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短編小説;「露光写真」

僕たちは誰かに愛されたいと思うのと同時に、言葉だろうと触れる事だろうと自分の愛を誰かに知って欲しいと願う。

ーーー

コロナが世界に旋風を巻き起こしてからもうすぐ5ヶ月になる。行きつけのバーは灯りを落として「夜の街」にならないように群青色よりも深く黙し続け、指名制のヘアスタジオだって今は透明の何かで仕切られ、鏡に切り具合を確かめる美容師の瞳はフェイスシールドに隠されてよく見えなかった。僕はこの十ばかり年上の美容師と鏡越しに目を合わせるのが好きだったのだ。

この街の主要駅でギター1本引っ提げて歌っていた女の子はもういない。アーティスト名も覚えていない。けれど生涯忘れることは決してない、という妙な確信を抱いている。

きみの痛みを聴かせて 大丈夫 ちゃんと聴いているよ
ねぇ この手を握り返してみて

配置替えで電車通勤をするようになってからこの5月で六年になった。その子はライトブラウンに染め上げた髪を長いポニーテールにして、眼鏡の濃いめの青が対照をなしていた。駅の壁は白で統一されているけれど、それよりさらに白い肌のようだった。ギターの腕前はイマイチだったけれど歌声が魅力的で、駅で歌うにはちょっと不向きなその声は触れれば割れてしまいそうな繊細さがあった。だから人の流れが途切れてから歌うオリジナル曲はバラードが多かったような覚えがある。

何度も見ていたからだろう。その子もこちらを見知っているようだった。時間が合えば毎回観に立ち止まったものだ。500円とか100円とかお釣りの余りのような投げ銭しかできなかったが、いつも笑って「ありがとうございます」と言ってくれた。

駅だから、まったく人が居ないという事はなかったけれども話す機会はあった。僕は「素敵ですね」と言った。これは歌声の事でもあったし、肌の事も言い含めてあった。大抵はこれで次の機会を待つ事になるのだけど、どうしても気になって、いつか訊いた事があった。
「肌の色も素敵ですね。もしかして元々そういうお肌なんですか?」と。 僕の母が大が付くほどの蛇好きで、アルビノの蛇もよく観ていたからギター少女へのその言葉も蔑視の意味合いはなく純粋な思いだった。

「あっこれですか? 私、生まれつきこんな感じで。アルビノなんです」とネックを触るほうの腕の、はめていないボタンの間を広げた。やっぱりそうだった。「僕の母親が…」と硬貨を落としながら、蛇の事を彼女に話した。親近感があるのか、よく言われる事なのか“うん、うん”と首を振った。
「違和感なく受け入れてもらえたのは、久しぶりかも」と、ギターをひとつ小さくジャンと鳴らした。
「そうかもしれないね」と応じた。いつの間にか丁寧語は消え去りラフに接していた。「僕にとっては珍しい存在じゃないんだ」

蛇だけじゃなく、人間でも生まれつき色素が少ないアルビノ(白皮症)は世界的に見れば珍しいものじゃない。どの国でもおよそ2万人に1人は存在するのだ。その歴史は定かじゃない。先祖代々受け継がれていくとされているが、あまりに昔からあるのでどこの家系がそう、と特定できなくなってしまったらしい。(※1)

黒い肌の人がアルビノだと目立つ。だけど日本人は元が薄いから、一眼にはそれとは気付かないかもしれない。だからこその苦しみがある事も皆が知っているわけじゃない。”髪の毛が黒くなるか、ならないか”という単純な問題ではなくて、一般的な人より髪にも肌にもダメージを受けやすい生き辛さがアルビノにはある。

「だから恋愛には前向きになれなくて。当たり障りのない歌詞を書いては、歌ってるんです」と彼女ははにかんだ。

そうだろう、当然だと思った。蛇が好きな母親のおかげで、僕のなかでアルビノは目を逸らすべき存在でもゲームの神秘的なキャラクターでもなく、ごく普通に存在している事を知っていた。それでも、恋人になり得る人にアルビノだと言われれば慎重にならざるを得ないと理解している。
「それでも君は今こうして生きている。それは立派な事だよ。人間って弱いからすぐに何もかも投げ出してしまいたくなる」と言って、僕はチップ入れに様変わりしたままのギターケースの前にしゃがみ、自分が放ったであろう500円を拾って指の間で揺らした。
「僕もそうなんだ。こっちには数年前に初めて来たんだけど、知り合いもいない街にいきなり放り込まれて、途方に暮れていたんだよ」
そうなんですか、と眉根を下げながら彼女は返した。今度は彼女がギターを置き、ケースのチップを集め始めた。今日はこれでお終いのようだった。

きみの痛みを聴かせて 大丈夫 ちゃんと聴いているよ
ねぇ この手を握り返してみて

僕は歌った。彼女はそれに合わせてギターを弾くでもなく、両方の口角を少し上げてしかと僕を見た。長時間露光で撮った写真みたいに足を止める人など誰もいないこの駅の中で、僕ら2人だけがずっとそこに、けれど確かに存在していた。

「初めて君を見た時、僕のことを歌っているのかと思ったよ。自分の家の位置さえもいまいち覚えきれてなくて、でも不安な気持ちを誰にも相談できなかったから」
「ここに居て良いのかな」と彼女は言うから、当り前じゃないか、と返すつもりだったのに一瞬踏みとどまってしまった。彼女の苦しみは彼女本人にしか解らない。
「僕も未だに迷ってるよ。だけど君が歌ってくれたあの曲があったから、僕はこうして懲りずに会社に行っている。感謝してるよ」
最後にありがとう、とはっきり伝えた。ギターを収め終えた彼女は「じゃ、また」と言って去っていった。

ロックダウン寸前の街の空の下では彼女を見る事はなかった。一昨年の秋口にはまだ居たのに。ここに、この街に居て良いのに。今では君が座ってた所にも人が歩いているよ。僕の視界に瞬時、ギターケースの影がひらめいたけどそれは幻だった。人の目は便利なものだ。見たいものを本当に見せてくれるらしい。

彼女がとっさに弾いたコードが、Fm6という少し寂しい響きがする音だと、僕が知るのはまだ先の事だ。

                         完


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