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振られた気持ちのゆくえ

ふと、小説を読んだ後に思った。

こちらの記事で感想文まで書き上げた、よしもとばなな氏の「デッドエンドの思い出」

そして昨日読み終わったのは、江國香織氏の「落下する夕方」という、どっぷり失恋系の恋愛小説二作。

例えば、それまで100℃程近くある熱々な気持ちのスープが、相手には受け入れられずに無惨に全零れ…したとして。じっくり、コトコト煮込んだのになぁ、なんて。煮込まれた方は作ってくれなんて頼んでもないのだから、ありがた皆無の迷惑そのものでしかないだろうが。

前述した二作はまさに思わぬ失恋について綴られた小説だが、私にはその、あまりにも似た経験があり、ほぼ冒頭からまるで自分事のように思わざるを得なかった。(きっと読まれたことのある皆さんは多かれ少なかれそう思うのだろうが、一作に関してはなんと元彼の名前、漢字まで同じである。あな恐ろしや)

振られた、という瞬間はまさに失恋という名実ともに「恋する気持ちを失う」のだけど、失われたタイミングで涙とか溜息とか物質的なものに直ぐに全て、形を変えて消えてしまうのだろうか。

遠い過去ながら、学生時代の無謀な告白をした頃へと思いを馳せてみる。

絶望的な気持ちがまずはじめに。それが来た後で何か、答えが出て精算される感覚、それも思い当たる。そして何か心のつっかえみたいなもの ー
油膜のアクのようなものがツルりと取れていった気がする。まさに例えるならば’90〜’00年代のテレビでよく観た食洗用洗剤、ジョイのCMのようなイメージがある。(私の中で最もらしい表現が妙に美しさに欠けるのは、全くもってお相手のせいではないこと、まず謝っておきたい)

油まみれの鍋汚れが水面に浮かび、あっという間にクリアになる。キュッキュッと軽妙な洗い上がりの音。そう、ある程度落ち、乾き切れば何故か元に戻ったように晴れやかになるのだ。

「諦める」という言葉を10人に聞くと、9人、いや10人全員のそのイメージは100%近くマイナスだろう。Googleの辞書で調べれば「とても見込みがない、仕方がないと思い切る、断念する」と書かれている。恋することを諦める、これがまさに失恋というものであるが、「あきら」という言葉の音韻的にも、またこの漢字から私はどうも、より深く違う本質がある気がしてならなかった。大学の頃は「表象文化学部」という、いわゆる文学などの言語表現を音声学、文化学等々から多角的に分析・研究するという学部にいたからか、という、なんとなく気になっての勘ではあるものの。(もう少し研究テーマなどに触れて説明しようとしたが、書いていて何だか頭がいい奴アピールのようで嫌気が差し「諦めて」おくことにする)

さて「諦める」についてさらに調べてみると、仏教では「あきらかにみる」「明らかに真実を観る」ということらしい。物事のあり様を前提や先見、偏見などを交えずありのままに見る、または知るということだそうだ。諦観(ていかん)の境地、という言葉があるようで、それは物事の先を見通し、真理を見極めることらしい。TK/KC(AC/DCみたいだな)と歯切れのいい子音が印象的なキリリと格好のいい言葉、文質彬彬ともいえようか。13、14歳をもう優に二周以上したものの、未だ中二病を拗らせた私にとっては早く使いたい衝動を抑えられないような、特別な響きだ。

さらに、漢字の語源となっている「帝」は天下を治める最高の支配者という意味。「言」葉の天下を治める・諦めるということは、これまたなんて素敵なことなのだと感銘を受ける。

要するに溢れそうな期待や不安に結果が出て、真実が明らかになることなのだ。この美しい言葉の意味はいつからすり替わってしまったのだろうか。すり替わった、というよりは善し悪しの比重が全く入れ替わってしまったというか、うわべの意味だけが残ってしまったような。

何よりも、ただ終わってしまった事実、衝撃とか余韻とか、寂しさのようなもので、はじめに覆い尽くされてしまうのだろう。振られたすぐには行方知れずの気持ちなのだから。

そして相手へコトコトした思いは結果、溢れて落ちた光景と、自分という視点へ向けられる。言葉や気持ちか床に散らばったのを、片付けなければと受け入れて、自らが腑に落ちるまで。

少し経てば、「除菌もでき〜る、ジョイ!」なんて歌えてしまうくらいには明るく、たっぷりの涙で洗いざらいスッキリとした心はキュッキュッと清潔な音を立てる。それは既に新しいスープを作る準備が出来ているかのように。

前はドロドロ煮込み過ぎたから、次はもう少しだけ時間を減らして食感が残るくらいがベストだろうか。完全に彼へ宛てたはずの気持ちは、自分をまっさらに見直す気持ちとなって、元のところへストンと戻ってきたようだった。

「良かったら、お茶でも行く?」

神展開。思いがけないこともあった。

全部床に零れた、終わった…と思っていた気持ちが幾らかは相手が気に留めていたらしい。心に輝きを取り戻した私に、少しばかり振り向いてくれたような気がしたのだ。

温かいスープの前に、
まずはちょっと一杯のコーヒーから。

恋のはじまりには、
それくらいが丁度いいのかもしれない。

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