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掌編小説(17)『夜半の邂逅』

 ホーホー鳥が鳴いた。一度ならず二度も!
 こうしてはいられない。刻限は迫りつつある。
 戸口に立てかけた愛用の弓をつかみ取り、私は森を目指して走った。

     ◆

 予定通り、三日月の夜を選んで私は狩りに出た。
 夜目が利くほうではないが、そうも言ってはいられない。ホーホー鳥が鳴いたのだ。おちおち眠ってなどいられるものか。
 鬱蒼と生い茂る木々。枝葉をかき分けて進む。物音は立てない。相手はきっと油断しているだろうが、こちらまで気を抜くわけにはいかない。狩りの成否には、この森に生きるすべてのものたちの未来がかかっている。
 乳飲み児にも、老いさらばえ杖をつくものにも等しく庇護を授ける。それがこの森を統べるものの務めであり宿命である。たとえ相手が古来より幾度となく産まれ堕ちる邪なる獣であったとしても、私が果たすべき役割は変わらない。変わることなど、あってはならない。
 研ぎ澄まされた神経は、目線のはるか先で蠢く翳りをとらえた。静止して息を整える。仕損じるわけにはいかない。近くの木に登り、枝の上で様子を窺う。
 獲物は月明かりに怯えている。森の木々が落とす影の輪郭からはみ出さないよう、慎重に歩を進めている。私は機を逃さぬよう、怒りに染まる視界越しにその動きを追う。獲物は目と鼻の先にある人家に狙いを定めたようで、細長い舌で舌舐めずりをしながら這いつくばるように姿勢を低くして、前傾姿勢をとる。逞しい前足の先で、太く鋭い爪が地面を抉る。
 獣が駆け出すより早く、私は枝から飛び降りた。

     ◇

 災厄の獣は人を喰う。肉ではなく魂を喰らう。
 魂を喰われては、人は生まれ変わることができない。だから私たちは、災厄の獣が生まれ堕ちたときのために古くから森の主の住まう巨きな宿木の麓に家を建てた。
 災厄の獣を喰らうことができるのは主だけ。
 でもその災厄の獣の正体は、罪によって裁かれた人間の成れの果て。私の父は、人攫いに連れ去られそうになった私を救うため人を殺めた。それは宿木の反対にある村の、有力者の一人息子だった。父は裁かれ、今は獣になって森にいる。私は父を止めなければならない。
 例えもう一度、その命を奪うことになったとしても。

     ◆

 一直線に空を切る。その勢いのまま、私は獣の横腹に鉤爪を食い込ませた。痛みにより唸り声をあげる獣。予想もしていなかったであろう敵の出現に、獣は忌々しそうに牙を剥いた。そしてすぐさま私に飛びかかると、左の翼に噛み付いた。焼けつくような痛みに意識が遠のく。
 獣はもう一度、今度は私の首めがけて噛みつこうと大きく口を開いた。
 その隙を狙って私は獣の左目をついた。嘴はいとも簡単に黄金色の瞳を突き破った。私は最後の力を振り絞って、獣を羽ばたきの許す限り空高くに吊り上げた。やがて限界をむかえた私の体は羽ばたきを止めて、私と獣は地面に向かって落ちていった。
 その最中、遠く地上に一人の人間がいることに気がついた。それが誰であるかはすぐに気がついた。
 たくましく成長した娘の姿がそこにあった。

     ◇

 私が見つけた時には、獣はすでに事切れたあとだった。
 間に合ったことを知った私は急いで矢をつがえた。
 力いっぱい弦を引く。微動だにしない主。その頭上天高くに向かって、矢を射る。
 矢尻に開けた穴に空気が勢いよく流れ込んで、矢は甲高い音を立てながら夜空をはしる。森の民がこうして鏑矢を放たなくては、今度は主が獣に呑まれてしまう。
 ホーホー鳥の鳴き声が止んだ。災厄の獣の出現を報せる小さな森の眷属は、音も立てずに森の中の闇に消えていった。
 鏑矢の音が静まったあとも、森の主はその場を去ろうとはしない。先ほどから私をじっと見つめている。
 私はその鳶色の目に見覚えがあることに気付いた。古い記憶の中。私をあやす父の笑顔。
「——お父さん!」
 主は大きく翼を広げると、羽ばたきふたつで夜空に溶けるようにいってしまった。
 飛び立つ間際、主は確かに私の名を呼んだ。それは在りし日の優しい父の声だった。



***



このお話は、5月10日の『愛鳥の日』にちなんで、『愛鳥』をテーマにして書きました。

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