furu_t

震災を経験→福島県の教員を退職→札幌の小学校教諭/東書教育賞優秀賞(R1)/著書:子どもの書く力が飛躍的に伸びる! 「学びのカリキュラム・マネジメント」/教育実践グループ「みゆき会」所属

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震災を経験→福島県の教員を退職→札幌の小学校教諭/東書教育賞優秀賞(R1)/著書:子どもの書く力が飛躍的に伸びる! 「学びのカリキュラム・マネジメント」/教育実践グループ「みゆき会」所属

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    • 「かしこさ」について本気で考えてみた

      学校ってどうしていかなきゃならないの? そんな風に問いかけられた時はないでしょうか? そんな時僕は「かしこくなるためだよ」と答えます。 なぜそう考えているのか。僕の頭の中をまとめてみました。

    • 学びの掲示物

      子どもたちに伝えるための掲示物

    • 息子の自立探究学習

      恐竜が大好きな息子。3歳から現在に至るまでの学びの記録です。

    • 眩暈(めまい)が支配する世界

      「遊び」とは何か?ロジェ・カイヨワの考え方をもとに探ります。現代社会がなぜ息苦しいのか?まとめていきます。

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    大切なことはすべて「恐竜」で学んだ〜息子の恐竜探究記録〜

    ◾️恐竜への目覚め息子(小4)は恐竜が大好きだ。 恐竜にはまりはじめたのは3歳のころ。 それまでは「動物」大好きだったのだが、あるきっかけで恐竜にのめりこんだ。 きっかけは 「獣電戦隊キョウリュウジャー」 である。 「どうして恐竜が好きなの?」 と息子にきくと、返ってきた答えは 「つよくておおきいから!!」 とのこと。 現在息子は小学校4年生。 7年以上の時が経つがこの「恐竜熱」は冷めない。 それどころか、年々パワーアップしている印象を受ける。 息子の様子を見ていると、

      • 「ごめんね」「いいよ」が存在しない指導

        「ごめんね」 「いいよ」 小学校でケンカした後にいつも見かける光景。 けんかした後ってさ、 先生は必ずここまでもっていかないといけないと思っているよね。 自分もそう思っていた。 お互いに自分の非を認めさせて、謝る。謝らせる。 教師は絶対的な審判としてそこに立ちはだかるわけだ。 白黒はっきりつけること。 これが何よりも大切。 今までそう考えてきた。 でも、最近そうじゃないということがわかってきたんだな。 こんなことを昔の自分が聞いたら、 「ああ…あんたもかわったね…」 と

        • 真冬の札幌で往復20キロのチャリ通勤を毎日続けてみた話(ファットバイク!)

          <ある冬の日の会話> 同僚:「furuさんは今日どうやって来たの?」 僕:「えっ?僕ですか?チャリですけど。」 同僚:「えっ?チャリ!?この雪の中を!?」 そんな会話を何度くりかえしてきたことだろうか… みんな驚くのは無理もない。 ここは札幌である。 積雪は毎年僕の背の高さを超える。 電話ボックスをも超えるこの雪の量… ちなみにこれが普段の電話ボックス。 さすが札幌だ…あらためて写真を見ると、恐ろしさがハンパない… そんな極寒の地札幌で僕は毎日チャリを漕ぎ続けている。

          • ★挑戦のふりこ(ダウンロード版)★

            「わかること」「できること」「成長すること」 それだけを子どもたちに求めるからつらくなるよ。 大切なのは 「分かれば分かるほど分からなくなること」 「できればできるほどできないことが分かること」 「伝えれば伝えるほど、伝えられていないこと」 こういうことに気づくことだよ。 そんなことを子どもたちに伝えるために使っている図。 「挑戦のふりこ」を活用したい方はダウンロードしてお使いください。 「プリントアウト」「コピー」「無料配布」はご自由にどうぞ!  (変更,改変,加工

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            できることだけを目指すから苦しくなる

            「勉強ってさやればやるほどわからなくなるよね。  できるようになればなるほど、できないことが見えてくるね。  人生ってそんなもんだよね〜。」 こんなことを小学校2年生に語りかけている(笑) でも子どもたちの顔はにこにこ。 意外に伝わっているようだ。小学校2年生だってあなどれないのだ。 「挑戦の振り子をふってごらん? いいのいいの、できなくても。」 僕は毎日のようにこんなことを言っている。 「わかること」だけを求めるからきつくなる。 「できること」だけを目指すから苦し

            根をはる子どもたち

            「わあ出てきた!」 育てていた枝豆から芽が出た でも、それは間違っていた… という話。 学校の畑で育てるために僕は、枝豆の苗を育てている。種をキッチンペーパーに包み、暖かい場所で育てる。 …すると数日後に枝豆の種は発芽した。出てきた小さな小さな芽。それを見届けてから僕はそっと種を土に植えた。 その成長を見守っていくうちに 「あれ?これはおかしいぞ?」 と僕は思った。 どうやら僕が芽だと思っていたものは芽ではなかったようだ。発芽した後にぐんぐん伸びていたもの。それは根だっ

            〜腹が立ったら〜  まずは怒りを「消火」させよう。次に、怒りを覚えたことをちっぽけなことに「小化」させよう。そこまで落ち着いたら自分の中でゆっくりと「消化」して、より高いものに「昇華」させていく。「消火」もせずに「昇華」させようとするから、心がちぐはぐになる。まずは「消火」だ。

            潜る

            外につぶやかないで、自分の中に蓄積する。 そんな試みを数ヶ月続けてみたわけだけど、これがなかなか心地がよい。 今までの僕はたくさんの記事を書き連ねてきた。 思考の幅を広げるために、自分の考えを深めるために。解像度をあげるために。 それはある一定の効果を得たと思う。 でも、それがある時点で逆回転し始めた。 つぶやけばつぶやくほど、僕の思考の幅は狭まっていく。 そんな感覚を抱くようになった。 きっと「僕」というものを固めるための時期が過ぎて「僕」というものを崩す時期にきたから

            きりふきの話

            「バケツでぞうきんをぬらすと密になっちゃうから、今日からこれを使ってねー」 朝の会で僕はクラスに3本のきりふきを置いた。 子どもたちの目が輝く。 「おおー!」 きりふきは子どもたちにとって憧れの道具だ。 あの水の吹き出すなんとも言えない感覚。 なかなかいじらせてもらえないあの道具を堂々と使えるのだ。 盛り上がるのも無理はない。 ちなみに僕のクラスにはそうじの役割分担がない。 2人がペアになって、自分たちで仕事を選択する。 そんな「隊長制度」を導入している。 だから、誰も

            説明できるうちは理解できていない

            数年前みゆき会で話題になっていた 「アダプティブ戦略」 まあ、簡単に言えば「後出しジャンケン」だ。 子どもたちの状況を見とってそこから必要な課題を生み出すというもの。 坂内さんが試行錯誤の果てにたどりついた戦略なんだけど、数年前の僕はイマイチこの感覚がわからなかった。 なぜなら、とてもこわかったから。 やらせてみて、子どもたちの課題を見つけ、それを提示する。 当初僕がそれをやってしまったら、大変なことが起きた。 学びが拡散して、収拾がつかなくなる。 そして、見とるにも

            最近はこんな授業です

            僕の授業はアウトプット中心だ。 でも、話すというアウトプットだと「話す人ー聞く人」という構図に陥ってしまう。 誰もが同時にアウトプットできる。 それが「書く」ということだ。 国語でも算数でも理科でも社会でも。 ほぼほぼ書いている。 その中で生まれたものをまねしあいながら学習を深めていく。 僕の授業はこのくりかえしだ。 ◎国語の時間のアウトプット 「報告書を書こう」の学習。社会のちらしの学習とカリキュラムマネジメント。 国語の時数をつかって、社会の学びを深める。 カリマネ

            アメとムチ

            「やっぱり『アメとムチ』だよな」 そんな話を耳にする。 でも僕は違うなぁと思う。 確かに『アメとムチ』で人を操ることはできる。 でも人を成長させることはできない。 僕が大切なものを2つあげるとしたらなんだろう。 きっと「愛と技術」をあげるんじゃないかな? 愛のない技術は危険です。 技術のない愛は無力です。 これを語ったのはアドラーだっただろうか。 ここまで本質をついている言葉はないなぁと感じる。 僕の中でさっきの『アメとムチ』はどちらも「技術(テクニック)」にすぎな

            準備をしないとこわかった

            「古T。今日の僕の自主学習、ぜったいにびっくりすると思うよ」 朝一番にある子がそんなことを言った。 1学期はなかなか積極的に学べなかった子だ。 クラスの「第二陣」が伸び始めている。 最近の子どもたちの様子を見ているとすごく感じる。 今までの僕のクラスは「第一陣」の子どもたちがひっぱってきた。 「第一陣」の子どもたちとは先生の言ったことをすぐに挑戦しようとする子どもたちだ。「第二陣」の子はその後ろに隠れている子。先駆けでやる勇気はないけど、成長したいという気持ちにあふれている

            おもしろい授業のつくりかた

            子どもたちは「表現すること」が大好きだ。 それさえわかっていれば「おもしろい授業」を構成するのは簡単だ。 ここでいう「おもしろい授業」とは教師がギャグをとばすような面白い授業ではない。 子どもたちが「もっとやりたい」「もっと続けたい」と思える授業だ。 「表現することが大好き」 その言葉をまじめに捉えた教師は子どもたちを挙手指名して話をさせようとする。 しかし、それは実は逆効果だ。 だって、一人が話をして「表現している」間、周りのその他大勢は「表現できない」時間となるから

            「あなたならできるよ」と語りながら「そんな簡単にはできないよ」と語る

            限界と可能性の間をぬっていく。 そんな営みが教育だ。 「やればできるよ」 という可能性を語る一方で 「やってもなかなか伸びないものだ」 と限界を語る。 この絶妙なバランスを僕はようやくとれるようになった気がする。 このバランスを成立させるコツは 「可能性」を入り口にし「限界」を出口にすることだ。 「限界」を入り口にすると、心が折れる。 「できたね」 「のびたね」 「前よりいいね」 「どんどん成長しているね」 こんな言葉に浸ること。 これが「限界」を受け止める準備

            限界にぐらぐらしながら可能性をさぐろう

            教師ってすごく崇高な職業だ。 そう考えると自分のふがいなさに、ぐらぐらしてしまう。 そのぐらぐらにつぶされそうになったあの時、僕はこの職業を崇高なものだと思うのをやめた。 たしかに教師は崇高な職業だ。 でも、無理なものは無理だ。 僕たちにも限界がある。 だから、その限界を見据えながら自分にできる範囲のことをきっちりとやろうと思うようになった。 教師である自分に限界を感じたわけだ。 でも、最近ある出来事があって「教師としての僕の可能性も捨ててはいけないな」と感じている。