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09 管理人星川光の記録

前作:『08 ?-※-012■の記録』


「では星川さんの署長就任と施設管理部の設立を祝いまして、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
 就職から半年経った秋の真っ只中。私、星川光はホテルマンのようなベージュ色の上品なスーツに袖を通し、赤いネクタイを締めて紙コップを掲げていた。
 アーティファクトと呼ばれる様々な怪異たちの収容所。人界から隔絶(かくぜつ)された箱庭の管理を任された私は、刻浦乃亜と言う土の精霊の庇護(ひご)と監視のもと着実にキャリアを積んでいた。
「部下と立場が逆転するとは思わなかったな……」
「そう言う加奈河(かなかわ)も副署長なんだから結構な出世じゃない? 刻浦に感謝したら?」
 0083部署で働いていた職員は私の異動と共に管理部に異動させられ、0083部署は凍結。暗闇さん、U-r-0083のコードを持っていたナイルと呼ばれる土の精霊は刻浦さんの指令により職員に昇格。他の職員同様ジャージのような上着の作業着、制服に袖を通していた。
「0083部署は0083の脱走と共に凍結された」と言う記憶を植え付けられた職員たちは何の違和感もなく暗闇さんことナイル・ナイナイさんと話している。
刻浦さんは職員の記憶の改竄(かいざん)、上書き、必要なら何でもやる“人ならざる人”で、案外魔王城の魔王かもしれない、と私は覚めた頭で考えていた。

 三ヶ月前、この施設の事実上の支配者である刻浦さんからいずれ後継者にすると告げられた私に待っていたのは、激動の日々だった。
 秘書のごとく連れ回され、収容所はアーティファクトのような超常現象を収めておく箱だからそれ自体もアーティファクトだと言うことや、管理部を設立するにあたって必要な人員と予算をどう組むかとか。とにかくやたらに忙しい毎日を過ごした。

 目が回りそうな日々を終え、私はようやく刻浦さんと共にオーダーメイドスーツを作りに行き、自分の給料じゃ何回払いになるか分からない特別仕様のスーツを受け取った。そして今日、それを着ている。

 管理人。今後の私は収容所そのものと連携しながら必要な部屋を作り出し、アーティファクトたちのため、職員のために居心地のいい空間を提供、維持していかなければならない。仕事はむしろこれから山積みになるのだ。
「でも星川さんが上司で私は嬉しいです! 同期だから余計に応援しちゃう!」
 双子の佐井登(さいとう)さんの片割れである彼女はソフトドリンクなのに場酔いしてしまったのだろうか。興奮した様子で周りに絡んでいた。
 管理部は0083部署から0083ご本人の暗闇さん、加奈河さん、女性の方の佐井登さん、私。総務からは伊志田(いしだ)さん。科学部署からは円衣(まるい)さん。整備部からは笹山さん。
0083部署にいた雨江嶋(うえしま)さんは再び魔術部署へ戻された。暗闇さんを見張る必要がなくなったからだ。その代わりにと言わんばかりに魔術部署からは鐘戸(かねこ)さんが配属された。
A-r-0120こと『長岡鶴太郎』くんも、魔術部署ではなく施設管理部が担当することになった。役割としては医療チームにいた頃とあまり変わらない。全職員の健康面のケアが主な仕事だ。
 つまり管理部は今、私の知り合いだけで構成されていた。それが刻浦さんなりの気遣いなのかどうかは分からない。
「おめでとう」
 暗闇さんが紙コップを持って近寄ってきたので私はまた乾杯をしてオレンジジュースを飲んだ。
「ありがとうございます。似合ってますよ、制服」
「コスプレじゃなくてフラグになるとはね」
「刻浦さんは最初からそのつもりだったかも」
「それはないよ。新参者だから様子を見るって収容室にぶち込まれたんだから」
「あら、そうなんですか?」
「そうなんです」
 白金の髪に緑の瞳、白肌の暗闇さんはリンゴジュースを口にしながらある方向を見つめていた。視線を追うと、そこには科学部署から来た“とされる”ド派手ピンク頭の白衣の職員が円衣さんや鐘戸さんたちと話していた。
 青い光沢を持つ海外のブルジョワが好みそうな派手なサングラスをかけ、マゼンタと呼ばれる強いピンクレッドの髪をワックスで逆立てたこの若い男性は何を隠そう、収容所そのものでありマニュアル班と共に長年仕事をして来たこの会社のAI『マゼンタ・フレッド・レッド』だった。
 人間としての経歴はアメリカで生まれて日本で育った帰化日本人。元ロックミュージシャン。シンガーソングライター。ボーカルかつギタリスト。シングルもアルバムも出していてそれなりに売れていたそうだ。人間として社会に馴染んでいた彼はある日、自分が土の精霊だと気付いたんだとか。そして刻浦さんに会い、施設管理部が出来るまではただのAIでいたらしい。「人間の体で動くのは久々」と口にしていた。
「フレッドさんのギターまた聴きたいわ」
「おー、いいぜ! 代金はそうだなー、板チョコ一箱でどお?」
「こらー! またニキビ山盛りフレッドになっちゃうぞ!」
「ニキビ山盛りフレッドはやめろって!」
 円衣さんは“元同部署の同期フレッド”と何の違和感もなく、ありもしない思い出話を鐘戸さんを交えてしていた。
「……人の記憶って案外ガバガバなんですね」
「私たちからすればね。フレッドはどう? ギター野郎だから騒がしいとは思うけど」
「明るい人なので楽しいです。刻浦さんや暗闇さんと中身が同じとは思えないくらい」
「……ごめん、それどう受け取ったら?」
「中身が同じなのに、土の精霊さんは案外個体差が大きいなって感想です」
「ああ、そう言う。まあ否定はしないよ。あいつは人間の頃からギターに乳与えられてたんじゃないかってくらい音楽野郎だからね。AI化してからは何度か放送乗っ取ってロックかけてた。私の録音データのせいにされたけど」
「そうなんだ……」
「刻浦にこっぴどく叱られてしばらくしょげてたね」
「ロックかけただけで叱られるものですか?」
「聞いたらわかるよ」


「Urrrrrraaaaaaaa────!!!!!!」
「これは刻浦さんでも怒るわ」
 施設管理部設立の翌日早朝。十個のうち八個のデスクが壁を向いて真ん中を広々と空けている四角いオフィスにて。フレッドさんは空いているスペースを占拠しリサイタルを開いていた。
 売れていたミュージシャンなだけあって歌は上手い。上手いけど、朝っぱらからこの絶叫は困る。オフィスにツカツカと入っていった私はいつの間にか増やされていた音楽用の妙に良いコンセントからプラグを引っこ抜いた。
「Noooooo!!!!!!」
「ノーじゃない!! 朝から何ですか!」
「朝だからだろ!? みんなの目覚まし、モーニングコール代わりだっつーの!」
「朝っぱらからロックだかメタルだかは困ります。もうちょっとあるでしょ、バラードとか」
「バラードじゃ寝ちまうって!」
「とーもーかーく! ロックはせめてお昼過ぎてから!」
「Noooooo……」
「朝から賑やかでしたねぇ」
「やーい署長に怒られフレッドー」
 私に続いて佐井登さんや円衣さんたちがオフィスに入ってくる。私に叱られたフレッドさんはギターを抱いてその場でふて寝してしまった。
「機材は片付けておいてください。弾くなら防音室でも作れば、違った作ります?」
「それだわBaby!」
 ギターを抱えたままオフィスを飛び出したフレッドさんに呆れ、私は再び声を張り上げる。
「機! 材! を!! 片付ける!!」
「ぴゃい……」
 叱られた彼はしょげた顔で戻って来て、その後は音楽室の増築に専念していた。

「所内ラジオ?」
「フレッドさんがやりたいんだそうです。ひとまず他の方々に相談してから決めようと思って」
「ふむ」
 ベージュ色のスーツでいかにも上役ですと言う姿の私は、同期や先輩から羨望と期待と嫉妬の眼差しを浴びつつ監査の刻浦さんの元へと訪れた。
刻浦さんは普通の作業着姿で私が作った企画書に目を通している。
「何故わざわざ手書きで報告を?」
「電子書類だとフレッドさんがそのまま私のハンコを押してゴーしそうだったので」
「なるほどね。君としてはどうなんだい? 通るかどうかはさておき、最初の決定権を持ってるのは君だよ」
「今のこの支部なら収容物と干渉しないし、やらせてもいいなとは思っています」
「そう考えてる時はハンコ押してきて。“上”はそのあと判断するから」
「かしこまりました」
 早速戻ろうとすると「ああ」と刻浦さんに腕を引かれて引き留められ、連れ立って歩き出す。
「三つ、話があって」
「はい」
「一つ目、社員としての話。半年後、新卒が入ったら施設管理部にも早速人員を追加しようと考えている」
「それは、はい。ありがとうございます」
「それまでに上司としての振る舞いを覚えておいてね」
「うっ。……わかりました」
「その点、まだ連れ回すつもりでいるから。これまでみたいな秘書のような動きも管理人として平行してやってもらうよ」
「わ、わかりました……」
既に目が回りそうなんですが。
「二つ目。太刀駒に所長の座を預けていたけど、0083部署という言い訳がなくなったから私が所長に戻るよ」
「あら。承知しました」
「三つ目。個人的な話。久しぶりに妻とディナーをするんだけど、君も同席して欲しくて」
「私も?」
「事実上の後継者にするから、プライベートも共有しておこうと思って。徐々に知り合いと顔合わせをさせるつもり」
「ああ、わかりました。行きます」
「うん、よかった。いつにする?」
「いつでも。刻浦さんのご都合で構いません」
「わかった。それなら早い方がいいな。早速妻に聞いてみるよ」
 刻浦さんは電話を取り出して嬉しそうにメールを打ち始める。
(思わず顔が緩んでるって感じ)
「ほんと奥さんのこと大好きですね」
「うん」
「あらまあ」
 相変わらず刻浦さんと言う人は読めない。こうして奥さんに連絡を入れている時は育ちのいいお坊ちゃん上司に見えるし、社員の記憶をいじるのに抵抗がない姿を見ると冷酷だなとも思うし。
(どっちも刻浦さんなんだろうな。どっちがとかじゃなくて)
「早速返事が来たよ」
「早いですね」
「妻も連絡はまめにしてくれるからね。二日後はどうかって」
「いいですよ」
「では二日後ね。ふむ、スーツを新しくしようかな。星川くん、ドレスの類いは? 揃ってる?」
「えっ、そんないいお店なんですか?」
「念のためと言う感じだけど、日本にいる知り合いの店なんだ。実家のワイナリーのお得意さんでね」
「ひょえ……。ええと、ドレスは持っていません」
「では買いに行こう。今日は無理だから、明日はどうかな」
「はい」
「では明日ね。半休にしよう」
「やったぁ」

「ラジオ企画ほぼ通りましたよフレッドさん」
「Wow!! 仕事が早いな!! さすが管理人だ」
 施設管理部に戻るとフレッドさんはクラシックギター片手にゆったりしたジャズを演奏していた。歌はないらしく、彼は私と喋りながら手を動かし続ける。
「お褒めに預かりどうも。いつから放送するかは任せると上が」
「今日からだろ」
「即答ですね」
「善は急げってな」
「そう言うゆっくりした曲なら朝から流してくれても構わないんですけどね」
「それじゃカフェミュージックになっちまうだろ」
「BGMってそう言うものでは?」
「あのな、俺は大概の曲弾けるの。つまんねーだろせっかくこのファッシア様の演奏なのに、どこでも聞けるカフェミュージックじゃ。特別じゃねえ」
 ファッシアと言うのはフレッドさんのミュージシャンとしての名前。つまり芸名。
「私は聞きやすい曲の方が仕事の邪魔にならなくてありがたいです」
「つまんねー! つまんねーぜ管理人!」
「つまんなくていいです」
 自分のデスクに座り、ラジオ企画の書類を正式に委員会に提出すると刻浦さんのハンコがすぐに押された。
(刻浦さんってどのタイミングで仕事してるのかよくわからなかったけど、レスポンスがとにかく早いのよね)
 委員三人の承認を待つ間、別の書類をやろうと選んでいると画面の端ではとっくに委員三人が判子を押していた。
(早い……)
さらに見ている間に所長、名ばかりのジョン・スミス氏のハンコも押される。
「フレッドさん。ラジオ企画通りました」
「やったぜ」
「私はラジオに関してはタッチしませんよ。全部自分でやってくださいね」
「ラジオ番組がなんだか分かってねえな管理人! ラジオつったらメインパーソナリティとゲストの掛け合いがメインだろ!?」
「専門外なのでお任せします」
「Hey!! だから初回はアンタがゲストだって話だ!!」
「……は?」

 フレッドさんを連れ整備部署長の宇美猫(うみねこ)さんの元へ行くと彼はシワのある顔にさらにシワを寄せた。
「急なのは重々承知の上です」
「急すぎるんだよ。こっちにも整備の都合があるってのに」
「Yo!! Hey!! アーティストのリビドーが最優先だっての今回は!」
「融通が効かねえって言いたいなら勝手に言ってろ。放送機器はいつでも使えるようにしてるが、ラジオってんなら一、二時間は占領する気だろ?」
「その辺りも含めて打ち合わせをしたいんです」
 私の言葉を聞くと宇美猫さんは思いっきり溜め息をつく。
「全体のスケジュールが大きく変動するのは我慢してください。そこに手を入れたくて施設管理部を立ち上げた訳ですから。スケジュールがひっ迫しているなら明日以降でも構いません」
「……まぁ、使われないよりはマイクにも仕事があった方がいいがよ」
「簡潔にご返答を」
「……昼休憩の一時間だけなら許可する」
「分かりました。では黒曜署長にも連絡を入れます。フレッドさんは具体的な打ち合わせを整備部としていてください」
「待った。黒曜サンに連絡入れるだけなら所内スレッドで十分だ。俺からしておく」
「わかりました。私から入れますがそちらでもお願いします。では失」
「管理人!」
「……何ですか」
 背を向けかけた私はフレッドさんに向き直る。
「書類が山積みなのは分かるが、ゲストだから喋りたいことをまとめてきてくれ! 五百字から六百字。何でラジオ番組を立ち上げたのかは俺が説明するから管理人として、しておきたい説明とか!」
「わかりました。文字に起こしておきます」
「ヨロシク!」
「では失礼します」

「星川くん」
「刻浦さん」
 再びオフィスに戻ろうとしたところ、藍色スーツ姿の刻浦さんと出くわす。
「ラジオの話、どう進んだ?」
「いま宇美猫署長に直談判に行った帰りです。フレッドさんは今日からでもやりたいそうなので専門的な打ち合わせは任せました」
「そう。ひとまず君の言うことは聞いてるようだね、彼」
「今のところはいい子ですよ」
「ふむ」
 刻浦さんは私と話しながらタブレットをいじっている。
「そうやって移動しながら仕事しますよね、刻浦さんって」
「年中時を止める訳にいかないからね」
 さらっと精霊ジョークを口にした彼はタブレットから顔を上げると私を見る。暇なら付き合えと言われそうな雰囲気だったため、私は自分のタブレットを掲げてみせる。
「フレッドさんにラジオのゲストとして呼ばれたので原稿作らないといけないんです」
「どのくらいの量?」
「五百字くらいです」
「それなら音声入力で済むよ。ちょっと連れて行きたいところがあるから、付いておいで」
 嫌とは言えないため、口から魂が抜けそうな気持ちをグッとこらえて刻浦さんと歩き始める。
「目まぐるしい……」
「上役なんてどこでもこんなものだよ」
「慣れるしかないですかね……」
「そうだね」

 連れてこられたのは資料室の奥。白地のカードでしか入れない滄海(そうかい)署長のオフィスだった。もう知ってる場所だけど、と思って刻浦さんとコーヒーの香りが漂う木製のオフィスに立ち入ると、滄海さんは本を手にしたまま目をつむっていた。
「……ん?」
「仕事中みたい。滄海くんが委員で白カード持ちなのは話をしたよね」
「はい」
 そう、ほんわかとした見た目に似合わず滄海さんは二人いるアーティファクト管理部門の委員の片割れだったのだ。委員とは知らずにちょこちょこ遊びに来ていた私は刻浦さんからそれを聞いて、白目をむきそうになった。
 さも当然と置かれた自分のマグにコーヒーを淹れた刻浦さんは、滄海さんのデスクに腰掛け私にもカップを手渡す。
「滄海くんのプライベートの話なんだけど。彼、君と同じで人間とは言い難い血筋の子でね」
「……この会社の上役ってそんな人ばっかりですか?」
「まあね」
「人間の上役はいないんでしょうか……」
「いるけど、二、三人に留めているよ。話を戻すと、滄海くんは古い海神の血筋の子で、君とはある意味対極に位置する」
「水の魔法でも使うんですか?」
「いや、彼は魔術の素養はそんなに。でも古い紙とインクを扱うこの仕事に不可欠でね。有無を言わさず司書にしてしまった感じ」
「なるほど」
 私が魔術部署にほぼ強制的に突っ込まれたのと似たようなものだろう。刻浦さんの話を聞きながら、私はアプリを開いてラジオで話したいことを箇条書きにしていく。
「彼の元にも部下を当てようと何度も試みたんだけど、今のところ向いてる職員を見つけられなくてね。君の方で良さそうな人材を見つけたら私に報告して欲しいんだ。どう言う人材がいいのかは書類にまとめて渡すよ」
「わかりました」
 増えた仕事を自分のスレッドに追加してコーヒーに口をつける。正直、滄海さんがこだわってるだけあってここで飲むコーヒーは所内で一番美味しい。
「……食堂だけじゃなくてカフェテリアとかいいかも」
 コーヒーの水面を見ながら思い付きを口にすると、刻浦さんは私の視界の外でニンマリとした。
「休憩所の新設?」
「はい。所内が広いのでカフェテリアをあちこちに……。食材管理部と相談しないといけませんが。人員とかどうしよう……」
「採用する手もあるよ」
「外から人材募集ですか? うーん、特殊な会社だしどうなんだろ……。“オカルト的会社であなただけのコーヒーを淹れてみませんか?” とか? いやぁ……」
 それはないなと思いながらもメモはしておき、立ったままの滄海さんの背中を眺める。
「まだかかるかな、彼の仕事」
「どうでしょう? ここにコーヒー飲みにきた訳じゃありませんよね、もちろん」
「うん。彼を連れて一緒に行きたいところがあるんだけど、忙しそうなら午後でも」
構わない、と刻浦さんが続けようとした時。滄海さんが顔を上げた。
「終わった?」
 声をかけられた滄海さんは本を閉じると慌てて振り返り、刻浦さんと私を視界に収める。
「あ、いらっしゃい刻浦さん。星川さん」
「お邪魔してます」
「星川くんに説明するついでに君もと思って。悪いけど通常業務は後回しにしてくれるかな?」
「了解しました。ほ、報告書だけ書いてから」
「ああ、そうだね」

 刻浦さんは私と滄海さんを連れて科学部署方面へ向かった。長い廊下を移動する間にラジオの原稿が仕上がってしまったのでフレッドさんに送信しておく。
 美男美女が連れ立って歩いていたからか、職員たちからチラチラと視線が飛んでくる。それらを浴びつつ辿り着いたのは科学部署の最奥。並の職員では入れない、冷たく重厚な大扉だった。
「察しがついているとは思うけど、白い方使ってね」
「はい」
 カードリーダーを使って入るとズラリと並んだ筒型の水槽と大掛かりな機械に出迎えられる。
「何です? これ」
「見た通りの水槽だよ」
「ひっ……」
 私より先を歩いていた滄海さんが一つの水槽の前で息を飲んだ。早足で近付くと彼は顔を青くしていて、同じ水槽を見上げた私も息を飲んだ。
 入っていたのは人間だった。紛うごとなき、人だった。
見知らぬ顔。成人した男性。服はもちろん着ておらず真っ裸だ。
「必ずしも人員を補充出来る訳ではないから、年一回職員たちから細胞を採取していてね」
刻浦さんは平然とそんなことを口にする。滄海さんは真っ青な顔で腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。
(まあ、普通はこうでしょう)
 恐ろしく冷静な私は自分自身に呆れつつ、膝を落として滄海さんの背をさする。
「私たちの“ストック”もあるんですか?」
「いや。君たちのような特殊な血筋の場合、丸ごとの複製は厄介でね。ただ臓器の培養はしているよ。いざと言う時所内で手術できるように」
「そうですか」
私は呆れるほど冷静だ。本当に。
滄海さんはすっかり青ざめてしまって私の腕にすがりついている。
「見せたいものはこれだけですか?」
「いや、会わせたい人がいてね。この奥」
「わかりました。……滄海さん、大丈夫ですか? 立てます?」
「ほ、星川さんは……平気なんですか……? こんなもの見せられて……」
真っ青な滄海さんに見上げられ、私は彼の肩を撫でる。
「大丈夫ではないんですが、冷静ですよね。自分でも嫌になるくらい」
滄海さんは力なく微笑んだ私を見ると、何とか体に力を入れて立ち上がった。

「と、刻浦! 久しぶりじゃのぉ!」
 今時こんな喋り方をする人が何かのキャラクター以外にいるだろうか。彼女は小さな体躯(たいく)を精一杯伸ばして棚の上から段ボール箱を取り出すところだった。子供用の踏み台からぴょんと降り立ったおさげの少女は一丁前に白衣を着ている。
「やあ、涼風(すずかぜ)くん」
「随分とご無沙汰ではないか。ん? 美女を連れおって」
 涼風と呼ばれた少女は荷物を広くもうんと脚の低いデスクに置くと私の前に歩み寄る。
「おお、ヴァハのごとき赤毛の美女じゃな」
「ヴァハ?」
「ケルト神話の戦の女神よ。赤毛のマッハとも呼ばれる」
「ああ。出身地的には、近いですかね」
 私そのものが、ではなく女神の血筋的に。杖のお姉さまがローマ由来だし私も欧州の血筋だろう。
涼風さんはしれっとした私の態度に感心してうんうんと頷く。
「まさしく女神じゃな。して、その麗しき女神がなぜここへ?」
涼風さんが刻浦さんへ振り向くと、彼はうんと頷いた。
「彼女は新しく立ち上げた施設管理部の署長。彼は例の司書」
「おお! そなたらが! 話は聞いておる。わしは涼風 稚貝(すずかぜ ちか)じゃ! よろしゅうな!」
 小さな手を差し出した涼風さんは「間違えた」と白衣の裾(すそ)を持ってお上品にお辞儀をし直した。私はさりげなく杖を使い、ベージュのスーツをスラックスからスカートに変えると同じように裾を持ち上げてお辞儀をした。
「星川光です」
「女神相手に失礼を働くところじゃった。許しておくれ」
「構いませんよ。あまり女神と持ち上げられるのも慣れていませんし」
「腰の低い女神じゃのぉ……。そちらは滄海殿じゃな! 噂は聞いておる!」
涼風さんは今度こそ手を差し出し、滄海さんと握手を交わす。
「よ、よろしくお願いします」
「うむ! よろしく頼む!」
 スラックスに着替え直した私は「それで?」と刻浦さんを見る。
「涼風くんはこの収容所が稼働した年からここで働いていてね。肉体は七歳程度だけど、精神的にはご高齢だよ」
「それでそんな話し方を?」
「箔を付けたくてのぉ」
「そう言うことですか」
「人員を何人か追加したくてね。手頃なのはいるかな?」
「ご希望は?」
涼風さんは医務室のような金属の書類棚の前へ行くと細い指を滑らせる。
「資料室に二人。施設管理部に一人。食材管理部に三人」
「資料室はあまり期待せんで欲しいのぉー。あそこは扱っているアーティファクトが繊細すぎる」
涼風さんは傍らに立った刻浦さんに目星をつけた書類をパッパと渡していく。
「それでどうかの?」
「……悪くはない。ではよろしく頼むよ」
「納品まで七日かかるからの。待っておれ」
「うん。では滄海くんは私と戻ろう。どうしてこの部屋を見せたか説明もしたいし。星川くんは、もう少し涼風くんから話を聞いておいて」
「わかりました」

 男性二人が部屋を出たのを見て、私はズラリと並んだ書類棚の前に立つ。人々は部署ごとに分類され、性別、何年に生まれた人間なのかが分かりやすいよう整頓されていた。
「ここに職員たちのデータが集まってるんですね」
「ここは監査の書類が行き着く果てじゃの」
「真の使い道はこちらなんですね」
「そうじゃよ。まぁ丸っきりのクローンを作る訳ではないからあくまで参考じゃが」
 意外な言葉だったため振り返ると、涼風さんは子供用チェアに座って仕事をこなしている。
 近くの椅子を借りて腰掛けると私の長い足は有り余ってしまい、足を組んでやや投げ出す。
「水槽にいた人はクローン人間じゃないんですか?」
「細胞を複製すると染色体のテロメアと呼ばれる部分が短くなるんじゃよ。老化の原因でもあるが、端的に言うと複製すればするほど寿命の短いクローンが生まれてしまうのじゃ」
「なるほど」
「職員たちから年一回細胞を採取しておるが、ほとんどは臓器培養のためじゃし、水槽を使うのは予算に余裕がある時だけじゃよ」
「コスト削減で培養しているのでは?」
「いやぁ逆じゃ逆。培養は手間も金もかかるからの。スポンサーや顧客が金を積んでくれないとなかなか」
 顧客。たしかに株式会社の形式を取っているし何かしらで利益を出しているはずだ。その辺りはまだ刻浦さんから教えられていない。
「どんなお客様がいらっしゃるんですか?」
「不運な事故で死んだ息子を甦らせるのに私財を投げ打つ金持ちとかかのぉ……」
「えげつない商売ですね」
「アーティファクトの売り買いの方が金は取れるようだがの」
「……買い取るのは知っていますが、売る?」
「そなたが想像しないような物好きもいるんじゃよ」
「……なるほど」
「して、星川管理人」
涼風さんは書類から顔を上げると幼い瞳を私に向けた。
「はい」
「刻浦の後釜と聞いたが本当にそうなのか?」
「刻浦さんはそのつもりでいますね」
「そなたの気持ちを聞いておるのじゃよ」
「正直なところまだ分かりません。でもアーティファクトも職員も放っておきたくないので、管理人の仕事はします」
「……そうか」
涼風さんは表情をかげらせるとまた書類に向き合う。
「ここは地獄じゃ」
「人の命は安いかも知れません」
「うむ。長く勤めると倫理観も消え失せる。わしも新人の頃は人助けに心を燃やしておった。機葉(はたば)が死んでその気もなくなったがの」
 聞き間違いかと思ったが、先程の水槽を見たあとでは死んだはずの人間が働いていても何の不思議もなかった。
「……機葉さんは」
「わしと、黒曜(こくよう)の部下じゃった。科学部署でも人気でのぉ。頭脳明晰で、美人で」
涼風さんは大きく溜め息をつく。
「だが機葉と言う人間はもうおらん。いま機葉の名を名乗っているのは、中身がまるきり別人なのじゃ。刻浦や太刀駒と中身が同じなのじゃ」
「黒曜署長は機葉さんを奪われた、とおっしゃっていました」
「その通りじゃ。わしと黒曜が目を離した隙にの。何か要らんことでも知ってしまったのじゃろうて」
「……そうでしたか」
「刻浦乃亜と言う男は、血も涙もない。かと思えば茶目っ気のある男にも見える」
「そうですね」
「あれが恐ろしい男だと分かっていて後を継ぐつもりか? このおぞましい場所を維持するのか? 星川管理人」
 涼風さんは泣きそうな顔で私を見た。私は、彼女たちに心を痛めた。けれど思考はクリアだった。
「改革するにしろ、現状を維持するにしろ、私は刻浦さんに信用されています。その信用を使ってのし上がって、それからどうするかを考えます。貴女の嘆きはきちんと聞きました。ただ今は胸にしまっておきます」
「……そうか」
助けて、と。
涼風さんが言いたくても言えない悲痛な叫びを胸に秘め、私は隠されたラボを後にした。

 施設管理部へ戻って短い時間で書類を片付け、約束の昼休憩開始二十分過ぎに放送室へ向かうと、整備部の職員数人とフレッドさんがセッティングを終えて私を待っていた。
「ギリギリだぜ管理人」
「忙しいんです」
「わかってっけど!」
私がフレッドさんの向かいに座り有り余る長い足を組むと、彼は自分のタブレットを手渡してきた。
「ちょっと文章硬すぎ。役所じゃねえんだから」
「仕事柄そうなるんですよ管理人は」
「ダーメダメ! フレンドリーさを出していかないと他の部署がついてこねえ! 直してる時間はないから原稿はナシ。ぶっつけ本番で喋ってくれ」
「原稿作った意味……」
えっへん、と咳払いをしてフレッドさんは五本指を立てる。
「本番五秒前!」
整備部の職員たちが構え、静寂が場を支配する。
「四、三、」
二と一は声に出さず、フレッドさんは機材に手を伸ばす。ギターが唸る音で始まった放送に、昼休憩に入った職員たちはそれぞれ近くのスピーカーを見上げた。
「HEY!! 仕事に疲れた職員たち!! ファッシア様のラジオの時間だぜ〜!」

「……何だ?」
「整備部は何してんだ。乗っ取りだろ」

「Hey Hey  Hey!! これは今日から正式に始まった施設管理部の仕事だぜ! MCはもちろんこのファッシア様! そして今日のゲストは〜?」
 ダララララ、とドラムロールが挟まってフレッドさんは私に手を向ける。
「施設管理部署長、星川光だ! 拍手!」
喋って! と合図された私はマイクに顔を近付ける。
「施設管理部署長、星川光です。よろしくお願いします」
「第一回の今日はなぜ所内でラジオを流そうと思ったか、から話すぜ! この職場、ルーチンワークが大事で刺激がねえだろ!? みんなの息抜きにどうかと思った訳よ!」
 動機は意外とまともなようだ。私はフレッドさんのトークを聞きながらタブレットを開いて書類の残りに目を通す。
(緊急のものはとりあえずないし、大丈夫かな。でも二、三枚片付けておこう)
「やることは単純だ。誰かしらゲストを呼んでトーク! 音楽をかけてリフレッシュ! あとは俺の気が向けばその場でセッションだ! 第一回のゲストはみんなが気になるあの人! 噂の大爆進新卒こと星川署長だが、みんな彼女に色々質問したいんじゃないのか〜?」
 そういう風に持っていくのか、と私がじっとり見つめるとフレッドさんはキメッキメの顔で私を見つめ返した。
「と言うわけで、ゲストへの質問コーナー! 星川署長にはあちこちから来た質問に一つずつ答えてもらうぜ」
 音を立てないようスッと水を飲んだフレッドさんはタブレットをいじる。
「では一つ目。とあるCランク職員から。初めまして星川署長。毎日サラッサラの髪で羨ましいです! ヘアケア商品は何をお使いですか!? とのこと。Hey!! その辺りどうなんだ!?」
喋って、と促され私はマイクに近寄る。
「初めまして。特別に何かは使っていません。備え付けのシャンプーとコンディショナーのみです」
「ヒューウ、女子真っ青の回答! 己を美人に近付けたいのにこれじゃ救いがねえぜ! では二つ目。とあるBランク職員から。こんにちは星川署長。好きなスイーツなどありましたら教えていただけると嬉しいです。とのこと。どうなんだいそこんとこ!?」
笑顔で手を差し出したフレッドさんを見て、またマイクに顔を近付ける。
「こんにちは。スイーツ……すぐ思いつくのはプリンでしょうか。クラシカルなカスタードプリンが好きです。固い方ですね」
「Oh〜!! 星川署長の女性らしいところが垣間見えたぜ! カワイイ!」
可愛いのか? と心の中で突っ込んでいるとフレッドさんは人差し指を立てる。
「ここで一曲挟むぜ! 曲は何かって? そりゃもちろん俺の曲だろ〜。『Thunderbird in The Sky』どうぞ」
 ジャズ風のイントロから始まったロックを耳にしているとフレッドさんはスマホを手に電話をかける。
「Hey,Noah!! どうだ俺様の番組は!」
「悪くはないよ」
スピーカーから流れる刻浦さんの声を耳にしつつ私は仕事に手をつける。
「暇ならこっち来い。飛び入りゲストだ!」
「忙しいから遠慮しておくよ。星川くんで十分だろう」
「おい〜! ノリが悪ィぜ! そこは暇じゃなくても来るところだろ!」
「星川くんと同じで書類が山積みなんだよ。じゃ」
「あっ!」
刻浦さんはさっさと電話を切ってしまった。
(中身同じなのに相性の良し悪しとかあるのかしら)
「くそ〜今日も呼び出せなかった……」
曲が終わるにはまだあるため、フレッドさんは次の電話をかける。
「Heyタ・チ・コ・マ!!」
「ごめんね忙しい!!」
「つれねぇ!!」
「ごめんほんと今は無理! ごめんね! じゃ!!」
太刀駒さんにも振られてしまいフレッドさんは天井を仰ぐ。
「そりゃないぜBaby……」
「……どなたか加えたいんですか?」
「アンタがつまんなさそうにしてっから。仲良しがいりゃトークに花も咲くだろ」
「つまらないのではなく、忙しいだけです」
「いやぁ、つまらなさそうだぜ」
 タブレットから顔を上げるとフレッドさんは真剣にこちらを向いていた。サングラスの下の目は見えないが、笑っていないことだけは確かだった。
「……だから、忙しいんですよ」
「違うね。ここに来た時のアンタはもっとギラギラしてた。大人しいけど感情のでけぇのは持ってた」
まるで見ていたように言う。いや、見ていたのか。
 私が新卒で入ってきてからの半年。AIに徹していたとは言え彼は私の一部始終を見ていたはずだ。
(暗闇さんとのやり取りも全部見られてたと思うとちょっと恥ずかしいな……)
 曲の終わりが近付きフレッドさんは笑顔を取り戻す。
「笑えよ。表情ってのは声に出るんだ。アンタが真面目一辺倒だと楽しいラジオが台無しになっちまう。だから笑え」
本当に無茶を言う人だ。人ではないけど。
「『Thunderbird in The Sky』でした。明日からかける曲は募集するからな〜。施設管理部にお便りをどしどしよろしく頼むぜ!」
(さりげなく仕事増やされた……)
「それと所内放送だから無粋なCMはねぇ。だがコマーシャルをしたい部署がいたら俺様は大歓迎だ。そっちもお便りをくれよ! じゃ、ゲストへの質問コーナーに戻ろう。えーとお次は……これだな。とあるAランク職員から。こんにちは星川署長。実は所内でお見かけして一目惚れしました! 好みの男性のタイプなど教えていただけますと嬉しいです! おおっとぉ!? こいつは大胆だな!」
 話を向けられたもののあまりのくだらなさに溜め息が出てしまう。
マイクが入る前に私はフレッドさんに向かって首を横に振る。
(この手は嫌です。答えたくない)
 口パクで「自分の言葉で伝えろ」と促され、仕方なくマイクに口を近付ける。
「……申し訳ございませんがその手の質問にはお答え出来ません」
「ノーコメントだってよ! 残念だったな! ちなみにマジで怒ってっから次からこの手のナンパはナシだぜ。じゃ、次の質問」
 まだ続くのか、とタブレットをチラッと見る。もはや仕事をしていた方がマシだ。
「とあるAランク職員から。施設管理部は今後どのように所内に手を入れていくつもりですか? とのこと」
 急に質問の毛色が変わり、目を丸くしてフレッドさんを見ると彼は「笑え」と口パクで伝えてくる。
 今朝彼が原稿にまとめて来いと言った内容に似通った質問。原稿はナシと言いつつ、彼は署長の私が意思を表明するタイミングを作ってくれたようだ。
「……そうですね」
 私は咳払いをし、口元に笑みを作ってから唇を開く。
「施設管理部は今後、職員たちにかかるストレスを軽減出来るよう努めて参りたいと考えております。また、それはアーティファクトに対しても同じことで、意思持つ彼らがこの収容所を窮屈(きゅうくつ)さを感じないように手を加えていきたいと考えております」
無理矢理にでも笑みを作ったからか私の声色は明るい。元ミュージシャンの言うことも一理あったようだ。
「残念ながら具体的な内容はまだ決まっていません。ですが企画しているものはありますので、お知らせ出来るタイミングで随時発表していきます」
「星川署長の舵取りにご期待! ってところだな。ゲストへの質問コーナーは以上! もう一曲かけるぜ〜。これは思い入れがある曲なんだ。『Magenta in Cyan』! ヨロシク!」
 激しいロックが流れ始めるとフレッドさんは笑顔のまま「お疲れ」と口にする。
「もう行っていいぜ。管理人もメシ食わねえとな」
 言われた通り食事に向かおうと腰を上げた私はじっとフレッドさんを見下ろす。
「お? 何だ?」
「……ミュージシャンの言うことにも一理あると言いますか。いい経験になりました。それと、有意義な質問をどうも」
 それだけ伝えて立ち去ると、フレッドさんは私の背を見送ってニッと笑った。

「お疲れの星川しょちょーに、カスタードプリンの差し入れでーす♡」
 と、食堂について真っ先に円衣さんにプリンを差し出され、私は肩をすくめて有り難くお盆を受け取る。
「ありがとうございます。でもいいんですか?」
「くたくたの円衣さんには星川ちゃんの笑顔が一番効くから、これは自分のためでもあるのだ」
「そう言うことなら遠慮なく」
 プリンを載せたまま天ぷらうどんを注文して施設管理部署のメンバーの元へ向かう。フレッドさんと私以外の全員、食事はある程度進んでいたらしい。団らんの中に私が混ざると暗闇さんが椅子をぴったりくっ付けてくる。
「何です?」
「星川さんに目をつけた不届き者から君を隠してるの」
「まあ、あれ明らかに暗闇さんじゃありませんよね。誰だろう本当に」
 暗闇さんはこれ見よがしに肩を抱いて私の頬にキスをしてくる。
「あーっ、男の嫉妬は醜いんだぞ!」
「嫉妬なんてどこでも醜いでしょ。いや、嫉妬して当然でしょあんなの。私の星川さんだっつぅの」
「はいはい、暗闇さんの星川ちゃんです」
暗闇さんはさらに二度三度私のこめかみや頬に口付け満足したのか椅子ごと体を離す。
「で、さっきのさぁ」
「ねー! ホント酷いよね! 絶対わざとだよ!」
「どうしたんですか?」
「聞いてー星川ちゃん! 施設管理部が新設部署だから予算新しく組んだじゃん!? すごいケチ付けられたんだよー」
「聞き捨てならないですねぇ。どこです? 相手」
「アーティファクト管理部なのは間違いないんだけどよく分かんなくて。あー! 思い出すだけでムカつく!」
「かいつまんで言うと、円衣さんも含めてあちこちの部署から人が動いた時に物がなくなったって言うんだその職員。わざと盗っていったんじゃないかって言いがかり」
「その物自体は?」
「見つかったよ。施設管理部でね。でも誰も持ち込んでないって言ってるし多分本当にいちゃもん付けられただけ」
「そう言うことなら監視カメラで証明出来るはずですよ」
「えっカメラ? 付いてましたっけ?」
「ついてますよ。さりげなーく」
(フレッドさんの目と言う名の監視カメラがね)

 問題の職員の容姿を聞いたあと戻って来たフレッドさんに施設管理部への引っ越しの記録を洗ってもらい、証拠を紙にしてまとめ星川署長のハンコを押して監査へ持って行くと、作業着の刻浦さんと曲がり角で鉢合わせた。
「タイミングがいいね」
「どうも、こちらこそ。話が長ければ手短にお話したいのですが」
「先を譲るよ。何だい?」
 かくかくしかじか。私からいきさつを聞きながら刻浦さんは書類に目を通す。
「加奈河さんへ渡しても良かったのですが、直属の上司である刻浦さんへ報告する方が先だと思いまして」
「その判断で間違いないよ。分かった。これは監査部署長として受け取ろう」
「お願いします。刻浦さんのお話は?」
「個人的な件。ディナーのことなんだけどね」
「ああ、はい」
「当日、私が君を妻の元へ連れて行くと周囲に誤解を生みそうだと気付いてね。ナイルにエスコートさせて現地のレストランで集合したいんだ。どうかな?」
「誤解?」
「妻に限ってはないけど、若い社員と浮気してると思われるのは厄介だからね。メディアを含めた外部に余計な餌を与えたくないんだよ。これでも名のある家の息子だから」
「ああ。分かりました。暗闇さんを誘っておきます」
「よろしく頼むよ。他に連絡はある?」
「ありません」
「なら戻っていいよ。と、言っても私も会議だから同じ方向なんだけどね」
「わかりました」
 一緒に歩き出したところで会議と言う言葉を反芻(はんすう)し、「ん?」と首をひねる。
「会議? “上”のですか?」
「うん。でも君は来なくて大丈夫。呼ばれてない時は気にしなくていいよ」
「ん、んー……。わかりました」
 今更だが施設管理部と言うのは所長の真下に置かれた部署で、監査も含めた他部署は施設管理部を通して上に話が出来るようになった。つまり、施設管理部はこれまでの委員会のような役割を担いつつ、委員会からは独立した第二の上層部となった。委員会は委員会で相変わらず存在しており、私も署長と言う立場から委員に籍を置いている。
(話が通ったの通ってないので揉めなきゃいいけど。でも刻浦さんなら大事な話は私に持ってくるだろうしな……)
 考えごとをしているといつの間にか戻って来ていて、私は刻浦さんに話しかけられやっと振り向いた。
「何か考えていたみたいだけど」
「ああ、すみません。委、じゃなくて上は上でいるのに施設管理部が出来たので皆さん混乱しないかなと思いまして」
「大丈夫だよ。上はマンネリ化してたから施設管理部はいい刺激になる。前から所内の見張りは増やしたかったんだ」
「と言うと?」
「上と言う立場にあぐらをかいていた人材を入れ替えるチャンスなんだ。所内の掃除だよ」
「掃除ですか」
 新しい風を入れると言う意味では良かったのだろう。刻浦さんの真意は完全に読めてはいないけど、悪いことではなさそうだ。
「悪目立ちしないように努めます」
「期待してるよ。施設管理部署長」
刻浦さんはほんのり口の端を持ち上げるとポンポンと私の背を叩いて去っていった。

「何ですかその紙の山は」
「Bullshit」
 自分の机の上に山積みになった書類の前でフレッドさんがうなだれていた。周りに訳を聞くと先ほどのラジオ番組が早速効いたらしく所内中から“お便り”が来たんだそうだ。
「おめでとうございますフレッドさん。立派にさばいてくださいねその書類」
「Oh〜yeah, 今すぐイタリアの別荘に逃げたいぜ」
「そうはいきません。やりたいって言ったのご自分なんですから」
「サイアク〜、最高」
 真反対のことを言いつつフレッドさんはお便りに目を通し始めた。私はさっきの報告を簡単に、刻浦さんが監査署長ということは相変わらず伏せて、口頭で周囲に伝え自分の席へと座る。
「じゃあ犯人捕まるんだね!」
「捕まると言うか評価は下がるでしょうね」
「やーい、いい気味!」
「こらこら。あ、そうだ。暗闇さんちょっと」
「ん? 何?」
「プライベートな件でお話が」
「えーっ!? 何!? 星川ちゃんまさかまさかの!?」
「もう、面白がらないの」
 立ち上がった暗闇さんの腕を引いてオフィスを出、廊下で立ち話を始める。まず刻浦さんにディナーに呼ばれたこと。奥さんが同席すること。当日のエスコートのこと、と伝えると彼は目を丸くした。
「刻浦が?」
「そんなに意外ですか?」
「意外どころかあいつその手の話題所内で一切匂わせなかったよ。初めてだと思うそんな人間くさい話」
「何を今更。奥さんのことは散々惚気てたじゃないですか」
「口ではね。でも本気で奥さんいるか怪しかったよ。そのくらい奥さんの存在隠してたもん」
「そうですか? 私の前で散々奥さんにメールしてましたけど」
「実際に送ってるか見てた訳じゃないでしょ」
「んーまぁそれはそうですがあの表情はどう見ても……。あ、で、エスコートはして頂けますか?」
「もちろん。光栄ですとも。あと刻浦の奥さん見てみたいし」
「では当日よろしくお願いしますね」
「明日ドレス買いに行くならそっちも付き合うけど」
「ああ、そうだった。そちらもお願いします」
「オッケー」
 暗闇さんとオフィスに戻ろうとするとフレッドさんがひょっこり顔を出す。
「あー、管理人」
「何ですか? いま戻りますけど」
「いや、その……これはあれだ。管理人とマンツーマンがいい。割と真面目に」
何か真剣な様子のフレッドさん。私は暗闇さんと顔を見合わせ肩をすくめる。
「話はそれだけなので」
「了解。俺は仕事に戻るよ星川署長」
「はい。お願いします」
 暗闇さんがオフィスに戻る背を見送ってフレッドさんに歩み寄ると、彼は私の腕を掴んで廊下を歩き出した。
「ちょちょ、痛いです」
「ちょっと急いで。頼むわ」
「いきなり何です?」
「ちょっと笑えない事態」

 フレッドさんは訳も言わず私を科学部署の最奥に連れていった。そこはAプラスランク未満の職員を弾く堅牢な鉄扉の奥。幼い体のベテラン職員、涼風(すずかぜ)さんが働いている秘密のラボだった。ただし、扉は今朝と違い床から突き出た岩が無骨に塞いでいて外部からの侵入を拒んでいた。
「どうしたんですかこれ?」
「あぶねー、涼風がまた脱走しかけた」
「脱走?」
「もう何回目だっけな。数えるのも嫌になるくらいだが……。今朝会っただろ、涼風」
「はい」
「あいつだいぶお婆ちゃんなんだが、刻浦に反抗したせいでここに閉じ込められてんのよ」
「……初耳です」
「機葉(はたば)関連でいざこざ。俺は見てただけだが。まぁ当時揉めに揉めてよ。技術者としては涼風は一流だから“退職”させる訳にもいかずあれこれそれそれ」
「ニュアンスは伝わりました」
 これでここは地獄だと彼女が言っていた理由も分かった。部下の機葉さんを土の精霊に入れ替えられた挙句、彼女は刻浦さんから強く監視されていたのだ。
(貴女にとっては確かに地獄ね)
「……ここ、いま開けてもらえます?」
「開けたら逃げちまう」
「逃げませんよ。私が対処します」
 真剣な顔で見つめるとフレッドさんは両手を上げて一歩下がった。床から突き出た岩の塊がスルスルと床に戻って行き、私はカードリーダーに権限が強い白カードを通す。
 ピッと言う承諾の音を聞き、私は扉に手をかけず内から扉が開くのを待つ。
 しばらく待ったが、扉は控えめに開けられた。そろそろと外の様子を伺いに顔を出した涼風さんの目は、扉の前に立つ私と一歩下がって事態を見守るフレッドさんの姿をとらえた。
「ほ、星川管理人……」
「安心してください。告げ口はしません」
 少女の姿をした初老の女性はひどく怯えた様子で私を見上げていた。私はしゃがみ、彼女と目線の高さを揃える。
「白衣は脱いで来てください。職員だと言い張るのは無茶があるので。所内をちょっと散歩して戻りましょう。話も聞きますから」
 彼女は表情をかげらせ、やや考え込んだ。しかし私が言った通り白衣を脱いで机に置いてくると黙って出て来た。
「嫌かもしれませんが少し我慢してくださいね」
 幼い体の彼女を抱き上げ、私はフレッドさんに目配せをしてその場を見張らせ歩き出す。
 何ブロックか通り過ぎ科学部署から抜け出すと、私は何でもない簡易休憩所の椅子へ涼風さんを座らせコーヒーを買いに自販機の前に立った。
「何飲みます?」
「……何でも構わんよ」
「じゃあカフェオレを」
 缶を二本購入し、涼風さんに一本手渡す。私がカフェオレを飲み出すのも見ずに彼女は手渡された缶コーヒーをただ見つめた。
「フレッドさんに聞きました。何度か脱走を企てたそうですね」
「まあ、な」
「成功してみて、どうです?」
「成功したとは言えんよ。この辺りまでなら自力で出て来たこともある。その都度、鍵や扉を変えられてしまったがの」
静かに話を聞いていると涼風さんは私を見上げてくる。
「わしを見逃したらお主の評価にもかかわるのではないか?」
「涼風さんは私より賢いですから、この後どうやっても警備部が駆けつけることくらい想像出来るはずです」
「……まあな」
「それに、貴女は本気で脱走出来るとは考えていません。刻浦さんに自ら処刑されたがっているだけです。自暴自棄ですね」
「何とまぁ、お見通しじゃのぉ……。さすがと言うか、やはりと言うか」
 刻浦さんは冷徹で冷酷だ。軟禁状態が一番彼女に効くとわかっている。彼女を痛めつけるのは彼女自身の過去の行いであって、自ら手を下すまでもないことをよく分かっている。
「自殺を手伝う気は毛頭ありません。職員のケアが私の仕事ですから」
「……ならば何故?」
「貴女を連れ出したのは、貴女をケアするためです」
私は真っ直ぐ涼風さんを見下ろした。

 一度ラボに戻ってフレッドさんにしばらく連れ出したい旨を説明し、その場を彼に任せると涼風さんを抱えて施設管理部へと戻る。
 幼な子を抱えて戻って来た私を見て管理部のメンバーは目を丸くした。
「星川ちゃんどしたのその子!?」
「迷子みたいで。所内やたら広いじゃないですか?」
「ああー確かにねー」
「この子人見知りなので皆さんどうかそのまま構わず。長岡さん、ちょっと」
「お仕事でござるな!」
「ええ、お願いします。医務室へ行きましょう」

 医務室に涼風さんを連れて行ったらもちろん黒曜(こくよう)署長が目を丸くした。ここのところアーティファクトの脱走も減り、書類仕事に勤しんでいた医療チームはのんびりと迷子の涼風稚貝(すずかぜちか)ちゃんを出迎えてくれた。
 涼風さんを抱っこしたまま黒曜さんたちと室長室へ引っ込み、私は涼風さんを手近な椅子へ下ろす。
「黒曜さんが上層部の席にこだわっていた理由がこれで分かりました」
「……涼風とはどこで?」
「わしから話すよ。今朝、彼女は刻浦に連れて来られての。大丈夫じゃ。彼女は言うなれば奴らとは別の派閥じゃからの」
「……0120が一緒の理由は?」
「長岡さんは私の味方ですから安心してください」
「うむ。ですが星川殿、状況を説明して頂きたく……」
「それはですね」
 説明を簡単にまとめると大人の姿の長岡さんは渋い顔をした。
「恐ろしいことを平気でやりますな、あの御仁は」
「そうね。あと、この手のやり取りも見られてるから刻浦さんには筒抜けだと思っていいわ」
「何と」
 私はフレッドさんのことは伏せ、あちこちのカメラは死角がないように設置されていて上層部は入念に確認していると話す。
「うむむ……」
「それなら何故涼風をここへ?」
「刻浦さんが黙認してくれることもあるって話です。私たちは外にいますから、お二人で話し合いをどうぞ。でも脱走はダメです。私、待ってますからね」
 念を押し、鶴太郎くんを連れ室長室から出る。私が近くのソファに腰掛けると鶴太郎くんも隣へ腰掛けてくる。
「星川殿」
「ん?」
「その、想像以上に大変な仕事でござるな……」
「まあね。でも刻浦さんが手が入れられないところに手を入れるのが私の仕事みたいだし、事態が好転するように努力してみる」
「……えらいですなぁ。いや、本当に。心底そう思いまする」
鶴太郎くんはうんうんと何度も頷いた。
「刻浦さんは根っこに温かいところがあると思うの。でも冷酷な判断が出来てしまうからその必要があればそうしてる。涼風さんの件は自分が手を入れると状況が悪くなるだけだって分かってるから私と滄海さんに知らせたんだと思うの」
「ソウカイ?」
「資料室の人。司書さんよ。どの本がどこにあるか、中身も全部把握してるの」
「おお、すごいお人でござるな」
「そう、すごい人なの」
 黒曜さんと涼風さんの間にはつもりに積もった話があるだろうと思っていたのに、二人は驚くほど早く出て来た。
 鶴太郎くんとの話を切り上げて立ち上がると、黒曜さんは涼風さんの肩を抱いて静かに私たちの前に立った。
「少し、体調不良の面が見られるのでこのまま経過を見ようと思う」
「わかりました。では長岡さん。私の代わりに涼風さんの面倒を見て頂けますか?」
「了解致した。星川署長」
「お願いします。じゃあ、涼風さん」
私は膝を落として彼女に目線を合わせる。
「夕方、食事休憩の時に迎えに来ます。ご友人と食事をしたらベッドに戻りましょう」
「……うむ」
立ち去る私の背に「感謝する」とか細い声がかけられたが、私はただ片手で応えた。

 どう理由をこじ付けるか、と考えている時に限って本人には会わないものだ。
 刻浦さんに出会うことなく夕食の時間を迎えた施設管理部の面々は、食堂で鶴太郎くんが連れて来た涼風さんと合流した。
「あれ? 黒曜さんは?」
「お忙しいとのことで、某たちは他の医療チームの職員と共に参りました。涼風殿はまあ、その」
鶴太郎くんの視線を追い足元を見ると大人しいままの涼風さんのお下げ頭がある。
「……某にはこれと言って何も話さず」
「そう。じゃあみんなで食事をしましょうか」
 和やかにテーブルを囲み、涼風さんのことは特に構わず食事を終えてお喋りをしていると私の袖がツンと引っ張られる。隣を見れば涼風さんが座ったまま俯いていて、私は彼女に顔を近付ける。
「どうしました?」
「そ、その……トイレはどこかの?」
(あっ、そうか。久しぶりに出て来たからどこに何があるか分かってないのか)
「こっちですよ。案内します」
「あれ、涼風ちゃんどうしたのー?」
「ちょっとお花を摘みにー」
「あらー。いってらっしゃーい」
 涼風さんを抱えて急いで女子トイレへ向かい、失礼のないよう外で待っているとその近くを藍色スーツに身を包んだ刻浦さんと太刀駒さん、白迷彩服のイーグルさんが通る。
(会議長引いたのかしら?)
三人が何か話し合っているのをはために待ち続けると女子トイレの扉が開き涼風さんが現れる。
「向こう行きましょう」
 刻浦さんたちから涼風さんを隠すように抱えて廊下を歩き出す。そんな私の姿を刻浦さんたちはさりげなく確認し、太刀駒さんの目配せを受けたイーグルさんがゆっくり後を追ってくる。早る気持ちに連動するように私の歩みも徐々に速くなる。
「……星川管理人」
「何ですか?」
「何故そこまでする?」
「え? 何でって……」
「そなたにうまみはないだろう。ただの勘だったが、確信に変わった。そなたは刻浦には飼われておらん。後釜になる話も信じがたい」
「そ、それはその……」
 何とか科学部署の奥、涼風さんのラボに着き、白カードを使って中へ入る。
「ほー……」
相変わらずの円筒形の水槽たち。涼風さんを床に下ろして奥へ戻るよううながす。
「……ここでよい。わしは仕事に戻るよ」
涼風さんに目線の高さを合わせるも、彼女は私の目を見てくれない。
「星川管理人。そなたをヴァハと呼んだこと、謝る。ヴァハは戦士を戦いの狂気の渦に導くとされる女神での。そなたにはとても似合わぬ」
「いえ、別に謝る必要は……」
「脱走を企てるのはやめるよ。これ以上そなたを巻き込みたくないしの」
 涼風さんはそう言うとラボの奥へと歩いていく。ひどく寂しい、小さな背中に何も言えず、私は……。
「……星川管理人」
涼風さんは振り返らない。
「また、遊びに来ておくれ。水槽の中身は酷いものだがの」
 涼風さんに何も言えず落ち込んで出て来ると、ラボの前ではイーグルさんが待ち構えていた。
「……ご用件は何でしょうか」
 鬱々としているとイーグルさんはスマホの画面を私の顔の前にかざす。
──通例会議のあと緊急会議が入った。一緒に来い。
「緊急会議?」

 イーグルさんに連れられて真っ白な委員のオフィスに入ると十一人になった委員のうち、六人が揃っていた。
所長かつ監査署長の刻浦さん、本部長の太刀駒さん。アーティファクト部門の機葉さん、滄海さん。整備部医療チームの黒曜さん。
「思ったより早かったね!」
 さっきの案件がバレたのかとも思ったけど、太刀駒さんのニコニコ顔を見るからに違うようだ。
「緊急会議とお聞きしました」
「そう。まずは座って」
 イーグルさんと私が加わった八人で会議テーブルを囲むと、刻浦さんが壁に貼り付けられたタッチパネルの電源を入れる。
「数年追っていたアーティファクトが一体、本日夕暮れに日本本土の西側で見つかった。いま緊急輸送中なんだが、かなり動揺していて鎮静剤を打ち込むほかなくてね。アーティファクトの容姿はこれ」
 画面に映されたのは十二歳になるかどうかと言う年頃の男女。手を繋いでいて緊迫した表情でカメラを見ている。顔立ちは標準的な日本人で、鏡に映したように似ていた。
「女児が炬火(きょか)ほのか、男児が炬火いさみ。一卵性双生児の男女で、今回捕まえたのは姉のほのかだ。弟は逃してしまってね」
 手元のタブレットを見るよう促され、視線を落とすと二人の細かいデータが共有されていた。
(パイロキネシス!)
パイロキネシスは炎を操るとされる超能力の一つだが、古代からその存在は確認されていた。魔術の炎使いと違うところは、彼らは炎の能力のみを所持すると言うこと。他の属性は操れない。
「この男女は非常に強力なパイロキネシスでね。捕獲するために投入された部隊を五回全滅させている。到着はもうじき。緊急収容となるけど鎮静剤が効いてるはずだから収容は我々だけで行う」
「私たちだけ?」
黒曜さんは刻浦さんをいぶかしむ。
「そう、私たちだけ。収容場所は極秘にする。弟が姉を追って襲撃してくるだろうから出来る限り場所を秘匿(ひとく)したい。星川くん」
「は、はいっ」
「施設管理部は収容室を作成。今夜の収容に備えて」
「りょ、了解です」
「イーグルくんは特に口の堅い部隊を一つ選んで連れて来て。搬送用の貨物エレベーターはCを予定している。先回りして捕獲班と合流。受け渡しを完了して」
了解、とイーグルさんは握り拳で胸板を叩く。
「太刀駒くんは収容前と完了後に本社へ連絡。それから現地で逃げた弟の情報収集を急いで」
「了解〜」
「黒曜くんは収容後、アーティファクトの診察を」
「承知しました」
「機葉くんは黒曜くんの補佐。滄海くんは仮マニュアルの作成を頼むよ」
「かしこまりました」
「承知しました」
「では、解散」

「フレッドさ〜ん!」
「Hey hey hey, 皆まで言うな」
 施設管理部に残っていたフレッドさんに合流すると彼は七色のネオンがついた自前のヘッドホンを私の頭に装着させる。
「何ですこれ?」
「部屋作るんだろ。迷子にならないようそれ聴きながらついて来な」
 ノリノリで始まったメタルロック。激しいドラムとギターの音に最初は戸惑ったものの、あまりのノリの良さに思わず体がうずく。
「こっち」
 激しい音楽を聴きながらでも聞こえる不思議なフレッドさんの声に従い、私は施設管理部の奥の廊下の先へ先へ。
 突き当たりに来るとフレッドさんの姿はなく、石壁には人形の家のような木製のドアが付いている。
「いいか管理人。ここから先はアンタの想像力が物を言う。思い付く限りの難解な迷路を思い浮かべろ。その先に収容室を作る。収容室もアンタの想像する形になる。よく考えろ。真面目は捨てて、ノリでやれ」
「オッケー」
「オーライ。アンタの思うヘイヴンを作れ!」
 木製の扉に手をかけた。想像したのは不思議の国のアリス。ウサギを追いかけて穴に落ちたアリスが最初に到着するのはトランプの国。
(今は深く考えない!)
上下感がめちゃくちゃになる落とし穴を通り過ぎた私はトランプのJQKAが四方を囲む真四角の部屋に転がり込む。
(柄はもっと小さく)
それぞれの壁に一枚ずつだった絵柄が細かくタイル状に並び、私はそのうちQの柄を選んで先を考える。
(どの壁も裏返しただけじゃどうやっても同じところに戻って来る迷路。来るたびに配列が変わるから辿り着けるのはフレッドさんに許可を得た人と答えを知ってる私だけ。ハートの女王がいる部屋を通り過ぎて、先にあるのはお茶会の部屋)
 一人だけ違う方向を向いたクイーンの絵柄をボタンにして壁を裏返すと、陽が差すグリーンガーデンの中にお茶会のテーブルと食器一式が勢揃い。
(ここの時計は三時のまま。四時にならないとお茶会は終わらない)
街灯のように立った時計を四時にし、お茶会が終わると夕暮れになる。
(夕暮れの庭の迷路をさらに抜けて……)
背の高い樹々で出来た迷路は出来るだけ大きくして、今回の私は迷路を直進して次の部屋の扉を見つける。
(扉は子供の体躯なら通れる大きさと大人が通れる大きさの両方を兼ね備えている。どっちを開けてもすぐ収容部屋には辿り着かない。ええと……そうだ!)
 私は星の海を走る汽車を想像した。駅だ。駅が必要だ。
 扉を開けると古い駅のホームに着いた。汽車はもくもくと黒い煙を吹きながらやって来て、私は運転席に乗り込む。
(汽車は真っ直ぐ進まない。曲がるし、揺れるし、信号があればそれに従う)
いくつかの駅を創造し、私は終点をどこにするか悩み出す。
(嵐の中を進むとか、いいかも)
 ゴロゴロゴロゴロ、ドーンと雷の音がして雨が降り注ぐ。運転席からその先を見て、私は銀河の真ん中に突っ込もうと考えた。
汽車はゴウゴウと音を立てながら光の中へ駆けていく。
 そしてやっと、暗く静かで、四角く切り取られた空間の前で車輪を止めた。
 汽車を降りた私は四角い穴の前に手をかざした。想像上の丸いダイヤルを捻り、春夏秋冬を表すステンドグラスを配置する。
(正解は夏。ここにいるのは夏の日差しのごとき炎の子だから)
 初夏の果物に彩られたステンドグラスについたドアノブを捻る。目を瞑って中に入る。
「ここは広い部屋。端から端まで走ると疲れるくらい広い部屋。剥き出しの石壁は冷たい。でもその冷たさは決して彼らを拒絶しない。彼らの炎を収める場所。それがこの部屋」
 大きな大きな石壁の空間が生まれ、人が住めるような四角い家が建つ。彼らの生家とは全く違うけれど、居心地の悪さを感じさせてはいけない。机も椅子も石で出来た中に仕切りを作り、キッチンやトイレ、子供部屋を作り出す。
 作り終わってふっと息をつくと、いつの間にか人型のフレッドさんが側に立っていた。彼の拍手で私は我に帰る。
「ブラヴァー。見事だったぜ」
「ど、どうでしょうか……。家なんて初めて作ったんですけど」
「まあまあじゃん? 無課金かつ初回にしては」
「ど、どうも?」
 フレッドさんは私の頭からヘッドホンを外すと立てた親指で外を示す。
「収容は直行ルートを俺が出してやる。次から職員が迷い込んだら迷路行きだ。オーケイ?」
「おっけい!」
「いいノリだ。その調子で帰るぞ管理人」


「う……」
 A-n-0122『パイロキネシスA』が目を覚ましたのは翌日の昼前だった。白い石の天井を見た彼女はハッとして起き上がり、自分が見知らぬ子供部屋のベッドで寝ていたことに気付く。
「あ、あれ?」
 彼女はパジャマを着ていた。何でもない普通のパジャマだ。そして階下から聞こえる話し声に耳を澄ませ、少女はそーっと階段を降りて来た。
「あら」
 少女は、一階のリビングで寛ぐ赤毛の女性二人を視界にとらえた。私と、Q-n-0067『不死鳥』のお姉さま。私たちはドレス姿で優雅にお茶を飲んでいて、クッキーと紅茶をそれぞれ口に運ぶ。
「起きたのね。ここへいらっしゃい」
「……誰、ですか」
少女は警戒心と戸惑いを隠せず階段の手すりを握りしめた。
「まずお茶を飲みなさい。話はそれからよ」
「朝ごはんの方がいいかも。わたし作りますね」
「あら、貴女が手料理をする必要はなくてよ」
「いいえお姉さま。この子は初めての場所で不安なの。だから見慣れた料理を出した方が安心するわ」
「そう言うものかしら? 女神に料理をさせるだなんて、古代の王でも早々ないことなのだけれど」
 私はむくれるお姉さまをほっといてエプロンを手に取る。
「ほのかちゃん」
「へっ?」
名を呼ばれて少女は驚き私を見た。
「ベーコンエッグか卵焼きか目玉焼きって感じなんだけど、どれがいい?」
 何を聞かれるのかと思えば朝食のメニューで、少女は呆気に取られたようだ。
「……卵焼き」
「わかった。座って待ってて」
 料理は随分やっていなかったが、自転車の乗り方と同じで勘はすぐに取り戻せた。カウンター越しにパンがいいかとかご飯がいいかと聞きながらほのかちゃん好みの食事を作り上げ、お盆に載せてリビングへ持って行く。
「さあどうぞ」
 作るところを見せたのが正解だったのか、彼女のお腹が大きく鳴いたからなのかは分からないけれど、ほのかちゃんはすぐに食事に手をつけた。
「あらあら。そんなに急いで食べなくても大丈夫よ。お代わりもあるからね」
 白いご飯に卵焼きを載せてがっつくほのかちゃんを見ながら、私とお姉さまは先程までしていた話を再開させる。
「あの時の王の顔と言ったら」
「お姉さまには渋い思い出でも、私からすれば華々しい古代の王国ですねー。いいなーそう言うの」
「貴女もその気になれば女王になれるわ」
「女王様にはならなくてもいいかなぁ……。あ、でもお金持ちの生活はしてみたいかも。毎日こうしてお姉さまとお茶をいただくの。うふふ」
「本当に呆れるほど欲のない子」
 ある程度お腹を満たしたほのかちゃんは私たちの顔をじっと観察していた。
「お味はどう?」
「おい、しいです」
「そう、良かった」
 役割を終えた食器に魔法をかけ、スポンジが勝手に食器を洗い出すのをほのかちゃんはポカンと見つめている。
 私とお姉さまはそのまま話していたのだが、ほのかちゃんはパジャマの裾(すそ)をつかむと意を決して私たちに話しかけて来た。
「……あの」
「なぁに?」
「き、着替えたいです」
「あら。ごめんなさいねすっかり。一度お部屋へ戻りましょうか」
 子供部屋に戻り、クローゼットに手をかける。
(科学部署が用意してくれてるとは聞いたけど何が出てくるやら)
 パッと開くと子供サイズではあるものの特殊な耐火スーツが入っていて、いかにも超能力者ですと言う主張が激しかった。あとはいかにも部屋着なスウェットの上下だ。
(スウェットはナシ。なかなか格好いいけどスーツは気に入るかどうか……)
 ないよりはいいので一応そのままほのかちゃんに差し出してみる。
「はい」
「わぁ……!」
ほのかちゃんの表情がパッと明るくなる。格好いい物の方が好みのようだ。
(やるわね科学部署)
「着替えたら降りて来てね。話をしたいから」
「うん……」
 ほのかちゃんはスーツに夢中だ。子供らしい表情が見れて安心して、私は見えないようにクスッと笑う。
 リビングで再び少女を待つと、ほのかちゃんはヒーロー映画の主人公のようなスーツ姿を照れ臭そうに私たちに披露した。
「似合うわ」
「そうね。寝巻きよりはずっといいわ」
「さて、じゃあ話をしましょうか」

「……じゃあいさみはまだ外に」
 ほのかちゃんは捕まったと言うことを聞くと表情をかげらせた。真実を話した結果心は痛むが、嘘をつくよりはずっといい。
「ごめんなさい。貴女に嘘をつきたくなかったの。離れ離れで心細いのは貴女も彼も同じよね」
ほのかちゃんは黙ってしまった。うつむいて目を合わせてくれない。
「……捕まった時、怖かったわよね。本当にごめんなさい。でも強力な炎使いだと周りへの被害が大きいからと言う、この施設の所長の判断なの」
「……なりたくてなったんじゃない」
「分かってるわ。私もそうだから」
 ほのかちゃんは顔を上げ、切なそうに私を見た。
「私も炎使いなの。でも知ったのはごく最近。こちらにいるお姉さまが、炎の女神さまが導いてくださったから今こうしているの。私は常にここにいられないけれど、お姉さまがそばにいてくださるわ。力の使い方も教えてくださるから、弟さんを待つ間は訓練をしていて欲しいの」
「……いさみは、ここに来る?」
「きっと追ってくると所長は言ってたわ。私もそう思う。二人だけの兄弟だもの。見捨てたりしないはずよ」
「……逃げてって言ったのに」
「貴女が逆の立場ならどうする?」
「……追いかける。いさみが捕まったのなら絶対追いかける。いさみを助ける」
「彼も同じようにするはず」
「……うん」
「ここなら住むところを追われる心配はない、誰もあなたたちに手を上げたりしないわ。私がさせない」
 炬火(きょか)兄弟はボヤ騒ぎや火事を何度も起こしたため疲れ切った両親に見放されており、捕獲班が現れた時も喜んで差し出したそうだ。二人は幼いながらに逃亡生活を続け、昨日いよいよ捕まったらしい。
「ご飯も必ず三食出るし、何も食べられなくてゴミを漁る必要もない。だから弟さんが来たら、説得してここへ住んでほしいの。納得出来ないようなら私にその都度伝えて。何度でも改善するから」
 いつの間にかベージュ色のスーツ姿になっていた私を見たほのかちゃんは複雑な表情をしている。自分を捕まえた大人側からの話だ。信用ならないとは思う。でも食事もままならない生活を幼い二人に強いるのはあまりに無謀だった。
「心が自由であることも大事だけど、今は二人とも成長期の子供よ。毎晩寒空の下で縮こまって眠る生活はさせたくないの。私も、所長さんも」
 私が懸命に話しかけたからなのか、ほのかちゃんは渋々ながらも頷いてくれた。
「……また後で来るわ。お姉さまから手ほどきを受けておいてね」

「様子は?」
「ひとまずは落ち着きました」
「ふむ」
 私の報告を受け取った刻浦さんはタブレットを手に収容室内のお姉さまとほのかちゃんの様子を眺めている。
「他の職員には知らせない方針ではあるけど、0067と同室で大丈夫だろうか」
「プライドの高いお姉さまなら妹から預かった子供を放り出したりしません。騒ぎなんて尚更」
「そのプライドが原因で何度も脱走しているんだけどね、彼女。まあいい。今回は君の采配だ。任せるよ」
「ありがとうございます」
「昼食はどうするの?」
「またほのかちゃんと一緒にしようと。初日ですし、不安だろうから」
「まあそうなるだろうね。でもディナーは決行するよ。ドレスは……作りに来させよう」
「えっ?」
中止だろうと予想していた私は意外な言葉に目を丸くする。
「用事を作らない限り妻に会えないからね。さすがに我慢出来なくなってたんだ。星川くんを言い訳にして私は何としても妻と食事をするよ」
刻浦さんの静かな瞳の下で炎がメラメラと燃えていた。
(ほ、本当に奥さんを愛してるのね……)
「構わないね」
「も、もちろん!」
「すぐに実家の者を呼ぶよ。何着か持って来させて、その場で寸法を直させる。それなら間に合うだろうから。ではね」
「は、はい」


 そう言うわけでドレス屋さん、テーラーが私の元へやってきた。一見職人さんにもデザイナーさんにも見えない、長い黒髪を腰より下まで垂らした静かな美女。所内を一通り見てきたであろうにあまり驚いていないところを見ると、この施設には何度か足を運んでいるのだろう。
 彼女は女性更衣室の一角にパーテーションを設け、私と対面している。
「ではまず、採寸をいたしましょう」
「はい、よろしくお願いします……」
 この美女、なんだか既視感がある。この迫力がありつつも静かな感じ……。そう、刻浦さんに似ている。
「あの、不躾だったら申し訳ないのですが」
「はい」
「もしかして刻浦さんのご親戚の方ですか?」
「ああ、わたくしは……。そうですね、どう説明すればよいか……」
 黒髪美女はさっさっと私の採寸を進めつつ、言葉を選んでいるのか押し黙る。
「そうですね、ではまずノア様のご家族について。ノア様には“人間の”お母様がいらっしゃるのですが」
 言い方からして、彼女は私がある程度刻浦さんの背景を知っていることを把握しているのだろう。
「お母様はノア様がお腹にいる時にはすでにまともに覚醒しておられず、夢に囚われておいででした」
「夢に……?」
「あなた様も参りましたでしょう? 夢の世界へ」
(ああ、夢って異世界のそっちのこと)
 人ならざる異形たち、アーティファクトにも故郷が存在する。彼らはこの目覚めの世界ではなく、夢の世界にある非現実的な空間からやってきている場合もある。
「お母様はずっと眠っておいでで、幼いノア様には心の拠り所、保母(ナニー)が必要でした。わたくしはノア様のお母様を元にして作られた、人形なのでございます」
「人形?」
 人形といえば球体関節。つい彼女の首や手首を観察してしまった。でも肌はつるんとしているし、ぎこちなく動く様子も見受けられない。
(普通に美女で、人形には見えないんですが……)
「ノア様のお母様を元にしておりますので、ああ、髪の色や瞳の色などは違うのですが……面影と言いましょうか。似ていると感じるのは当然のことと思います」
「そうなんですね」
「ええ。さ、後ろを向いて」
(人ならざる赤ちゃんのために用意された人形かぁ……。それって道具? 人?)
 人形さんは二、三着私の顔に合いそうな色を選び、その場でまち針を使って私の体に合うようドレスを調整していく。
「……あの」
「はい」
「では人形さんは……刻浦さんをご幼少の頃からご存じなんですね」
「ええ。学校の入、卒、全てを見届けてきました」
(て、ことは軽く千年は生きてる人形なのね……)
「すごいですね」
「いいえ、わたくし自身は何も。維持しなければ壊れてしまいますから。これまで手入れをしてくださっているノア様の御心(みこころ)が全てです」
 刻浦さんにとってそれだけ思い入れがあると言うことなのだろう。
(寝たきりのお母さんに似せた人形に育てられた……。それで表情に乏しいのかしら?)
 人形さんは手を止めて私を見上げるとふ、と微笑んだ。
「どうか、ノア様をよろしくお願いいたします」
「え? ああ、いえこちらこそ……」

 なんだったんでしょう、さっきの人形さんとのやり取りは? 家族の顔合わせみたいな雰囲気でしたけど。
 採寸が終わって施設管理部へ戻ると、刻浦さんが私のデスクに悠々と座っていた。そしてその様子を不満そう〜に見ている私の一部の部下たち。そりゃ刻浦さんがここの所長だって知らないなら不満も出るでしょうね。あとでどう言い訳しよう?
「ドレスはどうだった?」
「ドレスのほうが綺麗すぎて迫力負けしそうでした」
「そんなことはないと思うけど。まあいい、移動しながら話そうか」
 私は部下から急ぎの判子をせがまれ、二、三個書類を通過させたあと刻浦さんと廊下へ出る。
「あ、人形さんのお名前を聞き忘れました」
「彼女は君を気に入っていた?」
「ええと、刻浦さんをよろしくお願いしますと……」
「そう、よかった。では仕事の話だけどね、A-n-0122『パイロキネシスA』の相方、炬火(きょか)いさみがこの施設に“穴を空けよう”と試みているらしい」
「昨日の今日で? ほのかちゃんを保護したの西日本じゃありませんでした?」
「姉より弟のほうが優秀なパイロキネシスでね。どうも人間の体ではなく完全な炎になれるようだ」
 刻浦さんはタブレットの表面を撫で、私のタブレットへ報告書を移動させる。画面では人の姿を捨て、道路の表面を撫でるように走る炎の姿で移動するいさみくんの動画が再生される。
「この状態は初めて観測されたよ」
「うーん、なまじ力が強いと厄介ですねえ……」
「そうだね。いい案はあるかい? 施設管理部、星川署長?」
 何ともまあ楽しそうに口の端をあげること。刻浦さんは今の、不死鳥の子孫となった私の実力をはかりたいのだろう。
「出来れば怪我はさせたくないし、すんなりほのかちゃんの元へ誘導したいのですが……。好戦的と言いますか、いさみくん」
「生い立ちを考えれば大人という大人は信用ならないし、まず攻撃してくるだろうね」
「うーん、ほどほどに戦闘で満足させつつゴールに報酬としてほのかちゃんを設置、油断したところをちゃっと捕まえたいです」
「そのためにはどうする?」
「どうしましょう……。ゲームっぽいステージを用意しましょうか……。でもあからさますぎても怪しまれそう……」

 私がブツブツ考えている間に、足は委員会のオフィスへ向かっていた。刻浦さん自ら暗証番号と静脈スキャン、白いカードでの認証を済ませ私は後ろから続く。
 相変わらず真っ白なオフィスでは、スクリーンの前で委員がずらりと並んで待っていた。ほのかちゃんの時とは違い、全員揃っている。
(あ、もう一般人委員にも情報共有するんだ)
「いま現在のA-n-0123の様子は?」
「崖登り中かなぁー」
 のんびりした声を出すのは本部長の太刀駒(たちこま)さん。委員が揃って見守るスクリーンには、この施設の外壁に張り付いている薄汚れた格好のいさみくんの姿が映る。
「驚かせて奈落の底に落ちても困るし、考え中ー」
「ふむ……」
 私は相変わらず持っている石の杖(お姉さま)を取り出すと、耳の裏へ近付けて念話をかけている風な態度をよそおう。話したい相手はこの施設本体であるAIのフレッドさんだ。
「もしもし」
「Oh,用事かい?」
「いま外壁に張り付いている男の子がいるんですが、位置わかります?」
「んー、南東の塔かな」
 私が魔術部署出身なことは普通の人間の委員さんたちも知っている。なんかやってるな、という視線がチラリと飛んでくる。
「うまい感じに出っ張り動かして、一度落として排水口みたいな場所へ誘導できますか?」
「出来るぜ!」
「はい、そうしたらあからさまに安全に着地させないでください。若干スリリングな捕まる場所を用意していただいて」
「OK!!」
「合図するのでお待ちを」
 私は映像を見ながらいさみくんが足を踏み外しそうなタイミングを狙う。
「……今!」
 フレッドさんの制御によっていさみくんは突然動き出した出っ張りから足を踏み外し、その下に用意された鉄のハシゴに何とか掴まった。
「グッジョブです」
「他にご注文は?」
「今のところはございませんので、書類仕事へお戻りを」
「人使い荒いぜ署長!!」
 いさみくんは何とかハシゴを登りきり、排水口へ入っていった。
「とりあえず中へは入れましたが……」
「入ってきたら暴れるだろうねぇ!」
「そうですね。職員たちにどう対応させましょうか……。侵入は侵入なんですよね。こちらが誘導してますが」
 正直、職員にもいさみくんにも怪我はしてほしくない。両方に損失を出させるなんて無駄なことはしたくない。
「星川くん、今は何を考えてる?」
「職員にもいさみくんにも怪我をさせたくないので、鉢合わせないように誘導したいなと……」
 土の精霊である刻浦さんと太刀駒さん、太刀駒さんの忠実な部下であるイーグルさんは私の様子見といった感じ。ほかの委員さんは余計な口出しをしないように命令されているのか、心配そうに私をチラチラ見る。
「あ」
 私は思いつきが可能か確認するべく、いさみくんのプロフィールを確認する。
「いさみくんって正義感強いですよね?」
「そうだね。弱い者には手を上げないし、女性には基本優しい。姉がいるからだろうね」
「私が囮になって誘導します」
 私は杖を使って己の姿を懐かしい茶髪の小娘に変化させる。服装も普通の職員と変わらない、ジャージのような作業着へ変える。
 さっさと委員のオフィスを出た私は、フレッドさんへ念話を飛ばしながら走り出す。
「私をいさみくんと合流させてください! 偶然を装って!」
「オー、面白そうなこと考えてんな?」
「新人職員の星川ちゃんなら、いさみくんも油断しそうだなと思いまして!」


 何だかひどく昔のことに思えて懐かしい。ここへ来たばかりの頃は全力で走り回ってた気がする。
 ぐねぐねと変化し続ける廊下をひたすら走ると、人気のない石壁の区画へ出た。そこへいさみくんが真横から……えっ?
「わぁ!」
「きゃあ!」
 お互い勢いを殺す暇もない私たちはぶつかってその場に転んだ。
(いったぁ! ちょっとフレッドさん!?)
「ここは演技じゃねえほうが説得力あるって!」
(そうかもですけど!!)
「痛ぁい……」
 私がのろのろと腰を上げるといさみくんは拳を握って構える。ごめん、ちっとも怖くないです。可愛らしい。
ただ、痩せ細った手首を見たら良心がチクリと痛んだ。
「お前、ここのやつか!」
「えっ? だ、誰? ぼくどこから入ってきたの……?」
「ほのかはどこだ!!」
「ほ、ほのか?」
 私は新人で何も知りません、という顔でいさみくんを見つめる。いさみくんはまだ警戒しているけど、私を無害と判断したのか拳を下ろして距離を詰めた。
「あんた、なんて名前?」
「ええと、私は星川と言います……」
「星川、さん。俺に似た女の子知らない? 兄弟なんだ」
「ええと、ごめんなさい。君くらいの小さい子はいなかったような……」
「絶対ここにいるはずなんだ」
「う、うーん……」
 私は転んだ勢いで杖(お姉さま)がいなくなっていないかホルダーをチラッと確認した。お姉さまはきちんと収まっていた。
 私が胸を撫で下ろすと同時に、いさみくんは武器だと勘づいたのかさっと離れた。
「それ、なに?」
「え? ああ、杖です。ええと、私魔術師見習いで……」
「まじゅつ? 魔法使いってこと?」
「ええ、まあ」
 いさみくんは私を信じていいのかどうか、探るような目を向けてくる。私はへにゃ、と笑ってみせた。
「私、火属性なんですけど、火以外はてんでダメで……へっぽこなんですよ」
「炎使いなのか?」
「極点型って言い方をするんですが、まあ火しか得意なものがないんですよね。みなさん他の属性も、水魔術とか土魔術とかできて器用なんですけど……」
 ポリポリと首筋をかいていると、いさみくんは炎使いと言うところに親近感がわいたのか、視線を外してぽつりと呟いた。
「やりにくい……」
 聞こえていない振りをして「え?」と聞き返すと、いさみくんは何でもないとかぶりを振る。
「何でもない。ほのかがいそうな場所に心当たりある?」
「え、うーん……。職員さんのご家族が使う面会室はありますけど……」
私はいさみくんの全身を確認するため視線を動かす。
「……面会って感じじゃないもんね」
「ほのかは捕まった。あんたの仲間に」
「え、てことは収容されたんですか? 君アーティファクトなの?」
「あーてぃふぁくと?」
「ここに連れてこられる……人とか、人じゃない人をそう呼びます」
いさみくんは両手の拳を強く握りしめる。
「人間だと思ってないってことか……」
「え、ええと……ぼく?」
「ぼくじゃない。いさみ」
 名前を聞き出せた私はほっと息をはいて笑顔になる。
「いさみくんね。ええと……一旦お水飲もうか? あ、お腹空いてる?」
「空いてない! そんなことよりほのかを……!」
しかしタイミングよく、いさみくんのお腹がぎゅうっと鳴る。
「い、今のは……!」
「と、とりあえず隠れよっか。ね。ご飯も食べたほうがいいよ」

 私がいさみくんを誘導しつつ天井の一角をチラリと見上げる頃、委員のオフィスでは刻浦さんと太刀駒さんが私の働きぶりを褒めていた。
「相変わらず自己犠牲ではあるが、懐いたようだしいいとしよう」
「星川さんってアーティファクト懐かせるの上手だよねえ〜!」
 刻浦さんと太刀駒さんの後ろでは、私の細かい事情を知らない人間の委員たちがひそりと顔を見合わせる。
「やっぱり抜擢(ばってき)されただけあってこう……」
「ええ、他の職員には真似できないですよね……」
 黒曜(こくよう)さんは唯一、私の顔を静かに見つめていた。

 私は一般職員と遭遇しないようフレッドさんに道を作り変えてもらいながら、自分の私室へいさみくんを隠した。
「ごめんね、ここにいて。食堂で何か買ってくるから。いい? 動いちゃダメよ?」
 私はいくらか場所を離れて物陰に身をひそめる。そのままフレッドさんへ念話を飛ばした。
「どうです? いさみくん大人しくしてます?」
「いや、抜け出す気満々だなこりゃ」
「でしょうね。大人は基本信用なりませんもんね……」
 このあといさみくんは私の部屋を抜け出して一人でほのかちゃんを探しに行くはず。二の腕を組んでうーん、と考えているといさみくんが早速廊下をこそこそと移動していった。
「どうする? 星川署長」
「誰かと遭遇しないように迷路へ誘い込んでください。考えるので時間を稼いで」
「OK」

 私は姿を戻して食堂へ向かった。購買でシャケと梅のおにぎり、ペットボトルのお茶を買い亜空間へしまう。
(うーん、どうしようかな……)
 腕時計を確認すると正午寸前といった感じ。
(ぼちぼちほのかちゃんお昼食べるかな?)
私は消化によさそうなかけうどんを二食頼み、お盆を二つ持ったまま食堂を離れる。
「フレッドさん」
「おう、姉貴のところか?」
「はい。ほのかちゃんにお昼を持って行きたいので、直通通路をお願いします」
「OK OK」

 A-n-0122の収容室へ着くと、ほのかちゃんは不死鳥のお姉さまから炎の操り方を教わっていた。
「あ、星川さん!」
「あら、早かったわねヒカリ」
「ただいまー。ほのかちゃん、お昼うどんにしたんだけど大丈夫?」
「うん、お腹ぺこぺこ!」
 私たち三人は石の家のリビングで腰を落ち着けた。うどんをすするほのかちゃんにいさみくんが到着したことを伝えると、彼女はあまり驚いていないようだった。
「いさみは足が速いの」
「普通の人が考える足の速さじゃないわよね……。私としてはここまですんなり通したいんだけど、いさみくん、ほのかちゃんを取られた! って怒ってるみたいだから……」
 ほのかちゃんはうどんをスルッと完食してしまい、物足りなさそうにしていた。私は亜空間からおにぎりを取り出す。
「いさみくん用に買ったんだけど、食べる?」
「いいの?」
「もちろん遠慮しないで。また買えばいいもの。あ、中身はシャケと梅干し」
「じゃあ梅干しもらいます。いさみ、梅干し嫌いだから」
 一人で悩んでても仕方ないな、と思い私は天井を仰いでフレッドさんに話しかける。
「フレッドさん、いさみくんって今どうしてます?」
「Oh,すばしっこいんで小さい部屋に閉じ込めたぜ」
「上の方々と共にいさみくんの様子を見たいのですが」
「OK」
 フレッドさんが用意してくれたスクリーンが天井から降りてきて、私は委員のオフィスといさみくんの映像を同時に目にする。
「やあ星川くん」
「皆さまお疲れ様です。いさみくんなんですが、やっぱり一回では信用してくれなかったので対応に悩んでます」
 それは仕方ないね! と太刀駒さんが刻浦さんの横で頷く。
「使いたいなら警備部使ってくれていいんだよ星川さん!」
「うーん、警備部のおっかない男性たちに追いかけられたらいさみくん今度こそ信用してくれなくなると思うんですよ……」
 太刀駒さんと刻浦さん、科学部署の機葉(はたば)さんが顔を見合わせる。
「殺傷能力のない武器は?」
「ございますわ。水鉄砲とかいかがかしら?」
「だそうだよ、星川くん」
 刻浦さんの表情を見るに、いくつか手段は提示してくれるけど、基本は私が考えろと言うことなのだろう。
「水鉄砲持った大人と追いかけっこですか? うーん、どうせなら楽しく追いかけっこしたいですよねぇ……。警備部の制服にカラフルなものありませんか?」
 警備部署長のイーグルアイさんの主人たる太刀駒さんは残念ながら、と首を横に振る。そういえばイーグルさんがオフィスからいなくなってる。すぐ出られるように待機してくれてるのかしら?
「水鉄砲も含めてピコピコとか、オモチャですよ! って感じの装備だといさみくんも気が緩むと思うんです。そう言う装備あります?」
「ございますわ」
「では警備部の皆さんは装備をおもちゃへ変えてください。追いかけっこのルートは今から考えるので……」
 そこまで言いかけると、ほのかちゃんが私のスーツの裾を引っ張る。
「ん?」
「あの、いさみ謎解きとか好きだよ」
「あら本当? クイズに正解したら進める部屋とか好きかな?」
「うん! あのね、ジグソーパズルとかルービックキューブとか好きで……」
「いいわねぇそれ」
 ほのかちゃんからスクリーンへ視線を戻すと、待機中の警備部隊が科学部署と合流して装備を変えている様子が映し出されていた。
「警備部はどこへ配置する?」
「0122収容室のすぐ近くへお願いします。謎解きさせて近くまで誘導して、ゴール寸前で警備部と追いかけっこ。収容室へ自ら入らせます」
「了解。では警備部への指示は太刀駒を経由して。科学部署には予備の装備を用意させよう」
「はい、お願いします」
 委員側が通信を切ったので、私は天井に収納されていくスクリーンを眺める。
「フレッドさん、収容終わったらご褒美用意しますよ。何がいいですか?」
「マジかよ!? ギター!! ギターがいい! 欲しいのがある! アンプも新調してえ!」
「え、楽器ですか? 経費で落ちるかしら……」
 ダメなら私の給料からになっちゃうな。まあ、使う予定ないからいいか。
 私も食事を終え、椅子から腰を上げるとこの間(かん)放置しっぱなしだったQ-n-0067、不死鳥のお姉さまを誘ってソファへ移動する。
 私が甘えて抱きつくと、お姉さまは笑顔になった。
「終わったらお姉さまにも何かプレゼントしますよ」
「あら、そう? そうねえ……何にしようかしら? うふふ」
 お姉さまから頬へのキスを受けつつ、緊張を緩めて猫のように彼女に甘える。
「あー、忙しい……」
「そうね。でも腕の見せ所よ」
「わかってます……。うーん、もう一息頑張らなくちゃ」
 やや疲れた表情をして収容室を後にする私を、ほのかちゃんは複雑そうな表情で見送った。


 私もうどんでは物足りなかったので食堂へ戻り、パンケーキを口へ運びながらタブレットを使ってクイズ形式の脱出部屋の案をフレッドさんへ提出。フレッドさんはすぐ作れそうな順番で部屋を作成して、恐る恐る謎解きをするいさみくんの映像を送ってくれる。
(いさみくんのご飯も用意しなくちゃ)
 おにぎりもいいけど、お子様ランチとか好きかな? フレッドさんに通信を繋いでもらってほのかちゃんへ連絡を取ると、いさみくんも彼女もオムライスが好きらしい。
「クイズの正解に大きなオムライス用意しましょうか?」
「食い物で釣るのか? エグいな〜星川署長」
「お腹が満たせれば攻撃性も落ち着きますし」
「それは一理ある。わかった。送ってやるから用意は食堂でしてくれ」
「了解です」
 厨房へ大きなオムライスを頼み、私はその間に通常業務の書類仕事をちょこちょこ済ませる。
(なんか刻浦さんっぽい。所長の動きもこんな感じなのかしら? まあ、忙しさが桁違いだろうけど)
 一日二十四時間じゃ足りません、全然。これじゃプライベートがないわ。今なら奥さんとのディナーにしがみつくのもわかる……。
 書類を終えたのでうーんと背伸びをし、椅子から立ち上がると同期らしき女性職員が三人組で私へ近寄った。
「ん?」
 何か用かしら、と思って視線を向けると彼女たちは気まずそうに顔を見合わせる。
「何ですか?」
「え、ええと……」
 タイミングがいいのか悪いのか、私の無線に通信が入る。
「はい、こちら星川」
 相手は喋らず、無線のマイクの上をトン、と叩く。
「あ、イーグルさん。準備完了ですか?」
もう一度トン、と肯定が返ってくる。
「了解です。そのまま待機してください」
 それで? と女性職員たちに視線を戻しても、彼女たちは気まずそうに黙っているだけだ。
「すみません、危急でなければあとでお願いします。いま収容の真っ最中なので」
「え、収容……ですか?」
「職員にもアーティファクトにも怪我をしてほしくないので一部の職員で対応しています」
「星川署長、ご注文のオムライスでーす!」
「あ、はーい! すみませんそれでは」
 大人の頭より大きいオムライスに駆け寄る私を、女性職員たちはしばらく見つめていた。

 フレッドさんがいさみくんのいるクイズ部屋へ通じる廊下を用意してくれたので、私はお盆を持って歩く。積み木のように変化していく廊下の先では藍色スーツの刻浦さんが待っていた。
「あら刻浦さん。委員のほうは大丈夫なんですか?」
「一旦状況が落ち着いたから、各署長をオフィスに待機させたまま通常の仕事をしてもらっているよ」
「そうですか」
 私たち二人は連れ立って歩く。
「時間の使い方が上手くなったね」
「正直目が回りそうです」
「新人上司にしては上々だよ。あと、そのオムライスなんだけど」
「はい」
 刻浦さんは足りないものがある、と旗付きのつまようじを取り出した。
「お子様ランチと言えばこれでしょう」
「刻浦さん、そう言うところお茶目ですよね……」

 いさみくんは着実にクイズを解き進めていた。フレッドさんが指定した場所へオムライスをお盆ごと置くと、食事はクローシュ、よくレストランで見る銀色の丸いフタを被せられて壁へ吸い込まれていった。
 いさみくんはまたクイズを正解し、出てきたオムライスに驚いて警戒していた。その様子を刻浦さんと一緒に隣の部屋から透けた壁越しに見守る。
「食べるかな?」
「背に腹は変えられないかと」
 いさみくんはしばらくオムライスを睨みつけていたが、ここ数日の空腹もあったのだろう。オムライスを頬張った。
「よかった」
 いさみくんは大人でもお腹いっぱいになるだろうオムライスを完食し、水を飲み干す。お皿に残った旗をつまみ上げて何かに気づいて注視した。
「あら、何か書いてあったんですか?」
「君のアリスは白ウサギを追いかけて不思議の国へ落っこちたよ、と」
「ああ、収容部屋のヒントを? ちゃっかりしてますね」
(ほんと、こう言う仕込みや誘導が上手いのよね刻浦さんって)
「次はどうする?」
 刻浦さんは楽しそうに私を見つめる。私は肩をすくめて、おどけて見せる。
「私もちょっと休憩したいです」
「ティータイムにするなら0122の部屋でしなさい」
「はい。ああ、いさみくんのおやつも用意しておきます」
「そうするといいよ」


 今日は食堂とほかの部屋を何往復したのやら。ほのかちゃんと相談した結果、いさみくんの歓迎会をすることになり、私とほのかちゃんはケーキの生地を作り始めている。この様子は多分委員で共有されているでしょう。警備部の出番もそろそろのはず。
「いさみくん、ニンジンとかピーマンとか梅干しとか、嫌いな物多くない?」
「そうなの。もう、ちゃんと食べないとダメだよってお母さんが……」
ああしまった。嫌なこと思い出させちゃったかも。
 私が様子を見守っていると、ほのかちゃんはかぶりを振った。
「星川さんに食べないとダメよって怒られちゃうんだから」
「もちろんよ」
 このまま順当にいけばいさみくんを収容して業務は完了だったけれど、残念ながらその期待は突然響き渡った警報によって打ち破られた。
 私は調理器具を手放してほのかちゃんを抱き寄せる。ほのかちゃんももう私に警戒は抱いてなくて、よほどサイレンが怖かったのか私の胸に顔をうずめてしまった。
「なに?」
 タブレットを顔の前に掲げると、委員のオフィスと映像がつながった。
 いつも刻浦さんは無表情だけど、それでもやはり砕けた雰囲気をしているんだなと実感した。何でってその、普段怒らない人が怒ると怖くて……。
(刻浦さん青筋浮いてる……!)
 ガチギレの刻浦さんを囲んで委員たちはアワアワ、といった様子。
「……星川くんが頑張ってくれてディナーには確実に間に合うはずだったんだけどね……」
(ああ、本当に楽しみにしてるんですね刻浦さん……!)
「大丈夫です! すぐ終わりますよ!」
 私の顔を二秒ほど見つめ、刻浦さんはふー、と息をついて怒りを引っ込める。
「AIが新たなアーティファクトを感知した。これは完全に想定外の出来事だから、マニュアル班を総動員させるよ。星川くんはこのまま0123の収容を優先。0123のために待機している部隊もそのまま使って。終わったらこっちを手伝ってくれると嬉しい」
「了解しました」
「では指揮系統を分ける。0123の収容に関しては星川くんの指示を仰ぐように。0124の収容は私が指示する」
 げ、私が最高責任者になっちゃった。委員のオフィスとは通信が終わり、私のタブレットには最後のクイズ部屋を正解して、警備部隊が潜む大廊下へ進むいさみくんの姿が映る。私から体を離したほのかちゃんが横からタブレットを覗き見る。
「いさみ……」
「はぁー、よし。いさみくんの歓迎会はこのままやりましょう」
「え?」
 ほのかちゃんはどうして? と言う顔をする。
「大変な時こそ笑顔が必要よ」
私はとびっきりの笑顔を作った。そして無線で警備隊へ連絡を入れる。
「部屋へ追い込んでください」
無線には了解、とマイクを叩く音が響いた。

 警備員に水鉄砲でさんざん追い回されたいさみくんは、無事に木製の扉から中へ落ちて、トランプ柄の部屋へ迷い込んだ。
「ええと、不思議の国のアリスだから……。くそ、ほのかに本借りとくんだった……!」
 収容部屋にいさみくんが入ったのを確認した私は、イーグルさんへ指示を飛ばす。
「あとは大丈夫です。警備隊の皆さんは0124収容の応援へ向かってください」
 タブレットには天井に向かって了解、とハンドサインを送るイーグルアイさんの姿が映る。彼らはすぐに隊列を組み直して、きた道を引き返す。
 私はほのかちゃんと一緒にケーキの生地の焼け具合を見守りつつ、スクリーンに出してもらったいさみくんの様子も見守る。
「さて、頑張れー、いさみくん」

 不思議の国で様々な冒険を終えたいさみくんは、無事にほのかちゃんのいる収容室の最奥へたどり着いた。ついでにケーキもいい具合に仕上がる。
「いちごを載せて、と」
 扉を開け、警戒しつつ中へ進んできたいさみくんはほのかちゃんの姿を見つけると腕を振り抜いて走ってくる。
「ほのか!!」
「いさみ!!」
二人はぶつかるようにして抱きしめ合った。
「早く逃げよう!」
 ほのかちゃんは自分の手を握って走り出そうとしたいさみくんを止める。
「いさみ、先にお水飲もう」
「そんなことしてる場合じゃないだろ!? ここなんかすっげー広いし! 早く……」
 いさみくんはそこで、私と0067、不死鳥のお姉さまの存在に気付く。
「誰かいる……」
「いさみ、聞いて。あのね」
 私はお姉さまと自分のために紅茶を用意して、二人の話には興味がないように振る舞う。
「こう言う時は説得するのではなくて?」
「家族から説得されたほうが聞きますよ」
 二人はその場でしばらく話し合っていた。そして手を繋いで、私たちの元まで歩いてくる。
「星川さん……」
「うん」
 不安そうなほのかちゃんは私に抱きついてきた。ハグを返すと、彼女は表情を和らげる。
「いさみは、納得してないけど、ケーキは食べてくれるって」
「よかった。じゃあ、切り分けましょうか」

 いさみくんはムスッとしてケーキと紅茶を口にした。私はほのかちゃんの時と同じように不死鳥のお姉さまが同室だと言うことを告げ、二人の夕食には施設管理部の職員が付き合ってくれると説明した。
 部屋の隅に設置された警報器を見ても、まだ黄色いランプが点灯している。0124の収容は終わっていないようだ。
「まだかかりそうね……」
「さっきのサイレン?」
「ええ、新しいアーティファクトがこの施設に現れたみたいなの。どれだけ危険かわからないし、私も様子を見てくるわね」
「行っちゃうの?」
「大丈夫、二人が寝る前には戻ってくるわ」
 私が椅子から腰を上げると、いさみくんも立ち上がる。
「ん?」
「……その……」
 私は微笑みと共に、気まずそうないさみくんの肩をぽんと叩いた。
「ほのかちゃんと一緒にいてね」
 私が部屋を出ていくと、ほのかちゃんは「いさみ!」と兄弟をたしなめる。
「ご飯のお礼するって約束したでしょ!?」
「だ、だって……」
「だってじゃない!」

 フレッドさんにA-n-0122『パイロキネシスA』、A-n-0123『パイロキネシスB』の収容部屋の警備を強固にしてもらい、私は歩いて委員のオフィスへと向かい出す。
「フレッドさん。0124の収容、今どうなってます?」
「ちょっと分が悪ぃかもなぁ……」
「そもそも何がきたんですか?」
「アンタが説得できない奴」
「あー、交流できないのは厄介ですね……」

 私が委員のオフィスへ戻ると、刻浦さん以外の委員はいなくなっていた。
「おかえり」
「ただいま戻りました。0124の収容どうなってます?」
 刻浦さんに黙って示されたスクリーンを見ると、警備部ではなく魔術部の職員が羊のぬいぐるみの山を囲んでいた。
「……ぬいぐるみ?」
「下手に攻撃すると分裂する部類」
「ああ」
 それは警備部活躍できないわ。
「荷物検査をかいくぐって紛れ込んだようでね。太刀駒とイーグルくんには犯人を調べてもらっている」
「誰かが持ち込んだんですか?」
「その可能性が非常に高い」
「フレッドさんの感知システムと警備を誤魔化しての持ち込みって、一般職員にできます?」
「どうかな……。持ち込んだ者が騙されているケースも考えられるし、ちょっとした悪戯のつもりだったかもしれない」
「事態が悪化して気付く嫌なパターンですねぇ……」
 魔術師たちは一斉に消失の呪文をかけるが、ぬいぐるみは一体を残して完全には消えない。
「本体の炙り出しは成功しましたね」
「収容場所に悩むな……。これ、触ったら触ったで分裂するんだよね」
「ああ、それで山盛りに……」
魔術師たちが浮遊の魔法を試みているが、魔術では浮いてくれないようだ。
「「うーん……」」
 思わず刻浦さんと二人でうなってしまうと、太刀駒さんから通信が入る。
「犯人いたよ〜! あのね、普通〜に女性職員!」
「そう。それで?」
「“通販で買った”らしいんだけど、その通販サイト跡形もなくなってるんだよね〜。決済情報は残ってるけど会社が蒸発してて〜」
「我々のような企業の手先かな? 内部崩壊を狙ったのかもしれないね」
「ライバル企業とかあるんですか?」
「なくはないよ。太刀駒、その職員拘束しておいて。割と厳しめに」
「了解〜!」
(刻浦さん、相当怒ってますね……)
 太刀駒さんからの通信が終わると同時に、刻浦さんのタブレットに監査から報告書が上がってくる。刻浦さんはアーティファクトを持ち込んだ女性職員の顔写真を私に見せる。
「あ、この人。お昼に声かけてきた……」
「報告を試みたのか。君はなぜ応えなかった?」
「すみません、いさみくんの収容を優先しました」
「ふむ」
「事情を知ってる職員、彼女のほかに二人います」
「誰かな?」
刻浦さんは監査のデータをスクリーンに並べてくれる。新卒順に並んでいたため、私は残り二人の同期職員の顔を指す。
「彼女と彼女です」
「共謀したか罪悪感から友人に喋ったか……。太刀駒とイーグルに送るよ」
 刻浦さんはチラリと時間を気にする。
「間に合いそうにないな」
 刻浦さんはオフィスに備え付けの壁掛け電話を取ると、所内全体へ放送をかける。
(刻浦さんが直接放送かけるの異例では……)
「こちらジョン・スミス。所長権限を発動。0124収容中の魔術部署職員へ。人員を半分交代して通常作業にあたるように。魔術部署以外の職員は全ての階級において通常作業を優先せよ。繰り返す。所長権限を発動。0124収容中の魔術部署職員へ。人員を半分交代して通常作業にあたるように。魔術部署以外の職員は全ての階級において通常作業を優先せよ。以上」
 刻浦さんは一度受話器を置くと次に太刀駒さんへ直接連絡を入れる。
「こちらジョン・スミス。太刀駒は本部長権限で容疑者三人を拘束。イーグルアイにも署長権限を使わせるように」
「了解ボス!」
 受話器を置いた刻浦さんがこちらを向いて、思わず背筋が伸びた。
「君はそろそろドレスに着替えて」
「え? あ、身支度ですね」
「そう。並行して、施設管理部は0122と0123の初回作業へあたって」
(うへ!)
「了解しました」
「では移動しようか」

 施設管理部へ戻ると、刻浦さんちの人形さんがサイズを直したドレスを持って待っていた。管理部の面々は人形さんに興味津々の様子。
「星川さん! こちらの美女はどなたですか!?」
(さすが面食いの笹山さん。美女とくれば誰にでも食いつくわね)
「そちらは刻浦さんのご身内の方。ドレスの仕立て直しをしていただきました」
「刻浦さんのご親戚って美男美女しかいないんですか……!? えっ、誰か紹介してください。特に男性」
(佐井登さんもちゃっかりしてるんだから)
「はいはい、雑談はそこまで」
 私が両手を叩くと管理部の面々は私に注目する。
「ジョン所長からの命令で、施設管理部は新しく収容したA-n-0122およびA-n-0123の初回作業へ当たります。署長である私が一番最初の問診をしますが、その後すぐ収容室内に二人ほど残っていただくので、今メンバーを決めます」
「はい質問でっす!」
「はい、円衣さん」
「0122と0123ってどう言うアーティファクトですかー?」
「12歳くらいの男の子と女の子です」
 施設管理部備え付けのスクリーンへほのかちゃんといさみくんの顔写真を映すと、フレッドさん以外の全員は食い入るように画面を見た。
「本当に子供ですね」
「書類の通り、二人とも強力なパイロキネシスです。虐待された経緯があるので大人への信用がありません」
「あら、可哀想に……」
 考えていることが同じだったのか、パッと長岡さんと目が合う。
「星川署長、某が子供の姿で向かうのはどうでしょう?」
「そうですね。では長岡さんは確定で」
「承知いたした」
(笹山さんはお姉さまに鼻の下伸ばしそうだからアウト。えーとそうすると……)
 すると円衣さんが再び手を上げた。
「じゃあ円衣さんが行きます!」
「わかりました、お願いします。加奈河副署長、私がいないあいだ署長代理をお願いします」
「承知しました」
「他の方は……。あ、そうだ暗闇さんもそろそろ支度してください」
「え? 私? って、ああ。プライベートのほうね。了解」
「あとは……大丈夫かな? はい、では各自担当業務を開始してください」
「あー、署長」
 フレッドさんがつまらなさそうに手を上げたので、私は首をかしげる。
「俺はジョンに呼ばれたんでそっち行くわ」
「了解です」
 人形さんへ近寄ると、彼女は軽くお辞儀をする。
「すみませんお待たせして」
「いいえ。では、移動先で支度いたしましょう」
 人形さんに断って署長のデスクでちょちょっと書類作業を終える間、管理部はいつものゆるい雑談タイムになる。
「ナイルさん署長とデート? いいなぁ〜」
「まぁねー」
「星川ちゃん! ちょっとおもちゃの試作取ってくるね!」
「急ぎでお願いしまーす」
「はーい!」
 フレッドさんは耳打ちで、0122&0123収容室への直通用にと鍵を置いてめんどくさそうに部屋を出て行った。

 私と円衣さん、鶴太郎くんと人形さんで0122および0123の収容室へ向かうと、ほのかちゃんが真っ直ぐ私のところへ走ってくる。
「星川さん!! いさみがお腹痛いって……!」
「あら大変!」
 急遽医療チームへ応援を要請して待つと、黒曜(こくよう)署長が来てくれた。
「消化不良ね」
 長年まともにご飯を食べておらず、消化能力が落ちている時に大きなオムライスを食べてしまったのが原因らしい。
「あああ、ごめんね……。ご褒美だし大きいほうが嬉しいと思ったの……」
それこそうどんを用意するべきだった……。
 いさみくんは白湯を飲ませながら様子見、と言うことになり、私はほのかちゃんにだけ簡単な問診を行う。
「ごめんね。本当は二人一緒に質問できればよかったんだけど……」
「ううん、いいの」
 ほのかちゃんへはまずプロフィールが正確か確認。いさみくんの分も確認してもらって、ほかには簡単な質疑応答をする。基本は滄海(そうかい)さんが作ってくれた、食の好みなどの些細な質問。あとは私が必要そうと思った質問をアドリブで入れる。
「はい、質問はおしまい。ご協力ありがとうございました」
 私が丁寧にお辞儀をするとほのかちゃんは照れくさそうにお辞儀を返してくれる。顔を上げると黒曜署長が立って待っていた。
「いさみくんどうですか?」
「引き続き白湯を飲ませて放っておくしかないわね」
「そうですか……」
 円衣さんと鶴太郎くんへ顔を向けると、二人は大丈夫、とグッドサインを作る。
「円衣さんたちが星川ちゃんの代わりにそばにいるよ!」
「どーんと任せるでござる!」
「すみません、お願いします」
 人形さんにうながされ、私は石の家の一室を借りて着替えを始める。
 不死鳥のお姉さまが部屋へ入ってきて、私の準備を、と言うより人形さんの観察を始める。
「土塊(つちくれ)どもにもこんな趣味があるのね」
「人形さんお綺麗ですよねー」
「そうね。人の似姿の中ではそこそこかしら」
おぉ、お姉さまが褒めていらっしゃる。
 人形さんはお姉さまに向かって静かに膝折礼(カーテシー)をして、私の準備にいそしんだ。

 お化粧完璧。髪も結い上げてバッチリ。オレンジ色から黄色のグラデーションが美しいカクテルドレスに身を包んだ私は、一度いさみくんの顔を見に行った。
 二つある子供部屋の片側を訪れると、いさみくんはほのかちゃんに見守られながらベッドで横たわっていた。
「いさみくん、お腹どう?」
 ほのかちゃんに入室許可をもらった私はいさみくんの顔をのぞき込む。痛みのせいか、額にはうっすら汗が浮かんでいる。
「ごめんね、うどんみたいな消化にいいご飯用意するべきだったね……」
 いさみくんはじっと私の顔を睨みつけている。
「……星川って」
「ん?」
「星川って人、二人いる?」
「ああ、そのこと。ええと、あれは私が魔法で変身した姿なの。子供の時の姿よ」
(うーん、初対面で姿を偽るのは誠実じゃなかったかな。印象悪くしちゃったかも……)
「いさみくん、女性には優しいみたいだから。いさみくんに怪我してほしくないし、いさみくんに誰かを攻撃させたくもなくて……。ええとその、誠実じゃなかったかも。ごめんなさい」
 いさみくんはじっと私を見ていたけど、小さな声で「そう」と返した。
「星川さま、そろそろ……」
「ああ、はい」
 私はほのかちゃんに微笑んで、腰をあげる。
「優しい職員さんとあなたたちみたいなアーティファクトの男の子がそばにいてくれるから、必要なことは彼女たちに相談してね」
「出かけるの?」
「ご挨拶しないといけない方がいるの。どうしても外せない用事だから……。なるべく早く戻ってくるわね。それじゃ」


 人形さんと一緒に早足で施設管理部付近へ戻ると、灰色のカジュアルスーツに着替えた刻浦さん、私の髪に合わせて赤いハンカチを胸ポケットに咲かせたベージュのカジュアルスーツの暗闇さん、あと制服姿の太刀駒さんが待っていた。
「お待たせしました〜!」
「おかえり。よく似合っているよ」
「おい刻浦、それ私のセリフだから。星川さん、超可愛いよ♡」
「細かいところで嫉妬していると星川くんに嫌われるぞ」
「言ってくれるねぇ……」
 刻浦さんが人差し指を立てると、全員の視線が彼に向く。
「0124の収容は無事完了した。AIから直接接触させて強制収容の形をとったよ」
(ああ、いわゆるボッシュートですね)
「施設に負担がかかるし滅多にやらない手段だけどね。今日は急ぎだから。はいどうぞ、本部長」
「はい! 該当職員だけど警備の“おかげ”で綺麗に口を割ってくれたよ! なんでも星川さんに嫌がらせしたかったらしいんだよね〜。爆進昇進美人と揃いすぎて嫉妬してたみたい!」
「えぇ……」
そんな幼稚な……。
「通販でイタズラグッズを売っててそれに飛びついたようだよ! あと、施設管理部へ嫌がらせをした職員に口添えをしたのも彼女たち」
「うわぁ……」
「そう。星川くんへ報告 兼 懺悔(ざんげ)をしようと思った時にはすでに手遅れ。監査は彼女たちの評価をしっかり落としておいたから安心して」
「そうですか。お疲れ様です……」
 刻浦さんは人形さんへ左手を差し出した。人形さんは私たちへ膝折礼(カーテシー)をして、彼の手を取る。
「それじゃ、私たちは先に行くから五分ぐらいずらして出てきて」
「わかりました」
「レストランで顔を合わせたらプライベートだから。切り替えてね」
「は、はい」
(ちょっと自信ないけど)
 仲良く腕を組んで去っていく刻浦さんたちの背中をながめ、太刀駒さんへ顔を向けると彼はいつものニカッとした笑顔を作る。
「じゃ、ボクは仕事に戻るね」
「はい、お疲れ様です」
「星川さんのドレス姿新鮮だな〜。ナイルさんが羨ましいよ! じゃあね!」
 暗闇さんと二人きりになり、私は思いっきり息を吐き出した。
「今日ちょっと忙しすぎた……」
「お疲れ様。このあと刻浦の奢りで食事だし、目一杯楽しもう」
「そうですね……」


 アーティファクト収容所で働き始めてからまともに外へ出たのは初めてだ。地上での出来事が平和な夢を見ているように思える。
 タクシーの中で流れていく景色をぼんやり眺めていると、暗闇さんが手を握ってくる。振り向くと彼は微笑んでいた。
「冗談一切抜きで、綺麗だよ、星川さん」
「ありがとうございます。ドレスとか初めて着たんですけど……」
 生地を触るとサラサラ感と滑らかさが心地いい。
「これ、絶対私のお給料じゃ買えない金額ですよね。ドレス」
「まぁ高いだろうね。そういうの気にするの?」
「服に着られているみたいだなと……」
「そんなことないけど? 似合ってるよ」
「ううん……。暗闇さんがそう言うなら大丈夫かな……?」
 タクシーは二十分かけて目的のレストランに到着した。
「ありがとうございました」
 目の前には煌びやかなシャンデリアが透けて見えるレストラン。
「おお、お金持ちの世界……」
「今から圧倒されてたらキリがないよ」
「こんな大きなレストラン初めてですよ」
「そうなの? 昔は市民だったんでしょ? 多少経験あるんじゃない?」
「いや、うちはそう言うところとは無縁……だったと思います。詳しく覚えてないけど」

 レストランの入り口へ向かう。アーティファクトの作業をするよりよっぽど緊張する。
 深呼吸を一つして、ボーイさんに声をかける。
「星川です。ええと、待ち合わせを……」
「こちらでございます」
 あ、名前だけでよかったんですね。
 緊張を隠しきれないままの私と、暗闇さんはレストランの二階へ案内される。
 刻浦さんの姿は見当たらないけど、席は用意されているらしく大人しく腰を下ろす。ボーイさんに椅子を引いてもらうのも初めての経験だ。
「食前酒はいかがなさいますか?」
「えっ」
(十八歳ってお酒飲めたっけ……)
「ロゼを頼むよ。ああ、度数は低めで。彼女はお酒初めてだからデザートワインで」
「かしこまりました。こちらとこちらがおすすめでございます」
 私が戸惑っているあいだに暗闇さんがテキパキと決めてくれた。頼もしい……。
 ボーイさんが離れたあと、暗闇さんは耳打ちをしてくる。
「小ネタだけどね」
「はい」
「多分その姿になった時点で成人もなにもないから」
「え、そうなんですか?」
「星川さんってほんと無欲なところ無欲なままだよね……。そこが好きだけど。女神に昇格したら普通は君の姉たちみたいな態度になるんだよ。酒も服も男から貢がれて当然ってね」
「いや、私そう言うのは……」
「好きじゃないよね。知ってる」
 早速食前酒とおつまみが来たけど、刻浦さんはまだ到着していない。
「た、食べていいんでしょうか……?」
「先につまもう。多分だけど、星川さんが緊張でガチガチになるの目に見えてたから、お酒でリラックスしておいてってことだと思う」
「な、なるほど」
 私がグラスを持ち上げると暗闇さんもグラスを掲げる。
「乾杯」
「か、乾杯」
 初めて飲む赤ワインは、子供の時に想像した葡萄酒そのもので、とても甘い。
「ん、ジュースみたい。おいしい」
「初めてならそのくらいが飲みやすいと思って」
「ありがとうございます……」
 ああ、おいしい。おつまみもなしに結構スイスイと飲んでしまった。
 おつまみはいろんな種類のチーズがお上品に並んでいる。生ハムが一緒のものもあったりして、目移りしてしまう。
「どれから食べよう……」
「楽しんでる?」
 刻浦さんが現れて、私は慌てて立ち上がりかけたけど、暗闇さんが私の肩を抱いてそれとなく止めてくる。
「は、はい!」
「オフだよって言ったのに。リリー、こちらが星川光さん。隣が恋人のナイル」
 刻浦さんが示した女性は黒髪で、瞳の色が薄紫色という不思議な雰囲気の人だった。
(これまた美女……!)
しかも大和撫子タイプ。
「こちらは妻の凛々子(りりこ)」
「初めまして」
「初めまして……!」
 刻浦さんはさりげなくボーイを制して自ら奥さんの椅子を引く。二人は着席するとスパークリングワインを頼んだ。
「ボーイが引くのに」
 椅子を、と暗闇さんが暗に言うと刻浦さんはニヤリと笑う。
「この世で妻の椅子を引いていいのは私だけだよ」
「すごい独占欲。大丈夫奥さん? 疲れない?」
 凛々子(りりこ)さんはクスッと笑うだけでこれといった言葉は返さない。
「ああ、慣れてるのね」
 ボーイさんがさりげなくワインのお代わりを注いでくれて、全員揃ってグラスを掲げる。
「今宵の出会いに乾杯」
「乾杯」
 刻浦さんは私たちがグラスに口をつける間、ご夫婦でも乾杯をする。
「久しぶりの食事に」
「ええ」
 刻浦さん、たまらず笑みがこぼれてますと言う感じ。目尻が下がっちゃって奥さんにメロメロ。
「刻浦のそう言う表情初めて見るなぁ……」
 目の前でイチャイチャを見せつけられると、普段のメールの表情が真実だったんだなと安心する。
(仲良いなぁ……)
 私の気は目の前のチーズへ戻った。一口にチーズと呼んでも色々あるんだなぁと思ってじっくり眺めていると刻浦夫妻は顔を見合わせる。
「チーズは得意じゃなかったかな?」
「え? あっ、違います! たくさんあってどれから食べようかなぁって」
 刻浦夫妻は私の言葉が意外だったのか目を丸くして、ふっと笑みをこぼした。
「あら、ちょっと勘違いしていたかも」
「ああ、半年前まで少女だったからね」
(え? ん?)
「星川さんの素朴さに驚いてるってとこ」
「あ、ああ……!」
「チーズを食べ慣れていないなら手前の右側がおすすめだよ。クセが控えめで甘いから」
「あ、そうなんですね!」
 刻浦さんのおすすめを口にしてみると、チーズなのにデザートみたいに甘くてびっくりした。
「おぉ、これもチーズなんですか……? ケーキみたい……」
「実際にケーキにも使うブランドだよ。ああ、そのチーズ大半が実家のブランドだから」
 ……今なんかすごいこと聞いたような。
「名のある家の息子だって話はしたよね? 実家はワイナリーや牧場と色々手広くてね」
「このレストラン、夫のご実家と取引があるの」
「あらーっ」
 すご〜いお金持ち〜!
 刻浦さんのご実家のチーズと聞いて俄然興味がわいた私は、あれこれとパクパク口にしてみる。
「気に入ったようでよかった」
「この人ね、日本領民があまりチーズ得意じゃないって知った時ものすごくショック受けたの」
「店先のチーズの種類の少なさには驚いたね」

 ワインの甘さとチーズのしょっぱさのおかげで私のグラスはすぐに空いた。せっかくだから色々試してみたら? と刻浦さんと暗闇さんに薦められ、次のワインは別の銘柄を注文する。
「渋い……」
「おや、そのタイプダメ?」
「得意じゃないかもしれません……。やっぱりこう、甘党なので」
「すぐグラスを替えて」
「かしこまりました」
「あああ、もったいない……」
「口に合わないものを無理に飲む必要はないよ。甘めのワインを中心に頼んでご覧」
 私だけワインの進みが早い中、前菜が運ばれてきてやっと食事らしくなる。
 刻浦さんはある程度のところで手を上げてボーイさんを下がらせた。
「どこから話そうかな……。妻には君が不死鳥の末裔だと言うことは話したんだけど、ある意味その程度でね」
 刻浦さんは星の外の言葉を持ち出した。昔だったらごっそり精神が持っていかれただろうに、今は普通に聞けてしまうのが我ながら恐ろしい。
「正直なところ私自身も不死鳥の末裔がなんなのかイマイチなので、大丈夫です」
「いやそれダメでしょ」
「美人で女神なのでお得だと言うことしか……。あと火の魔法が得意なくらいですかね……?」
 刻浦さんと暗闇さんはちょっと呆れてしまったようだ。
「あの美女どもプライド高いくせにこう言うところさぁ」
「不死だからね。時間はいくらでもあるし、必要なタイミングで教えればいいと思っているんだろう。もしくは勝手に備わる知識だと思っていたり」
「後ろ二つが主な理由な気がする」
「お、お姉さまは優しいですし……」
 姉たちのフォローを入れても二人はやれやれという様子。
「こっちで教えるほうが早いかもよ」
「一理ある。そう言えば、跡を継ぐ時は言われたままにしたのかい?」
「あ、そっかその話刻浦さんには詳しくしてませんでした。一応選ばされました」
「ほう、てっきり選択肢などないものかと」
 あ、そこは意外なんですね。
「火だるまか美女か選べって言われたので美女のほうがお得だなと……」
「ああ、なるほど……」
 刻浦さんは残念、と肩をすくめる。
「君を収容したらそれはそれは丁寧に扱おうと思っていたんだけどね」
 て、丁寧な収容……?? ちょっと想像がつかないんですが……。
「なにそれ初耳。箱庭のお姫様にでもするつもりだったの?」
「まあね」
 私の脳内ではアーティファクトたちのお神輿(みこし)に担がれる私の図が浮かんだ。ちょっと面白いのでやめてほしい。
「あなた、娘にするつもりの子になんてこと考えてたの?」
「方針を変えたと説明して話し合ったけど?」
「まあ、本当にこう言うところ苦手なんだから。普通の子は自分を捕まえようと思っていた相手の娘になろうとは思わないのよ」
 凛々子さんは私の顔を見て申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「ごめんなさいね。この人、私と付き合うようになってから随分直ったんだけど、まだこう言うところがあって……」
「ああ、大丈夫です。その、何と言うか普段仕事場で振り回されて慣れてますし……」
「まあ、呆れた」
 凛々子さんは夫の頬をつんとつついた。
「相変わらずの理不尽ね」
「……そうか、そう言うのは駄目なのか……」
「……刻浦ってたまに抜けるよね。それ地でやってるんだ……」
 キリのいいところで刻浦さんが振り向いてボーイへ視線を送ると、次の料理が運ばれてきた。

 あとは他愛のない話ばかりだった。私が意外と映画を見るので、観劇はどうかと言う話になり、次のプライベートでは試写会に連れて行ってもらえることになった。
 凛々子さんは生まれも育ちも日本で、アメリカへ留学した際に刻浦さんと出会ったそうだ。刻浦さんが人ではないと知った上で恋人になり、付き合い始めてから独占欲が強いことを知ったりとか、結構大変だったらしい。
 終始仲のいいご夫婦は笑顔が絶えず、食事会はよい雰囲気のまま終わった。

 刻浦さんたちは食事のあとご実家方面の知り合いの方の夜会に出なければならないらしく、私たちとは早々に別れた。
 暗闇さんに酔いを醒ましてから帰ろうと誘われたので、二人で都会の夜を散歩しつつ堪能する。
「そう言えば星川さん、全然酔わなかったね」
「え? あ、そうですね……? 結構飲んだ気がするんですが……」
「炎系ってアルコール強いこと多いんだよね。消化が早いっていうかな」
「アルコールって燃えますけど、そう言うことですか?」
「そう。まあ例外もいるけど」
「ほうほう……」
 暗闇さんに手を引かれて立ち止まると、私たちは至近距離で立っていた。
(あ! うわー! キスの雰囲気!)
「……していい?」
 ぼわぼわ、と顔が熱くなったので思わず両手で頬を押さえつける。
「ど、どうぞ……」
 暗闇さんは柔らかい、触れるだけのキスをしてきた。唇だけじゃなくて口の端とか頬とか、顔のあちこちに。
 何度も軽くついばまれるので大人しく受けていると、暗闇さんはふっと笑う。
「そんなに緊張しないで」
「緊張するなとか無理です……」
「見た目はその辺こなれてそうな美女なのに、本当に驚くほど中身そのままだよね。そこが好きだけど」
 暗闇さんはそのままでいてね、と仕上げのキスをして私の手を引いた。
「さ、君の優しい監獄へ戻ろうか」
 優しい監獄という例えのせいか鼻の奥がツンとした。あそこにいる色んな人たち、人ならざる人たちには、檻の外は見えない。
(それって、そのままでいいのかな……)
「星川さん?」
「な、なんでもないです……」
 せめてあの場所が心地よいものでありますように。そう願ってきたけれど、彼らに目隠しをさせたままなのはいいことなのだろうか。
 すぐに出ない答えに悶々としながら、私の踵はコンクリートの道路を弾いた。


次作へ続く

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