ジェラピケよりも福利は厚し(エッセイ)

#はたらくってなんだろう

厳冬に働く

 ひどく寒い。今年は特にも寒さが厳しい。積雪もさることながら、気温の低さはそれだけで生命の活動を低下させる。
 ひどく、というのは適度が甚だしいという意味だけれど、冬に人格があるならばさぞや酷い、残酷なやつだろう。元来、本州の中では殊更に寒い地域へ生まれた私でも、この冬は堪える。ちなみにこれは冬になる度に言っている。今年は寒い、今年は積もる、今年はいつまでも暖かくならない。ボジョレーヌーボーの謳い文句みたいなものである。
 だいたい、寒さへの傾向と対策を僅かに備えているだけであって身体が頑丈なわけじゃない。痛覚が鈍っているわけでもないのだし。寒さとは痛いのだ、肌感覚として分かるかどうかは地域差と個人差があるだろうけど。
 私は決して、極寒の海へ漁に出るわけではない。北風の吹き荒ぶ中で高層ビルの窓を拭くわけでもない。ただ、たまに横殴りの雪を最寄り駅まで掻き分けるように進み、遅延情報に「この程度の雪で止まるとはこれだから南の脆弱な路線は」なんて悪態を駅員さんの手前飲み込んで、えっちらおっちら、空調の効いたオフィスへ向かうだけの寒がりだ。末端の冷えが年中ひどく、ヒートテックにニットを重ね、膝掛け代わりに小ぶりな毛布を持ち込んだ上で、缶コーヒーをカイロ代わりにする。それでようやく、通勤路で凍えていた手足が動き出す。
 こんなに寒いなら自宅でじっとして布団にくるまっていたい。ああでも、アパートの自室は断熱性能が微妙だからかえって寒いかしら。
 こんなに寒くとも働かなければならないのはなぜか、決まっている。
 寒さを凌ぐためである。

給与を使って暖を取って

 暑さがそうであるのと同様、寒さを凌ぐには金が掛かる。どちらがより辛いかの話は議論するだに無駄なので置いておく。それぞれに別種の生き辛さがあろう。
 こたつを使うにも金が要る。エアコンを付けても電気代がかさむ。石油ストーブは灯油以外にも安全に気を配るコストが要る。ヒートテックのインナーは何枚も買い込むし、貼るカイロは使い捨てで、上等なダウンコートに限って値が張る。半袖のTシャツと違って厚手のニットは材料が沢山必要だろうし、カシミヤは洗うのに手間が掛かる、春になってクリーニング屋に赴くのが怖い。
 寒いと活動がし難い。し難いためにあれこれとやって暖を取る。こんなことなら最初から、大人しく食べ物だけを蓄えて、絵本で読んだ熊やキツネの親子のようにじっと春を待っているべきではないかしら。どうしてこんなに金をかけてまで活動をしようというのかしら。
 働くためである。

ジェラピケよりも福利厚生

 人間は寒いと死ぬ。これだけは働き方がいくら改革されようとも変わらない真実である。リモートだろうとオフィスだろうと、直行直帰だろうと同じこと。暖かい環境が整わなければ働けず、働かなくてはガスも電気も湯も水もなにも使えない。
 働いた金で暖を取って、取った暖で仕事をして、仕事で稼いだ金でまた暖を取る。金が先か灯油が先か分からない。
 けれど寒ければ死んでしまう。生きている限り暖を取る。それなら、せめて働いている限りはきちんと暖の取れるようであってほしい。私が欲しいのはお茶濁しのような上司差し入れのクリスマスケーキではなく、誰かとお揃いのふわふわとしたルームウェアでもない。百貨店の寝具コーナーで見かける羽毛よりも、分厚い福利をこそ支給されたい。
 名目はなんでもよい。寒冷地手当が採用されれば、温暖地ないし熱帯地手当は要らないのかという向きもあろう(要ると思う)。北でも南でもない地域は物価が高かろう。煎餅布団で取れるものは睡眠時間だけで疲れは取れまい。
 私に必要なものは熱いスープの一杯である。そのスープはさまざまの名目や体面や理由付けや予算で作られていて、名を待遇とか福利厚生とかいう。ふわふわもこもこのルームウェアよりも遥かに、我が身をあたためて生かしてくれよう。
 240デニールタイツを買い物カゴへ入れながら、北国に暮らす私は今日も暖を取るために働いている。

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