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05 U-r-0083の収容記録

前作:「04 U-r-0083の収容記録」

 Q-o-0059『カマイタチ』の脱走翌日。私は異動証明書を持って朝から魔術部署に向かう。部署の扉を潜ると、塙山署長たちが揃って私を出迎えてくれた。
「いらっしゃい! 星川ちゃん!」
「ありがとうございます。正式にこちらの所属になります。改めてよろしくお願いします」
私が頭を下げると拍手が沸き起こる。塙山さんが駆け寄って来てぎゅっとハグをする。おお、相変わらずすごい胸板。
「も〜ビシ♡ バシ♡ 鍛えるからね!」
「はい、お願いします」
「星川ちゃんは引き続き鐘戸が面倒を見るわ。今日からは薬の調合とかも覚えてもらうから、頑張ってね♡」
「はい。鐘戸さん、よろしくお願いします」
「ええ、よろしく。じゃあ、早速講義始めましょう」
「はい!」
意気揚々と鐘戸さんの後ろに付いて行くと、他の職員も同じ部屋へ向かう。ちらっと顔を見ると、みんな私と似た様な年齢。同期の人たちのようだ。そう言えば、同期の魔術部署所属とまともに顔を合わせるの初めてかも。
 講義と聞いていたものの筆記具を用意しろとは言われていなかったので、どうしようと思っていると鐘戸さんに魔術部署専用のタブレットとペンを渡される。課題なども出るのでこれに直接入力して提出するそうだ。なるほどね。まあ、そもそも今時紙を主体にして仕事してる方が珍しいぐらいだし、この方が私はやりやすい。手渡されたレジュメを見ながら会社用の自分のアカウントと連結させて、初期設定を終わらせる。講義内容は睡眠薬の調合の仕方。私は都度出て来るハーブがわからないので調べ物を並行して行いメモを取る。学生時代座学は特別好きではなかったけど、魔術の勉強は結構楽しい。本来は土地の神や精霊の力を借りて作る魔法薬を、地下施設で作るのは難しいそうだ。なので実際に使われる薬はほとんど外部から購入した物になっている。魔術は古くから人間が神や精霊と行ってきた交流の産物でもあり、古き時代の科学でもあった。ゆえに魔術を行使する時は人類が現代まで技術と血を繋げてきた、その事に感謝するところから始めるのだと鐘戸さんは改めてその心意気を魔術部署の新人たちに教えてくれた。
(私が入ったばかりだから、改めて教えてくれたんだろうな)
 座学が終わり、次は実技だそうなので私は杖を磨こうとベンチに腰掛ける。
「隣、よろしいかしら?」
目の前に立った人物を見上げると、金髪をくるくる巻いた西洋人形みたいな女の人だった。いいなぁ、可愛い。
「どうぞ」
「私、亜衣南・ゴドルフィンと申します。よろしくね星川さん!」
名前的にイギリス系だろうか? ゴドルフィンさんに握手を求められたので素直に応じる。
「よろしく願いします、ゴドルフィンさん」
「亜衣南でいいわ! 日本名の方が呼びやすいでしょう?」
「ああ、では亜衣南さんとお呼びします」
彼女は隣に腰掛けながら私の杖を覗き込む。
「そんな堅苦しくしなくていいのよ。その杖、とっても綺麗ね!」
「ありがとうございます」
「どんな職人さんが作ってくださったの?」
瞳がキラキラした緑色。本当にお人形さんみたいだなぁ……。
「さあ……この杖一方的に届けられたので、誰がいつ作ったとかは全く知らないんですよ」
「あら、箱に書いてあるはずよ」
「え、そうなんですか?」
「杖の仕様はきちんと箱か同封された説明書に載ってるわ。だってそうじゃないと魔術省の認可を受けていない違法品になるもの」
「へえ、そう言うものなんですね。あとで箱見てみます」
亜衣南さんはじっと私の顔を見て来る。
「なんですか?」
「あら、ごめんなさい! やっと話しかけられたから何から話そうかと思って」
「やっと、ですか?」
「星川さん、新入社員の間じゃすっかり噂なのにいつもAランク職員の方々と一緒だからみんななかなか話しかけられなくて!」
「ああ、やっぱり目立ってますよね私……」
あんまり目立ちたくないなぁ……。
「星川さん、以前は本当に魔術の心得全くなかったの?」
「ないですね。魔法に縁のないごく一般的な中級市民の家なので……」
「でもこの前、上級魔術二つも使ったって聞いたわ! すごい!」
「ありがとうございます。でもあれは暗闇さん……0083に呪文を教えて頂いたからなので……」
「普通、呪文を知ったからってさっと使い熟すなんて出来ないのよ? 天才ね!」
「いえいえ、そんなそんな……」
手放しで褒められると照れる……。私が手で顔を扇いでいると亜衣南さんは笑顔で私の顔を覗き込む。
「なんでしょう?」
「失礼だけれど、日本のドールみたいで可愛らしいなと思って。おばあさまの家にね、日本のドールがあるの」
「へえ、そうなんですか? あ、あの実際に可愛いかはわからないんですけどありがとうございます……。亜衣南さんも西洋人形みたいで可愛らしいですよ」
「まあ、ありがとう!」
話してみてわかったけど、良家のお嬢様と言う感じだ。亜衣南さん、上級市民だったんじゃないかしら?
「あ、杖の手入れしないと……」
「お邪魔してごめんなさいね」
「いえいえ、構いません」
「私も杖の手入れをするわ」
「はい」
彼女はホルダーではなく、箱から杖を取り出して膝に置く。白っぽい木の杖だ。私同様手の平サイズだが、練習用に使った杖より若干長い。狭い間隔でポコポコとした節が並んでいる。
「綺麗な杖ですね」
「ありがとう! ニワトコの杖よ」
「ニワトコ……えっと」
私はタブレットでサッと調べる。スイカズラ科の落葉低木。連動して出てきた魔術省データベースを見ると、杖の中では珍しい材質らしい。
「貴重な物なんですね」
「ニワトコは気難しい杖と言われているの。使う人を選ぶのよね。でも私は相性抜群よ」
「へえ、いいですね。杖と相性がいい、か。なるほど」
「星川さんも杖と仲がいいわよね? その杖はどんな子?」
「どんな子、ですか? うーん……杖を持ったのが初めてなのでなんとも言えないんですが……」
「でもほら、最初に受けた印象があるでしょう? どんな感じだったの?」
「第一印象ですか? うーんと……」
柔らかい布に専用の軟水を染み込ませ杖を磨く。きゅっきゅっといい音がする。杖も気持ち良さそうだ。
「“女王”ですかね。この持ち手のところがチェスのクイーンのデザインになっているんですよ」
「まあ、本当。きっと気高い子なのね」
「そうかもしれません。でも優しいですよ」
多分。
「杖の気質は持ち主に似るって言うわ。星川さんもどこか女王のような気品があるのではなくて?」
「ええーそれはないです。一般市民でしたし……」
「実技、始めますよ。各自杖の手入れは済ませましたか?」
「あら、呼ばれちゃった。また後でお話ししましょう」
「はい」
 実技は中央にある広い訓練場で行われる。杖の持ち手を指で撫でながら、塙山署長の説明を全員で聞く。
「みんな知っていると思うけれど、人は四大属性の風火土水のいずれかに属していて得意な魔法が偏るの。基本は得意な方面を伸ばすけれど、苦手だからと言って覚えなくていい事にはならないわ。今日はそれぞれ苦手な属性の魔法に挑戦してみましょう」
同期たちはうぇええ、と嘆く。私は火属性だから……。タブレットでそっと調べると火と土、風と水が真逆の性質らしい。
(と言うことは土か)
「では本来の属性ごとに集まりましょう」
職員たちがわらわらと動く。新卒の魔術部署職員はおよそ四十人。そして四属性に分かれると測ったように十人前後のまとまりになる。火属性にまとまってから風属性のグループにいる亜衣南さんの方を見ると、こちらの視線に気付いて私に手を振ってくれる。私も微笑んで手を振り返した。
「じゃあ、火と土、風と水は人員を半分ずつにして相対の属性の人たちと交換するわよ。分け終えるまで待っててね〜♡」
塙山さんの指示で火と土の混合班が二つ、風と水の混合班が二つ出来上がる。練習場の四隅に分かれて授業が始まる。私たちの班は燃えるような赤い髪で立ち姿の凛々しい女性職員が担当する。
「こんにちは新人諸君。わたくしはランクBプラスの花御川(はなみかわ)。属性は火です、よろしく」
いかにも火属性って見た目だなぁ。
「よろしくお願いします!」
挨拶をしたのが私だけだったので、視線が集まる。え、なんで挨拶しないのみんな。見ないで恥ずかしい……。
「はい、よろしくお願いします。挨拶はとても大事。全ての魔術は神と精霊への挨拶から始まりますゆえ、他の者は星川さんを見習うように。では早速始めます。諸君は火属性、土属性をそれぞれ得意としています。生来から魔術師の家で育ってきた者、何となく魔術が使えちゃった者。魔術部署に振り分けられたので仕方なく勉強している者と背景は様々ですが、これからの実技では皆満遍なく扱きますから頑張るように」
き、厳しそうな人だ……ついて行けるかしら……。
「実技の訓練でもただがむしゃらに杖を振るだけとはなりません。講義も挟みますので思考は止めないように。まず、火と土がなぜ相対の性質なのか、説明できる者はいますか? はい、グリーンフィールドくん」
手を上げグリーンフィールドと呼ばれた職員は色が比較的白い黒髪の男性だ。名前的に彼もイギリス系なのかしら……。きっとグリーンフィールドさんも亜衣南さんも魔術師の家系なんだろうなぁ。
「火の魔術は鉱物を消費するエナジー、土の魔術は鉱物を生成するエナジーだからです」
「おおよそ正解です。簡潔でよろしい。属性ごとにアプローチはそれぞれですが魔術は星の内部で生成された魔力を借りて力を行使します。そのことをしっかり頭に入れて実技へ移りましょう。では星川さん、前へ」
「えっ!? は、はい!」
魔術師の末裔じゃなくていきなり私!? 緊張しつつ花御川さんの隣へ並び、同期たちに向き合う。恥ずかしい……。私は目線を合わせないようにするので必死だ。
「諸君らも知っていると思いますが、星川さんはここにいる訓練生が二ヶ月間必死に己の杖の模索と勉学に頭をたっぷり使っている間に実戦を重ね、昨日上級魔術を指導なしで習得しました。諸君らにとっては同期でありながら先を行く者ですのでお手本として見習うように」
(ひえ……ますます目立っちゃうからやめてください……)
「では星川さん。早速獲得した上級魔術、インファーヌムを披露してください。的は向こうに立っている人形です」
「は、はい」
視線がビシバシ飛んで来て緊張する……。振り向くとトニーのような人に近い大きさの木の人形が立っている。木なんだよなぁ……燃えちゃわないかな……。
「星川さん、人形は燃やしていいので思いっきりやりなさい」
「えっでも燃えたら炭になっちゃいますよ!?」
「炭にする気でやって頂戴」
「ひえ、わかりました……」
ごめんね人形さん……。私は真っ直ぐ杖を構える。
「──インファーヌム!」
杖を頭の上で回し、前へ向かって振る。重たい音と共に杖の先から大きな火の玉が噴き出し、人形に真っ直ぐ飛んで行く。案の定、人形は炎に包まれてしまった。あわわわわ燃えてる。花御川さんは燃えている人形を気にせず、職員と私に顔を向ける。
「よく出来ました。見事な魔術です。軌道が非常に美しい」
「あ、ありがとうございます……。も、燃えちゃったんですけど人形……」
「もちろん消火します。ではグリーンフィールドくん、前へ」
「はい」
さっきの黒髪の美青年が前へ出る。瞳が深いエメラルド色だ、綺麗……。
「土属性の魔術、ソリを披露してください」
「わかりました」
彼はさっと杖を構える。
「ソリ!」
地面が盛り上がり、土が人形を飲み込む。周りの酸素がなくなったため人形はあっという間に鎮火した。
「おお、すごい」
私は思わず呟く。一番前にいたためグリーンフィールドさんには聞こえてしまったらしい。彼はチラッと私を見た。
「はい、グリーンフィールドくんも見事な魔術です。隙がなくて素晴らしい。火の魔術と土の魔術はこのように、基本的には相対する魔術です。けれど、土と火の性質が真逆だからと言って張り合う必要はありません。地球にはこの相対するとされる火と土、二つの属性を同時に持つものが存在します。なんだかわかる人?」
グリーンフィールドさんが手を上げる。花御川さんがはい、と指す。
「溶岩。火山で生成される化合物です」
「正解。そう、このように土と火はその性質上相対するものでありながら相互作用もします。地中深くで高熱、火に溶かされながら高圧、土に押しつぶされた物が地上に出てくるまでに急速に冷え、風や水に晒された物。それが溶岩や鉱物となる。四属性の全てを含むと言っても過言ではない物質ですので、鉱物で出来た物は魔術を補助する物に使用されます。皆さん、杖は木の物がほとんどですね? 芯材とは別に持ち手の部分に宝石が埋め込まれているのは知っていますか?」
そうなの? と言う者や知ってると言わんばかりに頷く者に分かれる。私はもちろん知らない。と言うか、杖がそもそも木ですらなかった。
「杖の内側に埋め込まれている宝石は肉眼でなんとか見える程度の小さな物です。杖は高額ですが、宝石を埋め込む作業が難しいと言う理由で手間がかかります。みなさんにわたくしの杖をお見せします。これは一般的な杖の一つです。」
みんな花御川さんが頭上に掲げた杖を見上げる。
「材質はカシ。埋め込まれている鉱物は石英。水晶とも呼ばれます。珍しいと木の材質がニワトコやマツ、鉱物がエメラルドやルビーになります。ですが、さらに貴重な杖は一点物が多くなかなか見かけません。魔術省のデータには珊瑚の枝に真珠を組み合わせた水魔術特化型の杖があり一般公開されています。あとで各自タブレットで閲覧するように。そして珍しい杖の実例が一つこの場にあります。星川さん、杖を掲げて」
「はい……」
案の定、引き合いに出される。ホルダーから杖を出し、真ん中を持って掲げる。クイーンの駒が魔術士の卵たちを見下ろす。
「おお……」
「黒い石、ですか?」
「はい、星川さんの杖は紛うごとなき特注品です。火属性ですから芯材は不死鳥かサラマンダーの尾、または竜の骨でしょう。星川さん、材質はなんですか?」
「す、すみません箱の仕様をきちんと読んでいなくて材質はわからないです……」
「おや、そうですか。あとで確認してください。ではわたくしの見立てですが模様からしておそらく杖の材質は大理石。古代ギリシアではマルマロス、“輝く石”と名付けられた物です。古代から彫刻の材料や建築材料としても使われてきました。一般的かつ有名な物ですが杖に使われるのは珍しいです。皆さん、持ち手に鉱物が埋め込まれていると先ほど言いましたが星川さんの杖は埋め込まれた鉱物が杖の先端と全体に散りばめられ露出しています。これもなかなか見ない仕様です。材料はなんだかわかりますか?」
誰も手を上げない。そりゃそうだ、私だってわからない。
「これもわたくしの推測ですが、輝き方とインファーヌムの高温に軽く耐えている様子から黒いダイヤモンドだと思われます」
「ダイヤ!?」
私は思わず杖を手元に引き寄せて見る。周りも驚いて杖を覗き込む。
「ダイヤっていま貴金属より高価ですよね!?」
「はい。現在ダイヤモンドはほぼ採り切ってしまったと言われ価値が高騰しています。そのダイヤを、しかも大理石と色を揃えてそれだけふんだんに用いていますので市場に出ていたら相当な価格が付くでしょう」
「ひええ……」
「やべーやつじゃん……」
「そんな高い杖どうやって作るの? 資金は?」
「こ、これは贈り物なんです」
「こんな馬鹿高い杖プレゼントする魔術師なんているかよ……」
「諸君、静粛に。講義に戻りますよ。先ほどの説明から四属性を有する鉱物をふんだんに使えば魔術は簡単に行使出来るはず、と思った者もいるでしょう。では多くの杖が全体を鉱物にしない理由はなんでしょう? ……はい、グリーンフィールドくん」
「魔力の伝達は生物同士の方が行いやすいからです」
「正解です。そう、杖の本体を木材にしているのは植物、つまり生物の身体でありつつ加工しやすく扱いやすい物体だからです。星川さんの杖のように全てを鉱物にしてしまうと、無機物と有機物の魔力伝達率の差ゆえに扱い難さが跳ね上がります。技術面でも鉱物の内側に芯材を入れるのは非常に難しい。これが鉱物の杖が一般化していない理由です」
全員が頷く。魔力伝達率ってなんだろう……あとで調べなきゃ。
「あ、あの」
「はい、星川さん」
「と言うことは、私の杖は他の人には扱えないってことでしょうか……?」
「その通りです」
「ひょえ……」
「ですので、星川さんは特に杖を大事にしてください。では実技に戻ります。まず元々の属性魔術を人形に放ちましょう。火属性はイグニス、土属性はソリです。前から順番にやります。グリーンフィールドくん、星川さんは再び前へ」
「はい」
「は、はい」
グリーンフィールドさんと並んで立つ。緊張する〜。
「発動順はイグニスが先、ソリが後です。イグニスで燃えた部分をソリで鎮火する。職員同士の連携も兼ねていますので息を合わせることも忘れずに」
「わかりました」
「わかりました!」
「お先にどうぞ」
「はい! ……イグニス!」
杖を振り私はイグニスを放つが、すっかり忘れていた。私のイグニスは火の玉にはならない。炎は杖から噴き出すとその場で舞ってしまい人形にはとても届かない。耳元でさわさわと風の音がする。
「あ」
「あれ」
「おや」
後ろからクスクスと笑い声が出る。
「こら、誰です笑ったのは。人の失敗を笑ってはいけません」
すぐに声が止みしんとする。
「や、やっぱりこれ失敗ですよね……?」
「ううん、不思議ですね。フレイマとインファーヌム、それにカストルム・イグニスは容易く扱えるのにイグニスはかえって苦手、と」
花御川さんはペンでタブレットに何かを書き込む。
「では、星川さんは呪文をフレイマに変えてください」
「は、はい。行きます……フレイマ!」
杖の先から火の玉が飛び出し、人形に当たる。火はしっかり人形の胴体を燃やす。グリーンフィールドさんが続いて杖を構える。
「ソリ」
コントロール抜群の魔術は一回で成功し、火を消す。私は思わず拍手をした。
「すごい!」
「どうも」
グリーンフィールドさんは淡々としている性格のようだ。私たち二人は後ろの二人に順番を変わり、列の最後尾に回る。私は思わず溜め息をつく。やっぱりあのイグニス、失敗してるんだなぁ。溜め息が聞こえたのか、グリーンフィールドさんがちらりとこちらを見た後呟くように言葉を出す。
「……基礎訓練もそこそこのうちに上級魔術使ってるだけですごいよ」
「えっ? あ、ありがとうございます」
慰めてくれたみたい。なんだ、クールに見えるけど優しい人だ。私は嬉しくてニコニコする。
「……嬉しそうだね」
「慰めてもらえたので元気になりました」
「単純」
や、やっぱりツンツンしてるかも……。私は前の人がやっているイグニスを観察する。やはり、本来はフレイマよりも小さな火の玉になるらしい。なぜあの形にならないんだろう? うむむ、と私は顎に手を当てる。
「何が違うんだろう……」
「……火属性は感覚に頼ることが多いから、習得までに個人差が大きいと言われている」
「そうなんですか」
「うん。……つまり焦らなくていいってこと」
「ありがとうございます。頑張ります」
「……名前」
「はい?」
「グリーンフィールドだと長いから、グリーンでいい」
「わかりました。グリーンさんって呼びます」
「うん……よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
 一巡し、私とグリーンさんが前へ出る。花御川さんは自分の杖を顔の横に掲げる。
「では、いよいよ相対属性の魔術を人形に放ってもらいます。最初に言っておきますが、自分のものではない属性を扱うため最初から成功させようとしなくてよろしいです。言い方を厳しくするなら、まず一回では成功しません。ではわたくしのお手本をお見せします」
花御川さんが私たちに背を向け人形に向き合う。
「イグニス」
火が当たったのを見て、彼女はもう一度杖を構える。
「ソリ」
花御川さんは当然のように土の魔術を成功させる。周りがパチパチと拍手をする。
「拍手、ありがとう。何気なく成功させていますが、私は諸君らのように新人の頃、この実技を半年経っても習得出来ず上司の前でびーびー泣いたくらい下手でした。つまり、それだけ下手でも時間をかけて練習をすれば習得出来ると言うことです。また同じ順番で前からやります。グリーンフィールドくんが先にイグニスを。星川さんが後からソリを唱えます。再び言いますが、一発ではまず成功しませんので三回呪文を唱えます。出ても出なくても三回で交代します。ではグリーンフィールドくん、どうぞ」
「はい」
グリーンさんは杖を構える。私は頑張れ、と心の中で応援する。
「……イグニス!」
もちろん、炎は出ない。
「残り二回、続けて詠唱を」
「はい。イグニス! ……イグニス!」
三回目、杖の先で火花が散る。おお、と花御川さんが感嘆する。
「さすがグリーンフィールドくん。火花とは言え成功しましたね。素晴らしい。星川さん、続けて詠唱を」
「はい! ソリ!」
私ももちろん、一発では成功しない。
「恐れず続けて」
「はい! ソリ! もう一回……ソリ!」
人形近くの地面はうんともすんとも言わない。
「大丈夫、最初はこうです。はい、では次の二人、前へ」
後ろの人たちも私たちに続いて同じように杖を振るうが、やはり魔術は成功しない。一巡し、再び私とグリーンさんが前に出る。
「ではここからは、今組んだ二人だけで人形相手に己の属性と相対属性の魔術を交互に行ってください。アドバイスし合ってもよろしいので、ともかく数を熟してください。人形をそれぞれの組に一体ずつ与えますのでここで待っていなさい」
花御川さんは人形を配置しに道具入れへ向かう。二人組、と言われて後ろにいる同期たちは相談や私語を始める。
「火属性難しくない?」
「土も難しいよー」
「いつもどう言う感覚でやってる?」
「えっとねえ……」
後ろのやり取りをちらっと気にしつつ、私はグリーンさんの顔を見る。彼も同じタイミングでこっちを見たので目が合った。
「ええと、星川、さん」
「は、はい。なんですか? グリーンさん」
「ちょっとこっちに……もう一回イグニスやってみて」
「え? はい、わかりました」
二人で壁の方へ寄って、私は杖を取り出し小声で呪文を唱える。
「イグニス」
火は杖の先から出ると、ふわりと上へ舞う。グリーンさんはそれを見てううんと唸る。
「球体にならないのは何故だろうね。フレイマは難なく出来ていたのに」
「なんででしょうね……私も不思議です」
「この機会に火の玉になるよう練習したらどうかな」
「そうします。ポンコツイグニスじゃ嫌なので……」
「ポンコツイグニス?」
グリーンさんはふっと吹き出す。
「面白い言い方するね」
「え? そうですか?」
「うん」
「そうですか。面白かったならよかった? です」
 人形の配置が終わり、各自がそれぞれの人形の前で相談や練習を始める。私とグリーンさんはまず、私のイグニスをどうにか火の玉にするところから始める。
「イグニス!」
何度か唱えるものの、やはり塊にはならない。私のイグニスは布のように広がり、踊り子のスカートのように舞ってしまう。
「全然まとまらないね」
「はい……」
「正直、星川さんのイグニスも綺麗だとは思う」
「あら、ありがとうございます」
「でも理想の形状じゃないから困るね」
「困りました……」
「花御川職員にコツを聞いてみる?」
「はい、そうします」
「待ってるから、呼んでおいでよ」
「ありがとうございます〜」
私は花御川さんを呼びに行って、グリーンさんの元へ戻る。
「何度か練習したけど、彼女のイグニスはどうも塊になりにくいみたいなんです」
「そのようね。実はさっきから見守ってはいたの。星川さんフレイマは出来るから、フレイマを撃つつもりでイグニスを唱えてみてはどうかしら?」
「なるほど! ちょっとやってみます」
私は人形に狙いを定め、目を瞑る。フレイマのつもりでイグニス……。目を開き、唱える。
「イグニス!」
成功して欲しかったが、イグニスはやはり杖の先で広がるばかりだった。
「なんでぇ……」
「なんでだろう……」
「……ふうむ」
花御川さんは人差し指で顎をトントンと叩きながら数秒考え込むと、腕を組む。
「星川さんはあとで個人的に練習しましょう。今はフレイマで代用して」
「はい、わかりました……」
「落ち込まなくていいよ」
「そうね、落ち込む必要はないわ。では、引き続き練習して。何かあったらまた気軽に呼びなさい」
「はい、ありがとうございました」
花御川さんが離れると、私はしょぼんとする。
「ポンコツイグニス……」
「ふふっ。ほら、気分切り替えよう」
「はい、そうします……」
フレイマとソリで二、三回練習し、交代する。グリーンさんはやはり天才と言うものなのだろう。何度か練習を重ねると彼の方がイグニスをまともに使い始めていた。
「イグニス!」
まだ人形には届かないが、火の玉がボッと噴き出る。私は惜しみなく拍手を送る。
「すごい! 私より上手です!」
「ありがとう。そっちも頑張って」
「はい! あの、グリーンさん」
「なに?」
「ソリをやっている時の感覚教えてもらっていいですか?」
「そうだな……。感覚というより、ぼ……私は自分の手が目標地点の土になった想像でやってる。自分の手が地面から突き出して目標を狙うんだ」
「なるほど。参考にしてみます」
杖を構える。土が自分の指先になった感覚で……。
「ソリ!」
何も起こらなかったので、私はしゅんとする。
「やっぱり才能ないです私……」
「才能が本当になかったらまず杖から魔力出て来ないから。安心して」
「うう、ありがとうございます……頑張る……」
「……ちょっと意外だった」
「はい?」
グリーンさんは恥ずかしそうに私から目を逸らして言葉を続ける。
「上級魔術を二つ同時に使ってたから、どんな天才かと思ってかなり身構えてたんだ。でも普通の人だったから……なんと言うか、安心した」
「あら、そうだったんですか?」
「うん」
「でもグリーンさんさっき率先して手を上げてましたし、イグニスだってこの短時間で成功してますよ? それこそ天才では?」
「いや、僕……私は人より先の教科書を読んだり、一分でも多く練習してただけで……そう言うのが苦じゃないってだけだから。努力型だよ」
「へえー」
クールな天才かと思ってたから意外だ……。
「星川さんも練習重ねれば出来るよ」
「そうですね! 頑張りますっ」
私は両手の拳をぐっと肩の位置で握り気合いを入れた。

 練習を始めて四十分もすると、みんな魔力が減ってきてへとへとになり集中が切れてくる。塙山署長の号令で、全員休憩を取ることになった。
「やっぱり休憩必要ですよねえ」
「そうね、練習を連続して行うのも大事なのだけれどね」
私は亜衣南さん、彼女と組んでる美納島(みなしま)さん。グリーンさんと同じテーブルでお茶菓子を頂いている。クッキーが美味しい。
「ゴドルフィンの末裔と同じテーブルに座ったり、稀代の天才星川さんと相席するとは思わなかったな」
グリーンさんはぽそりと呟く。
「あら、それなら私だってサー・グリーンフィールドの子孫とテーブルを囲めて光栄ですわ」
「あら、グリーンさんやはりお金持ちの息子さんなんですか?」
あと私は天才ではない。
「現代ではそんなでもないよ。ゴドルフィンさんの言うように古くは爵位持ちだったらしいけど、とっくに返してしまったし。元々も田舎の農場主だし、それこそイングランドの魔術師ゴドルフィンの家系には負ける」
「亜衣南さんやっぱりいいところのお嬢様ですよね〜。そんな気はしました」
「まあ、ありがとう。育ちの良さを褒められるのは嬉しいわ。でも無粋なお話ですけれど財力で言うならやはりグリーンフィールド家の方が上よ。グリーンフィールドの名の通り、古くからの広大なワイン畑の領主なの」
「ワイン農場ですか」
「昔はね。今はどこにでもありそうなワイナリーの規模に落ち着いてる」
「いやぁ、私は日本の一般中流階級出身なので二人の話が異世界みたいに聞こえます。いいなぁ、かっこいい」
私の言葉に美納島さんもうんうんと頷く。彼女も一般家庭出身のようだ。
「私なんてさっきからすごい家系の二人と天才星川さんに囲まれてお茶の味すら分からない労働者家庭よ」
「あの、私天才ではないので!」
「天才じゃなかったら上級魔術同時に二つも使えないよ」
「そうよ、胸を張って」
「いやー目立ちたくないので天才呼びは本当に胃痛がします……」
「あら、そうなの?」
「それなら天才って持ち上げない方がいい?」
「はい。普通で、普通でお願いします……」
「わかった、普通ね」
「意外だなー。天才だから、あ、ごめん。才能あるからてっきりもっと取っ付き難い人かと思ってた」
「それは僕も同じ感想。でも星川さんそう言うキレキレの個性派じゃないよね」
「やー、ほんとのほほんと生きてきただけの人間なんで個性派とか程遠いです」
「そうだよね。個性で思い出したんだけど、星川さんの杖もう一度見たいな」
「あ、いいですよ」
杖をホルダーから抜き出し、みんなに見えるよう両端を両手で摘んでテーブルの中央で掲げる。
「わー、黒い石だ。かっこいい」
「素敵ですよねこの杖。私にはもったいないくらい」
「持ち手がチェスの駒みたいだね」
「そうなんです。チェスのクイーンかなと思ったので心の中でのあだ名が女王です」
「何度見ても惚れ惚れする造詣ね。職人さんの腕が確かな証拠よ」
「ほんと、こんな綺麗な杖作ってくれるなんて直接お礼言いたいですよ。会えるなら」
「杖職人に直接お礼か……その考えなかったな。僕、自分の杖の職人さん知ってるから機会があったら会いに行ってみる」
「わー、羨ましいです」
「星川さんも会えるといいね」
「そうですねえ、そう願います」
雑談をしていると、塙山さんが私たちのテーブルに顔を出す。
「はぁい♡」
「塙山署長」
「花御川ちゃんから聞いたんだけど、星川ちゃん杖の箱よく読んでないのよね。ごめんね〜、まさか本格的に魔術部署で採用すると思ってなかったから最初にするべき説明がほとんど後回しなのよね〜。今箱持って来ちゃって! 説明してあ・げ・る♡」
「ああ、わかりました」

 塙山さんとお茶のメンバーに会釈をして席を外す。人の少ない廊下を突っ切って私室に戻る。
「えーと」
制服の予備や内線の箱をしまっている洋服ダンスを開く。ダークブラウンの小さな木箱を見つけ、持ち上げる。底を確認するも、文字が書いてある場所はない。それなら箱の中だろうと、開けて蓋の裏を見る。
「あれ、ない」
蓋の裏じゃないならクッションの下かな? 戻ってから確認しようと思い、私は箱を持って廊下に出る。ふと、視線を感じる。見渡しても誰もいない。悪意はないので、悪いものじゃないだろうとは思うけど気味が悪くて自然と小走りになる。
(なんだろうなぁ)
食堂まで走って戻り、違和感に気づく。そう言えば、この時間だろうが食堂には職員が数人いるはずだ。調理担当の人とか、お昼休憩が遅くなった人とか。でもここには一人の職員もいなかった。
(戻って来る時、廊下にも人いなかった……)
怖くなってしまい、私は走り出す。
(どうして誰もいないの!?)
どこかでアーティファクトが脱走したのだろうか? 暗闇さんに助けを求めようか、と考えたところで曲がり角で人にぶつかる。
「あっ」
その人はよろけた私を咄嗟に受け止めてくれた。
「す、すみません」
よく見ると、相手は刻浦さんだった。ただし制服は着ていない。彼は黒のTシャツに襟の立ったベージュのコート、下はジーンズだ。黒色のピアスもしている。刻浦さん、私服はこんな感じなのかと思わず眺めてしまう。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ごめんなさい、ぶつかって……」
「迷子?」
「え? いえ、あの、職員を誰も見かけなくて少し怖くて……」
見渡しても相変わらず人はいない。まあでも、刻浦さんに会えたし怖さは和らいだなと思い彼に視線を戻す。
「刻浦さん、今日は私服なんですね」
「……」
「刻浦さん?」
彼はじっと私の顔を見て、顎に手を当てている。なんだろう?
「あの……」
「……なんでもない。送って行こう、こっちだ」
「は、はい」
刻浦さんの後ろを黙ってついて行く。本当に誰もいない……。変だな、と思いつつ中庭に差し掛かる。違和感を感じ、立ち止まる。私が立ち止まった事に気付いて、刻浦さんが振り返る。
「……どうかした?」
「こ、ここに収容されているはずのアーティファクトがなくって、あの」
中庭に植えられているはずのQ-f-0041『吸血樹』がなく、それどころか公園としてのベンチも設置されていなくて私は困惑する。違和感が強くなり私は青ざめる。違う、私の知ってる場所じゃない。
「ここ、どこですか?」
刻浦さんは私の腕を掴んで引き寄せると、唇の前で指を立てた。
「君は多分、迷い込んだんだと思う」
「ま、迷い込んだ……? でもあの私さっきまで普通に仕事してて……」
「何か、古い物に触らなかった? 古い時計とか、古い工具とか」
「ふ、古い物……? 私が触ったのはこの箱だけですけど……」
私は杖が入っていた木箱を見せる。彼は私が持ったままの箱を掴むと、頷く。
「原因はこれだな」
「え、これ古い物なんですか?」
「綺麗な状態で維持されているけど古い物だ。大きさとこの厚み……ああ、本体も持ってるな。杖の箱か、なるほど」
「え、えっと……」
「君は職員が誰もいないと言ったね? それから俺の名前も知ってる」
「え、ええと、はい」
「残念だけど、俺は君と初対面だ」
「えっ、そんなはずは」
「君は先の時間から来たんだろう」
「え。それ、あの、私がタイムスリップをしたって事ですか……?」
「知らずにね。この木箱は杖を封印するために何重にも魔術が掛けてある。杖の出し入れ以外で箱を開けたんだろう? ああ、答えなくていい。これ以上未来の出来事を持ち込むと危ない。猟犬に狙われるから。箱を開けた時に何かが動いたか、ずれたんだろう。君、杖を持っているなら魔術の心得はあるね?」
私は静かに頷く。
「目を瞑って、合図したら箱をもう一度開いて。開けた時に自分がいた時間、自分の知ってるここでの風景を思い出して。その方法で帰れるはずだ」
言われた通りに目を瞑る。刻浦さんが私の肩を叩いてから離れるのを確認して、箱を開く。静けさがより強まって、私は朝からの出来事を思い出す。人の声が聞こえて、私はぱっと目を開ける。立っているのは同じ場所だけど、人がいる! 安心して私はへたり込んだ。
「び、びっくりしたぁ……」

 しょぼしょぼとした顔で魔術部署に戻る。みんなまだお茶の途中だ、よかった。
「あら、早かったわねえ」
「ええ、まあ」
この短時間でタイムスリップしてました、なんて言えなくて黙って席につく。私は箱をテーブルに置いた。塙山さんは椅子を一つ持って来て私たちのテーブルに同席する。
「思ったより古い物だったみたいです、この杖」
「あら、そうなの? ちょっと見せてね〜」
彼女は箱の底を見る。
「あらほんと、古……いどころじゃないわね。なにこれ、すごいわよ」
「へ?」
私は塙山さんの手元を見る。さっきはなかったのに、箱の底にはちゃんと仕様が記載されたネームシートが貼ってある。ああ、箱の底に何もなかった時点で変だったんだなと思わず頷いてしまう。
「暗がりで見たせいもあって読めなかったんですけど、何年なんですか? 製造」
「記載が本当なら紀元前一世紀ごろね」
「きげ……え?」
思わず聞き返してしまう。西暦が始まるよりも前?
「そんなに古いんですか!?」
「すごいね」
塙山さんは箱の底を同席の三人にも見せてくれる。塙山さんとグリーンさんたちの発言が耳に届いた周りの職員も思わず私たちの手元を覗きに来る。
「記載は現代英語になってるけど、横にラテン語もあるわね。これ古典ラテン語なの。古典ラテン語は紀元前一世紀頃から二世紀頃までローマ帝国で使われていた物よ。製造年は現代英語でおおよそこの頃、としかないわね。詳しい日付まではわからないみたい」
さっきの出来事と言い、杖の製造年と言い私は天井を仰ぐ。
「ひえー」
「ダイヤを惜しげもなく使ってる時点で古そうだとは思ったんだ」
「……ねえ、ローマ帝国時代にチェスなんてあった?」
「その頃にこの駒の形のチェスはまだ成立してないはずよ」
「えっ、それってオーパーツじゃない」
そばにいた職員たちと塙山さんが各々好きに話しているのを耳にしながら、私は思わず顔を覆ってさっきの刻浦さんに心の中で助けを求める。
(刻浦さぁん! さっきの私何年にいたんですか〜!?)
普通に怖いです、杖がアンティークどころかオーパーツだったなんて。テーブルに肘をついて視界を戻すと、塙山さんがどこから取り出したのかルーペで箱をじっくり見ている。
「どうしたんですか?」
「うーん、そんなに成立が古い物なら魔術省の刻印でもありそうだなと思ったんだけど、ないのよねー」
「古すぎて刻印がないとかですかね?」
「それもありそうだけど、こんな歴史的価値の大きい杖を魔術省が把握してないはずがないのよ。でも私この杖の存在聞いたことすらないのよね……」
塙山さんはそう言いながら近くの職員に箱を手渡す。手渡された職員たちもルーペを使って箱をしげしげと観察している。
「塙山署長って魔術省の職員だったんですか?」
「ええ、そうよ。私もねえ、引き抜きなの」
「すげー!」
近くの同期が思わず叫んでいるけど何がすごいのかわからなくて、私はグリーンさんの袖を引っ張る。
「魔術省の職員だったことってすごいんですか?」
「うん、すごいよ。魔術省はそもそも魔術師、魔術のエキスパートたちがゴロゴロいるところだからね。そこに所属していたってだけで充分すごいんだ」
「はえー」
Aランク帯の職員って本当にすごいなぁ……。
「あら、そんなことないわよ〜♡ でも素直に受け取っておくわねー、ありがとう♡ で、どう? 刻印」
「どこ探してもないですねえ。箱の中にはないだろうし」
塙山さんに聞かれた、箱を調べている職員が答える。さっきの出来事を思い出し思わず私は慌てる。
「そ、そうだ。あの、その箱なんか厳重な封印が何重にもしてあるってさっきちらっと聞いて……不用意に開けると危ないかもしれないです……」
「あら、本当? 封印はしてあるけど危ない物かしら?」
「いや危ない封印は……ないかな。しかしこれ緻密な魔術ですねえ……。細かいなぁ、手間かかってる」
「これ、箱も価値高いわよー」
「ひえーん、なんでそんなすごい杖が私のところにぃ」
「そこよねえ?」
塙山さんは首を傾げる。
「そもそもこんな価値の高い、いいえ、高すぎる杖をどうやって現代まで失われずに所持してたのか、とか。魔術省が把握してないはずないから、把握してたとしてたら持ち出し禁止の封印沙汰だっただろうし、とか。それなら元の場所から持ち出したのは誰かしら? とかねえ?」
ルーペで箱をよく観察していた職員さんが、光にかざしていると何かに気付く。
「あー、危ないの意味わかりました。少しだけどほつれてますね」
「げっ、修繕しなきゃじゃない」
「今俺がやりますよ。お星様、箱借りるね」
「は、はい!」
職員さんは壁を抜けてどこかの部屋に入ってしまう。
「古い魔術だから綻びが出たのね」
「ああ、それで……」
さっきの事態に……。塙山さんは私の呟きを聞いて、うん? と不思議そうにする。気を取り直そうと首を横に振る。
「魔術ってほつれるんですか?」
「どうしても綻びは出るわよ。仕方ないわ、服の糸がほつれちゃうのと一緒」
「なるほど……」
グリーンさんが出て行った職員を目で追ってから塙山さんに視線を戻す。
「あの、署長」
「なぁに?」
「夏縞(かしま)さん、さも当たり前のように直すと言ってましたけど封印の補修魔術って相当高度な技術では……」
「だって彼、その道のプロだもの。私と一緒で魔術省の引き抜きよ?」
グリーンさんは思わずと言った感じにのけぞる。
「すごい」
すぐに夏縞さんが戻ってきて、箱を手渡される。
「はい、終わったよ」
「ありがとうございます!」
「この短時間で修復を……?」
「一箇所だけだったから」
「いや、そう言う問題では……」
「グリーンさん、是非そのすごさを解説してください。私ちっともわかってないので」
「ああ、えっとね。蜘蛛の糸ってさ、粘り気があって細いよね」
「はい」
例えを使いながらグリーンさんは身振り手振りも交えて解説を始めてくれる。
「封印魔法って言うのは、魔力を細い糸状に練り上げたもので編み物をする感じなんだ。その細くて粘度のある糸を杖の先端でつまみあげてほつれたところだけを直す……って言ったら伝わるかな?」
「伝わりました。すごく集中力と技術のいる作業なんですね……」
「あらぁ、よく知ってるわねえグリーンフィールドくん」
「本の受け売りです」
「伊達に成績一位で抜けてきてないわねえ」
「ありがとうございます」
私はすごい仕事をさらっとこなしてきた夏縞さんを思わず見上げる。
「プロってすごいですね……」
「ん? 覚えれば誰でも出来るよ?」
「出来ませんよ……」
「こ、これだから魔術省出身は……」
私たちの同期と周りの職員が思わず呆れる。呆れられた本人は塙山さんと顔を見合わせる。
「誰でも出来ますよねえ?」
「そうねえ、覚えれば」
「いやいや、無理ですから」
「まず魔力を一ミリもない細さに出力する段階でしんどいですから」
「紐状の魔力……。もしかして星川さんがイグニス苦手なのって」
「はい?」
「……放出してる魔力の形が独特だから?」
「ま、魔力の形ってなんですか?」
「放出された魔力は個人によって形が違うって言う学説があるのよねー」
「へえ。じゃあ、そのせいで私のイグニスはひらひらしちゃうんですかね?」
「いやぁ、その理屈はおかしいんじゃない? だってお星様フレイマは撃てるじゃない」
「え、うーん。そうなんですけど」
「術を覚えればある程度出力する魔力のコントロールは可能になるから、フレイマが出来るならイグニスも出来るはずよ。でもそうじゃないから、恐らく原因は他でしょうね」
みんなで首を捻っていると、後ろで壁をノックする音がした。
「失礼するよ」
「刻浦さん!」
私は思わず彼に駆け寄る。刻浦さんは藍色のスーツだった。黒いTシャツではない。
「ああああのあのあの、さっきなんですけど私えっと黒いシャツの刻浦さんに」
「しー、その話は後で」
「えっでも」
「あれは今日の君だったんだね。詳しくは二人だけの時に話そう。塙山くん、ちょっと」
「あら、私にご用?」
「君と星川くんにね」
「あらまあ。時間かかります?」
「一分で済むよ」
「わかりました。みんなはお茶の片付け始めててちょうだ〜い♡ 休憩終わりにして訓練再開するわよ〜」
みんながやれやれと片付けを開始する中、私たち三人は壁に向かう形で話し合いを始める。刻浦さんは塙山さんに何かの書類を渡す。
「精密検査の結果が出たんだけど、星川くんやはり極点型だったみたい」
「ああ、そんな気はしてたのよね〜」
「極点型ってなんですか?」
「魔術士の能力傾向と言ったらいいかな。君は一つの属性に特化したタイプでね、他の属性の魔術はほとんど覚えられないんだ。詳しくは塙山くんに聞きなさい。私の用事はそれだけ」
「あ、あの」
「あの話はお昼に食堂で」
「……わかりました」
「すまないね、今日は珍しく忙しくて一分も惜しいんだ。では」
「お疲れ様です〜」
刻浦さんはタブレットを使いながら魔術部署を歩いて出て行く。今話して頭を整理しておきたかったけど、お昼に会えるならいいか……。はあ、と溜め息が漏れる。塙山さんに促され、私はお茶の片付けに加わった。

 他の同期が同じ訓練を再開している頃、私とグリーンさんは塙山さんと夏縞さんに呼ばれ隣の小さな訓練場に呼び出された。
「星川ちゃんなんだけど、極点型だったの」
「ああー」
「なるほど、それで……」
「自分の属性の魔術しか覚えられない、んでしたっけ?」
「そうよー。極点型は十万人に一人くらいしか存在しないの、かなり珍しいのよ。さっき刻浦署長が言った通り、自分の属性以外の魔術はほとんど獲得出来ないと言われてるの」
「じゃあ私今やってる訓練意味ないですよね……」
「なくはないんだけど、別属性の魔術の習得に並みの人間の五倍から十倍時間がかかると言われてる」
「ぎょえー」
「そう。だから他の職員と連携する訓練はするけど、別属性を覚えるより自分の属性をバンバン伸ばす方が星川ちゃんには向いてるから、方針を変えるわ」
「そ、それならグリーンさんは他の方と訓練した方がいいのでは……」
「さっきちらっと口にしたけど、グリーンフィールドくんは新卒の中では魔術試験の成績がトップなのよ。バラしちゃうけどオール満点ね」
「グリーンさんやっぱり天才じゃないですか〜」
「本読むのが好きなだけだよ」
「ええ〜」
「ほーら、説明の途中。成績トップの同期と私、夏縞くんで連携しながら今後は訓練するから頑張りなさいってこと」
こっちでもエリートに揉まれながら訓練するのか……。
「頑張ります……」
「さて、じゃあまずは星川ちゃんの能力傾向を見ましょう」
 塙山さんにもらった呪文の本と辞書を見ながら、私は火属性の魔術を等級に関係なく片っ端から唱え始める。三人は壁際に立ち私を見守っている。
「カストルム・フレイマ!」
炎の砦、成功。
「カストルム・インファーヌム!」
業火の砦、成功。
「イグニス・クレイペウス!」
火の盾、成功。
「本当に等級関係なく唱えるだけで成功しちゃってるわね……」
「火属性に関してはおっそろしい才能ですね」
「星川さんすごいと言うか怖い……」
「フレイマ・クレイペウス!」
炎の盾も成功。
「えっと……あれ? インファーヌム・クレイペウスはないんですか?」
「ないわよー」
「そうですか。次は……ドラコ…なんですかこれ?」
「ドラコ・スピリタス?」
「はい」
「それはねえ、火属性最高峰の魔術。翻訳すると竜の息吹よ。文字通り竜の炎を模倣した魔術」
「おお、かっこいい〜」
「その魔術ちょっと特殊だよ。杖からじゃなくて自分の口から火を噴くんだ。うっかり自分の手を燃やさないよう気をつけて」
「はい。……ドラコ・スピリタス!」
天井に向かってふうっと息を吹いてみると、寒い時の白い息のようなもわもわの炎が口から出てくる。竜の息吹にしては威力が低いような……。
「いや、よわっ!」
肩透かしを食らった夏縞さんが思わず突っ込む。
「ふー、ふー。……もっとゴォーって出ないんですかね? これ」
「インファーヌム以上にゴーゴー出るはずよ、本来は」
「うーん、これも失敗なのか……」
「……星川さん、もしかして攻撃魔術が不得手なのかな」
「あり得るわね」
「火属性、防御特化ってこと? 火属性って攻撃傾向強いのに変わってるな……」
「次、サエペム・コイチやってみて〜。意味はバリケード!」
「はい! サエペム・コイチ!」
地面から青色の厚く透明な壁が生えて、すぐ消える。
「ああ、そっかこれもクレイペウスと一緒の操作方法かっ」
「それはクレイペウスの上位互換だよ。中型結界ってやつ」
「盾、バリケード……あれ? 砦って結界系の上級魔術ですか?」
「あら、自力で気付いたの偉いわねえ〜♡ そうよー。ただのカストルムもやってみて〜」
「はい! カストルム!」
炎を纏わない青い防壁が私の周りを球状に囲む。
「おお、出来た」
「防御魔法は一通り出来るみたいね。星川ちゃんは休憩しましょう〜。さ、グリーンフィールドくんは交代で私と訓練ね」
「はい、よろしくお願いします」
「よろしく〜♡」
夏縞さんがさっとセッティングしてくれたテーブルで、私は水を飲む。
「美味しいー」
「火の魔術は体温上昇するもんな。喉も乾くよ」
「はい」
「……ああ、そうだ。お星様ちょっと俺の手元見てて」
夏縞さんはテーブルに杖で何かを書いてから、自分のコップの水を少量垂らす。水がスーッと動いて夏縞さんが書いた文字が浮かび上がる。ボールペンみたいな細い字で練習って書いてある……。
「わー、すごい」
「封印魔術に必要な技術はこうやって魔力で文字を書いて訓練して、水とかインクを吸わせて確認するんだ」
「ほうほう」
「今ちょっと試しにやってみて」
「え、私がですか?」
「うん」
「ええー、出来るかな……」
私は杖をペンのように持って書く文字を考える。自分の名前でいいかな? 星川光……と。書き終えると夏縞さんが横から水を垂らす。水は一瞬だが私の名前を浮かび上がらせ、すぐ蒸発してしまう。
「出来てたな」
「文字になってました」
「今筆文字みたいだったから、もっと細い文字にしてみて」
「ええと、はい」
もう一度名前を書こうと杖を持ち直す。もっと細く……。書き終わって、水が垂らされる。文字はすぐに蒸発するが、さっきよりは細く出来ていたようだ。
「うーん、出来てるな……」
「ええと、今は何を試してるんですか?」
「あー、うん。イグニスが塊にならないって言うから出力の操作が下手なのかと思ったんだけど、加減は出来てるみたいだから違うなと思って」
「なるほど」
「なんだろなぁ……。インファーヌムは撃ててイグニスは撃てない……うーん」
練習を一旦終えた塙山さんとグリーンくんが私たちのところへ来る。
「お茶頂くわねー」
「どうぞ。署長、お星様出力操作は出来てますよ。むしろ上手いぐらい」
「あら、本当?」
「二人にも見せてあげて」
「あ、はい」
文字を書いて、水を垂らす。私の名前が浮かんでは消える。
「あら、本当」
「ほ、星川さんこの短時間で封印魔術の技術まで獲得してる……」
「あら、グリーンフィールドくんも出来るでしょ?」
「いや、ぼ、私は全然」
「見ててやるから今やってみ?」
「で、出来ませんよ……」
そう言いつつ、グリーンくんも杖をペンのように持って文字を書く。夏縞さんが水を垂らすと、文字はちゃんと浮かび上がった。筆記英語らしく、すぐには読めなかった。ハッピー、かな?
「ああ、あれ? 出来た!?」
「出来てるじゃん。言ったっしょー? 誰でも出来るって。ねえ署長?」
「封印魔術は魔力操作の練度が高ければこなせるからねえ。要は練習よ」
「ぼ、僕学校卒業前はちっとも出来なかったんです!」
「あら、じゃあ訓練が身に付いたのねえ。よかったじゃない」
「グリーンくんさっすがー」
グリーンくんは目をキラキラさせた後、隣に座っている夏縞さんの腕を掴む。
「あ、あの夏縞さん!」
「どしたよ?」
「ぼ、僕本当は封印魔術に憧れてたんです! ご指導いただけませんか!?」
「あー……俺はいいけど、どうします署長?」
「いいんじゃない? 弟子にしたら?」
「ほんじゃよろしく」
「よろしくお願いします! やったぁ!」
「じゃあグリーンフィールドくんは部署内異動ね」
塙山さんや夏縞さんが淡々としている横でグリーンくんは満面の笑みを見せている。笑うと年相応の顔を見せる彼を見て、私も笑顔になった。
「よかったですね」
「はい!」

 お昼になり、私はグリーンさん、亜衣南さん、美納島さんと食堂へ移動する。本当はみんなと食事をしたかったが、刻浦さんと待ち合わせているのでサンドイッチと飲み物だけを買い委員会のオフィス方向の出入り口近くに席を取った。
「……まだかな」
二十分待ったが刻浦さんは姿を見せない。飲み終わってしまったコーヒー牛乳のパックを畳んでゴミ箱に放り投げる。パックは綺麗な放物線を描いてゴミ箱に入った。
「ナイスシュート」
「駿未さん」
「やあ、星川さん。なんか暇そうだね」
「刻浦さんを待ってるんですけど、なかなか来なくて」
「あらま。……そう言えばあのメンバーで固まってたな今日」
「お忙しいとはおっしゃってました」
「うーん、じゃあ刻浦署長が来るまで僕がお相手しようか」
「あら、ありがとうございます。いいんですか?」
「いいよ暇だし。お昼取ってくるから待ってて」
「はーい」
数分して駿未さんが戻ってくる。
「やあ、お待たせ」
「はーい。刻浦さん遅ーい……」
「お昼になってから三十分ぐらい経つねえ。珍しいね彼が忙しくしてるなんて」
「さっき一分も惜しいとおっしゃってました」
「へえー、珍しい。刻浦署長って仕事詰め込むの嫌いで有名なのに」
「そうなんですか?」
「そうなんですよお。本人もよく言ってるし」
「あら、可哀想に」
「刻浦署長と待ち合わせってことはマニュアルの件? それとも上司と部下的な話?」
「どっちでもないです。個人的な話で……」
「おや、珍しい」
「今日じゃない方がよかったですかねこれは……」
「タイミングが合わない時もあるよねえ」
駿未さんはきつねうどんに口をつける。こんなに待つなら私もお盆物のしっかりしたご飯食べればよかったな。私の気持ちを表すかのように、お腹がキュウッと鳴る。
「あれ、星川さん食べてないの?」
「食べました、サンドイッチ一個」
「お腹空くんじゃない? 他のもの注文してくれば?」
「うーん……どうしよう」
ずるずるっとうどんを啜った後、駿未さんはトレーの上にあった柔らかいプリンを差し出してくる。
「じゃあこれ食べてなよ」
「いいんですか?」
「僕はもう一個注文するから」
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて……」
柔らかいプリンを突く。うーん、甘い。ゆっくり口に運んだプリンも完食してしまい、私はいよいよ暇になる。
「刻浦さぁん……」
「星川さん可哀想に。内線かける?」
「そこまで逼迫した用事じゃないので内線かけるのはちょっと……」
「でもだいぶ待ってるしさぁ」
「そうなんですけどぉ」
天井を仰いでいると内線の小さな音と振動に気付き、私はパッと電話を取る。
「はいっ星川です」
「刻浦です。星川くん、ごめんね。待たせているよね」
「ああっいえいえ! 刻浦さんお忙しいなら明日でも全然構わないんですけど」
「いや、これから降りるからあと数分だけ待っていてくれるかな」
「わかりました」
「うん、じゃ。あ、待って。……星川くんだけど、代わる?」
電話の向こうでごそごそと言う音がする。
「ごめーん星川さん! 本当にごめんね! 会議伸びちゃって!」
この特徴的な話し方は太刀駒さんだ。
「いえいえ、大丈夫です」
「降りたらボクからもお詫びするから! ごめんね! じゃっ!」
「はい、またあとで」
次の言葉が来ないのを確認して電話を切る。ふう、と溜め息が漏れた。
「よかったね、連絡ついて」
「はい」
「じゃ、僕はこれで」
「暇つぶし付き合ってくれてありがとうございました」
「いえいえー」
駿未さんと入れ替わるようにスーツ姿の刻浦さん、太刀駒さん、白い迷彩服のイーグルさんが顔を出す。刻浦さんはいつもの鉄面皮ではなく、やや悲しげな顔をしていた。
「星川くん、本当にお待たせ」
「星川さんごめんね〜! 本当にごめんねっ! ボクが連れ回しちゃったんだ! お詫びするよ! 何がいいかなっ!?」
「お疲れ様です。そしたらお昼軽かったのでお茶菓子を一つ頂ければ……」
「わかった! よし、我々もお昼をゲットしよう!」
「そうだね……流石に私も疲れたよ今回は」
「本当にお疲れ様だよ〜」
話しながら三人はカウンターへ向かう。全員がトレーを抱えて戻ってきて私のテーブルに座る。太刀駒さんに購買の高いクッキー、刻浦さんから紅茶をもらったので三人が食事を口に運ぶのを見ながら優雅にティータイムだ。
「このクッキー美味しいです」
「よかった〜!」
「お忙しい時にすみませんでした刻浦さん」
「いや、こちらこそ申し訳ない」
刻浦さんはハンバーガーを三つも購入していた。刻浦さんってスタイルいいし健康に気を使っていそう、と勝手に思っていたけどそう言えばお昼ご飯にジャンクフードを選ぶ頻度高い。ハンバーガー好きなんだろうか?
「刻浦さんってジャンクフードよく食べてますね」
「昔の反動でね」
「反動?」
「実家が裕福だって話はしたよね。毎日フレンチのフルコース食べててご覧。同年代と食生活違いすぎてね、学生の頃から食事方面でグレたんだ」
「あらぁ……」
「今もうフレンチ食べたくないくらい苦手でね。あの勢揃いした銀のカトラリーも見たくないよ」
「カトラリーってなんですっけ?」
「ナイフとかフォークのことだね〜」
「ああ、なるほど。なんと言うかお気の毒に」
刻浦さんはチーズバーガーを食べ終え次のテリヤキバーガーを口に入れる。私は紅茶を飲み終えてしまったのでのんびりしている。すると、イーグルさんが缶の野菜ジュースとコーンポタージュをそっと机に乗せて両手で差し出す。
「え、いいんですか?」
イーグルさんは頷く。
「さっき自販機で当たりを引いたんだよね、イーグルくん」
太刀駒さんの言葉に彼はもう一度頷く。
「あら、じゃあ遠慮なく頂きます。ありがとうございます」
なんとなくコンポタを選んで太腿のポケットに仕舞う。午前中から飲み物を大量に飲んでいるのでさすがにお腹がたぽたぽだから、今はいいや。
太刀駒さんとイーグルさんはまだ用事があるとかで、食事も早々に席を立ってしまう。手を振って二人を見送り、さて、と私と刻浦さんは顔を見合わせる。
「刻浦さんって昔はTシャツにジーンズだったんですね」
「今も休日はああ言う格好だよ」
「へ〜、意外です」
「そう?」
「はい」
私は両手で頬杖をついて、どこから聞こう? としばし無言になる。
「うーん、さっきは色々聞こうと思ったんですけどよく考えたら何をどう聞いたらいいのかさっぱりです」
「ああ言う事象が起きた時、過去の事は未来に持ち出してはいけないし、未来の事も過去に持ち出してはいけないと言う暗黙のルールがあってね」
「そうなんですか?」
「うん。時の順行に逆らうと番犬に狙われる。星川くんはほんの数分の“旅行”だったから影響力が少なくて、番犬に狙われずに済んだけど、危ない状況ではあったよ」
「そうだったんですね……今後は気を付けます」
「今回は事故だから仕方ないよ。気を付ける、とは言っても巻き込まれた場合はどうしようもない。出来るだけ魔術に詳しそうな人間と早めに接触して元の時間に帰るしかない。そう言った意味では接触したのが私でよかったね」
「私、何年ぐらい前の過去に飛んだんですかね……」
「うーん、具体的に教えてあげたいけど秘密にしたいかな」
「どうしてですか?」
「私の歳がバレちゃう」
「えっ」
刻浦さんは口元を押さえている。笑いを堪えているような雰囲気を受け取り、私はぽかんとする。
「お、お幾つなんですか? 刻浦さん」
「内密にしておいてくれると助かるんだけど」
「言いふらしません」
「じゃあ、ヒントをあげる。君が現れたのはこの施設が稼働する直前の春」
「ここが稼働する前……?」
タブレットを取り出し、会社のホームページに飛ぶ。表向きには地下プラント施設と言うことになっている薄いページを飛ばし、概要を見る。えっと設立……三十九年前!? その時には刻浦さん成人してるから……待ってこの人六十前後!?
「み、見えない……」
刻浦さんが顔を近付けるよう示したので、顔を寄せる。彼は手で口元を隠して私に耳打ちをする。
「総務のご婦人方いたでしょう?」
「はい」
昨日会ったばかりの大体五十とか六十くらいのおばちゃんたちを思い出す。
「私、彼女たちと同期なんだよ」
「ぎええ……そんな歳にはとても見えません……。加奈河さんの話からしたって四十か五十くらいかと……」
「加奈河くんは息子みたいな年齢だし、星川くんたちに至っては孫みたいな年齢でね」
私が頷くと刻浦さんは顔を離す。私の中で刻浦さんのイメージがお父さんからお爺ちゃんに更新されてしまった。あのナデナデは孫的なニュアンスだったのか、と勝手に納得する。
「そうだったんですか〜」
「内緒ね」
「はい、内緒にします」
「内緒でもう一つ。“旅行”の話も内緒にしてね。人に言いふらしてはいけない。もちろん0083にもだ」
「だ、ダメなんですか?」
「駄目だよ、絶対にね。当事者の私と君以外にこの事実を周知させてはいけない。旅行した、と言う事実が露呈するだけで君に危険が及ぶ」
「ひょえ……わかりました……」
刻浦さんは時計を確認すると天井を仰ぐ。
「ああ、私もそろそろ行かないと」
「今日はお忙しいんですね」
「うん、午前は外部から客人が来ていてね。午後からようやく通常業務だよ」
「あらぁ、お疲れ様です……」
「ありがとう。星川くんは魔術部署どうだい?」
「言い方が合ってるかわからないんですけど、楽しいです。同期の人とも挨拶出来ましたし」
「そう、それならよかった。……肝心なことを忘れていた、杖の箱は?」
「あ、ええと。なんだか封印魔術に綻びがあったとかで、さっき直してもらいました」
「そう、わかった。ふむ、それなら心配事は消えたかな?」
「はい、大丈夫だと思います」
「よかった。さて、じゃあ仕事へ戻るか……」
「頑張ってください……」
「ありがとう。ではね」
「はい」
食堂を出て行く刻浦さんの背中を見送り、視線を感じた方向に顔を向ける。暗闇さんが身体ごとこちらを向いている。もうじと〜っとした目をして。やれやれ、と肩を竦めながら彼の元へ近付く。0083部署のみんなもまだお昼を終えてすぐなのか、ゆっくりしていた。
「星川さーん!」
「こんにちはー」
「こんにちは……」
「おのれ刻浦め……」
「もー、ヤキモチ焼かないでください」
「妬くよ! なんか親密そう〜に話してたじゃない!」
「この後の休憩時間を全部暗闇さんに使いますからー」
「……それなら許す」
「お前、本当にちょろいな……」
「星川さん限定でね」
私は近くの椅子を借りて暗闇さんのすぐ隣に腰掛ける。暗闇さんは私の右手を握って持ち上げて、頬を寄せた。私は親指の腹で暗闇さんの頬を撫でる。彼は気持ちよさそうに一度目を閉じた。
「刻浦さん制服じゃなくてスーツでしたね?」
「あー、そうですね」
「隣にいた人もスーツでしたよね?」
「ああ、太刀駒本部長のことですか? そうですね」
「本部長、太刀駒さんって言うんですか? ふうん」
佐井登さんがずいずいと私に顔を近付ける。なんだろう?
「星川さんの新しい仕事の方々、な〜んか偉い方々な気がするんですけど」
「……あー、なるほど?」
「とぼけちゃってぇ! あの人たちあれなんじゃないですか? 噂の〜ほら〜」
「署長さんが多いのは確かですけど、ええと」
私は嘘を吐かない範囲で適当にはぐらかそうと考える。流石に関わっている人たちが委員である事は伏せたい。私は口の横に手を添えて佐井登さんに顔を近付ける。彼女だけでなく、他のメンバーも耳を近付ける。
「私がする次の仕事、緊急マニュアルの添削なんですよ」
「えっ!」
「しー、内緒です」
「あっごめんなさい」
「なるほど、エリートばかりなのはそう言うことか」
「内緒にしてくださいね?」
「私は口が軽いからうっかり喋るかもよ」
「ダメです」
「はいはい、わかりました」
「マニュアル作成の仕事も……あったんですね……」
「マニュアル作成のお仕事は人選が独特らしくて、社内でも秘密なんです。だから内緒にしてくださいって言われました」
「内緒にしまーす」
「お願いします」
「なんだー、すっかりお偉いさんたちだと思ってました、私」
「Bランク帯とAランク帯しかいないのは本当なんですけどね、残念」
(佐井登さんの直感当たってるけど教えられないですごめんなさい……)
「星川さんまだCランクじゃない」
「今後に期待と言う形でのチョイスですね私は……」
「ああ、大活躍したから?」
「そんな感じです」
みんなが納得したところで私は胸を撫で下ろす。暗闇さんは若干納得いかないようで眉間に皺を寄せている。
「ところで」
「はい」
「警備員に何かもらってたでしょ」
「ああ、これですか」
私はポケットからコンポタを取り出す。
「自販機で当たりが出たんですって」
「ふーん……」
ポーションのこともあってだろうか、彼は受け取ったコンポタをじっくり観察している。
「普通にコンポタですよ?」
「どうだか」
「なにがですか〜?」
「こっちの話。怪しいから念のため預かっておいていい?」
「いいですけど……なんなら飲んでもいいですよ? 暗闇さん」
「遠慮しとく」
暗闇さんはスラックスのポケットに缶をしまう。私たちが和やかに話しているのを、通りかかった駿未さんが遠目に見ていた。

 カメラに唯一死角がある、あの廊下。刻浦さんは普段の制服に着替えて壁に寄りかかり仕事用のタブレットをいじっている。そこへ駿未さんがやって来て彼の隣に立つ。
「刻浦さん」
「ん?」
「あれほっといて大丈夫?」
「酷く暴走しないように見張ってはいるよ」
「目的と手段が逆転してるんだよねえ彼」
「仕方ないよ、初恋だし」
「……あれやっぱり本気?」
「本気だろうね。そもそも、星川くんの性質が原因だから彼を責める必要はない」
「いやまあ責める気は一切ないけど。多少落ち着いてほしいくらいで」
「落ち着いた恋なんてないよ。落ち着いてたら愛情だ。恋しい乙女の為なら国だって傾く、昔からそうだ」
「星川さんの性質って生まれ持った方?」
「いや、彼女自身が獲得した人格と経験の賜物だよ。彼女は他の人間と違ってアーティファクトだから人間だからなんて区別をつけない。穏やかな相手には穏やかに、こちらに危害を与える者なら敵対する。ただそれだけ。実際、彼女がアーティファクトと本格的に接するようになってからどこも脱走の回数は激減しているだろう? 火の鳥あたりが顕著かな」
「それはまあ、知ってますけど」
「君だって星川くんは気に入っているだろう? ナイルは恋をした。それだけだ」
「……それを言うなら刻浦さんだって彼女が気に入っているんじゃない?」
刻浦さんは彼を知らない人にもわかるくらい、明確に頬を持ち上げる。その横顔を見た駿未さんは目を丸くする。
「私は君たちより先に星川くんに会ってるからね」
「僕らより前って……いつ?」
「この施設が稼働する年の春先」
「……それ不可能でしょ。何年前だと思ってるの? 僕どころか太刀駒さんだって生まれてないじゃない」
「不思議の国のアリスだよ。“穴に落っこちた”んだ」
「まさか、そんなことしたら猟犬に……。刻浦さんもしかして最初からそのつもりで?」
「うん。私が介入していなかったら彼女はここにはいないよ」
「ええ……刻浦さんまで味方にしたのあの子? 初耳なんだけど」
「ナイルが干渉を決める前から私は個人的に動いていたからね。文字通り年季が違うよ」
「じゃあ、星川さんをどうこうする気はないってわけ?」
「無下にはしないよ」
「あら、そう」
「安心した?」
「まあね。彼女はいい子だし、僕も嫌いじゃない」
「我々みたいな者に愛されやすいんだよ、彼女は。そして彼女も我々を無下にはしない。五百年先も千年先もそれは変わらない」
「まるで万国から愛されるお姫様だね」
「その例えはあながち間違っていないよ。さて今後だが、ナイルの警戒が解けるまでは必要以上に彼女に干渉はしない。しばらくはゆっくりしててくれ」
「んー、わかりました」
「いい子だね」
「同類相手に親目線やめてください」
「ははは」

 お昼を終え再びグリーンさん、塙山さん、夏縞さんと魔術部署へ赴く。私は部署内の更衣室で塙山さんに渡された特殊なスーツに袖を通す。姿見を確認すると古いロボアニメの操縦士のような、競泳の水着のような見た目になっている。身体のラインが全て出てしまうので結構恥ずかしい……。その格好で訓練場へ戻る。自分でも恥ずかしかったが同年代のグリーンさんには刺激が強かったようで即座に目を逸らされてしまう。
「あら〜似合うじゃない耐火スーツ。可愛いわよ〜♡」
「ぴったりしすぎじゃないですか? これ」
「苦しくなければ大丈夫よ。ささ、訓練の続きしましょう」
 私は練習用の木の人形に杖を向ける。塙山さんたちは魔力で作った衝立の向こう側で待機。これから私は人形相手に最大出力の火をぶつける。
極点型には明確な特徴がある。自分の属性以外の魔術を極端に覚えられないこと、自分の属性魔術ならすんなり覚えられること。そして最大の特徴は魔術の最大出力が一般の比ではないことだ。
人形を睨んだまま指先と杖に集中する。私の周りの空気が反応して熱くなっていく。部屋の中で温度差が生まれ風が起こる。耳元で何かの囁きが聞こえる。
『貴女は火』
ああ、そうか。ずっと教えてくれていたのね。
(私は火)
『貴女は星。原初の熱に通ずる者』
(私は星。古き熱に通ずる者)
『そうよ。好い子ね』
集中が最高潮に達する。
「──イグニス」
火炎は杖の先から生まれ踊りの子のように舞い、収縮する。収縮した場所から火は一直線に人形に向かって放たれた。反動が強くて仰け反りそうになった私は踏ん張る。炎は人形の上半身を燃やし尽くし消失させてしまった。私は動かなくなってしまった人形を見て慌てる。
「に、人形さーん!?」
衝立の向こう側にいた塙山さんたちは私の圧倒的な火力を見て若干引いていた。
「イグニスであんな威力出ます?」
「普通、無理ね」
「単純に威力が足りなかったんだ……」
「にしても火炎放射器以上ですねあれ」
「そうね」
「う〜、あっつい」
「あ、スーツ上半身だけ脱いでいいわよー」
「はーい」
塙山さんに手伝ってもらい耐火スーツを脱ぐ。スーツ用のインナーだけになり呼吸が楽になったので大きく息を吸う。
「ふう」
「凄かったわね〜星川ちゃん。イグニスであの威力だとフレイマとインファーヌムが怖いわね」
「自分でも考えたくないです、最大出力のインファーヌム……」
「練習するにしてもここじゃまず無理ね。野外の大きな練習場借りないと……その場合日本領だと難しいわ。アメリカ領とかイギリス領行かないと」
「ひえー」
「さ、水分摂りましょう。グリーンフィールドくんは人形交換するまで待ってて頂戴ねー」
「わ、わかりました」
テーブルとお茶のセットを用意してもらい、私はコップに注いだ水を飲み干す。
「ぶはぁ、美味しい!」
「まあ、疲れるよね。最大威力出したし」
「はい」
「杖は大丈夫? 思いっきり火噴いてたけど……」
「はっ確認してなかった!」
ホルダーから杖を取り出す。相変わらず綺麗だ。傷とかはないように思う。
『あら、わたくしそんなにヤワじゃなくってよ?』
「ふぁ」
「どうしたの?」
「い、いいえ」
(この声もしかして……)
『まあ、誰だか分かっていなかったの? すぐ近くにいるのに』
(す、すみません)
『いいわ、赦して差し上げる』
(ありがとうございます)
「……大丈夫みたいなので、後でよく磨いておきます」
「うん、そうだね」
『全身くまなく磨いて頂戴ね』
(はい)
『好い子』
杖に対する女王の印象は間違っていなかったようだ。彼女は気高い女性そのもの。三千年を経て私のところにやってきたオーパーツ。きっと永い時の中で人格を獲得したのだろう。でも、あの風のような音が彼女の声だったとすると妙だ。手元に彼女が来る前から聞こえていたんだから。……後で色々聞いてみよう。
塙山さんたちが人形の交換を終えてお茶の席に加わる。
「あの、ダメになっちゃった人形って直すんですか?」
「いいえー? ダメになったら廃棄よ」
「ひええん」
「練習用の人形は消耗品だし普通のことっしょ」
「でも動いてる人形なのにぃ……」
『わたくしと貴女の火を受けて果てたのなら彼も本望でしょう』
「それは慣れた方がいいよ、星川さん」
「そんなぁ……。人形さんごめんね……」
「……今後星川ちゃんの練習には木の丸太でも使おうかしらね」
「人形に心が痛んじゃうならやめた方がいいっすね」
『貴女、少し優しすぎてよ』
「うう……」

 結局、下手っぴなイグニスは威力不足と言うことが判明し私はイグニスの練習に集中。グリーンさんと連携して火を点けたり消したりする訓練を繰り返し行い終業となった。
私は遅めの夕食後、私服に着替えて暗闇さんの部屋に顔を出す。
「やあ星川さん」
「こんばんは」
「練習どう?」
「いい感じですよ」
「ハグしよ星川さん」
「まあ」
照れ笑いをしつつ私は暗闇さんの腕の中に収まる。
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
「星川さんの顔が見れる時間が少ないのやっぱり不満」
「まあそうだろうなーとは思います。私も頑張って早く魔術士試験合格するんで、辛抱してください」
「応援するよ」
「ふふ、ありがとうございます」
 他愛のない話をして部屋を出る。私室に戻ろうとした時。廊下の突き当たり、非常口の緑の明かりがうっすら見える暗がりにいつの間にか人が立っていた。その人はいわゆる時代劇の侍の風態。灰色の着物に椿柄の派手な羽織りを左肩にかけている。顔はわからない。浪人笠と呼ばれる大きな編み笠を被っているから。
「灯りを、頂けますかな」
彼は私に話しかけた。声は何と言うか、普通の男の人だ。
「灯りを、頂けます、かな」
聞こえていないと思ったのか、相手はもう一度同じ言葉を口にする。いやいやいやこんなホラー映画みたいな状態で落ち着いていられる!? と頭の一方では酷く怖がり慌てる私と、敵意は今のところないな。と、一方では酷く覚めた私がいる。
「灯りですね、ちょっと待ってください」
葛藤は落ち着いた私が勝った。ホルダーから杖を取り出す際、私は無線をいじって一方的に本部へ音声が届くようにする。きっと誰かしら異常に気付いてくれるはずだ。杖の先に小さな火を灯す。私はゆっくり侍に近付く。灯りで彼の様相が顕になる。かなり大柄。身長二メートルくらいあるかも。濃い灰色の着物にはところどころ返り血のような物が付いている。怖いので血はあまり見ないようにする。腰に差している刀は一本。白椿の羽織りは暗がりでもよくわかる鮮やかなオレンジと赤と緑だ。この場合オレンジは橙色と呼んだ方がいいかもしれない。
「灯りをどうぞ」
侍は真っ黒な右手を胸の前に出し、スッと立てる。
「かたじけない」
彼は杖の先から吹き出す火を人差し指と親指でつまむと、笠の下……口のありそうな場所に持っていった。飲み込むような音がして、彼は息をつく。
「善し」
彼はくるりと向きを変えそのままどこかへ行きそうになる。私は思わず侍の袖をつかんでしまった。まだ警報すら鳴ってないんですけど! 今消えると困っちゃうんですけどぉ!
「あ、あのっ」
声が上ずる。呼び止めたはいいけどどうしよう!?
「……」
「え、ええと……あっそうだ! お名前は!? あの、私星川光と言います! ここで働いてて……」
「名」
「は、はい! お名前を!」
「無い」
よかったこのアーティファクトある程度受け答え出来るタイプだ! 誰か来てくれるまで時間稼がないと!
「な、名前ないんですか? そしたら何とお呼びすれば……」
侍は深い闇の向こうから私を見下ろしている。顔はわからないけど視線は感じる。以前の暗闇さんみたいだ。て言うかこの人、頭ない。
(ひええ)
「……名無しで佳い」
「な、ナナシさんですか? でもそれ名前じゃない……。ま、待ってください呼び名を考えます。えっとーえっとー」
何とか会話を引き伸ばしつつ掴んだ裾は離さないように気を付ける。
「あ、椿の羽織りだから椿織(つばおり)さんはいかがですか?」
「つばおり」
「はいっ」
「……椿を手折るであれば、其れもまた善し」
「椿を折るですか……椿が可哀想な感じもするけどまあ……」
椿折さんは腕を動かして私の手から逃れようとする。ので、私は布越しに彼の手首を掴んだ。
「も、もうちょっと待ってください!」
「……」
さすがにうざったいかな引き止め方!? ううんどうしよう! 警報器鳴ってないし! と私はちらりと警報器を見る。音は鳴ってないけどランプが黄色にチカチカしてる! やった! 気付いてもらえた! 私は椿折さんに視線を戻す。
「こ、ここ貴方みたいなこう……えっと色んな人がいてですねっ」
そこまで口にして私は椿折さんの手が異様に冷たいことに気付く。思わず私は彼の手を直に握ってしまった。
「うわっ手冷たい」
彼の右手を両手で持ち上げてまじまじと観察する。
(真っ黒……)
近くの間接照明の光が当たっているはずなのに彼の手は光を反射しない。こう言うの深淵って言うんだっけ?
「体温がない? 違うな、酷く冷たい……。握ってると温まったりする? のかな?」
はっと顔を上げる。どうしよう、観察に夢中で相手のこと全く考えてなかった。
「ご、ごめんなさい」
私は手を離すが、椿折さんは自ら私の手を握ってきた。右手と右手。握手みたいな形。彼はじっとしている。酷く冷たい手が私の体温でじんわり温まっていくのがわかる。椿折さんの手を両手で包む。温まるならあっためた方がいいよね? 彼はじいっと私を見ていた。いや、見ていなかった。私ではなく誰かを見ている。アーティファクトにも、怪異にも思い出があるのだろうか? 私は彼の手に息を吹きかけて両手で揉む。
「雪の日に洗い物すると手がかじかみますよね。椿折さんの手もそんな感じがします」
「……姫」
「え?」
「……ひ、め。あ、嗚呼、嗚呼あああああああああああああああっ!」
椿折さんは私の手を振り払って慟哭する。いけない! パニックになってる!
「姫! 灯りを! 嗚呼灯りを! 何故! 灯りがあれば!」
「つ、椿折さん落ち着いてください!」
「嗚呼ああああああああああああっっっ!!」
「椿折さん!!」
突然周りが明るくなり私は目を瞑る。いつの間にか私たちを武装した職員と警備員が取り囲んでいた。
「星川職員離れてください!」
「お願いします! 攻撃はしないで!」
「嗚呼あああああああああああああ!!」
「離れなさい星川くん」
カツン、靴音が響く。長いステッキを構えた刻浦さんを見て私は壁際に避ける。
「“晴天に曇りなし、内壁に傷はなし。湖には蓮、海には月。夜が汝に囁けば全ては眠りの泥の中”」
刻浦さんが詠唱を終えると椿折さんは意識を失いその場に倒れる。
「星川くんこっちへ」
椿折さんが心配で駆け寄りたかった。でもグッと堪えて刻浦さんの元へ静かに後退する。
「よく落ち着いて時間を稼いだね、偉いよ」
「ね、眠っただけですよね? 椿折さん」
「眠らせただけだよ、大丈夫。さあ、急いで収容を」
刻浦さんは周りに指示を出してテキパキと動かす。椿折さんは手足を拘束され男性四、五人に抱えられ廊下を移動していった。私は彼が心配でその後を目で追う。刻浦さんはそんな私の横顔を見て肩に手を置く。
「ひとまず、報告書を作ろう」
「……はい」


次作へ続く。

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