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掌編小説(14)『拾う標の向こう花』

 桜の丘が溶ける頃には、私はここを去らねばならない。

 清流の打ち崩す薄紅の山は、微かな名残も残さずにその姿を消そうとしている。頬を打つ冷たい水に髪をたなびかせて、私は今まさに「かつて」になろうとする【理の丘】を見つめていた。
 どこからか流れてきた青がどこかへと過ぎ去って行く。その只中に【理の丘】はあった。私が生まれ、糧を得る術を身につける頃には、その淡い色をした小高い山は、きらめく水面をはるかに越えた天上に頂を成していた。
 殻を解き破り、自由を得た兄妹たちはまずそのうず高く積まれた花弁の隙間を縫うようにしてその身を隠そうとしたが、たちまち崩れくる花弁に身動きを取れなくされたりして、しだいに数を減らしていった。
 私は陰を恐れるふしがあったので、なるべく陽の届くあたりを漂いながら、ときに水底でゆらゆらと身を振るう緑藻に身を委ねては、その日暮らしを満喫していた。

 肌を刺す水の冷たさがわずかばかり緩むころ、一つ、また一つと水面を突き抜け落ちる花弁によって、【理の丘】は築かれる。なぜそのような呼び名となったのかはわからない。誰に聞いたことは無いとしても、それがそう呼ばれるべきものなのだという確信とも呼べる記憶が我々には備わっていた。
 花弁の一枚一枚には世界の理が記されている。記され、示されていることまではわかっても、それらが携える真の意味まではわからない。だから、我々は進むべき衝動が発するままに、花弁の一つを連れて終の住処に向かうのだ。
 初めの花弁が降り落ちてから、空の青と黒の明滅が繰り返されて十五を数える頃には、【理の丘】はその身を最大限に成長させている。そしてもう十五数えて、薄く光さす暁の中、数百いた兄妹たちをすべて見送る頃には、かつては視界を覆い尽くすほどの大きさだった【理の丘】は、あたりを埋め尽くす小石よりさらに身を小さくして、ひとひらの花弁となって流れに身をまかせていた。

 最後のひとつ。我々のもつ鱗によく似た、朱の線をひいた菱形の花弁を私は選んだ。
 ひと抱えほどの花弁を胸に抱き寄せると、不思議とこの先の不安や恐怖などが和らいで、ただこの感情の赴くままに尾を添うていけば良いと諭されているような気にさえなった。
「ああ、これこそが——」
 花びらを連れた私は無我夢中で流れのままに下る。導かれるままに。
 私はただ、降り注ぐ木漏れ日のまにまに漂う明暗に溶けていくように、ゆるやかに世界の中に希釈されていった。


***


このお話は、4月10日の『教科書の日』にちなんで、『教科書』をテーマにして書きました。

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