載商品の価格帯が乖離するのではないだろうか。)
 それでもとにかくそのコートは可愛かった。ぱきっとした、目の覚めるようなオレンジ。着色料の入ったお菓子みたいな、おもちゃみたいな、でも品の良いオレンジ。上品さは、ひょっとすると着ていた景子ちゃんの透けるような肌と清廉な顔立ちから、感じられたのかもしれない。
 このコートが可愛かった。
 このコートが、買えるわけもないしねだりもしなかったけれど、欲しいなあと思っていた。

 本気で買おうと思ったわけではないのに、あのコートのことだけは時折思い出す。オレンジ色の、ショート丈の、トレンチコート。春にも秋にも街をはためくトレンチの裾は素敵だけれど、あんなに目に焼き付くオレンジは一度も見たことがない。雑誌で見たほかには一回も。
 憧れでどきどきとしながら購入した『SEVENTEEN』は思ったより、実際、服が好みではなくて、だけど当時は「東京の子たちはこんなに露出の多いものを着ているのかな」なんて眺めていた。今は、そういう流行だったとも、雑誌の色合いだったとも、とはいえ誇張だったろうなとも思う。数年後に買った『non-no』のほうが私はすきだった。今も好みはそちら。
 そんな中であのコートだけは、好みでもあったし、憧れもして、ふいに思い起こしては可愛かったなあとしみじみする。
 折しも『Seventeen』のニュースを知って、寂しく思っていたらオレンジ色のコートを見つけて、久しぶりにあの頃を懐かしんだ次第。

 ショーウィンドウのコートはそのうち、どうしても、どうしても忘れられなかったときに試着に行こうと思う。
 だけど、中学生の私がほしかったのはあのショートトレンチであって、このロングコートではないのも分かっている。思い出の箇所を埋めたいわけではなくって、何も掛かっていないハンガーを時折つついて、振り返るのが楽しいだけ。歳月を重ねると思い起こす遊びが楽しくて、欲しかったなあと思っているだけ。
 同じくらい、私もオレンジ色のコートを着たら景子ちゃんになれないかな、なんてまだ性懲りもなく思っているだけ。日々とお洒落はたぶんそういう遊びなのだ。

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