【鑑賞】私の好きな俳人4〜河東碧梧桐
こんばんは、フロヤマです! 今回は河東碧梧桐の句鑑賞をお届け致します。では、どうぞ。
夜の鏡があつて外套の襟が折れない/碧梧桐
「夜の鏡があつて」のところでキレ(屈折)を感じた。実際には鏡があっても無くても襟は折れる訳であって、さらには鏡があるならば、より正しく襟を折れるはずだ。ここに語意のアンバランスが生まれ、やや幻想的とでもいえよう空気感を醸し出しているように思える。状況としては、どこかから外へ出ようとしているところであろう。そこが自分の家なのか、あるいは他人の家や店などなのかはわからない。ただ「夜の鏡」という暗くて静かな印象が、キレ(屈折)を通って、不穏なものへと変化しているように思える。「襟が折れない」理由は不明だが、焦り、苛立ちのようなものを感じた。
障子あけて雪を見る女真顔よ/碧梧桐
雪を見る女の真顔に何を見たのか。美しさ。いや、怖さに近いものではないだろうか。
火燵の上の履歴書の四五通/碧梧桐
冬の就職活動は、なんだかみじめな思いが募るもの。火燵に入っていてものんびり気分ではあるまい。
強い文句が書けて我なれば師走/碧梧桐
一年最後の月、それは会心の出来であったのだろう。文字通り力強い句。
最後の話になる兄よ弟よこの火鉢/碧梧桐
何やら深刻な印象の句。「兄よ弟よ」が効いている。また「火鉢」からはその部屋の異様な熱気を感じる。
弟を裏切る兄それが私である師走/碧梧桐
「裏切る」とあるからには相当なことなのであろう。ここは借金の踏み倒しではないかと想像した。いずれにせよ、ふてぶてしいまでの句調からは反省や後悔のようなものはまったく窺えない。困ったものである。
正月の日記どうしても五行で足りるのであって/碧梧桐
誰も訪ねてこない、何もすることのなかった。そんな正月だったのだろう。寂しさを逆手に取った滑稽仕立ての句。
巣の蜂怒らせし竿を捨てたり/碧梧桐
身辺雑記的と言われれば確かにそうなのだが、こうした句が好きなのだから仕方がない。滑稽な情景が映像として脳裏に浮かぶ句。滑稽とは真面目な姿だからこそ面白いのであって、これを狙ってやろうとすると白々しくなるから案外難しい。
蚊の腹白き眉近く過ぐる/碧梧桐
この句は「蚊の腹/白き眉近く」と切るのだろうか。それとも「蚊の腹白き/眉近く」なのだろうか。わざわざ「腹」と焦点を絞っているのだから「蚊の腹白き/眉近く」なのではないかと考えてみた。ところが飛んでいる蚊の「腹」が白いかどうかなんて見えるものなのだろうかと新たな疑問が湧いてしまう。いやいや。これは「白き」とあるから印象的なのだ。ただ「蚊の腹」では感慨も薄くなるだろう。などと一人であれこれ考えては大いに楽しんだ句である。
水汲みし石垣の日ざかり迫る/碧梧桐
水を汲んだバケツの重みと暑さでふらふらとする光景を思い描いた。結句での言い切りは、やはり力強さが出るものだ。水→日→迫という展開もまたドラマティックに感じる。こういった辺りが「印象明瞭」の秘訣なのではないだろうか。
妻に腹立たしダリアに立てり/碧梧桐
まさに「印象明瞭」。色鮮やかな「ダリア」を持ってきたところがミソだろう。色はやはり赤だろうか。色を言わずして連想させる手法。是非とも会得したいものである。
風呂山
河東碧梧桐1873-1937愛媛県生まれ。本名、秉五郎(へいごろう)。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱。全国行脚して「三千里」「続三千里」をまとめた。のち自由律、ルビつき句など句風は変遷した。