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ストレスにまみれて生きる

中島たい子「漢方小説」を読んだ。


第二八回すばる文学賞受賞作。

去年の9月に「結婚小説」を読んで、文章が面白いなと思った作家さん。地の文に改行が少なくて一見して読みにくそうだが、文章のリズムが良いのでストレスなくすらすら読める。

結婚小説のテーマが「婚活」だとすれば、漢方小説のテーマは「健康」、あるいは心身ともに健康に生きていくための人生の目標探しがテーマになっている。

主人公は三十一歳の女性。あることがきっかけで体調を崩し、何件も医者を回るも原因が分からず、心療内科行きを考え始めたところで腕利きのイケメン漢方医と出会い、漢方薬による治療を始め、東洋医学にも興味を持ち始め、イケメン漢方医へのときめきと漢方薬治療によって心身ともに健康になり、前向きな気持ちを取り戻していくというお話。ざっくり言えば。


女性の三十代というのは厄年の連続だ。前後の厄も合わせれば三十代の半分以上の期間が厄年にあたる。昔の人が考えたことだから、きっとそれらしい理由がいくつかあるはずだ。結婚や出産など人生の節目となるイベントが重なるとか、ごく初期の老化とでも言うのか、二十代までとは身体が変わって体調を崩しやすいとか。

降りかかってくるストレスの種類が変わってくるから、それに身体がついていけないのかもしれない。ストレスとの向き合い方を考える時期でもある。

私が子供の頃はストレスなんて言葉はなかったけれど、オムツが濡れている時も、朝から弁当を持って幼稚園に行く時も、ストレスを感じない日など一日もなく今まで生きてきたと思う。
逆に人間からストレスというものをうばったら、いったい何が残るのだろう? 心療内科やカウンセリングに行ってそれを始末してこいと言うのは、自分の一部を捨ててこいと言われているように聞こえる。

本来、生きることそれ自体がストレスなのだ。自分の外側で起きることと内側で起きることによって、人間はさまざまなストレスを受け続けている。ストレスの中で、心身のバランスを上手くとりながら毎日を生きている。

誰もがシーソーに乗るようにバランスをとりながら生きている。そのシーソーの振り幅には個人差があるから、振り落とされて地面に叩きつけられてしまう人もいるだろう。単純に「弱い人」で片づけられないことかもしれない。

私のシーソーが幼稚園の庭にある地面に足がすぐとどくようなものだとしたら、サッちゃんのシーソーは遊園地の乗り物のように、どこまで落ちていくかわからないような、底がもっともっと深いものだろう。


たとえ話の中に出てくる有名人が渋すぎて分からず何度かスマホで調べた。志村喬とかハナ肇とか。


食欲が出てきた様子を市販のクッキーを例に説明するくだりが面白くて好き。

マリービスケットを紅茶にひたして食べていたのが、固いまま食べれるようになって、それでももの足りなくなってムーンライトを買ってくるようになり、ついにはチョイスまでいけるようになった(順にバター度が上がる)。この分ならミスターイトウのバターサブレが食べれる日も近い。

私はミスターイトウのチョコチップクッキーが大好きだ。似たようなパッケージでブルボンからもチョコチップクッキーが出ているのだが、個人的には断然ミスターイトウ派だ。ブルボンのほうがあっさりしていて軽く、ミスターイトウのほうが濃くて重い。バター度の違いなのかもしれない。


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