見出し画像

転職のキッカケ

前回は、17年勤めた会社を辞めて転職したよって話と、私の基本的なスペックについて整理しました。

今回は、私がなぜ転職を思いたったのか、そのキッカケや心境の変化について時系列を追って整理します。

まず、なんと言ってもアメリカ出向が全ての始まりでした。それまでは前職で勤め上げるつもりだったし、なんならこの会社で出世して登りつめようという思いも強かったくらいです。

なので、アメリカ出向前後を起点に振り返ってみたいと思います。

アメリカ出向前

学生の頃からクルマ好きで、新卒で念願の自動車メーカーに入社できたということもあり、この会社(前職)が好きでしたし、仕事は山あり谷ありだったものの、楽しんでいました。

なんとしてもこれをやりたい!という強い想いはなかったけれど、とにかく会社に貢献したいという想いで働いていました。その甲斐あってか、会社ではそれなりに重要な仕事を任されて海外出張も頻繁にありましたし、業務以外にも次世代リーダー育成の選抜研修に参加させていただけるなど、それなりに出世コースを歩んでいる感もありました。

そんな中、かねてより自身のキャリアアップ(あくまで社内でのキャリアを意識)のために希望していた海外拠点への出向のオファーがありました。希望を出し続けて1-2年が経った2017年の夏、当時の本部長から直々にアメリカ出向の話をいただいたのです。

自動車メーカーでアメリカ市場というと一番の稼ぎ頭です。もちろん、これは一世一代のチャンスという想いで、家族も含めて即快諾、オファーを受けることとなりました。私が35歳の時でした。

アメリカ出向(前半)

辞令を受けて半年が経った2018年初め、いよいよ渡米。

最初は本場の英語に苦労しましたが、出向直後から米国事業の中期経営計画に携わるなど、順風満帆でした。

しかし、出向後1年くらいを経て思い通りの成果が出せない状況に。そのせいで気分が落ち込み、自分の存在価値に疑問を抱くようになり、鬱寸前まで追い込まれました。会社へ行くのも嫌になることが多く、仕事をしていても無力感に苛まれ、覇気のないちょっとした廃人のような状態になりました。

こんな状況が3-4ヶ月続き、家族にも大変な心配をかけましたが、日本人の上司や先輩に正直に打ち明けたり、偶然重なった日本への一時帰国で友人・知人に相談を重ねることで少しずつ気持ちが楽になっていきました。ここで頑張らねば全てが台無しになると思い、再びエンジン全開

ちょうどそのころ、運良くまったく新しい仕事につく機会に恵まれました。新しい仕事は、いわゆるIoTビジネスの事業開発で、クルマに搭載されたICT機器とそのデータを活用した新規事業の立案とその推進(プロジェクトマネージメント)でした。社内では開発部門やマーケティング部門、IT部門など多岐にわたるメンバーと組織横断のプロジェクトをリードし、社外のビジネスパートナーとの協業も多く、自分のやっている事業開発という仕事が、社内だけでなく広く世の中に通用するスキル・経験であることを自覚しました。

IoTビジネスはアメリカが最先端でしたが、会社としては未知の領域で、割と好きにやらせてくれましたし、ゼロベースの仕事は馬力と忍耐が必要で大変でしたがとても充実していました。周囲にもたくさんの専門家や優秀なメンバーが集っていて、彼らに囲まれながら仕事ができることを誇りに思いました。

こういった環境が刺激的で、プロジェクトに参加し始めて2年目(出向3年目、2020年)ころには、自分のキャリアを見つめ直すようになり、ただ会社に尽くす人生よりも、自分の力で自分の人生を切り拓く、そんなキャリアを歩みたい、と思うようになったのです。転職を考え始めたのはこのときでした。

アメリカ出向(後半)

出向3年目になると、帰任も意識し始めるようになり、帰任後の業務も視野に入れた日々を過ごしました。具体的には、この出向経験をどう言った形で帰任後に活かせるのか、だとか、帰任先の上司と意見交換を始めたりしました。

帰任先は元々いた部署に戻ることが普通なので、そうなるとアメリカで培った業務とは違ったキャリアになることが予想されます。自分の事業開発スキルを最大限活かすとなると、そういった経験・スキルを求める新たな職場=転職というものが現実味を帯びてきます

仕事の傍ら、転職に向けた情報収集を熱心に行いました。ただ、さすがに出向中に転職するのはまずいだろうと思いましたし、出向者向けの各種手当や権利が消失してしまうこともわかったので、あくまで帰任してから転職するつもりで動いてはいました。

また、自分の実績やスキルをノートに書き出し、履歴書や職務経歴書も書いてみたり、転職サイトに登録したりし始めました。

まず最初に登録した転職サイトは、ビズリーチ。有料会員(月額5,000円ほど)でないと募集案件の企業名がわからなかったりするのですが、初めての入会時や半年に一回ほど有料プランお試しのチケットが配布されるので、それを活用しました。新事業開発を中心に、興味のある採用情報を検索したり、オファーがあった場合にはオンラインでカジュアル面談したり。ただやはりこの段階ではメインは情報収集ですので、採用に応募したり面接を行うことはありませんでした。

なお、2020年はコロナ禍でアメリカではロックダウン(強制的な自宅待機)などもあり、出向先の会社でも全面的にリモートワークが強制されるようになったことから、(多少の背徳感はあったものの)自宅で仕事の合間に情報収集や面談ができたのはラッキーだったと思います。さすがに会社のオフィスにいながら転職サイトや求人情報を閲覧するのはできませんから(笑)。

ちなみに、出向期間は当初3年の予定だったのですが、アメリカでの仕事が面白かったことに加え、スキルアップの時間稼ぎをしたいという思いもあり、出向期間を3年から5年に延ばす交渉を本社と行っていました。熱意は伝わったものの、5年は前例がないということで却下され、その代わり4年への延長は認めていただき、2021年末まで滞在することとなったのです。

帰任後

2021年12月に帰任。予想通り帰任後は出向前に所属していた戦略部門に再び配属となり、気の知れたメンバーと仕事ができる環境に快適さを感じる一方、上流の仕事はエキサイティングには感じられず、これまでアメリカで培った経験やスキルが無駄になっている気がしていました

戦略部門というと聞こえはいいですが、要するに役員の意向を伺い、彼らの意思をサポートする資料づくりや調整業務(根回し)が主体であり、いつまでたっても自分が丁稚奉公である感覚を味わわされるのです。

納期は常に短納期で、チームでワーっと盛り上がって討議や資料作りを推し進めていくのはそれなりに達成感もあるのですが、それがひと段落して落ち着くと、私は誰のために仕事をしているのだろうか?この部署で課長や部長へと出世していく未来が本当にいいのだろうか?そんな疑問を強く感じるようになりました。

帰任から数ヶ月経ったあとも、転職という思いが消えることはなく、むしろ強まっていったことから、2022年4月から本格的に転職活動を開始しました。具体的には、ビズリーチに加えてもうひとつの転職サイト、リクルートエージェントに登録して、専任のエージェントの方についてもらい、転職の意志や転職のステップなどについてアドバイスをもらうとともに履歴書や職務経歴書をブラッシュアップして採用案件に応募を始めたのです。

今回は、転職活動を始めるキッカケと心境変化でした。

履歴書や職務経歴書の書き方、転職サイトの活用方法については、また別の機会に詳しく書きたいと思います。

次回は、いよいよ実際の転職活動についてお伝えしていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?