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ちょっと料理のことを書いておこうか

幸いなことに、これまでの人生において料理をすることが苦痛だと思ったことが一度もない。むしろ最近は料理をすることが心から楽しくなっているので、ちょっと料理について書いておこうと思う。

料理をやるようになったのって一体いつからだろうか?小学生の頃から母のハンバーグや餃子づくりを手伝ったり、休日に袋麺を茹でるくらいのことから始めたのだと思う。具なしのラーメンでは何だか寂しいということで、野菜ラーメンを作るようになり、炊飯器に残っていたごはんで炒飯をつくるようになり、徐々につくれる料理が増えていった、たぶんそんな感じで自分の食欲に合わせて緩やかに進化していったのである。

幸い母が料理好きであることと、他の主婦よりも調理器具にこだわりを持っていたこともあって、中学生の頃には自分のリクエストで、家にかなり大きな業務用の北京鍋があったと記憶している。

高校時代や大学時代に積極的に料理をした記憶はないものの、少なくとも家族からはなぜか「料理のできる奴」扱いをされていた。「得意料理は餃子」と認識されていたが、実際には餃子の餡は母がつくり、それを皮に包んでいただけだから、「得意料理」とは到底言えなかった。ただ、餃子を包むことも、他の料理をすることも大して苦痛だと思ったことはなかったし、味の記憶や見た目から見様見真似で料理をすることは楽しかった。

自分の人生において、決定的に料理をするようになったのは、大学院に進学した2004年頃からだ。京都の下宿で電気コンロがひとつしかない中で、実に色々な料理をしていたと思う。大学から自転車で5分程度だったということもあり、当時は昼食をとるために下宿に帰っていた。そのため、大学院時代は学食でごはんを食べた記憶がほとんどない。

(かなり不鮮明だが、2005年頃に作ったと思われるエビチリソース、チリソースも自作したと記録されている)

ちょっといいものを食べたいなと思った時には錦市場に出向いて食材を買ってきていた。ちなみにこの時の「ちょっといいもの」というのは、鮭のハラスのことで、脂ののった身を食べた後は皮をぱりぱりになるまで焼いて食べた。他にもスーパーで100円くらいで手に入る鶏皮をフライパンでパリパリになるまで焼いて、塩胡椒をかけて食べるのがご馳走だった。「まずい食材はない、まずい料理があるだけだ」という伝説の料理人ミッシェル・サラゲッタの言葉を信じており、この頃は貧弱な調理設備を駆使して、安い食材をいかに美味しく調理するかに挑戦していた。

京都での学生時代、料理にまつわる最大の思い出は鮭を丸々一尾さばいたことだ。3つ上の親戚が京都市内の信用金庫に勤めており、冬のボーナスの時期になるとなぜか会社から鮭1尾が支給されるのだ。当時独身だったその親戚は毎年その鮭に困っているとかで、私が京都に住んでいる間は鮭をもらい受けていた。これをさばいてマリネや石狩鍋にして友人に振る舞うなどということをやっていた。

社会人になり、会社の寮に入ると寮食がメインとなったが、2008〜2010年に住んでいた寮にはミニキッチンがあり、IHコンロが備え付けられていたため自炊をよくした。2010〜2013年にいた寮にキッチンはなかったため再び寮食中心となったが、2014年のサウジ勤務の際はたまに自炊もしており、この時期に現地で食べて美味しかったことから見様見真似でカブサという中東料理を覚えて作るようになった。鶏肉や羊肉を使った炊き込みごはんだが、これが本当に美味しかった。

(2015年頃、サウジアラビアでつくったチキン・カブサ)

日本に帰国後、2017年からは会社の寮ではなく自分で部屋を借りるようになり、基本的に自炊生活となった。マンション暮らしとなったことから、宅配の生協を利用することにした。安全で美味しい食材を使いたいという思いから、幼い頃から実家で利用していた生活クラブ生協に加入した。

また、東京勤務の頃は徒歩20分で築地に行けたこともあり、場外市場で魚を買って来ては自分で寿司を握るまでになったし、中東料理やロシア料理にも傾倒した。料理と関係なく元々凝り性なので、一度興味関心を持つと自分の中である程度のレベルまで持って行きたくなるのだ。揃えられる調理器具と食材を入手して、料理本や料理サイトで調べてまずはつくってみた。何回か試行錯誤を繰り返すことで、だんだん自分でも納得の行くレベルに到達して行った。

それなりに納得の行くレベルに到達すると、家族や友人に食べてもらいたいというある種の「承認欲求」があり、自信のある料理については家族や友人に振る舞ってきた。東京にいた時には中東料理を食べる会、ロシア料理を食べる会、寿司を握る会なんかをけっこうやっていた。プロの足元には到底及ばないものの、参加してくれる友人たちが喜んでくれるのは素直に楽しかった。

(2017年頃の自作のにぎり寿司)

(2017年頃に作った中東料理の「フムス」(ひよこ豆のペースト))

(2017年頃に作った中東料理の「ファラフェル」(ひよこ豆のコロッケ))

(2017年頃に作ったロシア料理の「ボルシチ」)

2018年に関西に転勤になり、東京にいた時よりも劇的に人付き合いが減ってしまったことと、昨年以降は新型コロナウイルスの感染拡大で会食自体が難しくなってしまったこともあり、料理をしても誰かに食べてもらうということができなくなってしまった。そんなこともあってか、2020年はあまり積極的に料理をしなかった。生活クラブ生協でも冷凍のお惣菜を買うことが多くなっていた。

2020年11月、新型コロナウイルスの感染拡大にともない、年末年始は実家に帰らないことを決めた。来年であれば実家に帰り、母がつくるお正月料理の一部を手伝うのであるが、この時は自宅にこもり一人で年末年始を過ごすことになった。

「あの小さなアパートで、一人で過ごすんですか?」

若い同僚からそんな風に言われ、少し寂しい気持ちになった。たしかに会食もできない状態では、9日ある休みの間、下手すれば一言も発することがないかもしれない。酒好きであることを考えると、朝から晩まで酒を飲んで自堕落で不健康な年末年始になりかねない。お一人様のおせちを購入しようかとも思ったのだが、それなりの値段がする上に、おせち料理の中でこれといって好きなメニューがあるわけでもなかった。結局、「食材を買ってきて、食べたいものをつくればよい」というごくあたりまえの結論に落ち着き、年末に牡蠣のオリーブオイル漬け、筑前煮、きんぴらごぼうをつくった。


(2021年正月用に作った牡蠣のオリーブオイル漬け)

(2021年正月用に作った筑前煮)

(2021年正月用に作ったきんぴらごぼう)

実家では鶏雑煮、中華雑煮、玉子雑煮と三ヶ日はお雑煮が日替わりとなる。このうち鶏雑煮と中華雑煮をつくり、本来は玉子雑煮に入れるうずらの卵をそれぞれに入れた。実家のお雑煮とはちょっと異なるけれども、一人でも一応のお正月料理の体裁を整えることができた。

(2021年正月に作った鶏雑煮)

(2021年正月に作った中華雑煮)

三ヶ日が明けて、4日の朝は麦とろろごはんにした。実家ではとろろを赤味噌のだし汁でのばすのだが、大きなすり鉢を持ち合わせていなかったので、実家から送られてきた自然薯をすりおろしてそれをそのまま麦ごはんにかけて食べた。

(2021年1月4日、麦とろろ飯)

そして1月7日は七草粥。「三子の魂百まで」ではないけれども、幼い頃に覚えた、「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ春の七草」という念仏のような覚え方は健在だった。本当は1月11日の鏡開きで鏡餅をぜんざいにしてお正月の行事は終わりだったが、鏡餅を飾っていなかったことと、ぜんざいがあまり好きではなかったため、この行事は割愛した。とはいえ、一人暮らしでお正月料理の体裁は一応取れたのではないかと思う。

(2021年1月7日、七草粥)

年末年始にきちんと料理をしたこともあってか、お正月が明けてからも料理をする楽しさがつづき、週末におばんざいを数品つくりおきする習慣がついた。きんぴらごぼう、ひじきの煮物、おから、切り干し大根の煮物のどれか一品でも作って冷蔵庫に入れておけば使い回しがきく。

(2021年1月、ひじきの煮物)

(2021年1月、おから)

(2021年1月、切り干し大根の煮物)

料理習慣が戻ってくると、色々なものを作ってみたいとか、色々な試行錯誤をしてみたいという料理への情熱が再燃する。元々凝り性の性格なのでこのモードに入るとあとはひたすら料理を作り続けることになる。

昨年のふるさと納税で生まれ故郷のをいただいたこともあり、これでタンシチューを作るという挑戦をすることにした。これがかなり美味しくできたので、保温ポットに入れて同僚にも食べてもらうことにした。評価は上々で、ぜひレシピを教えてほしいとのことだったのでこれに応えた。

タンシチューが美味しくできたこともさることながら、この時、30年ほど料理をしてきておそらく初めて心の底から料理をすることが本当に楽しくて楽しくてたまらないと思った。何よりも同僚から「すごく美味しかったです!」と言われたことが本当にうれしかったし、励みになった。これから料理のプロになることは難しいだろうけれども、身近な人を喜ばせるくらいのことはできるかもしれないなぁ、と。

コロナ禍で在宅勤務が増えたことで、料理をする機会は実は増えている。以前のように家に人を呼んで一緒にごはんを食べることは難しくなってしまったけれども、様々なツールを駆使することで少しだけ形を変えて自分の料理で人を楽しませることができるかもしれない。そういうことにチャレンジしてみようかなと思い、これからちょっとずつ料理のことも書いてみようと思う。料理のレシピももちろんだけど、その料理にまつわるエピソードとかを書いてゆくとおもしろそう。

タイトルバックの肉じゃがはひとり暮らしを始めた2004年3月に、初めて作った料理で、その時と同じレシピで作り、同じ鍋を使い、同じお皿に盛ったもの。ある意味で自分の料理の原点であり、初心に戻ることができる一品。

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