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掌編小説(20)『選択する時間』

「お待ちのお客様、こちらにどうぞー」
 大学生くらいだろうか。明るい髪の色をしたスタッフの女の子が、こちらに向かって手をあげる。私は促されるままにカウンターへと歩み寄った。
「こちらからお選びください」
 彼女が二つ折りのメニューを広げる。最上段にはカラフルなドリンクの写真。限定商品らしい。その下には見慣れない単語がずらりと並んでいる。
 じっくり確認して、それらがサイズやトッピングというくくりで記載されていることを理解した。理解はしたが、肝心のその内容が実にバラエティに富んでいて、事前に「カッコつけずに無難な注文をしよう」と思っていた私は途方に暮れた。
「ええっと……ごめんなさい。私ここに来るのは初めてで、どうやって注文すればいいかわからなくて」
 正直にそう打ち明けると、女の子は人懐っこい笑顔で言った。
「いえいえ、ぜんぜん大丈夫ですよ! そう仰るお客様、実は多いんですよー。では説明させて頂きますね」
 私は耳の後ろに感じた微かな火照りを無視して、てきぱきと説明を始めた彼女のひと言ひと言を聞き漏らすまいと全神経を集中させた。
 まずは好きなドリンクを選ぶ。これはさっきの限定商品にした。女の子には「お目が高い!」となぜか褒められた。次はサイズ。自分に適したものがどれだか検討もつかないから、私はちょうど真ん中のサイズを指定した。
「えーっと、じゃあサイズはこれで」
「えー、それにしますー? 私がお姉さんならこっち選びますけどねー」
 彼女が指し示したのは一番大きなサイズだった。
「多すぎない? 残したらもったいないし」
「ぜったいそれがいいです! マジですよ」
「マジですか」
 私へのチュートリアルを進めるうちに、彼女の口調はいつの間にかフランクなものになっていた。説明自体はとても親切かつ丁寧だったので、私はとくに気にはしなかった。結局、私はほとんど彼女の勧めるがままに商品を選び、注文を終えた。
 それから、ランプの下で商品を待つように言われた。私が物珍しさから、カウンター向こうで行われる調理の様子を覗き見ているあいだ、彼女は次の客に対してさっき私にしたのと同じように注文方法のレクチャーを始めた。注文に不慣れなのが自分一人ではないことに安心して、私は内心ほっとした。

 商品を受け取ったあと、カウンター席に空きを見つけて腰掛けた。
 ドリンクをひと口飲む。とても美味しい。たったそれだけのことなのに、気分が上向くのだから不思議なものだ。さっき選んでもらった【ポジティブ思考】のトッピングがよかったのかもしれない。
 もしくは、ガラスを隔てた店の外に広がる、澄みきった青空のせいかもしれない。眼下では、もこもことしたまっ白で美しい雲の群れが、太陽に照らされて眩しいくらいに輝いている。
「あのー、すみません」
 景色に見とれていた私は不意に呼びかけられたことで驚いた。口に含んだドリンクが少し気管に入る。咳き込みながら声の主を振り返ると、声をかけてきた人物はまた「すみません」と言ってぺこぺこと頭を下げた。さっき私の後ろに並んでいた男だ。
 彼はスーツ姿の中年男性で、黒縁メガネをかけていた。生真面目なサラリーマンといった感じだ。
「あの、なにか?」
 訝しむ私に向かって三度目の「すみません」を言い終えると、申し訳なさそうに「隣いいですか?」と空席を指さした。
「ああ! どうぞどうぞ」
 他にも席は空いているのに、なぜわざわざ隣に座るのだろうと考えていると、それを見透かしたかのように男は言い訳を始めた。
「いや、怪しいものじゃないですよ? 自分からそう言っちゃうような人間は怪しいとは思いますが、僕は本当に怪しいものじゃないんです。誓って。ただ、僕、初めてこういうところに来たんですけど、なんだか落ち着かなくて。あなたもそうでしょう? さっき店の女の子にいろいろと教えてもらっていたようだし」
 後ろに並んでいたのだから当然のこととはいえ、手取り足取り教えてもらっていた私の注文風景を男に見られていたらしい。なんだか気恥ずかしくなった私は、ぶっきらぼうに答えた。
「私は別に、落ち着いてないことはないです!」
 そう言ってから、今のは変な日本語だなと思った私は、「リラックスしてます」と付け加えた。
「そうですか。それはすみませんでした。ただ、ややこしいところに来たなあと。選んでくださいと言う割に選択肢は限られているし、残されたものに限って自分好みのものは無いし。なんだか、少し腹が立ちましたよ」
 悔しさを滲ませながら、男は手に持っていたカップをカウンターに置いた。側面にはマジックで【20〜40サイ ク多】と書かれている。カップはさっき見たサイズの中で二番目に小さなものだ。【ク】は恐らくトッピングの中のひとつである【苦難】だろう。たしか女の子が「これ、ちょー辛いですよ」と言っていた。
「あいつら、人を見下してるんですよ。こっちには選択の自由ってもんがあるはずだ。それがゴウだとかツグナイだとか訳のわからないことを言いやがってあの小娘が! おっと失礼」
 男は正面を向いてなおも話を続ける。私は気づかれないように、自分のカップを腕で隠して、適当な相槌をうち続けた。男は私のカップ隠蔽には気づかない。というか、話すことに夢中になっていて、もはや話し相手である私のことなど目に入らないようだ。
 そうして、傍からみれば大きな独り言を終えたあと、男はカップの中身をいっきに飲み干した。
「じゃあ、私はこれで」
 足早に出口に向かう男の背には、深々とナイフが突き刺さっていた。

 自分のドリンクを飲み終えた私は席を立ち、出口に向かった。途中、私のためにドリンクを選んでくれた女の子に礼を言う。
「いいんですよ。それよりお姉さん、次は絶対幸せ間違いなしなんで、安心して人生楽しんじゃってくださいね」
 握った両手を前に突き出す彼女がなんだか可愛くて、私は声をあげて笑った。
「ありがとう。ごちそうさま」
 店を出ると、私は胸いっぱいに空気を吸って、雲の向こうに続く道を歩きはじめた。



***



このお話は、6月10日の『時の記念日』にちなんで、『時』をモチーフにして書きました。

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