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あいかわ双子は恋が下手・夏 後編


 見た目が良いというのは、生まれながらに授けられたとんでもないチート能力だろう。

 金持ちの奥さんは美人と相場が決まっているし、男の場合でも顔に自信がある奴とそうで無い奴とでは人生の伸びしろは天と地の差だ。アメリカの裁判では、被告人の見た目の良し悪しが陪審員の心象を大きく左右するとすら言われているらしい。

 貧乳美少女の相河朱里あいかわあかりは、俺が今までの人生で出会った三次元の女の子の中で、頭一つ抜けているどころか天井に突き刺さるレベルで整った顔立ちをしている。

 一山いくらのアイドル顔負けのその容姿は、ただそこに存在しているというだけで人目を惹く。校内では知らない者は居ないし、他校男子の待ち伏せなんか日常茶飯事だ。俺の目の前で大手芸能事務所のスカウトマンから名刺を渡された事もあるが、双子の弟の相河あさひが仏頂面でそれを遮り、「姉はもう事務所に所属してますんで」と断った。

 てっきり諦めさせる為の作り話だろうと思っていたが、何と相河姉弟きょうだいは二人とも赤ん坊の頃から子供服のモデルをしていて、今もモデル事務所に籍を置いているという事だった。オーストラリアへ引っ越した際に事務所側から名前は残しておいて欲しいと頼まれたそうで、帰国後もいくつか仕事の話は来たものの気が向かないらしい。

 赤ん坊が造り出すものなんて、普通はウンコとヨダレくらいだと相場が決まっているだろう。なのに、よわい0歳にして、ただそこに存在するだけでギャランティーを発生させていたなんて。

 そんなレベルの美少女と当たり前に弁当を食ったり下校している日常を、半不登校だった中学時代の俺に「未来のお前の姿だぞ」と話したとして、俺は絶対に信じないだろう。とうとう脳内女友達が出来たかと冷めた眼差しを向けられるのが関の山だし、そもそも俺がそんな女の子と言葉を交わすなんて色んな意味で不可能だと主張するに決まっている。

 そう、俺が美少女と普通に接する事なんてあり得ないはずだが、自分でも不思議な事に俺はこの双子と親しくなり始めた最初の頃から、同性である旭の方と接するのと同程度の緊張しか抱かなかったように思う。確かに相河朱里の容姿に対してドキリとする瞬間は多々あるが、ここだけの話旭に対してもドキリとする事はあるので、それらは異性うんぬん以前に美しい人間に対する素直な生体反応なのだろう。いや、そうだと言ってくれ。

 とにかく、なぜ俺のくせに相河朱里の隣で普通に息が出来るのかと言うと、おそらくその存在があまりに別世界過ぎて、もはや俺の脳が『可愛いクラスの女子』とすら認識していないからだと思う。

 相河朱里が月なら、俺は七年かけてやっと地上に這い上がろうとしたらどデカいマンションが建てられていたせいでその月の光すら浴びる事無く土中で一生を終える蝉の幼虫。相河朱里が薔薇なら、俺は賞味期限切れ直前にミンチに加工されて総菜の特売品に化けたものの結局売れ残って廃棄処分にされる豚バラ。もし世界で一番美しい猫が目の前に居たところで、何ちゅう綺麗な猫だとビビりはするかもしれないが、性欲が湧くわけはもちろん無いし、その猫に懐かれようと嫌われようと俺の人生には何の影響も無いので身構える必要も無いわけである。

 それはそれとして、女優さんや絵画を目の前にした時の様なあくまで鑑賞者としての立場で、可愛いな、綺麗だなと思う事は当然ある。相河朱里は、間違いなく一級品の美少女なのだから。そんな美少女と、母親の腹の中に居る時からずっと一緒に過ごしてきた相河旭は、異性に求める容姿の基準が狂ってしまわないのだろうかと不思議に思って聞いてみた事がある。

「朱里はもちろん可愛いよ、間違いなく世界一だろうな。」

 シスコンの相河旭はぬけぬけとそう前置きをし、「でも」と言葉を続けた。

「異性の事を気に入るかどうかなんて、顔の造りだけで決まるものじゃ無いだろう?それに、本当に好きになったら、その子がその子であるというだけで特別に可愛く見えるもんじゃないか。」

 自他共に認める女好きの口から飛び出した意見が想定外にまともだったので驚いたのと同時、そう言えば恋愛感情を抱いた事など幼稚園の先生に初恋らしきものをして以来経験が無い自分に気付き、言葉に詰まった。

 相河旭はそんな俺の心中を察したのか何なのか、ゆっくりとこちらを向き直って俺の両肩に手を置き、男同士で強制的に見つめ合わされた。おい、やめろやめろ、いちいち距離が近いんだよお前ら姉弟きょうだいは。

 息がかかりそうな至近距離で、一級品の美少女を双子の姉に持つ、同じく自分も美少年である男が、何だか意味が理解出来るような出来無いような微妙なセリフを真顔で吐いた。

「朱里は世界一可愛いけど、もし他の子が朱里と同じくらい輝いて見えたなら、それが恋だよ。」


・・・・・


「あんた、うちの事ば馬鹿にしとるとやろうが!!」

 我孫子先輩が相河旭に呼び出され、十五、六分が経ったころ、唐突に怒声が響き渡った。

 その、どこの方言とも分からない、そして誰が放ったかも分からない怒号に、皆が一斉に声の方向ー----つまり、中庭に面したガラスの引き戸の先、鐘つき堂に向かって顔を上げた。

 鈴木と目黒が我先にと引き戸を開け、踏み石に並べてあった外履き用のサンダルを我が物顔で着用し、なおも続いている女性の怒りむき出しの声に向かって走り出す。緑川さんが「目黒ちゃん、待って~」と二人の後を追うと三つあったサンダルは品切れになったが、つられるように動き出した俺は勢いが止まらず、思わず肌足のまま駆け出した。背後で、山口先輩が「僕たちは玄関に回りましょうね」と相河朱里に言っているのが聞こえた。

 鐘つき堂に駆け寄ると、まるで舞台をかぶり付きで見ているような鈴木達の向こう側、あの我孫子あびこ先輩がすごい剣幕で相河旭を怒鳴りつけていた。顔が真っ赤なのはいつも通りだが、先輩の口から発せられる言葉からは一切のどもりが消え、そして謎の方言がふんだんに使用されている。

「そぎゃん上から目線で人ば見下してから!! 何様ね!? うち、あんたんごたるしゃーしか男、いっちょん好かんけんね!!」

 我孫子先輩の勢いと解読不能な方言に押され、普段ポーカーフェイス気味な相河旭が珍しく動揺の色を浮かべている。どうにか先輩をなだめようとしているのだが、その勢いは止まらない。

 我孫子先輩が猛攻撃をしかけているリングの端、観覧席の目黒がヒソヒソ声で「あれってどこの言葉?」と言い、隣の鈴木が「『うち』とか『けん』って博多弁じゃないか?」と答えると、そのやり取りを聞き逃さなかったらしい我孫子先輩が鈴木をキッと睨んでまた叫ぶように言った。

「九州の言葉ば、全部博多弁博多弁って言いんさんな! あんた達は九州には博多しか無かと思っとるとやなかと!? うらめしかね!!」

 圧倒的な迫力に押された鈴木が、「あっ…ハイすみません…」とスピード謝罪する。そんな無双状態だった我孫子先輩の勢いがピタリと止まったのは、観客達の後方、こちらに近付いてくる二つの人影に気付いた時だった。

「……山口君。」

 ぽつりと名前を呟いた我孫子先輩の表情から険しさが消え、みるみるうちにいつもの穏やかで内気そうな彼女の顔に戻った。

 山口先輩は小柄な相河朱里の歩調に合わせながら、二人でゆっくりとこちらに並んで歩いて来た。そして何を考えているか分からない糸目で、諭すように我孫子先輩に話しかける。

「我孫子さんのその方言、久しぶりに聞かせてもらいました。懐かしいなぁ。でも、怒鳴ったりするのはよくないですよ?」

「ご…ごめんなさい…っ。」

 謎の九州弁の猛女もうじょはどこへやら、すっかりしおらしくなった我孫子先輩の目には、うっすらと涙がにじんでいる。

「旭、先輩に何を話したの?」

 山口先輩の隣から、相河朱里が双子の弟に質問を投げかけた。

「いや、俺と付き合う気が無いか聞いてみただけなんだけど。」

 しれっと放たれたその言葉に俺が動揺するより先、目黒がギャーと叫び声をあげ、「やっぱ旭君ってメガネっ子が好きなの? 私、駅前のドンキで眼鏡買ってくる!」と一人で騒ぎ、緑川さんが静かにするようたしなめた。

「……もう、よかって。全部話して。」

 周囲の喧騒を他所に、我孫子先輩が相河旭に向かって言った。旭はしばらく考え込むように黙っていたが、我孫子先輩が再度うながす。

「全部言ってよかよ。うちもその方がスッキリするけん。うち、話すの上手じゃ無かけん、説明すっとはざっと無かとよ。あんたから言って。」

 そこに居た全員が『ざっと無か』の意味は分からなかったものの、相河旭が語り出すと時折我孫子先輩が補足するように言葉を挟み、事の真相が明らかにされた。

 我孫子先輩と山口先輩は小中と同じ学校で、そして我孫子先輩はずっと山口先輩の事が好きだったらしい。

 おいちょっと待て。この場で完全に空気と化していた俺の胸中に、はっきりとした失望感と落胆が芽生えた。いや、別に、知り合ったばかりの我孫子先輩に対して何か期待していたわけでは無いが、いやいや、期待していたのか、そうか、落ち着け俺。

 我孫子先輩は小学生の時に九州から引っ越してきて、言葉を矯正しようとするあまり吃音きつおんが出るようになってしまったらしい。方言ならどもらずに喋れるらしいのだが、どちらにしてもクラスメイトにからかわれるようになった。

 そんな中、我孫子先輩の方言やどもりを一切馬鹿にせず、いじめっこ達からかばってくれたのが山口先輩だったそうだ。 

 相河朱里が山口先輩に公開告白をして公認カップルとなった、あの、後に生徒達の間で『学食の乱』と名付けられた日の放課後の事、相河旭は校内ではぐれてしまった双子の姉の姿を探し回る途中で生徒会室に向かい、そこで一人で泣いている我孫子先輩を目撃したのだという。その時我孫子先輩が座っていたのは、副会長と銘打たれた三角錐が置かれた山口先輩の机だった。

 その時の相河旭はまだ我孫子先輩を個別に認識していなかったものの、その姿はシスコン男の記憶に深く残っており、今回改めて行動を共にした事で「この人は姉の恋敵である」という第六感が働いたらしい。

 そしてここから先が理解できないのだが、姉の恋敵だったとしてもそうでないようにすればいいだけだと安直な考えで、自分と付き合わないかと提案したらしい。待て待て待て待て。

「言っておくけど、俺だって誰でもいい訳じゃ無い。どっちかというと好きなタイプだし、付き合ったら好きになる可能性もあると踏んで持ち掛けたんだぞ?」

 周囲に謎の言い訳をする相河旭を、我孫子先輩が再度九州弁で怒鳴りつける。

「そがん、うちの人格ば無視した告白されて嬉しい訳が無かやろうもん! そもそも自分の身体を張って姉のライバルば潰そうとするのが間違まちごうとるったい! お姉さんが大事なんやったら、お姉さんとその彼氏の仲ば信じるのがほんなこつやろうが!!」

 相変わらず何を言っているのか分からない部分はあるものの、我孫子先輩のその至極まっとうな主張は周囲の観衆達の胸を打ち、目黒、緑川さん、相河朱里の女性陣達が「おぉ~」と歓声を上げ拍手を打ち鳴らした。

 怒られた相河旭は、こんな時でもイケメンだった。素直に自分の非を認め、「すみませんでした」と深々とお辞儀をする。そしてなぜか鈴木まで追従するように「あ…何か俺もよこしまでごめんなさい…」と一緒にこうべを垂れた。

 一件落着ムードの中、ふいに我孫子先輩と俺の視線が重なった。

 どうしていいか分からず固まっていると、先輩の方から駆け寄ってきた。その顔は、俺を教室に訪ねて来た時と同じく、真っ赤な顔に怯えの色が混じった瞳で、そしていつもの吃音交じりのたどたどしい口調からは、ありったけの勇気を振り絞っている事が伝わってきた。

「あ、あ、あの…うち…じゃなくて、そのその、わ、私、や、山口君の事、ず、ずっとずっと好きだったのは、ほ、本当で、多分今も、今もまだ好きで、忘れられるか、わ、わか、分からないけど、だ、だけど、ででででも、あ、秋生あきお君と、と、友達になりたいって、おも、思ったのも、う、嘘じゃ無いから…っ。」

 瞬間、俺の鼓動が早くなり、視界の端がきらめいているような錯覚に陥った。ふいに、あの時相河旭に言われた言葉が脳裏をよぎる。

 ー----朱里は世界一可愛いけど、もし他の子が朱里と同じくらい輝いて見えたなら、それが恋だよ。

 この時降って湧いた感情が本当に恋なのかは正直分からなかったが、俺はこの真っすぐな人がぶつけてくれた思いに自分も何か返さなければと必死に頭を動かしたが何も言葉が出てこず、餌に群がる池の鯉のようにただパクパクと口を開け閉めする無様な姿を見せつけ続けた。

 ぐだぐだな空気を一刀両断したのは、年配の男性の声だった。

「盛り上がってるところ、すまないね。」

 渋みを帯びた声色に皆が振り向くと、そこには袈裟けさ姿に似つかわしくないニヤニヤとした笑みを浮かべた住職が立っていた。

「午後の座禅の時間ですよ。若者達よ、本堂に戻りなさい。」

 そう言ってきびすを返した住職を山口先輩が追いかけ、皆がそれに続く。

 住職は振り返らないまま、「モテモテだな。やるじゃん、息子」と坊主らしからぬ言葉を発し、山口先輩が「やめてくださいお父さん!」と珍しく少しだけ声を荒げた。

 何を思ったのか鈴木が、目黒と緑川さんに向かって「ねぇ何か良いムードだし、どっちか俺と付き合っちゃわない?」と言うと、目黒と緑川さんは二人で口を揃えて「人格ば無視した告白されて嬉しい訳が無かやろうもん」と我孫子先輩の名言を返した。

 三人の後ろで、相河姉弟が仲良く笑う。

 その列の最後尾、俺と我孫子先輩は黙ったまま並んで歩いた。

 縁側を通って本堂に戻ると、人間達の騒動がおさまるのを待っていたかのように、遠く近く、一斉に蝉たちが鳴き出した。


 


あいかわ双子は恋が下手・夏
おしまい


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