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【書評; 】 松本実穂 第1歌集 「黒い光-二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後」

こんばんは、匤成です。

松本実穂さんは、長年フランスに在住している方のようだ。2015年に多発テロが起きたのをきっかけに、否が応でも“異邦人”である事を意識させられたことがこの歌集から伝わってくる。

おそらく僕よりも年上の方だろう。ツイッターにも横顔ではあるが、アイコンに近影らしき姿を載せられている。 

真っ黒の歌集

ちなみに短歌結社は「心の花」所属だそうだ。心の花には『自分の言葉に、自分の短歌に責任を持つ』という矜持がある、と角川短歌誌で読んだことがある。

親交のある3名の方からのコメントが書かれた冊子タイプの栞には、明るく活動的な人であると記されている。それゆえに「このようなメッセージ性の強い歌集を編んだことが意外である」と。

ひと通り読んだ感触と結社「心の花」について、周りが述べる“人となり”を見ると、松本さんが思いつきで、勢いのままに上梓したとは思えなかった。というのも、1ページ真っ黒の下地に、白い文字が細く短歌が綴られているからだ。写真もモノクロで色彩は悉く排除されている。

事件後に「異邦人として扱われて疑われて」という件は、少しだけ可笑しく読めるけど、その後はじまった戦争が頭をもたげ、最後まで漂うフランスの張りつめた空気感は重苦しい。

戦争が始まつたんだね月曜日の市場に花と水買ひに行く

パリ同時多発テロ事件後

2015年11月13日、フランスのパリ近郊で銃撃や爆破などによって多発的にテロ事件が起きた。死者130名、負傷者は300名以上出たと言われている。この歌集は、事件後のリヨンの街の空気や,フランスの憤り・悲しみが詠われている。

有名なところでは、バラクタン劇場が襲撃された事だ。妻を亡くした仏男性ジャーナリスト、アントワーヌ・レリス氏の『ぼくは君たちを憎まないことにした』という本は日本でも注目された。

バラクタン劇場前の路地の上に四本の薔薇濡れて横たはる  

バラクタン劇場では89名が亡くなったという。そこへライブを観に行っていた妻のエレーヌさんは、わずか1歳5ヶ月の息子と、一緒に留守番していた夫のアントワーヌ氏を遺して亡くなった。憎んだり復讐したいと考えてもおかしくない状況のなかで、アントワーヌ氏が事件当日からの日記のかたちで「君たちに“復讐”という贈り物をしない。」とFacebookに投稿したことから話題になって書籍化された。

写真と一首

一方で、フランス国内は臨戦態勢に入る。テロとの戦いだ。

 11月27日被害者追悼式典
黙祷の後にニュースは戦闘機十機の空爆をたんたんと告ぐ

松本実穂さんはカメラを携行している。IIの前半ではカメラ視点で街の風景やダンサーの写真とともに編まれている。写真家のハービー・山口氏から見ても良い写真を撮る、松本さんのカメラと被写体に対する態度はプロの写真家をも凌ぐらしい。

心の花は「自分の言葉には責任を持て」という考えがあるから、生半可な気持ちでこれを発表した訳はない。情熱さとホスピタリティの精神を兼ね備えた人が、今までテロに対して何も感じなかったという事もないだろう。

間近でテロが起きて“異邦人”と見られた経験から、詠まずにはいられなかったのではないか。

自爆テロはいまkamikazeと呼ばれをり若く死にゆくことのみ似たる  「I」

カミカズとルビが振られている。「若く死にゆくことのみ」とあるけれど、上の句にインパクトがあり、僕たちが教えられてきた神風特攻隊のそれではない。「宗教のためか、お国のためか」の違いはあっても、どこか性質が重なって、敢えてことのみと書くことで、単語がすべて=(イコール)で結ばれ「自爆テロ,カミカズ,若死,似たるもの」と詠われた感覚を覚えた。


自転車でグランドピアノを曳き来たりイマジンを弾くスーツの男

わざわざ、自転車でグランドピアノを曳いて来てまでイマジンを弾きたかった男の気持ちは如何ばかりだろう。目撃者である松本さん自身が怒りを表しているわけではないが、言葉にならぬ悲痛と訴えが場を覆い尽くしていることが読める。

異邦人としての違和感

あとがきには、パリに娘さんが暮らしていたから「いま思い出しても体が固くなってしまう」と書かれている。しばらく連絡が取れなかったし、ようやく電話が通じても駆けつけてあげられない。それは当然だ。今もなお戦争と隣り合わせで暮らしているのだから。

異邦人として、何度も職務質問され、不審な目で見られる痛みとここにいても良いのかしらという疑問。

最後に、時系列は違うが気になった歌を引く。

みづうみの昏きへ下るひらさかに影を落として肺魚はゆけり

ひらさかとは、現世から死の国へ下る坂のことを暗示しているのだろう。

匤成でした。

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