だけど願いはかなわない 第十三話「先制攻撃」
「すみません。私、料理は苦手で…。」
あれは、ジュンを雇い始めてほんの数日程の事だったと思う。
週刊連載のコラムのネタ出しに苦戦していた俺は外食に出かける気力も無く、出前の飯にも飽きがきていたので、ちょうど出勤してきたジュンに何か簡単なものでいいから作ってくれないかとお願いをしたのだ。
そうして返ってきたこの言葉は、てっきり嘘や謙遜の類いだろうと思った。
なぜなら、ジュンの淹れるコーヒーや緑茶は、馬鹿舌の俺でも違いが分るくらいに美味かったからだ。
「カレーとか焼きそばとか、本当に適当なヤツでいいから頼むよ。スーパーは坂を下った所にあるから。知ってるだろ?」
言いながらむき出しの万札を渡しつつ、これからは買い出し用のカードや財布があった方が便利だな、などと思考を巡らせていると、ジュンは消え入りそうな声で「分かりました…」と言って出て行った。
数十分後、台所から手際の良い包丁の音が聞こえ始めた。トイレに行ったついでに台所を覗き込み、綺麗に切られた具材の内容からカレーだなと予想する。何気なくジュンの背中を眺めていると、具材を切り終えたらしい所でその肩がピタリと静止した。
コンロの上には、空の鍋が一つ。
ジュンはその鍋を見つめ、後ろ姿でもそれと分る程に深く深く息を吸い、まるでやけっぱちだと言わんばかりの勢いでコンロに火を点け、まだ熱せられる前の鍋に油をぶちまけ、肉も野菜もごっちゃにして全ての具材を一気に投入した。そして菜箸を手にし、めったやたらに鍋の中をかき混ぜる。
「…なぁ、大丈夫か?」
あまりに異様なその様子に不安を覚え、コンロ台に駆け寄った。むやみやたらとかき混ぜているので、鍋からニンジンが飛び出し、俺の顔にバウンドしてから床に落ちる。一体何事かとジュンの顔を覗き込むと、何とジュンは目を閉じたままで必死に鍋を混ぜていたのだった。
「何やってんだ!」
慌てて火を消し、菜箸を持ったジュンの腕を掴んで鍋から引き離した。至近距離で見たジュンの額には、うっすらと汗がにじんでいる。
固く閉じられていた目が開き、眉間にシワを寄せたままの潤んだ瞳はゆっくりと俺に視線を落とした。コイツって何か妙な色気があるんだよなと、場違いな事を思った。
落ち着いてから話を聞くと、ジュンは料理が苦手というより火が怖いのだという事だった。幼い頃に花火をしていた際、着ていた浴衣に火が点きあわや火だるま寸前という惨事に遭い、結果的に無事ではあったがそれ以来どうしても恐怖心が拭えないらしい。
「少し頑張ればお湯くらいなら沸かせます。料理と違って、点火してしばらく離れていれば勝手に沸くので。でも、電気ケトルが流通していなかったら、お茶を淹れるのにも毎回苦戦していたと思います。」
ジュンはそう言ってから今回の事を丁寧に謝罪し、そして心配そうに質問をしてきた。
「料理が出来無いと、ここで働かせていただくのは難しいでしょうか。」
そもそも家政婦を雇ったワケでは無いのでもう料理はやらせないよと言うと、伏し目がちに安堵のため息を漏らした。その表情も艶っぽかった。
それから、俺が仕方なく完成させたカレーを二人で食べたが、ジュンはただの市販のルーで作ったそのカレーをやたら美味しいと褒めちぎり、夢中になって食べ、文章が書ける上に料理が出来るなんて凄いですとキラキラした瞳で俺を見つめて称賛した。
男なんて単純なもんだ。どんなに些細な事だろうと、美人に褒められて悪い気持ちになるヤツは居ない。
一転して良い気分になった俺は筆がノリにノリ、ジュンの淹れてくれた美味い緑茶をすすりながらさっと書き終えたコラムの原稿を送信した。入稿後のニコチン摂取をし、ふと、すっかりあいつに乗せられていた自分に気付く。
ジュンは、人を操るのが上手い。
それは計算と言うよりは、もしかしたら『見た目が美しい』という、時に嫉妬を買い時に執着を産む、ある種のハンディキャップを背負って生きてきたあいつが、自然と身につけた処世術なのかもしれないと思う。
・・・・・
彼女は一体、何をしに来たのだろうか。
それから、どこまで把握しているのだろうか。
ここに来たのは、たまたまハルキ君を連れたあおいちゃんを見かけて後をつけてきたのか。それとも、もともと私の家だと知っていて私に会いに来たのか。
私とハルキ君に肉体的な関係がある事を疑っている段階なのか、それとも証拠を掴んでいるのか。
プロの興信所や探偵を使って私の事を調査済みなのか、自力で探って辿り着いたのか。
何か考えがあって来ているのか、それともひたすらに自分の感情に振り回されて無策のまま足を進めているのか。
とにかく、まず考えなければいけないのは、離婚調停中らしいハルキ君が不利にならない事だ。もし仮に彼女がプロに依頼していたとして、私達がホテルから出てきた瞬間の写真でも押さえていればお終いだ。けれど、そんな冷静な選択ができる人なら、姿を隠さずに私と鬼塚さんをタクシーでつけたような、あんな理解不可能な行動を取るものだろうか。
あおいちゃんに言われた通りにカーテンを閉め、外からハルキ君が見えないように隠した。けれど、よくよく考えてみたら、今の状況はある意味でチャンスなのかもしれない。
イチかバチかにはなるけれど、何にせよこのままなら私はこれから先ずっと彼女に怯えながら暮らさなければいけなくなるのだ。それなら、敵を知っておきたい。
「ハルキ君…。」
私が口にした提案に、病に侵されているハルキ君の青い顔はいよいよ血色を失った。けれど、その可愛い顔にそっと両手を添えて、「私を信じて」と言うと、意を決したようにして私がお願いした通りあおいちゃんの部屋へと向かってくれた。
急いであおいちゃんにも説明しようと連絡をしたが、通話もメッセージも反応が無い。もしかしたら、ハルキ君の奥さんと応戦中なのだろうか。
とにかく、向かってみよう。
私は上着と財布を手に取ると、あくまで『近くのコンビニに買い出しに行く風の装い』でエレベーターに乗り込んだ。
・・・・・
インターネットカフェのナイトパック料金を前払いしたものの、ゲイ仲間から急な飲みの席の誘いが入り、それに応じる事にした。
直接飲み屋に行っても良かったが、長らく使っていない俺の自転車をそのうちの一人に譲る約束をしていたので、ネットカフェを出て雨が止んでいるのを確認し、一旦、自宅マンションに向かった。
部屋に顔を出すつもりは無かったが、駐輪場に寄るついでに郵便受けの中身を確認しておこうとロビーに向かったところ、集合玄関のドア付近でまさかの相手を目撃したのだ。
以前に春日さんから見せてもらった、バッチリとめかし込んだあの写真より容姿が衰えていたが ーーーーー いや、単純に衰えているというより、何かに憑かれているかのように変貌した顔つきだったが ーーーーー体型や白いコートといった、ジュンから聞いていた外見の特徴とも一致するので間違い無いと確信した。
とっさに引き返し、マンション向かいの歩道まで離れ、ジュンに電話をしてカーテンを閉じるようにと伝えた。相手の意図が分らない状況だったので、俺もこの場を去るべきか、それとも部屋に戻ってジュンと合流するべきかと迷っていると、他のマンションの住人が中から出て来たタイミングでスルリと侵入していく白いコートが見え、その背中を追って声を掛けた。
「すみません。」
夜なお明るく輝くマンションロビーの照明が、女の白いコートを浮き彫りにする。
女は俺の言葉に足を止めたが、こちらを振り返らないまま言葉を返した。
「…何ですか?」
薄暗がりでは分らなかったが、純白のそのコートは随分と汚れていて、袖や裾にあしらわれた同じく真っ白なボア素材はほとんどグレーに近い。もともとは綺麗に手入れされていたのであろうバサついた長い髪は、下品では無い程度の明るい色に染められているが、根元から随分な位置まで黒く戻っていた。
「失礼ですけど、ここの住人じゃありませんよね?何号室にご用ですか?」
あくまで丁寧な言い回しで、けれど口調を凄ませながら言った。例え向かい合っていなくとも、初対面の男が威圧的な態度を取れば大抵の女性は萎縮するだろう。しかし、女は怯まない。
「それ、答える必要あるの?」
「このマンション、最近詐欺まがいのセールスが多くって。管理会社の方からも、不審者を見かけたら通報するようにって言われてるんですよね。貴方がちゃんとした来客なら、何号室に行くのか教えてもらえませんかね。」
小さな舌打ちが響き、女は沈黙した。あの穏やかな春日さんの奥さんにしては随分と品が無いなと思っていると、薄汚れたコートの肩越し、エレベーターに続く通路から、住人らしき女性の姿が近付いてきた。
ーーーーーまさかという意識が働き、それがジュンだと気付くのに少し時間がかかった。
十二月の夜にしては軽装のジュンは、財布を胸に抱え、この異様な空気をまとった白いコートの女をまるでただの通行人のように意に介さず、普段通りに「あおいちゃーん」と俺に声をかけた。
そしてそのまま女の横を素通りして俺に駆け寄ると、まるで付き合いたての恋人同士のような少しはにかんだ笑顔を浮かべ、細い腕を俺に腕を絡める。
何事かとギョッとしていると、普段なら絶対に出さないような甘い声で言った。
「もぉ、どこまで買い出し行ってたの?春日さんも、ずっとあおいちゃんが飲み物買ってきてくれるのを待ってたんだからぁ。」
全貌が見えないが、ジュンに何か考えがあるのだと悟り、とっさに話を合わせた。
「あ…ああ、悪いな、ちょうど仕事の電話がかかってきてたんだ。」
「あんまり遅いから、自販機に行こうと思って。春日さん、ポカリスエットでいいかな?大分薬が効いたみたいで、今はあおいちゃんのベッドで休んでもらってるから。あおいちゃんは、私のベッドで一緒に寝ようね。」
気が付くと女はこちらに顔を向け、先程までの雰囲気とは打って変わって毒気を抜かれたような表情を浮かべて立ち尽くしていた。丁寧に施された化粧と薄汚れたコートとのアンバランスさが奇妙だった。
「…あっ、すみません。あおいちゃん、この方、お知り合い?」
ジュンは慌てたふりで俺に絡めていた腕を抜き、女に向き直った。そして小さくお辞儀をし、丁寧に名乗る。
「はじめまして、私、彼の婚約者の出水純(イズミジュン)と言います。」
そして、明らかに困惑の表情を浮かべて黙ったままの女に、追い打ちをかけるように言った。
「あれっ…間違っていたらすみません。春日さんの奥様…ですよね?春日さんには、いつも彼がお世話になっています。」
つづく
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