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誕生日に友人からもらった5000円

先日、年下の友人の家に遊びに行った。5月だというのに、夏が一足早くやってきたかのような暑さで、照りつける日光を避けてなるべく日陰を歩いた。

駅前で待っていてくれた友人が、駅から数分ほど歩いた場所にあるアパートまで案内をしてくれた。
そして自室に着くやいなや、「誕生日おめでとうございます」とラッピングされた袋を渡してくれた。彼女とは知り合ってまだ1年も経っていなかった。
誕生日を伝えた覚えはなかったと不思議に思っていると「LINEに出てきたんですよ」と教えてくれた。LINEで友達になっていると、登録された誕生日が表示される仕組みになっているのだ。ただその表示を見て済ますこともできるのに、こうやって祝ってくれることに驚いた。
精一杯、感謝の言葉を伝えて受け取って、中を覗くと、バスグッズに、紅茶とお菓子のセットという可愛らしいプレゼントが入っていた。
わざわざ選んでくれたのだ、そう思って感動した。

帰りの電車の中で、包みの中に同封されていた封筒を開いた。友人が目の前にいる時に手紙を開くのは流石にためらわれたのだ。
手紙を開くと紙面いっぱいに、とても小さな文字で今日会えることを楽しみにしていたことや、誕生日をお祝いしてくれる文章が綴られていた。

封筒の中にはさらに小さなポチ袋のような封筒が入っていた。
開くと、5000円札が入ってきた。
一瞬、頭が動かなくなった。どうしてお金を入れてくれたのか。いや、それよりも、私は「しまった」と思った。最も、もらってはいけない人からもらってしまったような気がしたのだ。

度々、彼女から自身の境遇や現在の状態などを伝えられていた。さまざまな理由があって就労が難航していること。体調を崩しやすく寝込んで過ごす日々が多いこと…。

電車の中で、プレゼントを選び、手紙を書き、そっと封筒の中に紙幣を忍ばせた彼女の心を想像してみた。でも、わたしにはうまくいかなかった。あまりにも彼女は優しすぎるのだ。彼女に対するささやかな気遣いに対しても、彼女はいつもあふれるばかりに感謝をしてくれる。そればかりか、彼女の言葉には、わたしを含め、どんな人に対しても相手を気遣うような言葉であふれているのだ。

友人の優しさと、彼女の置かれた境遇を考えながら、もらった封筒を大切にしまった。しばらくは使えないかもしれないと思いながら。


人は、たくさん持っているから人にあげるわけではないのだと思う。有り余っているから人にあげるのではない。むしろ、持っているものが少ない人の方が、人に分け与えようとしているような気がする。

そのように言っているわたしは、本当にケチだった。
学生時代、仕送りももらっていて、バイトもしていたわたしはそこまでお金に困っていたわけではなかった。それなのに友人と食事に行っても「奢ってやろう」と思うことはあまりなく、常に割り勘を主張するような人間だった。
人に何かをプレゼントするときにも、相手が本当に喜ぶような良いものをあげるのではなく、コスパが良くそれなりに見栄えが良いものを選んであげていたような気がする。
根底には、自分のお金は自分のために使う、それを当たり前とする考えがあったのだ。

現在、ライター業で得た少しの収入も必要経費であらかたなくなっていく生活のなかで、人にあげることが難しい状況と言ってしまえばそれまでなのだが、現在も依然としてケチなのかもしれない。


先日、夫と話し合ったことがある。夫がこのように言ったのだ。

「もし毎月200万円あったとして、自分たちの生活を豊かにする以外に使うとしたら、何に使う?」と。

自分の生活を豊かにしたり、家族の生活を豊かにすることへの使い道ならば、すぐに出てくる。しかし、それ以外となるとなかなか思い浮かばないのだった。
それほどに、わたしは自分以外の誰かのため、何かのためにお金を使うということを考えてはいないのだ。
それはわたしに限らず、事業家のようなお金の使い道を常に考えている一部の人々とのぞき、多くの人に当てはまるのかもしれない。

他の人のためにお金を使わない人が、よく使う言い訳は「もっとたくさんお金を持っていれば人のために使う」というものだ。
しかし、お金を多く持っていようが少なかろうが、人のために使う人は使うし、使わない人は使わないのだ。
実際、学生時代のわたしは現在よりも余裕をもった生活をしていたけれど、人のために使うよりは預金残高が増えることを好んでいた。

そんな自分であるがゆえに、友人からもらった5000円は重みがあった。


また学生時代に話は戻るが、学生時代は自分の人生を考えて深く悩んでいた。
今思うと、笑って済ませられるようなことなのかもしれないが、過去の過ちや、自分の人生をどのように生きれば良いのか、自分の性格の欠点など、当時のわたしにとっては大問題で考えれば考えるほど深みにはまっていき、それゆえに周囲と孤立していった。
そんなわたしが友人とうまく付き合えるはずもない。わずかにも友人と呼べるような大切な存在に対しても、わたしはたいして心を配らず、ましてや彼女たちを喜ばせるために何かをするということはほとんどできていなかったと思う。

しかし、色々な出会いや考えに触れ、少しずつ自分の悩みを解決することができた。これは自分にとって大きな出来事だったが、はたから見てもわかるような変化がわたしにあったようだ。

当時住んでいた地域は柿の産地だった(京都市の西の果てにある田舎町である)。実家の両親や祖母に頼まれ、大学に行く道すがら柿の直売所に寄って柿を配送してもらったことはいくどもある。そしてついでに自分の分も買っていくのだった。

ある日わたしは多めに買った柿を、数少ない友人の一人に「よかったら食べないか」と手渡した。プレゼントという大層なものではない。ただの柿数個のことである。しかし、この出来事に友人が内心深く驚いたということを数年後に語ってくれた。それほど、恥ずかしいほどわたしは人のために何かをすることのない人間だったのである。
友人は、この出来事をきっかけにそれ以来わたしに何が起こったのかということを不思議に思い、その根本的な原因がわたしがキリスト教に触れたことだと知って納得したようだ。


わずか数個の柿と、友人がくれた5000円とでは比べるのも恥ずかしいが、それでも一つ言えることは、誰かのためにあげたものは人の心を打つということだ。

それはお金かもしれない、物かもしれない、機会を提供することかもしれない、何かを手伝うことかもしれない。
自分に今できることはなんだろうと考えてみる。歴史に名を残す偉人たちの成した働きを見ると、あまりにもスケールが違い過ぎて、自分には何もできないような気がしてしまう。貧民街に住み込んで人々の生活の支援をすることだったり、孤児のための学校を作ったり、歴史には、自分の生活を投げ打って人のために尽くした生き方がいくつも残されている。

でも、偉人たちと比べる必要はないのだ。そうやって比べることは、自分には出来ないという言い訳を作っているだけだ。自分ができることをすればいい。大勢の人でなくてもいい。たった一人でもいいから、その人の関心を寄せ、自分ができることをすればいいのだと思う。

先日、夫とも「自分たち家族を大切にすることはもちろんだけど、家族以外で誰かを大切にする生き方をしたいね。たった一人から初めてそれが一人一人とまた増し加わっていけたらそれも嬉しいね」と話していた。

大きなことでなくてもいい。柿数個を人に手渡すような心をもう一度もち、生きていきたいと思った。

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