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【短編小説】私の恋人


 真っ暗な部屋の中、唯一明かりを放っているのは、薄ピンク色のノートパソコン。去年の恋人の誕生日に、私が贈ったものだ。

 五歳年上の恋人は、本当は可愛いものが大好きなのに自分で買ったりするのは気恥ずかしいらしく、私がこの色を選んで贈った時には苦笑いしていたくせに、今ではすっかりお気に入りだ。マウスやプリンターまで、同じ色で揃えている。

 私は今、そのノートパソコンの画面を無断で覗き込み、そこに表示されているSNSの書き込みを眺めながら、悪夢でも見ているような気分で一人呟いた。

「ああ、真矢さん、ごめんなさい……!!」


・・・・・



 金曜日の早朝、出勤前の忙しい時間に、同棲中の恋人・真矢さんと小さな喧嘩をした。

 きっかけは些細な事だった。なのに、朝特有のイラ立ちからつい売り言葉に買い言葉で応じてしまい、真矢さんが作ってくれたお弁当を置いていってしまったのだ。

 仕事帰り、バツの悪さから帰宅をためらっていると同僚の山田から飲みに行こうと声をかけられ、ついついその誘いに乗った。深夜に帰宅すると、在宅ワーカーでいつも家に居るはずの恋人の姿は無く、そのまま朝になった。

 いずれ帰ってくるだろうとタカをくくっていたものの、一切の連絡が取れないまま日曜の夕方を迎え、もしや事件や事故にでも巻き込まれたのではという不安から共通の知人達に聞いてみても、特にこれという情報は得られなかった。

 やがて陽が傾き、部屋の明かりを点けるためにテーブルに手をついて立ち上がろうとした瞬間、テーブルの上に置かれたままになっていた真矢さんのノートパソコンのマウスに触れた。残り15℃程の半端な角度まで閉ざされていたパソコンが、一気に光を放つ。ずっとスリーブのままだったのだと、その時に初めて気付いた。

よこしまな気持ちががあった事は否めない。けれど、大部分は真矢さんの行方を知るための手がかりが無いかと、恋人を心配するが故の必死な気持ちからだった。

 パスワードは知っている。『0』『5』『0』『5』。五月五日、私の誕生日だ。

 サイトの閲覧履歴を片っ端から覗いていると、真矢さんが私に隠れてやっていたらしいSNSの書き込みを見付けた。けれど、私は最初、それが本当に真矢さんのものだとは信じられなかった。

『やっぱり浮気されていた。』

 真矢さんが帰ってこなかった土曜日の朝、もしかしたら浮気がバレているのかもしれないという事は考えた。信じられなかったのは、私の浮気を示唆しさする内容では無く、その続きの投稿だった。

『あの女、いつも馬鹿にしやがって!!』

『酷い裏切りだ、絶対に許せない。』

『あの女を殺してやりたい!!』

 分っている。真矢さんが怒るのは当然だ。だけど身勝手と言われようと、あの優しい真矢さんが「あの女を殺してやりたい」と、そんな悪意に満ちた言葉を私に向けている事がショックだった。

「ああ、真矢しんやさん、ごめんなさい……!!」

 私が知っている真矢さんは、心のバランスの取れた冷静な人で、周囲の人皆に優しかった。決して、普段からこんな言葉を使うような人間では無い。

 思わずパソコンの画面から目を逸らし、キーボードに置かれた自分の手元に視線を落とすと、私の左小指に輝くピンキーリングが目に入った。先月、同棲一周年の記念に真矢さんが贈ってくれたものだ。

 書き込みを見る限り、私の浮気はそれよりとっくの前に知っていたらしかった。真矢さんは、どんな気持ちでこの指輪を選んでくれたのだろう。

 後悔の念と真矢さんの身を案じる気持ちで胸が押しつぶされそうになりながら、テーブルに置いていたスマホを手に取り、浮気相手である元恋人にメッセージを送った。

『もう会えない。私が馬鹿でした、ごめんなさい。』

 そして相手をブロックした後、スマホをテーブルに戻し、私は再度パソコンの検索履歴を探った。


 ・・・・・


 月曜の朝になっても、真矢さんは帰ってこなかった。

 徹夜明けの鈍い頭を必死に働かせながら欠勤の電話を入れ、一息入れて冷静になろうと電子ケトルに水をいれている途中でインターフォンが鳴った。カメラ越しに応じると、その心当たりの無い二人組の来訪者は警察官だと名乗った。驚きと共に玄関ドアを開ける。

 一人は四十がらみ、ひっつめ髪の眼鏡の女性。もう一人は、スーツを着てはいるものの、まるで中高生のような顔立ちをした小柄な青年。二人はそれぞれ縦長の警察手帳を開きながら身分を告げ、そして眼鏡の女性の方が私の姓名を確認した。

「突然すみません、日野カンナさんでお間違い無いでしょうか。」

 「はい」と答える私の背中に鳥肌が広がっていった。ああ、まさか、まさかそんな。警察が来るような、そんな事態が真矢さんの身に。ああ、真矢さん、真矢さん、どうか、無事で居てーーーーー。

 しかしその思いは、小柄な男性が私に差し出した一枚の写真で覆された。

「彼女を知っていますね?」

 そこに写っていたのは、切れ長の瞳をした、明るい茶髪にウルフカットの女性。私の知っている時期のどの髪型とも違うので一瞬分からなかったが、それが杏子きょうこちゃんだと気付くと、背中の鳥肌は種類を変え、そして一気に私の全身を不安と恐怖で包んだ。

 まさか。

 いや、そんな。

 ありえない。真矢さんは、心のバランスの取れた冷静な人で、周囲の人皆に優しくて、人格者で。私がバイセクシャルで真矢さんと付き合う前の恋人は女性だったと打ち明けた時も、そのまますんなりと受け入れてくれたような、寛容で柔軟な人なのだから。

「彼女の事を、知っていますね?」

 眼鏡の女性が、私の顔色を伺いながら再度尋ねた。

 私は、「彼女が何か?」と出かかった言葉を思わず飲み込んだ。それを聞いてしまうと、私の日常が崩壊してしまうような気がしたからだ。

 消えた真矢さん。

 『あの女』『殺してやりたい』という書き込み。

 杏子ちゃんの写真を持って現れた警察官。

「日野カンナさん、黙っていては分かりません。彼女の事を…赤川杏子さんの事を、知っていますね?つい昨夜、貴方は携帯のアプリを通して彼女にメッセージを送っていませんか?」

 女性警察官の話し方が、詰問口調に変わった。

 私は、絞り出すように「はい…」と小さい声で答え、これ以上この女性の口が何の言葉も発さないでいる事を祈った。

 ーーーーーああ、真矢さん。あなたは今どこに居るの?





~終わり~


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