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「発言」と「思慮深さ」

メディアに載った発信の真意:
ユーロ決勝のPKを巡った差別問題
サッカーフランス代表選手の差別発言とされた問題
この短期間で多くの差別問題がメディアで取り上げられていますが、「本人の発信」とコメントされているものも一部を切り取られ、都合の良いように発信されているものも多くあり、真意がどこにあるのか分からないという事は多々あります。
しかしながら、メディアから情報をとる多くの人は切り取られた文章や、仮に選手個人が発信したSNSなどの内容も、裏側や真意がどこにあるか確認する事もなく安易にリプするという状況があります。普通の生活で面と向かって話していても理解がズレて誤った認識をされてしまう事はあります。誰でも経験した事はあるはずなのに、なぜ真意を確認せずに安易に反応をするのか?「そんなの直接聞けないでしょ。」という意見も出ると思いますが、「確認できないのなら安易なリプはやめるべきじゃないですか。」と言いたい。
昔、別の問題で同じような議論をしたことがありますが、答えは同じ。「全部を現地で自分の目で確認できないでしょ。」という答え。自分に不利益がないから不確実なリソースでも、安易なリプができる?発想力と情報というものに対しての理解の欠如が著しいと感じます。

発信する側も考える必要はある:
SNSでの発信であれば、アカウントの乗っ取りによる投稿以外は自身が文面や画像、動画を発信しているため、内容の精査や伝え方というのは考えなければならない。もちろん万人にとって好意的な内容を発信する必要はないが、言葉足らずや、表現のマズさで誤解を生むようなことがないように気をつける必要はある。
これは、有名人でも一般人でも同じで、特に最近はSNS上で有名人と呼ばれる人も増えてきたと同時に、発信による問題も比例して増えてきている。「見てもらえることに優越感を得られる」「いいねの数で優越感や連帯感を感じる」といった特殊な感情が多いのではないかと思う。「私を見て!」「私は皆んなに見られている!」という部分で、誤った感情を持ってしまう人も多くないのではないかと思う。
オシムさんも言っていた
「発言には気をつけなければならない、一つの発言で戦争を引き起こすこともある。」
少し内容は違っているかもしれないけれど、同じような趣旨のことを言われていた。これは内戦の中で代表監督をされた経験という部分からの発言であり、切り取り利用するというやり方で、プロパガンダにされてしまうという経験からの発言ではあったかと思うが、まさに真理をついてるなと。
インターネットが普及し、匿名で色んなことを発信できるようになったり、様々な情報を得ることができるようになった反面、問題も多く発生するようになり、これまで知り得なかった部分の問題も明るみに出ることが多くなった。

大坂なおみ

大阪選手の件:
今回メディアに掲載された大坂なおみ選手の件も真意はわからない。前置きとして、サッカーフランス代表選手の差別発言の件についても真相や正確な内容はわからないが、仮に彼らに非があるとして考えても、もし大阪選手が「黒人選手に対しての差別」のみにリスポンスをしていて「それ以外の差別に関しては無反応」というは、それはそれで一つの問題に特化して発信をしているという部分で何も批判されることはないのではないかと思う。「SDGsの一つの取り組みしかしていないから残りの16項目を無視するな!」なんて言われることもないし、「大気汚染の発信はするのに、希少生物の問題は発信しないのか!」と言われることもないと思う。また今回の問題に関しては、フランス代表選手の件に関して、「彼らは全く間違ったことはしていない!」と発信したわけでもない。であれば、批判的なことを言われるのは全くのナンセンスと思う。
安易にリプをする人は、「議論」を望んでいるのか「批判」がしたいだけなのか。これも真意は謎です。ただ、議論をしない、意見を聞かないというのであれば物事は何も進まない。ただの「憂さ晴らし」本当に議題を良い方向に向けたいのであれば議論して正しい方向へ向かう努力をすべき。
匿名性というものに胡座をかいた発信は不要なものしかうまない。
スポーツってそんなものをうみ出すためにあるのではない。

目の前では、明るい顔でキャスターが大谷選手のオールスターの話題を伝えている。素晴らしいことで嬉しい情報だけれど、いまのスポーツを取り巻いている環境を考えると素直に喜びの目線で見ることができない。

「スポーツが人生に夢と少しの狂気を与えられるように」

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