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秋風が石鹸の香りを運んできた

恥ずかしい話、出産後はずっと朝寝坊だった。朝8時過ぎてしまうのは当たり前。大抵は9時を少し回ったあたりでようやく目覚め、それから一日の活動を始めるのだ。娘が何時に起きているのか、それすらわからないていたらく。私が目覚める時にはすでに娘は起きて、側で遊んでいる。

言い訳をするならば、就寝時間が遅いのだ。それしかない。いかんせん終わらせなければならない仕事は多いのに、子どもが元気に這い回ったり(最近はまとわりついてくる)している間、パソコンに向かうのは至難の業である。そういうわけで、子どもが寝た後、息を潜めてキーボードを叩いている。大抵は1時過ぎまで起きていた。

この生活が悪いとは思っていなかったけれど、良いとも思えなかった。何より目覚めが悪い。目覚めた時から、何だか世の中から一歩遅れをとっている感は否めない。早起きはしたいけれど、仕事が終わらない。そのジレンマでずるずると朝寝坊の生活を続けていた。

そんな私を見て、しばしば夫は「早起きして、朝仕事をするのはどう?」と提案してした。あくまでも提案である。強制はしないところがありがたい。そんなありがたい夫の提言は、私の右耳から入り、左耳から抜けていったらしい。相変わらず深夜に眠り、朝遅い時間に起きるという生活を続けていた。

そんな、数ヶ月続いた悪習が突然終わるとは、誰が予想しただろう。
でも、突然私は早起きできるようになった。

きっかけは夫が持っていた一冊のビジネス書。「早く仕事を終わらせるには」というテーマで書かれていて、読めば読むほど、なぜ自分が仕事が終わらないのかという答え合わせをしている気分だった。そして一番心を打たれたのは「朝の時間を有効に使う」ということ。朝こそ一番頭がクリアな状態なのだから、午前中に一気に仕事を進めるのがよい、ということだった。

夫の勧めは聞かず、第3者の勧めを聞くというのは、何ともひねくれている。でも私は「早起きをして仕事をする」ことを実行することにした。

早く起きるためには、早く寝なければならない。いつもであれば子どもを寝かしつけてから自分の仕事をするのだけれど、今度は子どもが寝るタイミングで自分も寝ることにした。
夜10時。隣でとっくに夢の中に入っている娘を見ながら、私はまんじりともせず起きていた。日頃深夜1時に寝ている人間が10時には寝付けないのも無理はない。こんな時に、ふとスマホに手が伸びそうになるけれど、安眠のためには就寝前にはスマホを見ないということも大切らしく、ここで安眠できなければ意味がないと我慢した。

季節は秋とは言え、まだ暑い日が続いている。ガラス戸は開けて網戸だけ閉めているものだから、隣家からの生活音がかすかに聞こえる。ただ眠るのを待つばかりだと、そんな音にも意識が向くようになる。
近くの家の住人がお風呂に入っているのだろう。タイルに風呂桶が当たる「カン」という音や、水を流す音が聞こえる。
我が家では風呂桶は使っていないけれど、実家では風呂桶もあれば、風呂用の椅子も使っていた。実家で家族と共に過ごした光景が、隣家の生活音をきっかけに、不意に思い出されて懐かしくなった。

秋風が石鹸の香りを運んで、娘と横になっている私のもとまで届けてくれた。
石鹸の香り、お風呂の音、遠くで鳴く虫の音。思い出の中で知っているものばかり。
しばらく思い出に身を委ねていたら、いつの間にか眠っていた。

私は朝6時過ぎに起きた。横でまだ熟睡している娘を起こさないように、そっと布団を抜けた。

窓の外には白んだ空と、ただ鳥の鳴き声だけが響いていた。
なんてことはない、私にも早起きができるのだ。

新しい習慣を作ることは、新しい生活を作ること。いつかこの生活もよき思い出になるだろうか。

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