見出し画像

掌編小説(6)『春を集めるひと』

 今年もまた大寒を迎えた。
 大寒とは《二十四節気》と呼ばれる季節の区分のひとつだ。一年を十二の節気と十二の中気に分類し、それぞれには季節を表す名前がつけられている。第一の立春に始まり、春夏秋冬を経て二十四番目に大寒を迎え、季節はようやく一巡する。
 そんな区切られた時間の中で、俺たちは出会った。

 二〇二〇年一月二十日。東京池袋。
 夜の繁華街は、冬の名残を惜しむこともなく、連れ歩く若者や、身を寄せ合う客引きたちが漏らす、ため息や喚き声で満ちていた。
 彼らはまるで止まり木を失った鸚鵡のように、あちらこちらを飛び回っては、往来を行く見知らぬ誰かの轍に自らの存在を刻み込もうと、消費期限切れの常套句を繰り返している。
 西一番街を歩いていると、牛丼屋の前でへたり込む若者を見つけた。
 最近やたら見かけるようになったフードデリバリー用の黒い箱を背負っている。腹を押さえていたので体調でも悪いのかと思い声をかけると、単に腹が減ったとのことだった。三日は食べていないらしい。
 見捨てるのも忍びないので、目の前の牛丼屋で一緒にメシでも食うかと誘ってみた。若者はパッと顔を上げると、俺が止めるまで何度も何度も頷いた。
 店内に入ると、小太りメガネの店員が隣の若者を見て奥に引っ込んだ。そしてすぐにビニール袋を持って戻ってきた。
「はい、これ。冷めちゃうから早く持ってって」
 若者はひどく驚いた様子で両手を前に突き出した。
「いや、困ります。僕、ここで食べたいんです」
「なんだあんた、受取りの人じゃないの? 紛らわしいことしないでよ」
 若者は「変なこと言いますね。あの人」と訝しそうに席についた。それはそうだろうと俺は若者をたしなめた。
 並んで牛丼を食いながら若者と話をした。彼はなんというか、変わったやつだった。
 彼は今、季節を運んでいるらしい。正確には、季節の欠片を集めながら旅をして、次の節気までに然るべき場所に春を届けに行くのだそうだ。
「弘前まで行かないといけないんですが、お金もないし時間もない。立春が成らなければえらいことになるんです。日本の季節はもう、めちゃくちゃになりますよ」
 正気を疑った俺は、ニュースやワイドショーで話題になっていた『危ないハーブ』やその類のものを摂取していないか確認した。彼はとんでもないと首を横に振った。
「信じられないのも無理はないですが、本当なんです。ほら、これに耳をあててください」
 若者はいつの間にかカウンターに置いたあのデリバリーバッグをぽんぽんと叩いた。
 促されるまま、俺は箱に耳を押し当てた。すると箱の中から微かな音が聞こえてきた。目を閉じ、耳を澄ませてみる。音の正体はお囃子のような旋律だった。
 笛や鼓の音に混じって鈴の鳴る音がする。
「へえ、どういう仕組み?」
 まったく信じる様子の無い俺の態度に、若者は腹を立てるでもなく、うまそうに牛丼を頬張っている。
 悪いやつではなさそうだし、困っている姿に同情していた俺は、持ち金をほとんど渡してやった。
「いいんですか? 僕、きっと返せませんよ?」
「いいよ。またいつか一緒に牛丼でも食ってくれ」
「では、また来年にでもお会いしましょう。約束ですよ」
 会計を済ませて外に出る。若者との会話と久々に暖かい食事をとったことで、心も少しほぐれた気がした。
「死ぬ必要なんてないですよ。きっとうまくいきます」
 振り返るとあの若者は消えていた。
 俺は確かにさっきまで死のうと思っていた。事業に失敗して借金を抱え途方に暮れた俺は、死ぬ前に牛丼でも食おうとしていたのだ。しかし、彼にそんな話はしていない。
「きっとうまくいく。——そうかもな」

 そして今日。
 一年前と同じ時間、同じ牛丼屋の前に行くと、あの日とまったく同じ姿であいつはへたり込んでいた。
「お久しぶりです」
「どうだ。あれから間に合ったのか」
「おかげさまで。そちらはどうです?」
「まあ、悪くはないよ」
 ふざけた格好の季節の運び手は、嬉しそうに笑った。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

528,964件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?