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サラリーマン生活に終止符を

生き方で“女性”を切り出すのは時代遅れ?

生き方として、“女性”と切り出すのは、今の時代ダサいのか。
男性社会で対等に生きていく選択肢も増え、女性が活躍する場も増えた。

でも、やはり女性は出産、育児という本能を持っていて、それを実行に移すためには、キャリア、社会から一時、離脱せざるを得ない。

もし、私が上司で大きな仕事を依頼するなら、スピードやスペックは高いとしても、途中離脱する可能性がある妙齢の女性より、安定的なアウトプットができる男性社員に仕事を依頼したいし、育成したいと思う。

離脱している間に、自分の中では”対等”と思っていた同僚が出世しているのを目の当たりにするのは、やはり歯がゆい。

それをバネに乗り切る人も沢山いるが、保育園からの再三の呼び出し、二人目出産…となると、折れていく人が大半ではないかと思う。

私は、“対等”にはなれないということを身に染みて感じた

程よく働き、ほどよく育児、家事をする。

それが幸せなんだと割り切って、ワーママとして8年経過して、40代になった。
でも、この先の人生がつまらなく思てきてしまった。

毎日、少しずつ我慢して、仕事と家庭をまわす。

もっとユニークな生き方、自分にあった生き方を模索してもいいのではないか?
学費のため、将来のためと、割り切っているが、子供も愛らしい今、大切な時間を消化試合のような仕事しか出来ていない自分自身に不満を感じる。

でも仕事のアクセルを踏むと、イライラしたり子供のことが後回しになり、家庭が乱れる。

やりきれない、自分自身への言い訳なのかもしれない。
ただの我が儘なのかもしれない。

でも、限られた時間で思い切り仕事もしたい。
杓子定規で図られない、価値を産み出したい。

それが私の思い、、なのかもしれない。

来年の3月、ちょうどサラリーマン生活20年を区切りに、次のステップへ進もうと思う。

コロナ真っただ中。

でも、ピンチはチャンスと捉えて、アンテナ高く、もがいていきたい。

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