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コボリ

  コボリという名前の友人がいる。
     友人といっても、ごくたまに、しかも偶然会った時に少し話をする程度だから、向こうにしてみれば、ただの知り合いでしかないかもしれないが、私の方では勝手に友達だと思っている。
  コボリはチェンマイ生まれのチェンマイ育ち。生粋のタイ人だ。それなのに、「コボリ」という日本人の名前で呼ばれているのには、理由がある。
    それは、彼がいつも日本兵の格好をしているからだ。
     チェンマイ市内で行われる伝統行事などに、彼は必ず日本兵の扮装で現れる。
     カーキ色の軍服に帆布の軍用カバン、丸眼鏡に軍帽、茶色いブーツ。それがコボリの正装だ。もちろん、本物なのは軍帽くらいで、その他はそれらしく見えるものを探して、工夫している。腰に差している軍刀は、実は柄の部分が軍刀風の傘だったりする。
 コボリという名前は、タイではよく知られた日本人の名字のひとつだ。なぜなら、有名なタイの映画「クーカム」の主人公の名前だからである。
  映画の原作は、「クーカム(邦題:メナムの残照)」という小説で、太平洋戦争中にタイを訪れた日本兵小堀とタイ人女性アンスマリンとの悲恋の物語である。映画はタイ国内で大ヒットし、これまでに何度もリメイクされて広く大衆に浸透している。だから、「コボリ」という名前は、ある世代以上のタイ人にとっては、日本人男性の代名詞のようになっている。タイに長く住む日本人男性なら、誰もが一度は「コボリ」と呼ばれた経験があるのではないだろうか。   
     しかし、友人コボリの場合は、日本兵の中身が生粋のチェンマイ人というのが、なかなか不思議なところである。
    そんな格好で出歩けば、当然目立つ「変な人」である。彼はそれを長年続けているので、すでに小さなチェンマイの街ではそれなりに知られた存在になっている。まあ、チェンマイにはコボリのような、いわゆる「名物おじさん」があちこちに存在するので、さほど驚くようなことではないのかもしれないのだが。
    チェンマイには、少々の変人を受け入れてくれる懐の深さがあると私はいつも思っている。


  コボリと初めて出会ったのは、もう10年以上も前になる。
  チェンマイ市内を流れるピン川のほとりに建っている築100年の建物で開催した写真展の初日だった。
  それは当時、私が関わっていた日本語情報誌が主催する初めてのイベントで、昔のチェンマイの古い写真を集めた写真展だった。展示した写真は、元新聞記者のブンスームさんという年配の方が、長年かけて撮影と収集をしたものだ。情報誌では彼の写真コラムを連載していて、私はそのコラムの担当者でこの企画の言い出しっぺだったこともあり、けっこう張り切っていた。
 大きく引き伸ばされた半世紀以上も前の白黒写真は、昔のチェンマイを生き生きと伝え、歴史ある建物の雰囲気とよく合っていた。写真展は皆の努力のかいがあり、初日から盛況で、在住日本人も地元の人も大勢が訪れ、主催した私たちもほっと胸を撫で下ろした。
 午後になり、少し人が減った頃にふらりと現れたのが、コボリだった。
   古い建物の雰囲気と相まって、その姿はまるで写真の中から抜け出てきた日本兵の亡霊のようで、かなり人目を引いた。その場にいたスタッフやお客さんたちは、やばい人が来たという感じで遠巻きに見ていた。私もこの正体不明の日本兵に目が釘付けになった。

  コボリは一通り写真を見て回ると、私とブンスームさんの方に歩いてきた。
     「やばい人」かと思ってどきどきしたが、コボリはいたって普通に私たちに挨拶をした。
    「はじめまして」
     驚くことに、コボリは日本語が話せた。後で聞いたのだが、日本語は独学で学んだという。日常会話に困らないレベルで、読み書きもできた。情報誌の読者であり、中でもブンスームさんのコラムの大ファンで、写真展の告知を見てこの日を楽しみにしていたらしい。ブンスームさんとは北部弁で、さも嬉しそうに話していた。
「この人がコラムの担当者で、聞き書きをしてくれているんだよ」
  ブンスームさんがコボリに私を紹介すると、
「あなたが古川さんですか。いつもブンスームさんのコラムを読んでいます」
    と、コボリはいかにも独学といった独特の訛のある日本語で言った。
 コボリはかなりの変わり者ではあるが、話をしてみると、それなりに常識もあるし、誠実そうな人柄なのが伝わってきた。いろいろと話を聞くうちにチェンマイの歴史や風習にも詳しく、古いものが好きだということが分かり、私も興味の対象が近いのですぐに打ち解けた。 
     写真展の会期中、コボリは何度も会場にやってきた。その度に、その日のコーディネートのポイントを説明してくれるのだった。
  例えば、「陸軍三等兵」だという日は、上着に縫い付けた階級の掌紋がポイントだとか、「軍医」の日は、肩にかけている赤十字マークの入った医療カバンが重要だとか。ちなみにそのカバンは、戦中を舞台にしたタイ映画の小道具に使われた医療カバンをオークションで買ったものらしく、「汚し」も施されていてかなり本物っぽい。ぱかっと開けると、軟膏やタイの気付け薬の「ヤードム」が入っている。とにかく、細部にまでこだわりがあるのだ。

  いつだったか、コボリに日本兵の恰好をするようになったきっかけを聞いてみたことがある。
      彼も最初は、テレビで「仮面ライダー」やドラマ「おしん」を見て日本の文化に興味を持ち、日本語を学び始めたという。そこまでは、日本好きのタイ人にはよくある流れなのだが、ある日、運命の出会いが訪れる。
      古いもの好きのコボリは、毎週出掛けていたガラクタ市で、本物の日本軍の軍帽を見つけた。店主はベトナム軍の帽子だというが、コボリにはそれが日本軍のものだという確信があったらしい。その軍帽との出会いがきっかけとなり、あとは自然と日本兵の格好をするようになっていったという。
  こう聞くと、もしかして、軍帽の持ち主の霊に導かれているのではないかというオカルトっぽい想像をしてしまうが、実際のコボリはいたって明るく朗らかで、楽しい人である。悪いものに取り憑かれている風には見えない。
 コボリの格好は要するに日本兵のコスプレなのだが、最近のタイの若者の間でも流行っているコスプレとは違っている。そもそも、ジャンルがアニメや漫画などのキャラクターではなく、彼独自の世界感を表現しているのである。
    コボリはチェンマイでコスプレなんて誰も知らなかった頃から、たった一人で日本兵の恰好をしてきたのだ。それは彼にとって、この扮装をすることに、どうしても抗えない魅力があるということだろう。悪いものに取り憑かれてはいないにしても、かなりのオタク気質であることは間違いない。

  写真展が終わってからも、街でコボリに会えば、挨拶を交わすようになった。伝統行事の会場で偶然会うことも多く、そのまま一緒に儀式に参加した時もあった。そんな時は、チェンマイ人のコボリは日本兵の姿で、日本人の私は北部タイの伝統衣装を着ていて、なんだかあべこべなのだった。もしかしたら、私も彼とは同類なのかもしれない。 
     チェンマイでは仏教系と土着の精霊信仰系の儀式が大小たくさんあるが、観光客も訪れる大きな儀式以外にも、小規模なローカルなものもあり、コボリはよく知っている。私もそういう儀式の取材が好きでけっこうチェックしていた。コボリと会うのはたいていそんな儀式の場である。そのうちに、祈祷して幸せや安泰を請う儀式の場所でコボリを見かけるとさらにご利益が増すような気がして、コボリと出会うことは縁起の良いことのように思えてきた。
  かつて、私が小学生だった頃、黒いジープを見たら縁起がいい、黒猫が前を横切ったら縁起が悪いなどという、根拠のないジンクスが流行っていたが、「コボリを見かけたら、ラッキー」的なものがあるような気がするのは、私だけか。
     そう思っていると、コボリを知る共通の友達が、「コボリって、なんかマイナスイオンが出てるよね〜」と言っていたので、まんざら間違いでもなさそうだ。

  神出鬼没なコボリではあるが、年に一度、確実に会えるのが、8月15日に旧市街近くのムーンサーン寺で行われる戦没者慰霊祭だ。  この寺院の境内には、太平洋戦争中の悪名高いインパール作戦の戦地であったビルマ方面から、国境を越えて敗走してきた日本軍傷病兵の病院があった。この地で亡くなった大勢の日本兵を追悼する慰霊碑と博物館が建てられていて、毎年、日本人の有志の方々によって慰霊祭が行われている。日本の歴史も勉強しているコボリは、戦争に巻き込まれて亡くなった人々への哀悼の気持ちが深く、毎年欠かさず参列しているのだった。
  彼はチェンマイ在住の日本人にもよく知られているので、式場に日本兵の姿で現れても別段驚かれることはないが、実際に、コボリが慰霊碑に菊の花を献花し、深妙な顔つきで手を合わせる姿を見れば、どうしても日本兵の霊が降りてきているように見えてしまうのは仕方がない。
   戦時中、チェンマイの人は日本軍を恐れたはずだ。タイ西部のカンチャナブリー県では、死の鉄道と呼ばれる日本軍による泰麺鉄道の建設によって、数万人といわれる捕虜や現地の人、東南アジアの労働者が過酷な労働環境下で亡くなり、今なお深い傷を残している。
  しかし、タイ北部周辺では、他の場所に比べて地元の人たちと友好的な関係が築かれていたといわれている。元気に出かけていった若い日本兵たちが、戦地から戻って来るときには重症を負い、さらにはマラリアや栄養失調で無惨にも倒れていった。不憫に思った地元の人たちによって、大勢の兵士が助けられている。

  私は、チェンマイのお年寄り達から、子供の頃に日本兵にバナナを売ったという話や、当時の日本兵から習った日本語の単語や歌を聞かせてもらったことがある。女の私だが、ある年配の方からは、「あんたは昔チェンマイで死んだ日本兵の生まれ変わりだから、ここに住んでいるんだよ」と、過去生を断定されたこともあった。日本兵はチェンマイのお年寄りたちの記憶の中に今も生きている。チェンマイで生まれ育ったコボリもまた、お年寄りたちから当時の日本兵の話を聞いたことがあったにちがいない。
  

チェンマイを流れるピン川

  そういえば、しばらくコボリを見てないなと思っていた、ある日のこと。
     旧市街にある行きつけのカフェに立ち寄ると、オーナーのマイちゃんが、
「ピー(タイ人は年上の人をピーと呼ぶ)、最近、コボリに会いましたか?」
    と、私の顔を見るなり、聞いてきた。
  カフェといっても、軽トラックを改造した路上のスタンドだが、ガジュマルの木陰にプラスチックの簡素な椅子を並べただけの席は、開放的で気持ちがいい。マイちゃんとのちょっとしたおしゃべりも気に入っている。
  実は、コボリも時々、このカフェに来ていた。一度だけ一緒になったことがあり、マイちゃんは、コボリと私が知り合いだったことに驚いていた。
  コボリとはずっと会ってなくて、元気かなと思っていたところ。
  そうマイちゃんに伝えると、先週店にコボリが来たが、様子が変だったという。
 
 その日のコボリは、黒いTシャツ姿だった。
「今日は日本兵の恰好じゃないんだね」
 と、マイちゃんが聞くと、
「僕はもう、日本兵の格好をしない方がいいのかもしれない」
 と言って、暗い顔でうつむいたという。
 うーん、暗いコボリなんてちょっと想像しにくいが、マイちゃんの話によれば、どうも近所のおじさんに服装のことで批判されたらしい。

 何でそんな格好をしているのか。お前には愛国心はないのか? 頭がおかしいんじゃないか? 一度、病院で脳の精密検査を受けた方がいいぞ!

「だから、コボリは日本兵の格好をやめたんだって……」

  そっか、チェンマイにもそんなことを言う人がいるんだ。その話は、私にとってもショックだった。楽しそうだったコボリを思い出し、気の毒になった。誰にも迷惑はかけていないはずなのに、好きなことをして何がいけないのだろう。心の中に、もやもやとした凝りが残る。
  私はアイスコーヒーを飲みながら、マイちゃんといっしょに大きなため息をついた。


 それからまたさらに数カ月が経った、ある朝のこと。
  今度はチェンマイ門市場で、当のコボリとばったり出会った。
  しかし、最初、私はコボリに全く気が付かなかった。すれ違ってから、「ちょっと、これを見てください」と、背後からコボリに声をかけられたのだ。そこには、いつもの日本兵の姿は微塵もなく、Tシャツに短パン、サンダル姿のコボリがいた。
  コボリが見せてくれたのは、ディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の女王エルサがプリントされた財布だった。よく見れば、腕時計にもエルサ、Tシャツにも帽子にもエルサが大きく微笑んでいる。
  ごめんね、あいにくその映画を観てなくて、と言うと、「エルサは大人で、すごくいい人なんだ」と、エルサについていろいろと教えてくれる。
  コボリにまさかのエルサブームがきていた。 
  例の近所のおじさんからは、エルサの恰好はしないのかと言われたらしい。また意地悪を言うなあと思ったが、コボリは全く気にしていない様子で、
「僕は男だし、スカートを履いたりするのはちょっと違うよね。ははは。」
   と、ご機嫌だ。
   もうすっかり立ち直っていた。
   日本語の勉強の方は続けているらしく、最近は「家庭の医学」が教科書代わりらしい。
「卵巣とか胚嚢とか、知らない単語がたくさんあるんだよ」と、オタク全開である。

  コボリのそんな様子を見ていたら、なんだか私も元気になってきた。好きなものがあってそれを無邪気に表現できるということ。マイナスイオンの正体は、どうもこの辺にありそうだ。
  相変わらず、ちょっと変わってはいるが、どうやらいつものコボリに戻ったようで、ひとまずほっとした。見た目はコボリじゃないけれど。
 
  それからまたしばらくして、私はいつものようにマイちゃんのカフェに立ち寄った。
  マイちゃんはコーヒー豆を挽きながら、
「ピー、この間、全身日本兵姿のコボリがふらっと店に来てくれたよ!」    
    と、うれしそうに教えてくれた。
 

最近のコボリはぽっちゃりしている



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