せめて初夢はまともに見たい(エッセイ)

 どんなふうでもいい、みっともなくても情けなくても尻切れトンボでも構わないから毎日更新するんだ。そう思ったのが年の瀬なのに、年始にして挫折をしかけている。
 これではいけない。
 一年の計はなんとやらという。
 いくら朝からお節料理とお雑煮に舌鼓を打って、お屠蘇を頂き、ほろ酔いで日がな一日を実家の自室に寝転がって、やりかけのゲームを進めたり進めなかったりしながら豪雪の寝正月を過ごしたとしても、せめてその、暮らしをこそ題材になにごとか書くようでなければならぬ。それでこそ継続というものであろう。
 ああしかし、しかしだ、目の前では芸能人たちが二種類のワインからより高級なものを選ぶというバラエティ番組が放送されている。企画に賛否はあろうが私はこれがすきだ。特に毎回、連勝記録が伸びるか伸びないか、大御所と呼ばれる人たちが威厳を保つのか、若手の芸能人たちが素直な回答で正解を導くのか、この展開にわくわくとする。正月の丸一日ほろ酔いで過ごした思考回路で夕飯をつつきつつ眺めるには最高のほどよい盛り上がりとそこそこのくだらなさだ。見ている分にはくだらなくとも、やっている側は必死なのだと思う。だからこそ面白く思える。どちらが、どれが正解だろうとテレビの前で盛り上がっていられれば、ひさしぶりに帰った実家で妙な気まずさを感じることもない。優秀なお正月特番だ。いつもありがとう。
 はてさて、そんなわけで番組に夢中になっているうち今日があと3時間になってしまう。毎日更新するという目標の「毎日」を24時間単位にするのか、寝て起きた時からふたたび寝るまでにするのか、定めていなかったが、あまりゆるい制限にしてはすぐにだらけてしまうのが私だから、ここは午前0時から深夜23時59分59秒までとしておくべきだろう、つまり急いで更新をしなくてはならない。
 こんな調子では今年もまた、締切のぎりぎりの淵を駆け抜け続ける年になってしまうのではないだろうか。一年の計は元旦になんとやらである。仕事も手続きも趣味も外出も、いつもぎりぎりを攻めてきた人生、今年くらいは余裕を持って暮らしてみたい。思うだけなら自由である。

#note書き初め #エッセイ

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