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08 ?-※-012■の記録

前作:『07 U-r-0083の収容記録』


「何ですか?」
「い、いや……」
 不死鳥の跡継ぎとして目覚め、赤いストレートヘアの美女になってしまった私は食堂で普段通り0083部署のメンバーと朝食を摂っていた。加奈河さん、佐井登さん、雨江嶋さんの三人は姿が変わった私に全く気付いておらず、暗闇さんだけが唖然としている。
(暗闇さんが本気で動揺してる……)
暗闇さんからの視線を痛いほど受けつつも、私は不死鳥からの助言通り何でもない振りをして肉じゃがを口に運ぶ。
「魔術の勉強どうですかー? 星川さん」
「んー、忙しいけど楽しいですね。一部難しいものもあるんですけど」
「いいなー。私も魔法使いになりたーい」
「あら……魔術の修行やってみる……?」
「出来るんですか!?」
「手解きならしてあげる……」
「えっ!? やったぁ!? やりたいです!」
「業務に支障がないようにやれよ」
「えー!?」
「そうね……休み時間とか休日を使って……」
「ええー!? そ、そこまではいいかな……」
「あら……ふふ」
暗闇さんはまだ熱心に私を観察していたので視線を受け取る。私は首を傾げて、彼は動揺から警戒へ態度を切り替えた。
「星川さんさ」
「はい?」
「何か、急激に変わったところない?」
「何がですか?」
「君の、背が伸びたとか」
「背? うーん、ないと思いますけど。……あります?」
「いや? いつも通りだよな」
「いつも通り美人さんで羨ましいですー!」
「あはは……」
暗闇さんは訝しんだまま、後から食堂にやって来た駿未さんと円衣さん、鐘戸さんに気付くと彼らを手招いて隣のテーブルへと誘う。
「星川ちゃんおはよー!」
「おはようございます円衣さん、鐘戸さん、駿未さん」
「お、おはよう〜……」
駿未さんは笑顔が引き攣っている。
暗闇さんは駿未さんと目配せをすると椅子を寄せ合い小声でヒソヒソ。
二人の態度に気付かない振りをして私はつい鐘戸さんに視線を向ける。
「なぁに?」
「ああ、いいえ何でも」
「そう? ……星川さん」
「はい?」
「ヘアゴムはどうしたの? いつもまとめているわよね?」
「え? あ、あれ? 忘れたかな?」
と、自分の髪を撫でた時。
「皆さまご機嫌よーう!」
背後から塙山さんの元気な声が響いて、私たちはみんなで彼女へ振り向いた。相変わらず白衣を突き破りそうな逞しい二の腕の、魔術部署署長の肩書きをもつオネエさんはウキウキで朝食を載せたトレーを持って歩いてくる。
「ご一緒していいかしら!?」
「どうぞー。おはようございます」
「おはよう〜星川ちゃん♡ 今日も美人さんねぇ♡」
「あはは、ありがとうございます……」
「署長、星川さんヘアゴムを忘れてしまったみたいで……持ってませんか?」
「あら! もちろんあるわよ〜! ちょちょーっとまとめちゃうから! いらっしゃい!」
「あ、はい。ありがとうございます」
テーブルから椅子を少し離して塙山署長に背を向ける。塙山さんは私の髪を指で梳かしながら耳元でこそっと「女王様から話は聞いたわ」と一言告げる。
「ま〜ほんと綺麗な髪!」
「あはは、特に何かはしてないんですけど……」
「羨ましいわ〜。でもお手入れしたらもーっとサラサラになるわよ? はい、出来た」
「えっ早い」
手で軽く触ってみると、横髪を巻き込んで後ろ髪の途中から三つ編みにし、毛先がバラバラにならないよう上手くゴムでまとめられていた。
「わぁ、器用ですねー。ありがとうございます」
「うふふ、どういたしまして♡」
「そうだ、ヘアゴム購買で買わなきゃ……」
「そのヘアゴム、そのままあげるわ」
「えっ悪いですそんな」
「いいのよ〜♡ 私次の購買で新しいの買うから、その時に一緒に見ましょう?」
「うーん、じゃあお言葉に甘えて」
「うんうん♡ 甘えてちょうだい♡」

 私は塙山さんたちといつも通り魔術部署へ。私を警戒している暗闇さんは駿未さんと共に刻浦さんのところへ向かったようだ。黒い石壁を潜りホテルの待合室のようなホールへ着くと、不死鳥ことお姉さまがいないかと見渡す。
「おはようございまする!」
「あ、鶴太郎くんおはよう」
子供の姿のA-r-0120こと鶴太郎くんが夏縞さんと共に現れ、私は腰を落として鶴太郎くんの顔を見る。
「今日も元気?」
「元気でござるよ!」
「そう、よかった」
「星川殿〜抱っこして欲しいでござる」
「あら、甘えん坊さん」
子供とは言え十歳前後なのでかなり重い。何とか抱き上げて腕に抱くと鶴太郎くんは私の首に腕を回してくる。
「不死さまは先程塙山殿のおふぃすに向かってそのままでござる」
「そう」
「体の不調はないでござるか?」
「今のところは特に」
「そうですか。よかった」
他の魔術師たちは仕事へそれぞれ向かう中、私と鶴太郎くんの光景を微笑ましく眺めている。
「兄弟みたいね」
「鶴太郎くーん、もうそろそろいい?」
「む、すみませぬ」
床に下ろされた鶴太郎くんは夏縞さんと顔を見合わせてから私に視線を戻す。
「某も医務室に勤めに参りまする」
「うん。いってらっしゃい」
「行って参ります。星川殿も頑張ってくだされ〜」
「はーい、頑張ります」
手を振って夏縞さんと鶴太郎くんを見送り、私も魔術の鍛錬に向かおうと入り口から背を向けたが、二人と入れ替わるように刻浦さんが藍色のスーツ姿で現れる。
「星川くん」
「あら、刻浦さん。おはようございます」
「おはよう。部署外の仕事で連絡があるから、半日借りていいかな?」
「分かりました。塙山署長に話して来ます」
「私が頼みに行くからいいよ。待っておいで」
「はい」
刻浦さんは相変わらずの鉄面皮で私をチラッと見てから塙山さんの元へ向かった。
しばらく待つと塙山署長のオフィスから本人と刻浦さん、そして火の鳥が現れる。火の鳥は塙山署長の肩に留まったまま穏やかな目を私に向けた。
(おはようございます、お姉さま)
(おはよう愛しい子)
刻浦さんは微笑む私たちを観察してから、私を連れ魔術部署を後にした。

 私は委員会のオフィスまでの道中、特に質問を受けることもなく刻浦さんの後ろをついて行った。
相変わらず警備部は真っ白なオフィスだし、委員会のオフィス前には警備員が物々しい銃を手に仁王像のように立っている。
 刻浦さんが暗証番号や指紋認証の手続きを済ませてオフィスに入ると、マニュアル作成班の面々が私を待ち構えていた。ただし総務の伊志田さんなどはおらず、本部長の太刀駒さん、イーグルアイさん、科学部署署長の機葉さん、駿未さんだけだった。火の鳥が言っていた土の精霊とその部下のみのようだ。
(さすがに暗闇さんはいないみたい)
「星川くんはここへ立って」
「はい」
普段置いてある会議室の机は端に寄せられていて、私は空いたところへ立たされる。委員と駿未さんは腕を組んで私を観察し、目配せをする。
「どう思う?」
「どうも何も……大混乱だよ」
「イーグル、君は?」
イーグルさんはハンドサインを使って太刀駒さんと刻浦さんに何かを話す。
「イーグルくんは“申し訳ないけど質問の意味が分からない”って」
「なるほど。星川くん」
「はい」
「昨日、何か変わったことはなかった?」
「え? ……いいえ、何も?」
「ふむ。では今の自分についてどう思う?」
「今の私?」
私は考える素振りを見せ、首を傾げる。
「すみません、おっしゃってる意味がよく……」
「ナイルさんの前でもこんな感じだったよ」
「ふむ……。機葉は?」
「変化は知覚しています」
「そうか。では我々だけか」
「えーと……?」
「ボクの手入れが入ったイーグルくんすらこれじゃあ魔術部署もみんなダメかなぁ?」
「鐘戸さん今朝なーんにも言いませんでしたよ。加奈河くんと円衣さんは言わずもがな」
「うーん、彼女もか……」
「さっきから何のお話ですか?」
刻浦さんは動かない表情でまた私を静かに観察した。
「存在の上書きだと思うが……本人すら分かっていないらしい」
刻浦さんは英語ですらない“星の外の言葉”を使って同類と話をする。
「自分自身も騙しちゃったってこと?」
「いや、昨日と今日で自分が違うことすら知らないようだ」
「厄介でしょそれ」
「手入れをしたのは我々ですが、この結果は予想していませんでしたね」
本当は話が筒抜けだけど、私は分かっていない振りをして彼らの表情を観察しながら静かに待つ。
刻浦さんは更に考えていたようだが、諦めたのか溜め息をついて一度目を伏せた。
「これでは手の出しようがない。しばらく泳がせよう」
「当初の予定とだいぶ違いますものねえ……」
「イーグルくんはボクの方で認識を直しておくよ」
「いや、イーグルも放っておけ。彼に変化が出たら君が真っ先にわかるだろ」
「あー、うん。わかった。仕方ない」
「星川くん」
星外語から切り替えた刻浦さんに話しかけられ、私は彼の顔を見る。
「はい」
「今日は私と仕事だ。一緒に来なさい」
「え? はい、わかりました……」
(事実上のトップとお仕事かぁ……何するんだろ?)

 刻浦さんは私に優しいし何かされるとは一瞬も疑わなかったため、私は無警戒で彼について行った。
刻浦さんは更衣室に寄って藍色のスーツから制服に着替えると、私に書類を持たせ荷物持ちとして連れ歩く。
 カメラの死角があるあの廊下を通り、普段通らない曲がり角を左に突き進むと非常階段の扉が現れる。非常階段に出た刻浦さんは一階半くだり、黒い壁に据え付けられた扉を開けた。
 収容所の中でもあまり見ない、下半分が木材になっているベージュの壁紙の廊下が現れ私は辺りを見渡しながら刻浦さんについていく。
廊下をジグザグに進んだ刻浦さんはやがて、監査と書かれた部署プレートが示す入り口を潜った。
(いいのかなぁ私、監査に来ちゃって……)
監査部署はアーティファクト部署以上に書類と電子掲示板に囲まれていた。職員はほとんどおらず、数人の頭がデスクの仕切りから見える程度。
「亜紀澤くん」
刻浦さんは一際大きなデスクにかじりついている一人の職員に声をかけた。亜紀澤(あきさわ)と呼ばれた中年の男性は溜め息と共に刻浦さんを見上げる。
「何ですか、刻浦さん」
「こちら、元0083部署の星川くん」
「え? あ、初めまして」
感じの良さそうな小太り眼鏡のおじさんは立ち上がって私に頭を下げた。亜紀澤さんのネームプレートを見ると、そこには署長の文字が。
(あれ?)
「初めまして。……亜紀澤さんが署長さんなんですか?」
「一応ね」
刻浦さんはバインダーで口元を隠して私に目配せをする。私が耳を寄せると刻浦さんは小声で喋った。
「私が所内を歩き回っている間、実際の書類仕事をしてくれているのは彼なんだ」
「ああ、だから署長ってバレないんですね? 刻浦さん」
「そう言うこと」
亜紀澤さんは目を丸くして私を示す。刻浦さんは彼に向かって静かに頷いた。
「マニュアル作成班の子なんだ。新人」
「ああ、それで」
「でも刻浦さん。私が監査に来るのはまずいんじゃないですか? わたし一般職員なんですけど」
「君は言いふらさないし、いいの。今日は手伝ってもらいたいこともあるし」
「機密保持的な観点からどうかと思いますー」
「はは、刻浦さんよりしっかりしてますね彼女」
「言ってくれるね」
刻浦さんはほんのり口の端を持ち上げると亜紀澤さんから遠く離れたデスクへ向かった。私は名義上の監査部署署長に頭を下げ刻浦さんの後を追う。
 場所的にはいわゆる窓際。しかし監査の人間が全て見渡せるいい位置に刻浦さんのデスクはあった。椅子に腰を下ろした刻浦さんはすぐ近くのデスクを指差す。
「そこが加奈河くんの机」
「え?」
振り向いて見ると確かに加奈河さんっぽい積み方の書類山盛りデスクが。机の上には食べかけのシリアルバーが放置されている。
「あらほんと」
「昨日は夜遅くまで机にいたみたいだね。彼の机使っちゃっていいから、これお願い」
「はい。……え? これ監査の仕事ですよね?」
「そう。今日の手伝い」
「え、ええ……」
いいんでしょうか、私が監査の書類見て……。
戸惑いつつも私は刻浦さんの指示通り加奈河さんの椅子にお尻を置いて書類を開く。思いっきり監査と書かれた書類に溜め息をついて、腹を括ると私はボールペンを握った。

 私が監査に連れ去られ書類と睨めっこしている頃、0083部署では暗闇さんがつまらなさそうに紙飛行機を作っては飛ばしていて、加奈河さんの後頭部は的として使われていた。
「お前な!」
「今日も星川さんいなくてつまんない……」
「心底つまらねえって顔してるのは分かるが! 俺は仕事してるんだ! 邪魔するな!」
「だぁってぇー……。あ、ねえ駿未のところ行かない?」
「はぁ?」
「本気で退屈で死にそう……。頼むよ加奈河……マジで頼む」
暗闇さんがしょぼしょぼとした顔をすると加奈河さんは苦虫を噛み潰したような顔をして腰を上げる。
「仕方ないな。五分だけだぞ」
「ありがとう加奈河!」
「加奈河さんも段々甘くなってきましたねー」
「そうね……」

「仕方なくな」
「あらー星川さんいないのか。それは残念だったねナイルさん」
「本気で退屈で死ぬかと思ったよ……」
 駿未さんの部署に着いた暗闇さんは他に誰もいないのを確認すると駿未さんと目配せをする。合図を受け取った駿未さんは加奈河さんの肩を抱いてオフィス内を歩き始める。
「加奈河くん僕のデスク座る?」
「え? 何だ唐突に?」
「まあいいからいいから。はいどうぞ」
と、駿未署長の椅子に座らされた加奈河さんは直後目の前で指を鳴らされ、コテンと眠りに落ちる。
「ホントちょろいよな加奈河」
「そりゃあ僕が調整してますし? それで? 本気で退屈で死にそうだから来たの?」
「まさか。刻浦が星川さんを見張ってる間なにか出来るだろうと思って聞きに来たんだよ」
「そうは言ってもねえ……。僕らも指令は受けてないんだよ今回」
「じゃあ何だ? 星川さんに成長剤を投与しておいてこの結果は予想外ですって本気で言ってんのかあいつ?」
「成長剤のことは気付いてたのね」
背もたれに寄りかかってぐっすり眠る加奈河さんを傍目に二人はそれぞれ空いたデスクに腰を落ち着ける。
「どうせ刻浦だろうと思って」
「まあ実際その通りだよ。正直なところ、あれは僕も知らされてなかった。太刀駒さんとイーグルさん辺りを巻き込んだんじゃない?」
「へーえ」
「ちょっとー本当だって。何なら頭のぞいていいから。潔白だし」
「……まあ君がそう言うならそうなんだろうけど」
「僕がナイルさんに喧嘩売る訳ないじゃない。新参者同士なんだし」
「正直に言うと君に関してその辺は信じてない。刻浦の計画は面白そうだったから首突っ込んだけど、誰が何派かなんて興味なかったし」
「ええー! ひどい! 弟だと思ってたのに!」
「誰が弟だ! 歳的には私が上だよ!」
声を上げ合って、二人は大きく溜め息をつく。
「じゃれてる場合じゃないんだって……」
「そうなんだけどさ……。やってられないでしょ〜これは……。刻浦さんの、いや刻浦さんのお父さんの計画だよ? 千年ものの計画の結末がこれじゃあさぁ……」
二人はさらに溜め息をつく。
「あのさぁ、そもそもこの星に炎の精霊(やつら)が流れ着いて弱体化した子孫を残したからいい感じに育てて捕獲しようって考えが安易だったんじゃない?」
「それ刻浦さんと亡くなったお父さんに面と向かっていいなさいよ。さすがに彼怒るよ?」
「あの鉄面皮で?」
「静かーにキレるからあの人。キレたら怖いよ」
「最悪」
「そもそも君も本気で惚れてたでしょ。このまま順調に事が進んでたらどうする気だったの?」
「さあね。駆け落ちでもしたかな?」
「最悪」
「彼女が炎の精霊として目覚めて暴走してくれなきゃ収容所としては捕獲すら出来ないでしょ。刻浦からすれば生殺しも同然だよねえ」
「そうなんだよねぇ。どうするんだろうこれから……」
「わかんねー。何も考えたくない」
「……彼女に何があったかとりあえず調べないと」
「私乗り気じゃないからやめとく」
「ここに来た時と言ってること違うけど!?」
「もうやだ……昨日までの星川さんを抱きしめてベロベロにキスしたい……」
「案外見た目にこだわるのね」
「君だって加奈河の見た目が昨日今日でガラッと変わったら扱いに困るだろ」
「そうだけどさ」

 午前中しっかり監査の仕事を手伝わされた私は刻浦さんと一緒に食堂へ向かった。
「手伝いをありがとう。午後からは魔術部署に戻っていいよ」
「わかりました」
「魔術部署では鐘戸くんに教えられてるんだよね?」
「いえ、最近の指導はもっぱら塙山さんと夏縞さんなんです」
「……そう。あの二人もいい魔術師だから、よかったね」
「お二人に限らず魔術部署の皆さん優しいんですよー。他の部署の皆さんもなんですけど。えへへ」
「それは星川くんだからだろうね」
「え?」
「君は可愛がられやすいから」
背丈が伸びた私の頭を、刻浦さんは普段と変わらずに撫でる。私が微笑むと、彼も口の端を上げた。
「今日は必ず魔術部署か0083部署のメンバーといてね。明日はまた別の部署の手伝いをしてもらうかもしれないから、塙山くんに話をつけておくよ」
「わかりました」
「ではね」
「刻浦さんお昼食べないんですか?」
「今日は一時間ずらすよ。このまま調べ物をしたいから」
「そうですか。わかりました。いってらっしゃい」
「……うん、行ってくるよ」
刻浦さんの背中を見送った私は食堂の中で見知った顔を探す。暗闇さんと駿未さんが既に加奈河さんや円衣さん鐘戸さんとテーブルを囲んでいたので手を振って近寄る。
「星川ちゃーん! こっち!」
「買ってきたらそのまま座りますねー。椅子取っといてくださいー」
「ふふーん、円衣さんに任せなさーい!」
「お任せしまーす」
 和定食Aセットを購入してテーブルへ戻ると、ぼんやりした加奈河さんの隣で駿未さんと暗闇さんが真面目な顔をして私を観察していた。
「何ですか?」
「うーん……」
「今朝から暗闇さん変ですよ? 私の顔何かついてます?」
「変なのは私じゃなくて君なんだけどね」
「言ってる意味が分かりません」
「いただきます」と手を合わせ生姜焼きを口に運ぶ。食べ物を咀嚼する私を暗闇さんと駿未さんはじっと見つめる。
「……そんなに見つめられると食べ辛いんですが」
「星川さん本気で気付いてないの?」
「だからー、何をですか?」
「これ本気で自己暗示かなぁ……どう思う?」
「僕的には本気で気付いてないと思うよ」
「まあねえ。星川さん上手い嘘つける子じゃないし……。でもそうするとあれじゃない? 誰かに手を加えられたとか」
「そう考えるのが筋だろうねえ」
「お二人の話ほんとさっぱり。ねえ?」
「なになにー? 円衣さんにナイショの話?」
「ああ、はいはい。円衣さんには僕のエビフライあげるから」
「どうしたんだハヤミン!? もらうけど!」
エビフライを一尾もらった円衣さんは笑顔でフライにかじりつく。加奈河さんはぼんやりしたままざるそばを食べている。
「加奈河さんはどうしたんですか?」
「昨日また徹夜したらしくて、ナイルさんと一緒に僕の部署に来たらコテッと寝ちゃったんだ」
「朝のうちは平気だったんだけどな……」
「あらまあ」
私が加奈河さんの顔を覗き込むと、彼は重そうな瞼を持ち上げて私を見る。
「無理しちゃダメですよ加奈河さん。部下にも任せなきゃ」
「いや、あれは自分の仕事だから」
「仕事熱心なのはいいけど熱心すぎるのが玉に瑕って刻浦さん言ってましたよ」
「げ! ホントか!?」
「本当でーす」
「あー……わかった、程々にしておく……」
「そうしてください」
ふと何かを思い出した鐘戸さんが私の顔を見る。
「そう言えば星川さん。午後も刻浦さんの手伝い?」
「あ、いえ。午後からは魔術部署に戻っていいって話でした」
「そう、わかった。じゃあ引き続き訓練ね」
「はい。そろそろ呪文をそらで言えるようにしないとなんですよねー」
「そうね。頑張って」
「頑張ります!」

 それから一週間。午前中は誰かしら上層部の手伝いと言う名目の監視を受け、午後は魔術部署で通常業務と魔術訓練と言う日々が始まった。
 刻浦さんの監査に始まり本部の電話取り、科学部署の研究結果の書記係をこなした私は今日、警備部に連れて行かれた。
「警備部のお仕事って何するんですか?」
真っ白な廊下で目元しか見えていないイーグルさんに問うと、彼は片眉を上げた。

「訓練Aセット開始ィイイイイ!!!」
「オオー!!」
 野太い声と共に始まった警備部の訓練をポカンとして見る私。普段から身につけている重装備にさらに重りを加えた警備員たちは、腕立て二十回、腹筋二十回を終えると室内訓練場を走り込み、石壁をクライミングして降りてきてまた走ると言う訓練メニューを二人一組で行なっている。
(げ、激務……)
私はストップウォッチを持った女性警備員と一緒に彼らの到着タイムをひたすら書き込んでいく。速さを競うので、ストップウォッチ係の女性は到着が遅い隊員に怒声を飛ばしている。
「お前らは亀かコラぁ!! 足を動かせ!! 三周追加だノロマども!!」
「イエス!! マム!!!」
(お、鬼教官ってやつかしら……)

「お疲れ様です。はい、どうぞ」
「ど、どうも……」
 訓練が終わった警備部の皆さんに総務から来た差し入れを手渡していく。差し入れとは言ってもお茶とおにぎり。軽食の提供だった。
「どうぞー」
「ありがとうございます」
総務のおばちゃんたちに混ざってお茶とおにぎりと笑顔を配っていき、最後に来たイーグルさんにもお茶とおにぎりを手渡す。
「お疲れ様ですイーグルさん」
短く頷くと、彼は汗も乾かぬうちに受け取ったお茶を飲み出した。
「警備部の訓練大変ですね。あのー、立ったまま食べちゃうんですか? あらもう終わり? 早食いは消化に良くないんですが……」
飲み終わった缶を回収しようと手を出すとイーグルさんはじっと私の顔を見つめる。
「飲み終わったなら捨てておきます。……何です?」
イーグルさんは懐からスマホを取り出すと手早く文字を打ち込んで私に見せてくる。
──お前をよく観察しておけと上に言われた。
「あー、何日か前からそんな感じですよね。イーグルさん的にはどうですか? 私何か変わった感じします?」
──いや、全く。
「ですよねえ?」
──正直なところ、何を疑えばいいのか分かっていない。
「私もどうして観察されているのかわかりません」
二人して首を捻り、私は空き缶を回収する。
「次は訓練Bセットですよね? 食べたばっかりで訓練するんですか?」
──食事中だろうが脱走したアーティファクトは待ってくれないからな。
「確かに。でもお腹に良くない気がします……」
──これも訓練のうちだ。
「あらぁ……。頑張ってください」
頷くとイーグルさんは相棒の元へ移動していった。

 美女特有の? いい香りと笑顔を警備部にたっぷり振り撒いた私は、お昼をいつもの加奈河さん同期メンバーと共にする。
「と言う感じで、警備部すごかったんですよー」
「オスくさいって有名な部署だけど聞いてるだけで汗のニオイしそーう」
円衣さんは嫌そうに鼻を摘んでいる。
「やっぱり女子がいいよ女子が。いい匂いするしー」
「オスの前でオスくさいって言っちゃう円衣さんの神経〜」
「だってホントだもん! 警備は剣道部と空手部ばっかりだし尚更! 染み付いた防具と道着のニオイ! あーやだ!」
プッとふくれた円衣さんに駿未さんはやれやれと肩を竦める。
「そりゃ体力勝負ですもの彼ら。真っ先に体張ってくれてるんだよ?」
「そう! だからこそ円衣さんは警備部がクサクサむさむさ男集団にならないよう! 優秀な武器と消臭剤を開発してるの!」
「香りの研究やたらしてると思ったらそう言う理由なの……」
「クサイ男はモテないんだぞ! ねえ星川ちゃん!?」
「え? うーん……。まあ確かに警備部の訓練場はちょっとすごかったですけど」
「ほーらやっぱり!」
「でも面と向かって言っちゃダメですよ円衣さん」
「本当だよ。星川さん見習って」
プクッと膨れた円衣さんは唐揚げをモリモリ咀嚼する。
暗闇さんは相変わらず私をじっくり観察していて、私は両腕で頬杖をついて見つめ返す。
「何です暗闇さん? 星川ちゃんに見惚れちゃいました?」
「まあ半分はね」
「暗闇さんこの前からずーっとそんな感じなんですけど、どうしたんですか?」
「どう思う? 駿未」
「僕はもう慣れてきたよ」
「マジ? 勘弁してくれよ」
「だから何ですかー? ねえー?」
暗闇さんは真面目な顔で私を見たあと、優しく指の背で頬を撫でて来た。微笑んで彼の愛撫を大人しく受けると、暗闇さんは溜め息と共に目を瞑る。
「私ももう観念するか……」
「おや、君にしては早いね」
暗闇さんに声をかけたのはいつの間にかそばに立っていた刻浦さんで、私たちは一斉に彼を見上げる。
「刻浦。いつの間に……」
「刻浦さんこんにちは」
「こんにちは。駿未くん、これ一応の報告書」
「あ、はい。ありがとうございます」
「目を通してサインしておいて。他のメンバーにもそれぞれ回してあるから、あと君だけだよ」
「了解しました」
「ではね」
「刻浦さん食事は?」
「今日は早めに食べたんだ。それじゃあね」
「あら残念……」
微笑んで手を振る私に片手を上げ、刻浦さんは食堂を去って行った。

 その晩のこと。刻浦さんは夜勤と称して0083部署のオフィスに顔を出し、暗闇さんに“報告書”を手渡した。
「ひとまず、暫定の報告」
書類にチラッと目を通した暗闇さんは目の前に座った刻浦さんに難しい顔をする。
「つまり、諦めるの?」
「諦めてはいないよ。今後も要観察ってところ」
「放置と何が違うのさ」
「諦めもしないし手放しもしない。彼女に関しては不確定要素があって、我々はその調整を怠ってしまったと言うだけだ」
「火の鳥の子孫でもあることは早々に分かってた癖に」
「そう。だから見誤った私のミスだ」
「……随分としおらしいね」
「彼女なら、我々側になるだろうと言う期待が私の中にあったんだろう。それを予測結果と勘違いしてしまった」
「人間みたいなミスだな」
「そう思うよ」
刻浦さんはやや寂しげな顔で肘をついている。
「あの子と話してると自分がまるでただの人間に思えてくるよ」
「それは否定しない。私もそうだもの。変な話だけど」
「駿未にも言ったけど、あれが彼女の特技なんだと思うよ。我々のような者にすら普通に接してしまうから、相手は自分がノーマルだと勘違いしてしまう」
「我々もアーティファクトも人間社会にとっては異物なのにね」
「そう。そのはずなのにね」
「で? 私の前で反省会をして終わりじゃあないだろう?」
「ああ、うん」
刻浦さんはいつもの調子に戻り、椅子にゆったり座り直す。
「報告書に記した通りA-n-0121『炎の娘』は収容未定としナンバリングは解除。以後も観察する。ただ、変異するはずのこの大切な時期に不死鳥たちの似姿になってしまったし、今後は大きな身体変化はないと思われる」
「未定とか言わずにいっそ永久欠番にしたら?」
「手厳しいね」
「だって客観的に見ればそうだもの。収容失敗でしょう」
「まあね」
刻浦さんはふっと、哀しそうにまなじりを下げた。


 今まで以上に上層部から監視を受けることになった私だったが、何でもない振りを続けるうちに本当に何とも思わなくなってしまい、今日に至っては視線すら感じず午前から魔術部署で火の鳥の作業を手伝ってお姉さまに鳥のおやつを与えていた。
(お姉さまにおやつあげるの変な感じ)
(意識したらダメよヒカリ。今まで通りでいいの)
(はぁい)
「美味しい?」
お姉さまはぴょうと高い声で答えた。彼女の喉元を撫で、そばのカゴに置かれていた櫛を手に取り火の鳥の毛繕いを始める。
「まあ〜なんて美しい光景♡」
「塙山さん」
振り向くとお茶のセットを手にした塙山さんがニコニコしていた。
「そろそろ休憩どうかしらと思って」
「ありがとうございます」
「女王様の手入れをする星川ちゃんを、私が手入れしちゃおうかしら〜?」
「塙山さん、最近私の髪触るの趣味になってませんか?」
「なってきたの〜♡ ご迷惑じゃなければ今日もいじらせて♡」
「どうぞ。お願いします」
「嬉しい〜!」
塙山さんは私のために用意した美容師が使うような櫛を取り出し、髪を整え始める。お姉さまの手入れが終わった後、塙山さんにゆったり背中を預けていると夏縞さんが入って来た。
「しょちょ、あー、忙しいですか?」
「報告だけならこのまま聞くわ」
「じゃあ耳だけ貸してください。上からなんですが、今日収容予定のアーティファクト、医療チームじゃなくて魔術部署へ送られるそうなんで打ち合わせをしたいと」
「あら。上って一番上の所長さん?」
「そうです」
「あらあら直々ねぇ」
塙山さんは私の髪を完成させると手鏡を手渡してくる。今日は頭頂部に編み込みがあり、冠のように見える。そして鏡に映るのは相変わらず燃えるような赤毛の美女。
(お姫様みたい)
首を動かして振り向くと満足げな塙山さんと、その向こうに夏縞さんが立っていた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして♡ 今日も美人だわ〜♡」
「ふふ、ありがとうございます」
腰を上げてお姉さまの頬に口付け、塙山さんたちの脇を通って部屋を出ようとすると夏縞さんに止められた。
「ああ、待って」
「何ですか?」
「次のアーティファクトの収容、星川さんも同行して欲しいって上が」
「あら、私も?」
「そう。だからこれ読んでサインしておいて」
「わかりました」

 書類そのものは至って普通で、怪しい点もなかったため星川光のサインを入れた。
 二時間ほど経つと、物々しいアナウンスが入る。収容用の大きな貨物エレベーター前から魔術部署まで警備部隊がずらっと並び、私たち魔術部署は上層部の面々と共にアーティファクトを“出迎え”る。
「……すごい厳重ですね」
隣に立った太刀駒本部長に話しかけると、彼は面長の顔でニカッと笑う。
「rider以外の正式な収容はいつもこんな感じだよー」
「そうなんですね」
「そうなんですー。あ、来たよ」
太刀駒さんの言葉通りエレベーターが到着する。扉が開いて出て来たのは、透明な隔離室に入れられた包帯だらけの人型のモノ。そしてそれを台車に載せえっちらおっちらと運ぶ防護服の屈強な男たち四人組。
「ご苦労様です!」
太刀駒さんは笑顔でそう告げると防護服の男性一人からバインダーを手渡され、サインに応じる。
太刀駒さんがサインをしている間、私は興味本位で隔離室に入れられた人型の何かを覗き込む。人型の何かは男性のような体格をしていて、目だけが包帯の隙間から覗いている。そして、彼は私を見ると目をひん剥いた。
「アァ……アァーーー!!!」
アーティファクトが急に叫んだため警備部隊は身構え、魔術部署の面々も杖に手をかけた。しかし太刀駒さんがすぐ全員に手を広げて見せて、「どうどう」と宥める。
「大丈夫大丈夫! “これ”は赤い物が苦手なんだ!」
(赤い物って私のことか)
私だけはゆったりと立っていて、太刀駒さんはそんな私を見ると満足そうに微笑む。
「星川くんは牽制だよ、牽制。さ、運ぼうか」
 ゴロゴロと音を立てて警備部隊に運ばれる台車の上で、アーティファクトは後ろからついてくる私に怯えていた。

 新たなアーティファクト、A-t-0121『疫病神』は叫び声を上げ続けたものの大きな事故もなく魔術部署に収容された。
A-t-0121は小さな隔離室ごと水槽のような大きなアクリルケース部屋に運ばれ、対バイオテロ用の重装備に身を包んだ整備部の医療スタッフたちが慎重に隔離室の二重チャックを開く。隔離室よりやや広いアクリルケースに開放された0121はそばで見ている私から距離を取るように壁際へ寄って震えながら縮こまった。
「まー、すっかり怖がっちゃって」
「昔から火を表す赤い物は魔除けだからね。さて、じゃあ記念すべき最初の作業は誰がする?」
医療スタッフも魔術部署も、みんな嫌そうな顔をしてお互いを見やった。
「おやー? 昇進したいチャレンジャーはいないのかな?」
太刀駒さんはニヤニヤしながら辺りを見回し、誰も手を上げないと分かると肩をすくめた。
「ま、最初は必ずその部署の署長って決まってるからねえ。塙山くん頑張ってね」
「そうねえ、こればっかりは譲れませんから」
私がもの言いたげにじっと見つめると太刀駒さんは眉毛を持ち上げる。
「星川さんもやる?」
「やろうかなと思ったのですが、私だと怖がらせてしまうようなので……」
「そうだねえ、真っ赤だもんね。0121は特殊だから整備部も必要でね。悪いけど、お使いを頼んでいいかな? 彼らと一緒に戻って整備部の署長連れてきて欲しいの」
「承知しました」
「お願いねー」

 まず防護服でガチガチに身を固めた医療スタッフ二人を医務室へ送り、私たちアーティファクト部門と変わらない制服に着替え専用のキャップを被った彼らにいつもなら入らないバックヤードに連れて行かれる。
 非常階段への扉と変わらない重い鉄の扉の前でカードリーダーにCマイナスランクのカードを通すと、ブッと短いブザーが響いて拒否されてしまう。
「あれ?」
「あれ、変ですね。Cランクプラマイなら通れるはずなんですが」
「更新忘れてたっけ? ええと、どうしたらいいでしょうか……?」
「申し訳ない、俺たちにも分かりません。星川さんなら通れるはずだからと太刀駒本部長から言われていたんですが……」
「私なら?」
一瞬考え、ああと納得する。私は普通のCランク職員カードではなくマニュアル作成班として使っている白地に金色と銀色でコードが記されたカードをリーダーに通した。
すると扉はピッと音を立ててランプは青色に光る。
「ああ、良かった。ではどうぞ」
「ありがとうございます」
(なるほど、こう言う使い方も出来るのか……)
カードに記載された昔の茶髪の幼い私と目が合い、懐かしいなと思いながらもその顔を親指で覆う。そのまま三秒待ち指を離すと、そこには赤毛の私が微笑んでいた。
(さようなら、昔の私)

 整備部はもっぱら上下水道の管理や放送機器の整備などが主な仕事で、そこで働いている職員たちは一ミリでも机が曲がっていたら気にするような性質の人ばかりだった。
その署長ともなればもちろん常に金属定規を持ち歩いているような人で、制服もネクタイもきっちりかっちり着こなしていた。他の整備部員同様、制服と揃いの濃灰色のキャップを被った初老の男性は、私の顔を見ると早々に顔の前に定規をかざしてきた。
「……左右差がほとんどない顔だな。人形みたいだって言われないか?」
「特には」
「そんな顔面が売られてるなら俺も買いたいね」
「作り物じゃありません」
私がプクッと頬を膨らませるとおじさんは定規を構えたまま目を細める。
「こりゃ顔面が黄金比で出来てるな。イケメンだの美女だのは顔がよく似てんだ。ある意味個性がねえもんさ」
「むぅ」
「す、すみません星川さん。宇美猫(うみねこ)署長は物に関してはシンメトリーが好きなんですが人間に関しては左右差の大きい個性的な顔が好きで……」
宇美猫と言う個性的な苗字の署長はへっと笑うと書き物を終え私を連れて来た整備部員にバインダーを押し付ける。
「そんで? 総務の新人美女だか何だか知らんが俺に用なんだろ?」
「魔術部署の星川光です。新しく収容されたA-t-0121の初作業を終えて欲しいのでご同行をお願いします」
「はっ。まるで連行だな。あー、磯川」
「はい!」
「3Kブロックで中山が水圧検査してるから手伝って来い」
「はい!」
「小島は9Lブロック行け。備品数えてる笹山手伝ってこい」
「はい!」
指令を受けた整備部員たちはすぐに迷路のようなバックヤードへ散っていき、私は宇美猫署長と共にその場に残された。
初対面早々に失礼な宇美猫署長の前で腕を組むと、彼は監視カメラの位置をチラッと確認して私の腕を掴み壁際に寄る。
「おめえさんが上層部お気に入りの娘っ子だな?」
「まあ、そうです」
「否定しねえのか」
「ランクの上がり方が早すぎるし、早々にマニュアル班に突っ込まれたので気に入られているなとは思います」
「なるほど」
宇美猫署長は私の肩をポンと叩くと早足で歩き出す。後ろをついて行くと横へ来いと指を差され仕方なく隣へ並ぶ。
「おめえ、マニュアル作ってんなら上層部の秘密は知ってんのか?」
「秘密?」
「知らねえならいい。しらばっくれてんならやめな」
「あの方々、秘密が多すぎるのでどれのことやら」
「てぇーことは幾つか知ってんな? 何を知ってる? 上層部の構成メンバーか?」
「委員会のことですか?」
「その単語を知ってるなら割と懐に潜り込んでんな」
「マニュアル班は委員のことはご存知ですよ。宇美猫署長も委員会のことはご存知なんですね。委員さんだからですか?」
「俺は委員じゃねえ。長く勤めてるから色々知ってるだけだ」
「ふうん?」
「娘っ子、星川とか言ったか」
「はい」
「おめえは何派だ?」
「え? 上層部に派閥とかあるんですか?」
「ああ、その反応は本当に誰にも引き込まれてねえな? ひよっこか」
「上層部って刻浦さんの独壇場じゃないんですか?」
「ほとんどそうだが実際は違う。刻浦派と太刀駒派、あと黒曜派がいてな」
「黒曜さん? 誰です?」
「俺の上司よ。整備部はカバーしてるジャンルが多すぎてツートップなんだ。医療チームのトップにも署長がいて、そっちが黒曜サン。俺が新人の頃から世話してくれてる恩師さ」
「へーえ」
宇美猫さんと喋りながら歩いて行くとバックヤードからアーティファクト管理部への扉が見えてくる。数分前に通ったところだ。
「さてお喋りは終わりだ。今の話は覚えてなくていいぞ。ジジイの独り言だからな」
「忘れておきます。ついでに貴方の失礼な態度も」
「へっ、そらすいませんね」
カードリーダーを使う時、宇美猫さんは私の白地のカードを熱心に観察していた。

 宇美猫署長と共に医務室の最奥に位置する室長室へ向かうと、その初老の女性はチラッと私を見てもボールペンを手離さなかった。白髪混じりの金髪はシニヨンヘアーにまとめられ、瞳の色は青緑。
(白人系だ)
「黒曜サン、0121の初作業行きましょう」
「二分待って」
「アイ、マム」
宇美猫さんは肩をすくめ近くの椅子に「どっこいせ」と腰掛ける。
きっかり二分後、黒曜署長は椅子から立ち上がりカルテを棚へしまうと私の目の前に歩いてくる。初老だが背筋はピシッとしているし、生活態度も常に時計で計ったような人なのだろうと言う印象を受ける。彼女は私の顎を掴むと右へ左へ振りじっくりと観察してくる。
「整備部の皆さんはまず人の顔を観察しないと気が済まないんですか?」
「これだけの黄金比だと返って不自然なのよ。貴女名前は?」
「星川光です。元0083部署、今は魔術部署です」
「ああ、刻浦のお気に入りね」
「何?」
宇美猫署長は驚いた顔で立ち上がった。
「おいおい刻浦派なのにしらばっくれてたのかこの娘っ子?」
「派閥は知りません」
「知らないでしょうね。今のところただのマニュアル班員なんじゃない? でも貴女、本当に星川光? 身長も含めて以前計測した身体データと容姿が違うと思うけれど?」
黒曜署長の言葉に今度は私が驚く。
「……貴女も私の姿が以前と違うって知ってる人ですか?」
「その口振りだと変異したことは自覚しているようね」
「誰にも内緒なんですけどね」
「刻浦にも?」
「ええ、まあ」
「ふぅーん?」
黒曜さんは意味深に両眉を持ち上げた。
「まあいいわ。行きましょう」
歩き出した黒曜署長に合わせ私と宇美猫署長も室長室を出る。医療行為に従事しているスタッフを横目にアーティファクト部門へと移動しながら、宇美猫署長は口を開いた。
「黒曜サン、お言葉だがこの娘っ子白いカード持ってましたよ。ただのマニュアル班員じゃねえですって」
「あら、本当? 何人ペットにする気なのかしら刻浦は?」
「ん? 白いカードは委員とマニュアル班員の共通アイテムでは?」
「違うわ。各部署の署長でもマニュアル班員でも持っている人はごく一部。誰に持たせているかは刻浦しか把握していない」
「え? これそんな重要アイテム?」
「警備部のイーグルアイが白いカードを使っているのは見たことがあるわ。飼い主の太刀駒本部長も刻浦信奉者だから持たされているでしょうね。見たことはないけど」
「えっ、え? でもあの、委員のオフィスって入る時この白いカード必要なんじゃ……」
「そう。委員なのに白いカードを持った委員たちと一緒じゃないとあのオフィスには入れないの。変な話でしょう?」
「ええ……?」
「あくまで噂だけど、白いカードはマスターキーじゃないかって言われているわ。権限が一番強いカードだって」
「マスターキー……」
「それが本当なら実質Aプラスランクの上ね」
私は目を丸くして首から下げた白いカードの裏面を見た。裏には不思議な模様が白いインクで描かれていて、傾けて光の反射を使わないと見えないようになっていた。今更そんなことに気付いて驚いていると黒曜署長と宇美猫署長は防護服があるスタッフルームへ入っていった。
(マスターキー……?)
「おい娘っ子、お前も防護服着るんだからさっさと来い」
「えっ私もですか?」
「おめえも作業すんだろ?」
「いえ、私はお二人を呼びに来ただけです」
「んだよ」
紛らわしいと言い放ち宇美猫さんは洗浄室へ入っていった。

 整備部の署長たちがA-t-0121の収容部屋に入って行くのを見届けた私は、塙山署長の代わりにQ-n-0067『火の鳥』の世話を任されたのでお姉さまを肩に載せ魔術本に目を通すことにした。
塙山署長のオフィスでソファに座り勉強をしながら待っていると、ノックの音と共に刻浦さんが顔を出す。
「星川くん」
「はい」
「これ、新しいカード」
「あら。ありがとうございます」
また昇級したらしい。ランクはCノーマルになっていた。
「ごめんね、今朝すぐに渡すはずだったんだけど」
「いえ、収容あったし仕方ないですよ」
「よく整備部行けたね。カード無効だったでしょう」
「ああ、もう一つの方使ったので」
刻浦さんはなるほどと頷く。
「あの、刻浦さん」
「何だい?」
「この白いカード、持ってる人がごく一部だと聞いたんですけど本当ですか?」
「そうだよ」
「あら」
刻浦さんは私の肩にとまったお姉さまをチラッと見た。悩む素振りを見せた彼は首に下げたカード入れを手に取り彼の顔が載ったAプラスの職員カードともう一枚、白いカードを黙って見せてくる。
刻浦さんがカードをしまうのを見つめながら私は疑問を口にした。
「……私がこのカードを持たされたの、ここへ来て間もなくなんですがセキュリティ的に大丈夫だったんですか?」
「君は力や権限を持ったからって無闇に誇示したり乱用する性格じゃない」
「そうですけども……」
「あのオフィスのことなら暗証番号と静脈スキャンがあるからカードだけだと入れないし、問題はないよ」
「……思い付きなんですけどこの白いカードより上のカードもあります?」
「鋭いね。所長は別のカードを持っている」
「ああ、そうなんですね」
マスターキーではないと分かり、ほっとした。そんなぺーぺーの新人にやたら強いカードを持たせてしまったら刻浦さんの信用問題にもなるのに。
(ホント先を読んでるんだか抜けてるんだか……)
「どうしたの?」
「あー、いえ。あんまり強いカードじゃなくて安心しました」
「所長ほど強くはないと言うだけだよ。まあ、色々なところで使ってみてご覧」
(……そう言う意味深なこと言わないで欲しい)
刻浦さんは私にわかる程度の微笑みを浮かべると塙山署長のオフィスを後にした。私は彼の背を見送って、改めて白いカードをまじまじと見る。
「何かすごいもの持たされてたみたい……」
(調べ物はしやすくていいじゃない?)
(そうかも知れませんけどぉ……)


「刻浦のお気に入りが休日に医務室に来る理由は?」
「鶴太郎くんの仕事ぶりが見たいのと、身体測定のやり直しに来ました」
 ふわっとしたデザインのシャツと先細りのパンツ姿の私は黒曜署長の言う通り休日に医務室に顔を出した。
「勤務中に来れば身体測定の時間分給料が出るのに」
「サボリはちょっと気が引けて」
「日本領民は変なところで真面目ね」
黒曜署長自ら測定してくれるようで、お任せして身長計の前に立つ。
「他の理由は? 私とお喋りしたくて?」
「そうです。雑談しに」
「あなた頭は悪くなさそうね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
次に体重計に乗りつつ、私たちは話を続ける。
「白いカードなんですが、マスターキーと言うほどの権限はないみたいです。所長さん専用カードがあるって刻浦さんが言ってました」
「そうね。所長用のカードは予想してたわ。全権限は刻浦が持ってるはずだもの」
「でも名義上は別の人ですよ? 所長さん。確か海外の方でジョン・スミスって……」
「ジョン・スミスやジョン・ドゥと言うのは氏名不詳の人間に付ける仮名よ。日本で言えば鈴木太郎、名無しの権兵衛ね」
「えっ」
「ジョン・スミスは実在しない人物として所長の名称に使われているだけ。実際のボスは刻浦よ」
「刻浦さんだって言い切ってますけど根拠はあるんですか?」
「もちろんあるわ。でも今ここで貴女に話す気はない」
「おおっと」
黒曜さんはカルテをパタンと閉じた。
「さて、検査は終わり。他には?」
「太刀駒本部長が刻浦さんの信奉者なら実質一枚岩だと思うんですが、上層部」
「私がいるからそれは回避出来てるわ」
「黒曜さん重要人物なんですね」
「機葉を奪われてから慎重になったの」
「奪われた……?」
お姉さまに聞いた話がよぎる。機葉さんは刻浦さんに取り込まれたとは聞いたけど、奪われたと言う言い方は穏やかじゃない。
「お喋りは終わり。続きがしたいなら明日以降よ」
「うーん、わかりました」
医務室を出ようとすると黒曜さんは私の腕を掴んで引き留めてくる。
「刻浦のお気に入りなのに何で私にこんな情報を?」
「まだ彼に飼われるって決めてませんから」
「……そう、いいこと聞いたわ。それならお昼食堂で。そうね、デザートでも奢ってもらおうかしら?」
「お昼もご馳走します」
「楽しみにしてるわ」

 私服の私は遅めの朝食を終え、マニュアル班として使った実験棟や資料室の周辺を歩く。
 様々な本が立ち並んだ資料室の奥には鉄扉が存在しており、見た目からして関係者以外立ち入り禁止だった。
(色々試してご覧って言われたし、刻浦さんの誘いに乗ってみよう)
まずCノーマルランクの職員カードをリーダーに読ませてみる。ブッと短いブザーと共に入室を拒否されたのを確認して、白いカードを続けて読ませる。ランプは青く光り、入室を許可するピッと言う軽快な音がする。
「…………」
カードの強さに半ば呆れつつ、扉をちょっと開いて顔を覗かせる。扉の向こうには個別の鍵付きの棚が無機質にズラリと並んでおり、私は目を丸くする。
「すご……」
「何かご用ですか?」
「ひゃあ!?」
突然声をかけられてので驚いて飛び上がってしまった。振り向くと眼鏡で黒髪の爽やかな壮年の男性が立っていた。
「す、すみませんそんなに驚くと思わなくて……」
「ああこちらこそすみません! 資料室の奥って何があるのかなー? っていつも気になってて!」
苦し紛れの言い訳をしたが、男性職員はにっこりと微笑む。
「そう言う方は割といらっしゃいます。どうぞ。資料しかありませんが」
「い、いいんですか?」
「ええどうぞ」
「お、お邪魔しまーす……」
 男性職員の後を追って鍵付き棚の資料室に入ると、棚の向こうに木材で出来た別の部屋が見える。男性はそこへ入って行って、私も早足で扉を潜る。
「あら、コーヒーのいい香り」
 部屋は上質な木材の棚に囲まれた大きくも狭い部屋で、男性の机は部屋の隅にポツンと置かれていた。
「コーヒーお好きですか?」
「コーヒー紅茶関係なく好きです」
「よかった。僕が普段飲んでるものですが、どうぞ」
「あら、ありがとうございますわざわざ……」
プラスチックコップの上に紙コップを装着して出されたコーヒーは香りが高く、一口で緊張が解ける。
「美味しい……」
「よかった。僕の好きな銘柄なんです」
男性の机にはAプラスランクと滄海 仁巳(そうかい ひとみ)の名が記されたネームプレートが置いてあった。
「滄海さんとおっしゃるんですね」
「あ、はい。資料室にも書類形態のアーティファクトがありまして、僕はここの管理をしています。言うなれば司書です」
「ああー、司書さん」
なるほど納得。
「失礼ですがお名前は?」
「あ、星川光と申します」
「ああ、貴女が星川さん」
滄海さんはまたにこりと微笑む。
「刻浦さんが可愛がってらっしゃる新人さんですね」
「やだぁ、私ウワサになってます?」
「と言うより、刻浦さんがここへ惚気に来ますから」
「えっ」
「いい子だってベタ褒めにしてますよ、彼」
「刻浦さんたら」
私が頬を染めると滄海さんはクスッと笑う。
「だからあの扉を開けられたんですね。一般職員は入れないはずなのに変だなと思ったんです」
「あっ、え、ええっとー……」
「いいですよ隠さなくて。マニュアル作成で来てましたよね? 遠目にお見かけしてるんです、僕」
「ええと、まあ」
観念して私は白いカードを滄海さんに見せる。彼は白地に金文字のカードを見るとさっと片手で伏せさせた。
「それは軽々しく人に見せていい物ではありません」
「あ、ごめんなさい」
「ああ、いえいえ。怒ってる訳ではなくて。貴重なものなので」
「わ、わかりました。慎重に扱います」
「そうなさってください」
私がカードを首に下げたカード入れに仕舞うと滄海さんは胸を撫で下ろす。
「でも、新卒ですよね? もうそのカードを?」
「そ、そうなんです。やっぱり新人がホイホイ持てるものじゃないですよね?」
「そうですね。僕は持っていますが、この収容所でも数人しか持っていない物なので……」
「す、数人? 片手で数える感じですか?」
「そう思っています。このカードは刻浦さんにしか作れないようなので……」
「うわ……」
ちょっとした町レベルの人間が生活する場所でほんの数人しか持てないとなると、相当貴重な物だ。改めて白いカードを見て、血の気が引く。
「こわ……」
「余程期待されているんですね、星川さんは」
「そう、みたいです。何でだろう……」
「……これは僕の所感なのですが」
滄海さんはマイマグを手に体ごと私の方へ向く。
「刻浦さんは、白地のカードを欲のない人に渡している気がします」
「欲のない人?」
「正しく言うならば私利私欲で権力を奮わない人、ですかね」
「ああ、本人もそんなことをおっしゃってました。星川くんは力や権力を持っても誇示しないからと」
「やっぱり。僕もその手のタイプなんです。白地のカードは仕事で使うから持っているだけでして。必要じゃなければ使いませんから」
「ああ、分かります……。職員カードで足りるなら別に使う必要ないですもんね……」
「そうですね」
滄海さんは微笑むとコーヒーに口を付ける。
「でも戸惑いますよね。そんなどこでも入れてしまうカードを説明もなく手渡されたら」
「ホントそうですよ!?」
「ふふふ。刻浦さんも人が悪いですよね」
「ホントですよ〜」
私はコーヒーを一口すすってほっと息をつく。
「あの、同じ白カード持ちとして色々お聞きしたいのですが……」
「はい、僕でよければ何なりと」
「このカード、どこまで使えるんですかね? 権限的に」
「所長さんしか入れない特別な部屋以外は入れたと思います」
「なんてこった……」
「それから、カードは本人でなければ使えません。何か特別なギミックがあるみたいで」
「えっ」
「僕が昔、イタズラ心を出した顔馴染みにねだられて白カードを貸したことがあったんです。そしたら全く使えなかったと突き返されて」
「あらまあ」
「その彼は翌日に二階級降格されましたし、僕は白カードを凍結されて別部署に飛ばされました。半年くらい食らったかな? 謹慎処分」
「ひえ……」
「だから悪だくみは通用しないんです。そのカードにも、刻浦さんにも」
「何とまあ……」
先に聞いておいていい情報だった。何故ならこの時の私は黒曜署長に使わせる気満々だったからだ。
「じゃあ私が他の誰かに白カードを貸しても誰も使えないんですかね?」
「そのはずです。僕のカードを貴女に貸しても使えないと思いますし、逆もそうでしょう」
「一体どんな仕掛けなんですかねこれ……」
「さあ? だから僕は深く詮索しないようにしました。色々試してみたくはあるけど、刻浦さんを困らせたい訳ではありませんし」
「ああ……」
まあね、確かに。魔王城の魔王って訳でもないし。
「他にご質問は?」
「……これを持ってる人が誰かはご存知ですか?」
「太刀駒本部長と警備の……ええと」
「イーグルさん?」
「ああ、はい。彼と、駿未さんと僕と……星川さんですかね? あ、機葉さんも持っていたと思います」
「……だけ?」
「だと思います」
「うひゃ……」
委員ばっかり。委員じゃないのは駿未さんだし、駿未さんは土の精霊だし!
(私が持たされてる理由余計に分かんなくなってきた……。炎の精霊は土の精霊の天敵なのに……)
「星川さん?」
「え? あ、すみません考えごとしてて。あはは……」
滄海さんはキョトンとしていたがまた微笑む。柔らかい微笑みの人なので、話していると安心する。
(不思議な人……)
「よければまた来てください。部署に一人なので話し相手が欲しかったんです」
「え? いいんですか?」
「むしろお願いします。黙々と仕事するのは苦じゃないんですが、ここには刻浦さんと駿未さんしか来ないので」
「そう言うことならお言葉に甘えます。白カード仲間も欲しかったので」
「はい。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いしますー」

 その後も資料室でのんびりお茶を楽しんだ私は魔術部署へ行き自主的に勉強。お姉さまの美しい羽毛をゆっくり整えてから昼食へ向かうと、一人でいる駿未さんを見かけたので拳を作ってみぞおちを殴る動作を仕掛ける。
「チェストーッ」
「うわぁー。や、やられた〜」
駿未さんはダメージを受けた振りをしてよろよろっと数歩あとずさった。
「おのれ〜、星川さんが円衣さんみたいなことする〜」
「酷いですよ駿未さん」
「え? 何が?」
ちょいちょいと手招きをして駿未さんが顔を寄せると私は口元を隠して小声を出す。
「白カードのこと黙ってるなんて」
「ああ、あれ。えっ、星川さん持ってるの?」
「あれ、知らなかったんですか?」
「知りませんよ〜。人に見せびらかす物じゃありませんものあれ〜」
「やっぱりそうなんだ」
私は辺りを見回して黒曜署長を探し、まだ来ていないのを確認すると駿未さんに振り向く。
「さっき司書さんに会ったんです。滄海さん」
「ああ、そうなの。彼から聞いた?」
「はい。細々とですが」
「それでかぁ。ああ、じゃあ暇な時資料室一緒に行こうか? 僕も色々答えられると思うから」
「今度お願いします」
「わかった。誰かと待ち合わせ?」
「ええ、まあ」
「星川さん友達出来るの早いよね。じゃあまた」
「はい」

 食堂のテーブルに腰掛けてのんびり待っているとやがて黒曜署長が現れ、私たち二人はお盆を持ってカウンターに並んだ。
「進展はあった?」
「ありました。端的に言うと貴女にカードは貸せません」
「……それは何故?」
「本人にしか使えないギミックがあるらしくて。他の人が使うとその人と持ち主に重い謹慎処分が待ってます。他の方の体験談です」
「そう。それは困るわ。試す前に聞けてよかった」
洋食Aセットを頼んだ私たちは同じテーブルを囲んでナポリタンを口に運ぶ。
「なまじ使える権限が強いので渡す人は厳選してるみたいです」
「それは分かってたわ。刻浦の腹心しか持ってないようだから」
「私は腹心じゃあないんですが」
「なりかけたでしょう?」
「まあ、はい」
私はナポリタンを咀嚼して飲み込み、また話す。
「別の方曰く、欲のない人に持たせているみたいです。あれ」
「欲のない人?」
「私利私欲でカードを使わない人ってことですね」
「ああ、飼いやすい犬猫に与えているのね」
「ペットじゃないですぅ」
「実質そうよ」
「むぅ」
「それで? 他には?」
「午前中に分かったのはそのくらいです。午後また探索してくるので」
「そう。まあ気を付けることね。気を抜くとアーティファクトの脱走に巻き込まれるわよ」
「はーい」

 黒曜署長と別れ、気紛れで0083部署へ顔を出した私を迎えたのは暗闇さんと駿未さん。それから机に突っ伏して眠りこけている加奈河さんだった。
「…………」
思わずお互いの顔色を伺う私と暗闇さんと駿未さん。
(もういっそ、切り込んで聞いちゃった方がいい気もする)
私は何者なんですか? とか、皆さんで何を企んでるんですか? とか。
「……あー、加奈河くんは別にサボってる訳じゃないよ」
駿未さんはそう言って苦笑い。
「分かってます。ただの居眠りじゃないことくらい」
「おっと?」
駿未さんは焦った様子で目を丸くする。駿未さんを一瞥し、私は眠っている加奈河さんに近寄る。彼の体から魔術を使った時に立ち登る湯気のような魔力がないか、顔を近付けて確かめる。
(……魔術じゃなさそう。なんだろうな。催眠?)
「あ、あー星川さん? 起こさないであげてくれるかな?」
「……どうしよっかなー」
加奈河さんの体を引き起こして抱き寄せるも、加奈河さんは深く眠っている。
(全然起きない……)
加奈河さんを抱き締めたままじっと駿未さんを睨みつけると彼は困った様子で肩をすくめた。
「……星川さん何だか怖いよ」
「加奈河さんに何したんですか?」
「本当に眠らせただけ。彼、しょっちゅう徹夜でしょ? こうでもしないと寝てくれないんだよ」
「加奈河の寿命縮めたくないんだってさ」
「……まあそれは同意しますが」
「脳も臓器だからね。休ませないと後々体にきちゃうし」
本当に加奈河さんを気にかけて眠らせたのか、都合の悪い話を聞かせたくなくて眠らせたのか分からなかったけど、加奈河さんは駿未さんと仲がいいしと思って警戒を解く。
「……布団で寝かせないと意味ないと思いますけど」
「仮眠室なるべく連れて行きたいんだけどなかなか……」
「優しいんだか雑なんだか」
「うぐっ」
グサッと来たのか駿未さんは胸を押さえた私は加奈河さんの耳元で目覚めの魔法を囁く。
「加奈河さん、起きて。お布団入った方がいいですよ」
「ん……」
私の魔法で起きた加奈河さんはぼんやりした顔で顔をこすった。
「星川……?」
「仮眠室行きましょう。ね」
「ん、おう……」
私は加奈河さんを立ち上がらせ、隣に立って彼を支え0083部署を後にした。
 私たちが出て行った後、駿未さんと暗闇さんは顔を見合わせる。
「星川さん何だか怖くな〜い!?」
「気を抜くと加奈河の調整気付かれそうだね。いや、気付いたのかも」
「勘弁してよ〜!」
「星川さん、あれだけ体に変化が出たのに未だに魔法と魔術に鈍いですってこともないだろうし。私たちのことも薄々気付いてそう」
「勘弁してよー……」

 加奈河さんを四つある二段ベッドの部屋の奥側、下段に横たわらせた後、そばで静かに小説を読んでいると別の職員も仮眠室を利用しに来る。頭がボサボサの男性職員は朦朧としつつも自分で歩いて来て、加奈河さんが使っているベッドの反対側になだれ込む。
「俺の幻覚じゃなければ美女が見える……」
「幻覚じゃありませんよ」
「マジで……どこの部署……? 俺ここ……」
職員は私に自分のカードを渡すとパタッと力尽きた。猛烈な睡魔の中でもナンパは忘れない、この笹山 鴇(とき)さん。なかなか面白い。
「整備部……。整備部の笹山?」
このまえ備品数えてた人かな? と思いながらクスッと笑う。私は笹山さんの耳元に顔を近付けて夢の入り口にいる彼に囁く。
「魔術部署の星川光です。よろしくお願いします」
「はい……」
寝言で返事をした彼がおかしくてクスクス笑っていると、加奈河さんがもぞりと動く。振り返ると加奈河さんが薄っすら目を開けていた。
「加奈河さん」
「星川……?」
「そうです」
加奈河さんはぼんやりしていたがガバッと起き上がった。
「あれ? 何で仮眠室?」
「机でうたた寝をしていたので私が連れて来ました」
「あー、そうか。悪いな」
「いいえ」
微笑んでいる私を見ると加奈河さんは肘をついて私を観察する。
「何ですか?」
「……星川ってそんなに身長あったっけ」
「伸びたんです」
「ん? ……ああ、うん。そうか」
「はい」
加奈河さんは本を閉じて立ち上がる私を目で追った。
「星川、何か変わったよな」
「大人になったんです」
「え、あー……そう言うもんか?」
「そう言うものです。加奈河さん一人で部署戻れますよね?」
「当たり前だろ」
「そう。じゃあ気を付けて戻ってくださいね」
「お、おう」
仮眠室を颯爽と出て行く私を彼は目で追い、私の姿が見えなくなると違和感から首を傾げた。
「星川って髪赤かったっけ……?」

 次はどこを散策しようか? と、悩みながら歩いていたら私は科学部署の一画へ来ていた。科学部署は普段円衣さんたちが使っている小さなラボの他に五箇所ほどラボがあり、私の足はその中でも一際大きな東側の最上階を選んでいた。
この科学部署最大のラボでは武器とアーティファクトの生体研究を行っていると掲示板に表示されていて、私は流れていく文字を眺める。
「ふーん……」
文庫本を手に掲示版を眺める私を見る二つの影があった。一人は重い前髪で目元が完全に隠れている茶髪でそばかすの若い女性。もう一人は黒髪を短い三つ編みにしてお下げにしている、これまた若い女性だった。二人は曲がり角に体を半分以上隠しながら小声を出している。
「誰々だれあの美女ぉ……!?」
「わ、わかんない……総務の子かな?」
「肌きめ細か〜い! 化粧品何使ってるんだろ!? 化粧しないけど気になる〜!」
「あ、あんまり声出すとバレるよ紅花(こうか)ちゃん……!」
私は二人には気付かずガラスの向こうで仕事をしている科学部署職員を観察していた。チラチラッと職員たちに視線を返されるものの、業務で忙しそうなので笑顔で会釈だけして女性たちがいる曲がり角の方へ歩き出す。
「こ、こっち来る……!」
「えーっどうしよう!?」
私はこちらを見ている女性たちには気付かず角を曲がり、彼女たちが「あの!」と声を上げようやく振り向いた。
「あっ……声かけちゃった!」
「もぉ〜コウカちゃん!」
「何でしょうか?」
「あっいえ! あの! ええっと怪しいものではないのですが!!」
私は慌てる二人に首を傾げ、彼女たちの元へ近寄る。
「科学部署の職員さんですか?」
「そ、そうです!! わ、わたし春方 紅花(はるべ こうか)! こ、この子は百木 六花(ももき りっか)ちゃんです!」
黒髪お下げが春方さん。茶髪のそばかすが百木さんだそうだ。
「初めまして。星川光です」
女神の微笑みを振り撒くと、春方さんと百木さんは紅潮して息を飲む。
「顔ちっちゃ〜い……」
「モデルさんみたい……」
「私は魔術部署の職員なんです。ほら、杖持ってるでしょ?」
ホルダーに仕舞っている不死鳥の杖を見せると二人はおおっと声を出した。
「魔法使いさん!」
「魔術士見習いなんです。新卒で」
「えっ同期!? ウソ!?」
「ええっでも星川さんCランクですよ!?」
「ああ、そうなんです」
職員カードを顔の横に掲げて微笑むと、二人は職員カードをまじまじと見る。
「就業してこの三ヶ月でCまで上がるんですか!? す、すごい……」
「エリート街道の人とか、いますよね!? そっちなんですか!?」
「エリート志望ではないんですけど。うーん……上手いこと収容に貢献していたらしくて、それで」
「す、すごいですねー!」
「春方! 百木! さっさと戻って来い!」
「ぎゃ! 風巻(しまき)さん!」
廊下の先から男性職員が呼んでいて、二人は慌ててその職員に駆け寄る。私はゆっくりついて行って、風巻と呼ばれたCプラスランクの職員を見上げた。歳は加奈河さんと同じくらい。黒髪短髪は最低限整えたと言う感じで、飾り気はない。体型は痩せ型。と言うか、気を付けないと痩せすぎだ。目元にはクマもある。どこぞの徹夜仕事に愛された監査さんがよぎる。
「そんなに休憩欲しいなら別部署行くか?」
「す、すみません! すぐ戻ります!」
二人は急いでガラス戸で仕切られたラボの中へ戻っていった。
「ったく……。で、そちらさんは?」
「魔術部署の星川光と申します」
「はー、何でこんなところに?」
「今日は休日で。この会社広いから、探検しておこうかなーって思いまして」
「へえ、そう。見学は全然いいけど、ラボによってはその長い髪嫌がられるからまとめた方がいいぞ」
「あら、そうですか?」
私は杖を取り出して自分の髪に魔法をかける。魔力を使って持ち上げた髪はゆったり風に乗って三つ編みを作り出し、うなじをスッキリとさせパーティードレスを着てもおかしくないような華やかな髪型にまとまった。
「これでいいですか?」
「……魔法って便利だな」
風巻さんは春方さん百木さんを追ってラボへ入って行った。私も顔を出すと、三人の他にも職員が二人ほどいて、同期の女性たちは私をパイプ椅子へ手招く。
「ここどうぞ!」
「いいんですかー? お邪魔しまーす」
「あんまり邪魔しないように邪魔してくれよ」
「もー! 風巻さんそう言うこと言っちゃダメですよ!」
「本当にお邪魔だったらすぐ出ますから」
「いや大丈夫です! 大丈夫のはずなんで! 風巻さんの言うことは流していいです!」
 春方さんによる試作の解説と言う名のマシンガントークを耳にしながら、私は警備部が使うゴーグルや、一見おもちゃにしか見えないプラスチック製のハンマーなど色々な物を触った。
「で、こっちが一番新しいバージョンで!」
まくしたてる春方さんに嫌気が差したのか、風巻さんが周りに聞こえるよう大きな溜め息をついた。
「おい春方、その辺にしろ。また嫌われるぞ」
「ごご、ごめんなさい!」
「構いませんよ? 内容はあんまりわかってないですけど。聞くだけなら出来ますし」
「……こいつのダラダラ喋りが苦じゃないって?」
「祖父がよく私にこんな感じで話をしてたんです。だから慣れてて」
「あんたの爺さんも科学者かなんかか?」
「大学の先生だったんです」
「……どこの?」
「どこだっけ? 本名剥奪された時にごっそり抜けちゃったので……」
「あー、ああ。まあそうか」
私は微笑んで、「それで?」と春方さんに続きを促す。
「あっ、えっと! 次はこっちを試して欲しくて……」
「春方」
「ひゃい!」
「今いる人数分の飲み物買ってこい。興奮しすぎだ」
「い、いえすボス!」
断ると言う選択肢はないのだろう。春方さんは足早にラボを出て行き、百木さんも彼女を追ってガラス戸に手をかけた。
「一人じゃ無理だと思うので手伝ってきます!」
「無駄話するなよ」
「はい!」
二人が慌ただしく出て行った後、私はボスと呼ばれた風巻さんを見上げた。
「風巻さんがチームリーダーなんですか?」
「まあ、このラボの責任者。一応」
「すごいですね」
「……そりゃ皮肉か?」
風巻さんは不機嫌な顔で私を見た。
「科学部署はアーティファクト管理部門全体に匹敵するほど人数が多い。警備部で言えば分隊の隊長程度の責任者だ。中間管理職の下の下だっつの」
「でも、まとめ役なんですよね?」
「……仕方なくな」
「監査が人柄と能力を見て抜擢してるんだからすごいですよ」
「……何も分かってねえ。あのな」
風巻さんは手元の作業から離れると私に近付きながら指をさす。
「監査は部署内の責任者の任命まではしない。職員がどのランクに相当するか力関係を観察してるだけだ。部署内のポジションはその部署ごとに決めてんだ」
「そうなんですか?」
「そうだろうよ!」
何故か彼を怒らせてしまったらしい。私はキョトンとして首を傾げる。私に背を向けて風巻さんは自分の仕事に戻る。
同じラボの職員さんは機嫌を損ねた風巻さんに首をすくめ私に寄ってくる。
「四月に前任者が他の研究チームに引き抜かれちゃったんです。彼の長年の上司だったのに」
「あら」
「慣れないチームリーダーの仕事でイライラしてて」
「聞こえてるぞ」
「すいませーん」
私に耳打ちをした女性研究者は首をすくめて自分の仕事に戻っていった。
この会社、収容しているモノの関係上外出の許可はなかなか降りない。ストレスの溜まりやすい環境ではある。
(トレーニングルーム以外にもリラクゼーション施設みたいなの必要かも)
 春方さんと百木さんはどこの自販機まで出かけたのだろう? 彼女らがなかなか戻って来ないため、私はコーヒーが届く前にお暇しようと腰を上げた。
「お邪魔しました」
「あら、もう行くの?」
「はい。散策の途中なので」
私は微笑んでラボを後にしたが、残された風巻さんの部下は気まずそうに溜め息をついた。
「風巻さんが八つ当たりするから」
「うるせえ」
「部下にどうこう言う前にご自分も嫌われないようにしてください」
風巻さんは憮然としていた。

「リラクゼーション施設?」
「はい。ちょっと思い付いたんですが」
 私はその足で監査部署にいた刻浦さんを訪ね、風巻さんとのいきさつを話した。
「職員に対する福利厚生部署と言うことなんですが、どうかなーと」
刻浦さんは私の話を座って聞いていたが、ふむと呟くと腰を上げた。彼は何も持たず私を手招きし、監査部署を後にする。
「なんです?」
「ここではちょっとね。上のオフィスに行こう」

 委員のオフィスに連れて行かれた私はイーグルさんの視線を横目に暗証番号を打つ刻浦さんの背中を眺めていた。
「星川くんもリーダーにカードを通して」
「えっ」
「認証システムに登録はしていないからカードだけ。入室記録を付けておきたいから」
「……分かりました」
白地のカードを使い入室した私は、会議テーブル用の椅子を使い刻浦さんとお互いに向き合う。
「率直に言うとね」
「はい」
「君を私の補佐にしようと思ってる」
私は言葉も忘れてポカンとした。
「……な、何です?」
「補佐。直属のね」
「え、でも」
こんなぺーぺーの新人を? とか、土の精霊と相反する火の精霊を? と、私の頭は大混乱だった。
「この際だから腹を割って話そうか、不死鳥くん」
(……ああ、なんだ)
きっと最初から、彼は私が知らない私の血を知っていたのだろう。
「その見た目で何も気付かないほど君は鈍感じゃない。大方、0067に後を継げと言われて何の抵抗もなく受けたのだろう」
彼の考えていることがますます分からなかった。何を知っていて、何を知らないのか問いただすべきだった。
「……刻浦さんが何を考えているのか分かりません」
「そうだろうね。だからいま話をしている」
刻浦さんと私は黙って見つめ合った。出方を伺っていると彼は肩をすくめる。
「この会社が君をスカウトしたのは偶然ではない」
「……不死鳥の子孫と分かっていて、起用したんですか?」
「そうだよ。炎の精霊の子孫でもあると知っていてね。むしろ、そちらが目当てだった」
「何故ですか?」
「炎の精霊は力が強い。発現前に社員として採用すれば安全に内部へ移動させられるし、職員たちはそれ専用の訓練を受けていて収容には慣れてる。君の力が暴走したら収容する、と言う手はずだった」
「だった?」
「君は不死鳥の跡取りになることを選んだから、今後大きな力の発現はないと思う」
彼は最初から私を捕まえる気だったらしい。それなら何故、直属の部下にすると言う話になるのだろう?
「私を捕まえたかったのに、どうして補佐にしたいとおっしゃるんですか?」
「方針を変えたんだ。最近の0083のように社内で役に立ってもらった方が効率がいいと考えた。まだこれは委員会で共有していない。私個人の考えだ」
「会社のトップとしての考えですね」
「いつから私が所長だと?」
「ここ数日、ですかね」
「なるほど。それについては否定しないよ。日本支部はアメリカ本社を経営していた父から子株として与えられてね。初代所長は私だし、その後は太刀駒に譲った」
「名ばかりの所長ジョン・スミスですね。監査でも同じ手段を使っていらっしゃったのでそうではないかと思ったんです」
「悪目立ちしたくなくてね」
刻浦さんは普通の人のようにニンマリとした。
「私が人間じゃないことにも気付いているね」
どうしてそれを、と表情で言ってしまったのだろう。私が呆気に取られていると彼は目を伏せる。
「不死鳥は代々我々を毛嫌いしていてね。この星の神としてのプライドが許さないらしい」
「……ますます分かりません。そこまで知っていてどうして私を補佐にしたがるんですか?」
刻浦さんはまた肩をすくめた。
「組織の一枚岩と言うのは制御しやすいが保険がない。私が老いて判断力が鈍った時、異を唱える人物がいないと組織が崩壊する。それは避けたい」
「……だからわざわざ敵対勢力である炎の精霊を懐に?」
「君と私は敵対していないよ」
彼は言い切った。自信に満ち溢れていた。
「相対性質であることは認めよう。土と炎は相容れない。だからこそ私の暴走は君が止められるし、君の暴走は私が止められる。将来私は君に後を任せて引退するよ。その方がいい。どの選択肢よりもね」
「それは……」
この人まさか、私を所長にする気?
「君を育てて後継者にする」
また言い切った。一体何が彼に自信をつけるのか全く分からない。
「……私が嫌だって言ったら?」
「言わないよ。君はこの収容所の、人間もアーティファクトも愛している。君の性格からしても、女神の性質からしても。彼らを全て大切にしたいから見捨てる選択肢は取らない」
「……やな人」
刻浦さんは私を静かに見つめた。
「私の補佐にする関係上、君にはキャリアが必要になる。リラクゼーション部署を提案してくれて手間が省けたよ。けれど私はそんな小さな福利厚生部署より、君に任せようと考えてたものがある」
「……一応聞いておきます」
「施設全体の管理部門だ。整備はあくまで決まった箇所の点検と医療のみ。リフォームまでは任せていない」
私は目を丸くしたし、しばらく言葉が出て来なかった。刻浦さんはそんな私を静かに観察して、やっと腰を上げた。
「ま、待ってください。収容所全体の管理?」
「そう、君はこの収容所の管理人になる」
「管理人……」
「キーパー。番人とも呼べる。返事は待つよ。周りに相談していい。0067にもね。ただ、委員には話さないように。そちらは私から説明する」
彼は私に手を差し出した。立つよう促された。私はその手を見て、考えて、手を取らずに自分で立ち上がった。
「考えておきます」
「よろしくね」

「組織の中枢に潜り込めるなら好都合よ」
 私は早々にお姉さまに打ち明けた。夕食まで時間はまだあったし、塙山署長は私の深刻な表情を見るとお姉さまと二人きり、いや三人きりにしてくれた。0067の方のお姉さまは人の似姿を取り、塙山署長の椅子に腰掛けている。
「お姉さまならそうおっしゃると思いました」
「無論よ。そもそもわたくしたちは彼らの神でもあるの。あの土塊どもが堂々と仕切っている方がおかしいのよ」
『そうよ。虫唾が走るわ』
杖のお姉さまも彼女に賛同し、同様に憤ってもいた。
「願ってもない申し出よ。受けなさい」
「わたし経営者とか向いてないです、絶対」
「普段なら愚痴を聞いてあげるところだけど状況が状況よヒカリ。泣き言を言う暇はないの」
『そうね。それにわたくしたちの娘なら女神としての自負が生まれるはず。リーダーシップがあるかどうかと言う話であれば、貴女にはもう備わっているわ、ヒカリ』
私は大きく溜め息をついた。
「こんな大事に巻き込まれるなんて……」
「これまで何事もなく生きて来られた方が奇跡よ」
「平々凡々のマイライフが〜」
『そんなもの運命の筋書きにはなくてよ』

 夕食の後、私は0083の収容室に雪崩れ込んだ。本を読んでいた暗闇さんの膝に転がり込むと、彼は目を丸くした。
「どうしたの星川さん」
「もうやだ……」
私は暗闇さんに全て吐いた。刻浦さんとどんな話をしたのかも、女神の跡継ぎになった話も。
「やっぱり自覚あったんだ」
「お姉さまが余計なこと言わない方がいいっておっしゃるので……」
「それはまぁ賢明」
ベッドの上、しょぼしょぼの顔で暗闇さんの前に座っていると彼は私の肩を抱いて横並びに座り直した。
「正直ね」
「はい」
「……君が不死の女神たち同様高慢になっちゃうんじゃないかって身構えてたんだけど、私の杞憂だったよ」
彼の顔を覗き込むと、暗闇さんは穏やかな顔をしていた。
「星川さんは体が変わっても星川さんのままだった。安心したよ」
「……美女か全身火だるまなら美女の方が絶対お得じゃないですか?」
「前と同じ生活がしたいなら確かにそう。でも炎の精霊の方が力は強いよ。その選択を蹴ったってことは、やっぱり君は力を欲するタイプじゃない」
「そうですよ。超絶すごパワーとか権力とか要りません。なのにキャリアなんて。施設全体の管理人ですよ? この収容所に私が欲しいって言ったらどんな部屋でも作れちゃうんですよ? 何でも買えちゃうんですよ?」
「何でもではないけど、要望は最優先で通るだろうね。しかし言動には責任が伴う。結構重い仕事だよ」
「やだ……」
「刻浦にそう言いなよ」
「でもリラクゼーション部門欲しい……。職員さんへの福利厚生絶対足りてないもん」
「加奈河と一緒だねえ君も。自分より人が優先で」

 それ以上ほかの人に愚痴るのはやめた。翌日は何もせずぼんやりとし、翌々日仕事で刻浦さんと顔を合わせると話がしたいと申し出て二人きりになった。
「後継者になるかは決めてません。でも管理人の仕事はします」
私の答えに、刻浦さんは満足そうに微笑んだ。


次作へ続く。

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