07 U-r-0083の収容記録
前作:「06 U-r-0083の収容記録」
朝、じんわり明るくなった照明により意識が持ち上がる。見慣れない真っ白な天井。小さな穴がサイコロのように規則正しく並んでいる。
(ええと……)
首を動かすとA-r-0120が壁に寄り掛かって眠っていた。
(そうだ、昨日収容がてら同じ部屋で寝たんだ)
私はゆっくり起き上がる。泣きじゃくったのですごい顔をしてると思う。本当なら長岡さんにもこんな顔見せたくないんだけど……。布団を一枚引っ張り肩に掛けて、長岡さんのところに寄る。私が近付くと彼は目を覚まし頭を動かした。
「姫」
「おはよう長岡さん」
「御早う御座いまする。……どうかなさったので?」
長岡さんの隣に座って肩に頭を預ける。
「何でもないの」
「泣いておられたのですか?」
(ああ、昨日のことは覚えてないのね)
「ちょっとね」
彼は、隣にいる私の頭を撫でた。長岡さんの中に残っている人間性はもう兄としてのものだけなのだろう。……いいえ、残っていた他のものも私が壊してしまったのかもしれない。施設は酷く静かだった。
(みんな大丈夫かな……)
ぼうっとしていると長岡さんは布団の余った布地を引き寄せて私の膝に掛けてくれる。
「姫、寝間着のままでは風邪を引きまする」
「ん? ああ、そうね……」
(そうだ、着替えたり色々しなくちゃ……)
廊下でバタバタと人が走る気配がして、私はマジックミラーの窓に顔を向けた。
「あっ、星川さん起きた!? おはよう入るね!」
暗闇さんの声が室内に響き、扉が開けられる。暗闇さんは白いスーツの上着を脱いで黒いシャツを腕まくりしていた。
暗闇さん、案外二の腕太い。
不覚にも私はときめいた。
「おはよう、ございます」
「おはよう。非常時だから私もあのまま駆り出されてた。伝言伝言……ええと、刻浦から。朝の支度したら0120の面倒見て沈静状態キープしておいてくれると助かるって。なるべくは収容部屋にいて欲しいとかも言ってたかな」
「……それって連れ歩いていいってことですか?」
「星川さんが視界内にいた方がまともに動くし大人しいでしょ。そう言う判断らしいよ」
「わかりました……」
「じゃあまた後で。何で私が人間の救護しないといけないんだよ全くもう」
暗闇さんは愚痴を漏らしながら早足で戻って行く。部屋の扉は開放されたまま。私は隣にいる長岡さんを見上げた。彼も私の顔を見る。
「とりあえず、着替えに行くね」
「は。……お供は致しますか?」
「そうね、部屋まで来て欲しいかも」
「では参りまする」
布団を畳むと長岡さんが自然と持ってくれたので、私は枕を抱いて自分の部屋に歩いて戻る。長岡さんを部屋に招いて、後ろを向いててもらい着替えを済ませる。
「着替えたわ」
「はっ」
時計を見る。七時半。いつもなら近くの部屋からも職員がぞろぞろと食堂へ向かう時間なのに、足音すらない。また私はぼんやりして立ち尽くす。
「……姫?」
「えっ? あ、そうだ。朝ごはん食べないとね」
「……は」
長岡さんの手を引いて食堂に顔を出すと、見事に誰もいなかった。世界から私たちだけ切り取られてしまったように感じる。厨房、勝手に使っていいのだろうか? 迷っていると早足で移動していた刻浦さんが通りかかる。
「おはよう星川くん」
「あっおはようございます!」
「あのね、厨房に非常用の冷凍食品が置いてあるから袋ごと電子レンジで温めて食べて。0120にも与えていいから二人で食べなさい。また連絡するけど、内線まだ使えないから自分の電話の電源必ず入れておいて」
「はい」
「じゃあまたね」
刻浦さんは走って行った。指示通り厨房を覗くとガラス戸の冷凍庫にアルミホイルで包装された非常食が二十食くらい置いてあった。私は扉を開けて二食分取り出すが、長岡さんが冷凍庫の扉に手を掛ける。
「姫、某の分は要りませぬ」
「え? どうして?」
「腹は減っておりませんので。姫と奉公人たちに必要でしょう?」
長岡さん、もしかして非常事態ってことはわかってるのかしら?
「本当にお腹空いてない?」
「はい。灯りを頂けましたから大丈夫です」
「……そう」
そっか、灯りの火が彼の本来の食事なのね。一食分をレンジで温めている間、私はタブレットを取り出してわかったことをメモする。温めが終わったとレンジが音楽を奏でる。取り出して、今度は急須を探す。長岡さんも緑茶くらいは飲むだろう。振り返ると、彼は銀色に光るアルミの包装を不思議そうに眺めていた。緑茶を注いでお盆に載せ、長岡さんに持っていく。
「ご飯食べなくてもお茶は飲むでしょ?」
「は、かたじけない……」
お盆を持って運んでもらい、椅子に腰を下ろして蒸らしの終わったトレーから銀紙を剥がす。湯気が熱いので顔に当たらないようにして、厚紙のトレーごと食事を引き出す。中身はグラタンとハンバーグだった。朝からボリューム満点……。いや、非常用だからこそカロリーもボリュームもあるのだろう。
食堂の丸い机に座って長岡さんと並んで食事をする。彼は緑茶を美味しそうに飲んでいる。とてもあれだけの被害を出した恐ろしいアーティファクトには見えない。不思議だ。長岡さんは私の視線に気付いて微笑んだ。……ように見えた。
「美味しゅう御座いまする」
「本当? よかった」
「いつの間に茶の淹れ方など覚えたので?」
「長岡さんがいない間に練習したのよ」
「左様で。そう言えば、姫は昔から物覚えが良う御座いましたな」
「そうだっけ?」
「はい」
お姫様がそうなのね。彼女、寺子屋に長岡さんと一緒に通っていたのなら漢字の読み書きも出来ていたかもしれない。
私はゆっくり食事を終え、ホルダーから杖を取り出す。
(女帝さま、おはようございます)
『目覚めたのねわたくしの可愛い子。ええ、おはようございます。魔術を使うの?』
(はい、長岡さんに火をあげようかと思いまして)
『好くてよ』
(ありがとうございます)
「長岡さん」
「はい」
杖の先に火を灯す。
「よかったら、灯りをどうぞ」
彼は少し驚いたようだったけど、湯飲みを置くと体ごと私の方へ向いて両手を合わせた。
「頂きまする」
一昨日の夜、初めて会った時と同じように彼は指で火を摘むと口元に持っていって飲み込む。食べ終えると彼はまた両手を合わせた。
「御馳走様で御座いました」
「お粗末様です。ねえ、火って美味しい?」
ただの素朴な疑問だ。炎に対して味は感じるのだろうか?
「いえ、味は有りませぬ」
「あらそうなの」
「ただ、ええと。何とも形容し難いですが感じるものは御座います」
「ふうん? どんな?」
「ええと、強いて言うならば喉越しでしょうか。そう言ったものに違いを感じまする」
「なるほど、そうなのね」
私はタブレットを取り出してメモに追加する。細々とした情報とは言え聞いておいて損はないだろう。
「食べやすい、と言うか飲みやすい火はどんな物? えっと、油の火とかガスの火とか……ガスわかる?」
「がすは分かりませぬ。今のところは……姫の妖術の火が一番満足しまする」
「あら嬉しい」
魔術の火が好きなのかしら……。長岡さんは私の手元を覗き込む。
「昨日から何を御書きになっているので?」
「うんとねー、長岡さんについてわかったことを色々まとめて報告しないといけないの」
「……某が妖だからで御座いますか?」
「えっ?」
思わず顔を上げる。待ってこの人、どこまでわかってるの?
「長岡さん、貴方自分が人間じゃなくなったことには気付いてるの?」
「嗚呼、ええと何と申しますか……。たまに頭がすっきりする時が御座いまして、今は其の状態なのです。姫……では有りませんね。改めてお名前をお伺いしても宜しいですか?」
「星川光です」
「星川殿。では後で某に星姫とお名乗りください。其れなら覚えられるはずです」
「うん、わかった。昨日の夜のことは覚えてる?」
「いえ、其れがとんとさっぱり。某は暴れたのですか?」
「少しね。でも誰も傷付けてないわ」
「左様で御座いますか。其れならば安心致しました」
「……やっぱり暴れたくて暴れてるわけじゃないのね」
「不本意ながら」
「そう……。それも書いておくわ。他に覚えてることがあったら言ってちょうだい。全部書くから」
「覚えている事は殆ど有りませぬ。気付いたら暗い場所を彷徨っているので……」
「貴方は日が暮れると勝手に体が動いちゃうみたいなの。記憶が飛んでるのはそのせいね」
「左様で御座いますか。ならば、夜の間某の体は縛り付けておいた方が宜しいと思いまする。無辜(むこ)の民を傷付けるのは心が痛みますので」
「それも上司に報告しておきます」
「有り難う御座いまする。……あの、星川殿。差し支えなければお伺いしたいのですが」
「なあに?」
「歳はお幾つなのですか? 随分お若く見えるのですが」
「私? 十九歳よ。ええと、長岡さんの頃と同じ数え方すると二十歳ね」
「何と。ではもう元服はお済みで?」
「元服……成人ってこと? 成人式は来年なの」
そう言えば参政権はあるのに成人式は二十歳で行うので、変な話だ。
「何と! 元服前なのにもうお勤めをなさっておられるので!?」
「だって私、一般人だし……。あ、ええと町人なの、ただの」
「そそそんなに白粉(おしろい)もなさって手もお綺麗なのにですか? てっきり我が姫の様に御身分の高い方かと……」
「今は町の人もお化粧するの」
「何と。うぬぬ……某がぼうっとしている間に時代は進んだのですな……」
「……ねえ、よかったらこの後資料室に行かない? 本を読んだり映画を見たりして新しいことを覚えるの」
「えいが、で御座いますか?」
「ほら、昨日壁に写真を映したりしたでしょう? 覚えてる? 似たような物なの」
「嗚呼、何となく覚えている様な……」
「ね、じゃあ。頭がすっきりしているうちに色々見ましょう」
私は立ち上がったが、長岡さんは片手でそれを制した。
「いえ、星川殿。残念ながら此の状態はそう長く続かぬのです。御気持ちは嬉しいのですが……面目ない」
「そっか……わかった。じゃあ、食器を下げたら部屋に戻りましょうか」
「はい」
非常用の食事は全て紙の食器になっているので、トレーごと折りたたんでまとめてゴミ箱に放り込む。湯飲みと急須はさっと洗って水を切り、拭いて棚へ戻した。
「長岡さん、お待たせ……」
彼は立ったままぼうっとしていた。
「■■■■■……■■■■■■■■■■……」
どこも見えていないように何かを呟いている長岡さん。彼の言う通り、しゃっきりしている時間は続かなかったらしい。私はゆっくり歩み寄って彼の手を取り、顔を覗き込む。
「長岡さん」
「は、姫」
「星姫よ。もう忘れちゃった?」
「ほし……星姫。はい、何か御用でしょうか?」
「一緒に部屋に戻りましょう」
「はい、お供致しまする」
一度私室に寄り数冊の本とタブレット、辞書と電話の充電器を抱えて0120の収容室に入る。時間だけはあるので0120の監視がてら魔術の勉強をしようと考えたのだ。クッションか座椅子持ってくればよかったな。正座に慣れていないので、タブレットと辞書を広げながら座ったり寝転んだりしていると長岡さんがちょんちょんと私の肩を突く。
「なあに?」
「良ければ、某を背もたれになさってください。ほら、昔の様に膝に座って」
「いいの? 足痺れちゃわない?」
「平気で御座いまする」
「そう? じゃあお言葉に甘えようかな」
長岡さんの胡座の中にお尻を置く。おお、寄りかかっても安定感ある。さすが侍と言うべきだろうか……。彼の手は私のお腹の前へ持ってきて組ませる。
長岡さんを座椅子代わりにして勉強に集中しているとスマホが震える。相手は刻浦さんだ。
「はい星川です」
「やあ星川さん」
「あら、暗闇さん」
「刻浦のスマホ借りた。0120の様子どう? 落ち着いてる?」
「一緒にお茶飲んでゆっくりしました。今は……」
長岡さんを見上げるも、反応はない。
「眠ってる、のかな。静かです」
「わかった。じゃあこの話そいつに聞こえないだろうからちゃちゃっと報告しちゃうけど、あの念仏……お経か。聞いた人間たち高確率で昏睡状態になってる」
「昏睡?」
「起きないんだよ」
「そんな……。え、目を覚ます方法ありますよね?」
「ないと困るけど、今探してる最中」
「わぁ……」
「星川さんは強い眠気とか前後不覚になったりしてないよね?」
「全然何ともないですね。むしろ色々あって睡眠足りないぐらいで」
「やっぱり。うーん、違いが何だろうな……。妹役だからってだけだろうか……。ああ、あとお経は魔力防壁で防げるらしいから、脱走時の対処法としては0120をカストルムで覆うのが一番だろうって」
「わかりました」
「0120について何か追加でわかったことある? あったら聞きたいんだけど」
「ああ、それなら」
私は本人に聞いた話をメモを読みながら伝える。暗闇さんは電話の向こうでうーんと唸った。
「なるほど、自分じゃ制御出来ないのか」
「はい、長岡さん自身としては人を傷付けるつもりは一切ないみたいです」
「何とも哀れな……あ、刻浦。待って、代わるね」
「はい」
「……星川くん、お疲れ様」
「お疲れ様です。0120は今眠ってます」
「わかった、出来るだけ0120から目を離さないようにしておいて。ん? 何? ……わかった。0083に報告した内容、データで送れる?」
「送れます。刻浦さんのタブレット宛てですか?」
「そう、今お願い」
「……送りました」
「ありがとう。……なるほど、気付いたら体が動く……。対策は考えられそうだね。聞き取りありがとう」
「あの、刻浦さん」
「ん?」
「私も何かお手伝いしますか?」
「ああ、いや。0120の監視に徹底してくれた方が我々は動きやすい。引き続きお願いするよ」
「わかりました」
「あと、そうだ。報告なんだけど整備部医療チームも軒並み昏倒しててまともに稼働してなくてね。別支部に応援を要求したから二、三日慌しくなると思う」
「そうですか」
「それもあって、0120とはしばらく収容部屋の中で過ごして欲しいんだ。君によって0120が鎮静化した話はもちろん共有するんだけど、外部の人間に我々の信頼関係の強さとかそう言うのは通じないからね」
「はい、わかりました。なるべく大人しくしてます」
「うん、よろしく。代わる? 0083に代わるよ」
「はい」
「……数日忙しいってさ」
「そうみたいですね」
「デートはしばらくお預けだね」
「そうですね、残念」
「本当に。ああ、あと外部から別支部の職員が来る話だけど。そいつらに私のこと説明するの面倒だから一時的に制服着用して見た目だけ誤魔化すんだってさ。今着替えが横にあるんだけど」
「それ、後で報告とかどうするんですかね……?」
「どうにかするんじゃない? なんせ収容所所長の判断だから」
「そう言えば、所長さんは無事なんですか?」
「ピンピンしてるよ」
「そうですか。それならよかった」
「じゃ、またこき使われてくる」
「ふふ、頑張ってください」
「頑張りますぅ」
通話を終え、長岡さんを再び見上げる。私を膝に抱えた状態から彼は動かない。日中は本来活動しないのだろうか? 再び勉強をしようとするが、グループメール参加を知らせる音がしてアプリを起動する。
ああ、マニュアル作成班のグループメールか。
過去の物にさらさらと目を通していると新規メッセージが飛んで来る。
(機葉です。星川さんを追加しました)
(ありがとう✌︎)
刻浦さん絵文字とか使うんだ。何だか文面が可愛い。
もう一件、グループメール参加の知らせが来る。開いてみるとそちらは0120緊急対策チームと書いてあった。メンバーが若干違うみたい。
私と刻浦さんと機葉さん。太刀駒さんと駿未さんに…あれ? ナイル?
(こちらは今回限りのメンバーです。多分)
(今回限りになればいいですね……)
(私を臨時の職員にするとかこの会社終わってるでしょ)
(あ、やっぱり暗闇さんなんですね。アカウント作ったんですか?)
(作らされた。星川さんが一緒ならナイル・モウ・ナイナイとかふざけた名前にするんじゃなかった。もっと早く言え)
(ご協力感謝(^人^))
(文字だと刻浦と太刀駒の雰囲気が逆転するの面白すぎる)
(太刀駒さん文章だと堅いんですか?)
(太刀駒です。歓談の最中申し訳ないのですが、改めて本日の行動方針などを説明します)
(あ、ほら)
(あら意外)
(0120の脱走後、施設内の機能を保持していた職員が軒並み倒れてしまったので外部から応援を要請しました。午後には到着するとのことです。現在意識があって活動に支障がない人材はこの緊急対策チームに加え、魔術部署職員の一部と昨晩作業中でそれぞれのアーティファクト収容室に入室していた数名のみ。合計二十一名です)
(二十一!? たったのですか!?)
(少ないね(;_;))
(いま刻浦が混ざるとシリアス崩壊するからちょっと黙ってて欲しい)
((´・ω・`)しょんぼり)
(二十一名でアーティファクト百二十体の作業及び維持と施設の管理をするのは無理があるため、ほとんどを外部の作業員に任せることになります。0120を鎮静出来る手段が現在、星川職員しかいないため星川さんは0120の鎮静状態を維持してください)
(承知しました)
(応援は二班に分かれて到着します。第一班は一番近い中国支部から、医療チームとAマイナスランク以上の作業員チーム。第二班はアメリカ本部から鎮圧チームと医療チーム、及び作業員チームです。第一班は本日午後には到着。第二班は明日午前中には到着してもらう予定です。あくまで予定のため遅れる可能性は十分にあります)
(うん(´・ω・) と言うことなので、星川くん以外は出来る限り施設を維持するためアーティファクトの脱走防止が主な仕事となります。魔術部署職員は魔術部署を維持してもらってるので残り十二、三人で出来る限り頑張ろう( ✌︎'ω')✌︎)
(そのゆるゆるの古代顔文字何とかなんないの刻浦?)
(以前から刻浦署長の文章は日本語だとこうです。諦めてくださいまし)
(あー、母国語だとまた印象変わるタイプか。面倒くさいなお前)
(面倒くさいとか言わないで(;_;))
(可愛らしくて和むので私は刻浦さんの文章好きですよ)
(やった( ✌︎'ω')✌︎)
(星川さんあんまり上司甘やかさないで)
画面から目を離し息をつく。見上げるも、やっぱり長岡さんは静かなままだ。
(すみません、0120のことなのですが)
(何か進展がありましたか?)
(いいえ、動かなくなってしまったんです。聞き取りには成功したのですが……聞き取りの内容ってこのチームに共有されました?)
(先ほどしました(^_-))
(よかった。聞き取り後、またいつもの調子に戻ってしまったので収容室内で大人しくしているのですが私を膝に抱えたまま動かなくなってしばらく経つので大丈夫かしら、と)
(膝に抱えたぁ!?)
(あ、しまった余計なこと言った)
(ちょっと星川さんは私の!!)
(愚痴は後で聞きます)
(冷たい)
(ここで痴話喧嘩しないでください)
(日中に休んで夜に活動しているのでしょうか? どう思いますか? 皆様)
(その可能性は大いにありそうですね。すみません、作業に戻ります)
(いってらっしゃいませ)
(私も戻ります)
(はい)
(星川さん今度のデート覚えててよ!)
(それ宣戦布告に聞こえます)
(いっぱいイチャついてやるって宣言ですぅ!!)
(バカップルはよそでやってください)
画面を見つめすぎたので私は目頭を揉む。手の中のスマホが震えたので画面を見る。知らない番号かと思ったら会社の内線番号だ。ん? 誰だろう?
「はいもしもし」
「星川さんですか!? 魔術部署の……ええと、鶏居です!」
「とりいさん。はい、こんにちは。どうかしたんですか?」
「目を離した隙にQ-n-0067『不死鳥』が脱走しまして!」
「えーっ!?」
「多分星川さんのところへ向かったと思うんです! すみませんこっち手一杯なので探していただけますか!?」
「了解です」
「ありがとうございます!! 地獄に仏とはこのこと!!」
早々に鶏居さんは電話を切ってしまう。もうあっちもこっちも大変だ。
そりゃそうよね、ちょっとした町くらいの人数がいる施設なのに大半が昏睡状態じゃね……。私も二、三体の面倒は同時に見た方がいいな。
スマホは上着に、タブレットなどは床に置いて私は寝ている長岡さんから腰を上げる。反射だろう。彼はとっさに私の手首を掴んだ。
「長岡さんおはよう」
「……」
「あれ」
返事しない、変だな。
「長岡さーん」
顔の前で手を振るが反応しない。あれ、これもしかして意識ない?
「あのですね長岡さん、不死鳥が逃げちゃったんで探しに行きたいんです。一緒に来てくださーい……?」
……一切反応なし。
(ええ? 困るんですけど……)
私はそのままよいしょと立ち上がる。長岡さんも立つ。
(ん、意識はないけど連れては行けそう)
収容室の扉をカードキーで開ける。食堂の方から人の気配がする……。
「応援チームもう来たのかな」
ひとまず長岡さんを連れて私は食堂へ向かった。
そして、信じられない光景を目にする。食堂はすごいことになっていた。脱走したアーティファクトたちが酒盛りやら何やら、まぁとにかく好き勝手にしている。
ダメだこれ。どうしようとか収容しようとか言う気持ち一切起きない。何だっけこう言う人間じゃない妖怪だらけの行列が出てくる……? ああ、百鬼夜行だ。それっぽい。
見たことあるアーティファクトも見たことないアーティファクトもいる。
(あ、あれK-n-0024『嘆きの聖女』じゃない? え? ケーキ食べるの? フォーク浮いてる。まぁ幸せそうな顔して頬張って。ああ、そっか今争いはないから彼女も幸せなのか。いいんだか悪いんだか……)
思わず溜め息をつくとぴょうと言う高い声がする。探していた不死鳥だ。彼女は真っ直ぐ私に向かって降りてくるので腕を伸ばして止まり木になる。不死鳥はふわりと降り立った。
『ごきげんよう愛しい子』
「ひぇ」
『まあ、なぁにその声?』
「女王様とも話せるようになってる……」
『あら、遅かったくらいよ?』
『ごきげんよう異国のわたくし』
『ごきげんよう異国のわたくし。そこは少し狭いのではなくて?』
『慣れると居心地が好いわよ?』
私の杖と不死鳥が自然に話をしているので私はびっくりして目を丸くし、二人? を見比べた。
「え? 女帝様と女王様お知り合いですか?」
『姉妹のようなものでしてよ』
『半身のようでもありましてよ』
「ああ、そうなんですね」
やっと不死鳥を肩に留まらせる。
(そっか、杖が来る前の風の囁きは不死鳥だったのか。それで、杖さんはやっぱり不死鳥の羽が芯材なのね)
頭の片隅を動かしながらも私は目の前のどんちゃん騒ぎをぼーっと見ている。
「これ、どうしよう」
『なぁに?』
「アーティファクトさんたち大脱走してますよね」
『そうね』
『でもみんな城の中にはきちんと居るわ』
「まあ、そうなんですけど……」
『部屋に入って欲しいのなら、貴女が言って聞かせればよろしくてよ?』
「素直に帰ってくれますかねえ……」
正直こんな状態だと現実味がない。辺りを見回すとT-n-0092、黒い髪をだらりと下げた少女を見つける。私は彼女に近付いて肩をちょんちょんと突く。彼女は振り返って私に気付くと嬉しそうにぎゅうっとハグをしてくる。本来接触不可なんだけど、こんな状況だしもういいや。私も彼女の背中を優しく撫でる。私はしゃがんで彼女に目線を合わせる。
「久しぶりだね。何か探し物?」
「プリンが食べたいの!」
「プリン? ちょっと待ってね」
私は長岡さんと不死鳥を連れたまま厨房に行き、冷蔵庫から柔らかいプリンを出す。スプーンを付けてT-n-0092のところへ持って行くと彼女は嬉しそうに受け取った。
「ありがとう!」
「どういたしまして。ねえ、0092さん」
「鏡子よ」
「キョウコちゃん? あのね、プリン食べ終わったらお部屋に自分で戻って欲しいの」
「うん!」
「あら、素直。いい子ね。お部屋への道わかる?」
「うん、知ってる!」
「そう、よかった」
彼女の頭を撫で、テーブルへ向かう彼女に手を振る。
(これ、他にも同じように声を掛けたら素直に部屋戻ってくれるかしら)
試しに近くのアーティファクト数体に声を掛ける。気が済んだら部屋に自分で戻って欲しいと伝えると彼らは戻ると素直に返した。拍子抜けするくらいあっさりと答えてくれたので、そのまま私はアーティファクトたちに声をかけ続ける。
複数の脱走情報を聞いた刻浦さんが走って食堂にやって来たのだが、私は気付かずアーティファクトたちに声を掛けたり要望を聞いたりしていた。食堂のとんでもない状態を見た刻浦さんはその場で固まる。続いて機葉さんが同じように到着し、刻浦さんと同じく唖然として固まる。
「な、何事ですの?」
「私もわからない。アーティファクトが半数以上脱走しているのに和やかに宴会……?」
別の通路から駿未さんもやって来て同じように口をぽかんと開ける。
「これ何です?」
「わかりません」
「来たら宴会のようになっていたんだよ」
「星川さんも何してるんですかぁ……?」
「わからない……」
私は三人の老人に声を掛ける。
「嫌じゃ、帰らぬ」
「帰らぬ、帰らぬ」
「酒が飲みたいのじゃ」
「あのーそれならお酒持って行っていいですから、お部屋に戻っていただけます?」
「何? 瓶ごと持って行って良いのか?」
「ええ、どうぞ。グラスも三つ持って行ってください」
「何じゃ、部屋で酒を飲んで良いのか」
「ならば帰ろう」
「そうしよう、そうしよう」
「今日はめでたい、良い日じゃ」
「良い日じゃ良い日じゃ」
腰のあたりで体がくっ付いている三人の老人は一斉に立ち上がると方向転換して廊下に歩いて行く。彼らが最後だったので私は胸を撫で下ろし、さて不死鳥を魔術部署へ帰そうと向きを変える。刻浦さん、機葉さん、駿未さんに制服姿の暗闇さんまでいてやっと彼らに気付いた私は驚く。
「皆さん!」
「星川くん」
「は、はい」
「今の大量脱走、中国・アメリカチームには内緒にしてくださる?」
「え? はい、わかりました」
「バレたら流石に我々もお咎めがあるレベルの脱走数だったからね」
「あら、それは困りますね」
「星川さんあの数全部捌いたの?」
「ええと、はい。でも皆さん異様に素直だったので喧嘩もないし楽でした」
「絶対に組み合わせたらいけないアーティファクト同士がいたはずなのに仲良かったよねえ……。何でだろう?」
「何でですかねえ……」
私は肩に止まった不死鳥と目を合わせる。
「女王様も魔術部署に帰ってくださいます?」
『いいえ、可愛い娘の肩が一番好いの』
「仕方ないですねえ」
「星川さん火の鳥と喋ってる」
「ええ……いつの間に……」
私は不死鳥の喉から胸の辺りを撫でる。彼女は気持ちよさそうに目を瞑った。長岡さんの手を引いて私はみんなの側へ寄る。
「えーと、長岡さんなんですけど」
「うん。歩いているけど意識はなさそうだね」
「そうなんです。朝ごはんの後からずっとこんな感じで……」
ふと、長岡さんが顔を上げる。起きたのだろうか、と全員で期待するも彼は私から手を離し……両手を合わせた。
「拝んでる」
「拝んでますね、何に?」
「さあ……」
「■■■■■■■■■■……」
「またお経……もういいよそれ」
「たいへ〜ん! わーお丁度みんな揃ってる!」
太刀駒さんが走って食堂にやってくる。緊急対策チーム大集合といった感じ。
「どうしたんですか?」
「それがねー、来るはずだった中国チーム、色々なことが重なりまくった結果乗る予定の飛行機を逃したんだって! それでね! そのあと搭乗予定の飛行機が突然爆発して炎上! 墜落!」
「ええ!?」
「じゃあ中国チームは無事なんだね?」
「そうみたい!」
「よかったー」
次に刻浦さんの電話が鳴る。
「はい。……え? 何ですって?」
あ、英語だ。と言うことは相手はアメリカチームだろうか? そして何故私は英語がすんなり聞き取れたのだろう。英語の成績あんまりよくなかったはずなのに。相手からの報告を聞き刻浦さんは電話を切る。彼も驚いた顔をして私たちを見渡した。
「アメリカチームも乗るはずだったヘリの時間を逃したんだけどそのヘリの整備不良が見つかって足止めを食らったって」
「ええ!?」
「そっちも!?」
「ああ、そうだ太刀駒くん。実はさっきかくかくしかじか……」
「ええーっ!? 食堂そんなに面白いことになってたの!? 見たかった!」
「あ、百鬼夜行記録するの忘れた」
「ああ、やってしまった。記録がないと色々検証しようがないのに……」
誰かのスマートホンがぴょこぽんと可愛らしい音を立てる。持ち主は……太刀駒さんだったようだ。
「十二時だって!」
「お昼ですね」
「とりあえず……ご飯食べようか! ねっ!」
「そうしましょう」
「そうしますか」
待ってましたと言わんばかりに、誰かのお腹がぐうと鳴った。
結局0120が拝んだままその場から動かないので、私は緊急対策チームのメンバーと一緒にお昼を食べる。まあ、朝とメニュー同じなんですけど。0067、不死鳥には近くのテーブルで休んで頂いて私は口にハンバーグを運ぶ。
「朝と一緒ですけど、美味しいです」
「美味しいわね」
「さすがに私も疲れた……。何か食べなきゃ元気になれないよ」
「制服似合ってますよ暗闇さん」
「ありがとう。嬉しくはないけど」
「しかし事故で足止めとはねえ……。応援いつになるんだろう?」
「いつになるんですかね……。あ、暗闇さんブロッコリーだけ残しちゃダメですよ」
「要らな〜いこんな小型の森」
「森……」
口を尖らせていた暗闇さんはブロッコリーをフォークで突き刺すと笑顔で私に突き出す。
「はい星川さんあ〜ん♡」
「そうはいきませんよー。はいあーん」
私は嫌いな野菜を押し付けようとした暗闇さんに自分のフォークでブロッコリーをお返しする。
「うわーん星川さんのいじわるー!」
「好き嫌いしなーい」
「うぇえ。……うう、この森め」
暗闇さんは何とかブロッコリーを頬張る。
「もう一個頑張ってください。はいあーん」
「うわーん」
二個目も食べたので、暗闇さんのお皿に残ったブロッコリーは私の口に回収する。
「えらいえらい」
「0083は女性に敷かれるタイプだったか。うちも妻が強くて可愛い」
「息を吸うように奥さん自慢するなそれから私は尻に敷かれてない!」
「はー目の前のコントすら和やか。この緊急時に」
「さっきの百鬼夜行見ちゃうと気が緩みますよね」
「アーティファクト夜行見たかったな〜」
「長岡さんも動かないし。……あれ?」
「え? 何?」
「長岡さん動いてました」
「え!?」
私が指差すと全員がそちらを見る。長岡さんはさっきの位置から動いたうえ別の方向に拝んでいる。
「いつの間に!?」
「さすがに油断しすぎたな」
「星川さんがここにいるし大丈夫だろうとか考えてた〜」
「ご飯急いで食べないと……」
しかし長岡さんが拝んでいる方の扉が突然開かれる。壁に寄りかかりながら入って来たのは何と、加奈河さんだった。制服のスラックスに白いシャツだけの姿。頭はボサボサだ。
「加奈河くん!?」
「加奈河くんが起きた」
「加奈河さんも昏睡してたんですか?」
「もちろん!」
駿未さんが真っ先に加奈河さんに駆け寄り体を支え、刻浦さんも追って駆け寄る。
「駿未……」
「おはよう! 大丈夫!?」
「足に力が入らないが何とか……」
「加奈河くん、気分どう?」
「刻浦さん……。ええと、何だか久しぶりに爆睡しました……。人がいないし何が何だか……」
「とりあえず水分摂らせよう。あと食事も」
私たちはわらわらと動いて加奈河さんの世話を焼く。彼は美味しそうに水を飲んで、少ししゃっきりすると食事を口に運ぶ。
「美味い……」
「加奈河くん、何か覚えてることない?」
「覚えてること……変な夢見ました」
「夢ですか?」
「ああ。気付いたら白い壁の日本の城にいたんだ……」
「城」
私たちは顔を見合わせる。刻浦さんがすぐタブレットを取り出し長岡城を見せる。
「この城だった?」
「え、そうです。え? そっくりだ。何で?」
加奈河さんは夢の景色を当てられ困惑している。
「これは長岡城の再現画像です」
「長岡城」
「江戸時代の新潟にあったお城です」
「何でそんなところが夢に……」
「実はあそこに立ってる侍がA-r-0120なんです。皆さん彼のお経を聞いたら眠ってしまって……」
「……あいつが?」
「夢の内容、他に覚えてることは?」
「えっと……このくらいの背の、九歳か十歳ぐらいのチョンマゲの少年がその城の殿様らしくて。彼が何か……何だっけ。とりあえず寛いでいきなさいと子供らしからぬ口調で言うんです。で、俺はその言葉に従って……何したんだっけな? ともかく、いい夢だったと思います」
「九歳か十歳くらいの男の子……。長岡さんですよね」
「きっとそうですね」
「長岡って誰ですか?」
「A-r-0120の名前です」
「あいつ長岡城の長岡くんなのか……」
加奈河さんがハンバーグを美味しそうにもぐもぐしていると長岡さんが拝むのをやめ、向きを変えて部屋の中を数歩動く。緊急対策チームは一瞬緊張するが、彼は部屋の中から出ることはなくまた別の廊下に向かって拝む。するとその廊下から今度は円衣さんと鐘戸さんが一緒に顔を出した。ある程度身は整えているが二人も加奈河さんとそう変わらない格好だ。
「おお、サムライだ〜」
「円衣さん! 鐘戸さんも!」
「星川ちゃーん!」
私は思わず二人に駆け寄って抱き付く。
「お二人とも目が覚めたんですねー!」
「一体何が起きたの……?」
「と、とりあえず水分摂ってご飯食べましょう!」
円衣さんと鐘戸さんにも食事を出す。二人も美味しそうにご飯を頬張る。
「はぁ〜ん美味しい」
「美味しい……私冷凍食品苦手なはずなのに……」
「あら、そうなんですか?」
「温めた時の独特のニオイが苦手でダメなの。でもいま全然気にならない……不思議」
鐘戸さんは苦手なはずの冷凍グラタンをヒョイヒョイ口に運んでいる。余程美味しいのだろう。
「君たちもA-r-0120に昏睡させられてたんだけど、何か覚えてる? 夢とか見た?」
駿未さんがそう言うと二人は顔を見合わせて顔を赤くする。
「うふふ」
「…………」
円衣さんはともかく、鐘戸さんが耳まで赤くなるのは珍しい。
「どうしたんですか?」
「いい夢見たの〜! ねっ、かねこゃん♪」
「う、うん」
「へえ、どんな?」
「えっとね〜。うふふ。人に言うの恥ずかしいなー」
「夢の中で結婚でもした?」
「きゃー! ハヤミンのえっち!」
円衣さんは駿未さんの肩を勢いよく叩いた。
「あら当たった」
「うふふ、綺麗な日本のお城の中で二人で挙式したのー」
「このお城で?」
刻浦さんが長岡城を見せると二人は大層驚く。
「ここです! えっなんでわかったんですかー!?」
「あら、そのままそっくり。梅の木の位置が違うけど……」
「円衣さんと鐘戸さんが挙式? あの、もしかしてですがお二人……」
彼女たちは互いを見合わせてから一層顔を赤らめる。
「実はー、恋人なの」
「会社で初めて会ってからそう間もなくね……」
「あらーっ知らなかったです!」
「だって誰にも言わないもん! 無理ないよー」
「内緒にしなくてもいいのにねぇ。昔と違って偏見ないんだし」
「恋人を発表するのは恥ずかしいものなの!」
「ふーん?」
「じゃあ幸せな夢だったんですねー」
「もうすっごく!」
食事を終え静かに円衣さんの話を聞いていた加奈河さんがテーブルの横で手をかざす。
「円衣、もしかしてこのくらいの身長のチョンマゲの……」
「可愛いお殿様がいたよ!?」
「やっぱり」
「カナカワクン何で知ってるのー!?」
「俺も同じ場所の夢見たんだよ」
「えーっ!?」
対策チームメンバーは顔を見合わせる。
「偶然ですか?」
「違うと思う」
「ただの精神攻撃じゃなく、強制睡眠な上に眠らせた対象を同じ夢世界に引き摺り込んだってことになるよね。とんでもないんだけど。魔術師でもない元人間がやる領域の魔術じゃないでしょ」
「魔術なんですか?」
「一応ね。夢の方にも世界ってのはあって、加奈河たちはそっちに行ったことになる。ちょっとした旅行だよ」
「ただの夢じゃなくて異世界ってことですか?」
「うん」
私以外の対策メンバーは顔を見合わせる。
「……このメンツがある程度0120の読経に耐えられたのはそのせいか」
「そうみたいですねえ。我々夢世界への旅行自在に出来る面々ですし」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。内緒ね」
「はい」
「星川さんが全く効果ない理由は?」
「妹のお姫様に重ねて見てるからじゃないですか?」
「それも一因としてはありそうだけど、それだけだと根拠が薄いんだよね。星川さんは夢世界旅行したことないでしょ?」
「ないです、多分」
「だったら加奈河たち同様ぱたっと寝ちゃうはずだよね」
「何でしょうね……」
加奈河さんと円衣さん、鐘戸さんは食後のお茶を飲みつつぼんやりしている。まだしっかり現実に戻って来ていないような感じだ。
「ところで、ナイルは何で制服着てるんだ」
「あぁ? 0120とお前たちのせいですけど?」
「人手が足りなさすぎて外部から応援を呼んだんだよ。部外者に0083の説明が面倒だったから制服で誤魔化そうとしてね」
「それ大丈夫なんですか?」
「所長の判断だから大丈夫だよ。でも肝心の応援が全て足止め食らっててね」
「おかげでただのコスプレってわけ」
「似合うぞ」
「嬉しくねえ」
太刀駒さんは刻浦さん機葉さんと何か話し合っていた。直後彼は食事のトレーを持って立ち上がる。
「ボク“向こう側”でイーグルくんを探してみる」
「気を付けていってらっしゃいまし」
「太刀駒さん、どこ行くんですか?」
「夢世界行ってみるって」
「えっ」
「イーグルくんいないと困っちゃうからさ! 迎えに行ってくる! じゃあ後よろしくね刻浦くん!」
「いってらっしゃい」
太刀駒さんはトレーをゴミ箱に入れて上着を抱え食堂から走り去る。機葉さんは刻浦さんの顔を見た。
「太刀駒本部長に応援を付けた方がよいと思うのですけれど」
「いや、あの二人の関係は繊細だ。我々が押し掛けていい間柄じゃない。戻って来るまで待とう」
「それフラグにならない? 大丈夫?」
「なら0083、君が行くか?」
「私はパス。この体になってから向こう側行ってないもん。最新の道とか知らないよ」
「ならば確実に君は留守番だな。私も残りの0083部署メンバーを迎えに行きたいところだが、この場を太刀駒くんに任されたし離れる訳にはいかない」
「刻浦さんって周りの方に頼りにされてますよね」
委員のみんなに、とは言わない。
「刻浦署長は元々アメリカ本社の職員なの」
「えっ」
「日本支部を建てる時に経験のある職員が一人は欲しいと言われたのでね。ついでに妻と移住したんだよ」
「わあ。ってことはこの会社で一番のベテランですね?」
「まあそうなるね」
「すごいです」
「君に褒められると悪い気はしないな」
刻浦さんはそっと微笑んだ。さてトレーを下げるかと私は席を立つ。すると長岡さんが拝むのをやめて私の方に歩いて来る。
「長岡さん」
反応……なし。顔の前で手を振るが見えていないようだ。
「うーん、まだ目覚めないですね」
刻浦さんと暗闇さんはその様子を見て何かを同時に思い付く。
「なあ刻浦」
「多分同じことを考えたと思うよ。0120自身も“あちら側”にいるんじゃないかって話だろう?」
「夢世界の話が事実なら夢の主がいないとおかしいからね。合点がいったよ」
「だが主の強制退去は荒技だ。寝ている全員巻き込まれるぞ。最悪死んでしまう」
「うわめんどくさ。やっぱ地道に迎えに行くしかないのか……」
「えーと、どう言うことですか?」
「簡単に説明するとね……」
私が座り直すと刻浦さんはタブレットの中でメモ帳を立ち上げ、机に立てかけて見せてくれる。タブレットペンを動かして彼は図を描いていく。
「上の円が我々が今いる目覚めの世界、下の円が夢世界としよう。目覚めの世界には森林や山や丘、海や川があって生き物が住んでいる。夢世界も同じでね。ただ環境も棲んでいる生き物も目覚めの世界とは大きく異なる。アーティファクトたちの源流、故郷とも呼べる場所だ」
「アーティファクトたちって異世界の生き物なんですか?」
「例外ももちろんいるよ。ただ向こう側に生息している数が圧倒的に多い。人間も一応夢を通してあちらに行くことが出来るんだけど、砂漠を水なしで歩くようなものでね。行き来出来る人間は多くない」
「なるほど。長岡さんは夢と目覚めの世界を行き来出来るんですね?」
「恐らくね。彼は記憶の中の長岡城を夢世界に建造してそこに住んでいるんだろう。そして意図は不明だが時々人間を招く。これだけ大量の人間を一度に招いているし相当慣れてる。今回が初めてではない」
「でも長岡さん辻斬りもしてるんですよね?」
「彼の生い立ちを考えれば両方説明がつくよ。夢の長岡城は妹姫の菩提を弔うため、辻斬りは仇討ちと考えれば辻褄は合う」
私は思わず長岡さんを見上げる。
「そっか、敵討ち……」
「灯りを求めているのも妹姫に捧げるためだろう。推測だが0120の本体は夢世界、目覚めの世界にいるのは子機のような物だろう。目覚めの世界で意識がない時は夢にいて、夢世界から出て来るとこちらに意識が繋がる」
「推測だけど説得力あります」
「刻浦のその予想当たってると思うよ。全部説明出来るもの」
「ただそうなると本当の意味での収容は出来ない。夢世界の居城ごと封印しないといけないからね」
「厄介すぎるでしょ」
「君並みにね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
私は立ち上がって長岡さんに抱き付く。なんて優しい怪異なのだろう、この人は。長岡さんは意識もないのに私を抱き返して背中を軽く撫でた。
「ちょっと、私の星川さん」
「すみません、ちょっとじーんとしちゃって……」
「そりゃそうだろうけど!」
「妬く前に0120の抱擁に参加したらどうだい?」
「やだよ! なんで筋肉ムキムキの男に抱きつかないといけないわけ!?」
「貴方、そう言うところよ」
長岡さんはふと顔を上げる。抱き付いた私ごと向きを変え、また廊下に向かって拝む。直後、イーグルさんを支えた太刀駒さんが戻って来る。
「こっちで何分経った!?」
刻浦さんは腕時計を確認する。
「十五分と四十六秒」
「向こうの時間物凄い早いよ! びっくりした! ボクたちあっちで三日過ごしたもの! イーグルくんにご飯食べさせないと! 手伝って!」
私たちはまたわらわらと動く。普段厳しい表情をしているイーグルさんだが、夢の影響が強いのかテーブルに頬杖をついてぼんやりしている。
「あの、イーグルさん大丈夫ですか? かなり疲れてるみたいなんですけど」
「あの夢、呼ばれた人間の疲労度が強く影響するらしくてイーグルくん連れ出すの本当に苦労したの! ごめんねイーグルくんもっと労わるよ! 普段から激務だもんね!」
「何それ、癒しスポットってこと?」
「太刀駒。落ち着いたら報告を」
「わかった! イーグルくん現実のご飯食べて! お水も飲んで!」
イーグルさんがご飯を食べ出すのを見届けて、太刀駒さんは身振り手振りで夢世界の説明をする。彼曰く、夢世界の長岡城には人数分の“階層”が存在し各階層ごとの移動は城主である少年体の0120にしか出来ない。招かれた人間は客人としてもてなされ、あちらの時間で数ヶ月を過ごし疲れや心のわだかまりを解消すると外へ出られる仕組みだそうだ。刻浦さんと機葉さんは太刀駒さんの情報を聞いてマニュアルに加えながら、刻浦さんが立てた推測を共有する。太刀駒さんは推測は当たっているだろうと言いさらに情報を足した。
「城には奥の間が存在するんだ。その中には小さいお姫様がいる。構造上城の中枢と見て間違いないと思う。それで城主、0120に頼み込んで少しだけ姿を見せてもらったんだけど、やっぱりなことに顔が星川さんにそっくりだったんだよ〜」
「えっ、私を子供にした感じってことですか?」
「そう!」
「星川さんの幼女時代すごい見たいほっぺ揉みたい」
「下心丸出しね0083」
「元々お姫様が私と似てたんですかね?」
「いや、感覚的な理解で言わせてもらうとあれは星川さんを写したものだよ!」
「うぇっ」
「穏やかに行こうと思ったけど気が変わった。この変態侍いずれぶっ飛ばす」
「やめてください暗闇さん。ややこしくなるから」
「……星川くんは楔(くさび)か」
「多分そうだよ! 碇(いかり)の方が正しいかも。目覚めの世界に移動する際の目印になってるんだよ!」
「なるほど、だから星川くん自身は夢に招かれないのか。碇が移動してしまっては彼は困る訳だ」
「……それって私は夢の中の長岡城に行けないってことですか?」
「そうなるね」
「私もお城見たい……」
「ちょっと! そう言うこと言うと本当に連れ去られるからやめて!」
「だって春は白い梅が咲いて綺麗だろうし、雪の中のお城も綺麗だろうし。お堀の中に金色の鯉が泳いでて綺麗……ん?」
私は違和感を覚える。何故かお城の光景が手に取るようにわかるのだ。
「星川さん何その見てきたような感想」
「んん?」
私は両手で目を覆う。ハラリと落ちた梅の花が目の前を通り過ぎる。足元は畳。目を瞑ったまま袖を確認すると七五三で着るような豪華な振袖。頭を上げて辺りを見回すと華やかだが落ち着いた和室。視線は低い。
目を開けると見慣れた職員たちがこっちを見ている。
「……私起きたまま向こうと繋がってるみたいです」
「半分連れ去られてるじゃん!!」
「効いてない訳ではなかったのか……。星川くん、見えたものを教えて」
「えーと、はい」
目を瞑って長岡さんが立っているであろう方向を見ると、みんなが言った通りチョンマゲ頭の十歳くらいの男の子がいる。けど顔はわからない。よく見ようとすると焦点が合わずぼんやりするのだ。
「あらぁ長岡さん可愛らしい。顔はよく見えませんけど。ええと、部屋の中は……」
私は瞼を下ろしたまま刻浦さんに口頭でいま見た情景を説明する。
「部屋の外には出れる?」
「やってみます。えーと、こっちかな」
向こう側で扉に向かおうとすると幼い長岡さんに一度阻まれ、手を引かれる。
「あ、お外連れてってくれるみたいです」
「こちらでは星川くんが机と椅子にぶつからないように0120が誘導しているよ」
「あら優しい。ありがとうございます」
扉が開かれる。外は春。梅の花びらが中庭にたくさん落ちている。
「わー、綺麗。春ですね。ん? あれ? さっきより視線が高い。現実とほぼ同じかな?」
「急に背丈が伸びたの?」
「はい」
隣の長岡さんを見上げる。お殿様らしい立派な成人男性だ。
「長岡さんも大人になってますね。あと私の服変わってます。さっき梅柄の可愛い子供用の着物だったんですけど、大人の着物ですね。何柄って言うんだろう? 袖に歯車付いてるんですけど」
「源氏車だと思います。馬車っぽければ御所車ですね」
「歯車だけです。あとお花ですね」
「では源氏車ですね。縁起がいいとされている着物の柄です」
「機葉さん物知りですねえ」
「この仕事に就いていると嫌でも博識になりますよ」
「なるほど。私も勉強しよう……。あの長岡さん、お庭行ってみたいんですけど……」
彼の袖を軽く引くと私の手を引いて庭に誘導してくれる。
「おお、広いですね。さっきも言った通り金色の鯉が泳いでます。触れるかな……触れますね。現実だと床突いてると思うんですけど」
「そうだね」
「鯉さん、私の指は餌じゃないのよ」
池から顔を上げるといつの間にか季節が変わっている。梅の花はなくなり、緑が生い茂り日差しが強い。
「あれ、夏になってる」
「えっこの短い間に?」
「はい」
目を開いて一度現実に戻る。もう一度目を瞑るも景色は同じだ。
「瞼の上げ下げだと景色同じですね。庭から目を離すと景色変わるのかな?」
その場で後ろを向いてまた前に向く。予想は当たり秋になっている。
「おお、紅葉が綺麗」
もう一回転。
「わー、雪深いですね。雪合戦したら楽しそう」
「星川くんの階層だけ時間の流れが違うようだね」
「そのようですね」
「やっぱり特別なんじゃない? お姫様だから」
「また春にしておこうかな」
「その場でくるくる回る星川さん本当にお姫様みたいで可愛い好き」
「駄々漏れですよ0083」
「あと私の星川さんいい加減返して」
『そもそも貴方のものじゃ無くてよ』
『そうよ、土塊の身で図々しい。ヒカリは清らかで麗しいわたくしたちの娘よ』
(見えないところで私を取り合わないで……)
「星川くん、一度こちらに戻って来てくれるかな?」
「はい」
瞼を上げて刻浦さんたちのテーブルに戻る。長岡さんは私の後ろをゆっくり付いてくる。私がチョロチョロしている間に刻浦さんと太刀駒さん、機葉さんでおおよその情報をまとめたようだ。さすが委員、仕事が早い。
「太刀駒くんの証言を元に、0120の居城の構造をざっと図面にまとめた。恐らく星川くんがいた場所はここ、奥の間。推論上は長岡城全ての階層に出入り出来るはずだ。奥の間にいる0120が本体だろう。彼は加奈河くんたちの証言同様、殿様の格好をしていたんだね?」
「はい、そうです。ただ先ほども言った通り外見年齢は好きに変えられるみたいです」
「ふむ。星川くんにはこの後0120本体を説得して職員を帰すよう促して欲しい」
「わかりました」
「ただし気を付けてね。下手に刺激して向こうの分身に星川くんが閉じ込められて昏睡したままになる、なんてこともあり得るからね」
「気を付けます。でも長岡さん、きっとそう言うことはしないと思います」
「……そう」
「はい」
私は微笑んだ。瞼を開けたまま長岡さんの手を引いてテーブルと椅子のない広めのスペースに移動する。彼の両手を握り、瞼を閉じて向こう側で目を開ける。右手には花弁が舞う美しい庭。優しい春の香りがする。
「長岡さん。あのですね、職員さんたちの疲れを取ってくれるのは本当にありがたいことなんですけど、皆さんもう目覚めの世界で十八時間以上寝ているんです。このままだとお水も飲めないしご飯も食べられないしお風呂にも入れないので、全員帰して頂けると嬉しいんです。お願いします」
「……■■■■■■■■」
「え? 何て?」
「っ星川くん!」
「えっ?」
刻浦さんが緊迫した声を出した瞬間、肌に触れる空気が変わる。梅の花の強い香りがする。周りを見渡すとさっきと同じ春の庭。私は両手で顔を触る。目を瞑っている感覚がない。体の感覚がはっきりとしている。
「ん? あれ? 私もしかして体ごと夢に来ちゃった?」
目覚めの世界では緊急対策チームが焦っていた。長岡さんと私の姿が一瞬で消えたのだ。
「ああくそ! だから言ったのに! 私向こう側行くよ!?」
「待て0083! 太刀駒くんの話を聞いただろう、中枢には夢の主しか入れない。城に辿り着けても内部までは侵入出来ないぞ」
「だからって星川さん放っておけないでしょ!?」
刻浦さんと暗闇さんの言い合いを加奈河さんたちはぼんやり眺めている。
「……何焦ってるんですかね? 二人とも」
「わかんなーい」
「帰って来るわよ。ねえ?」
「ちょ、ちょっと加奈河くんたち緊張感なさすぎない?」
「だって、お城に行ったんだよな?」
「そうだよ!?」
「じゃあ大丈夫だろ」
「何を根拠にそんな……」
加奈河さんたちの反応を見た暗闇さんが何かを察知し、加奈河さんの肩を掴む。
「おい加奈河」
「ん?」
「顔面鉄壁だけじゃなくてとうとう腑抜けになったか?」
いつもなら買い言葉に売り言葉で口喧嘩風のじゃれ合いが始まるはずなのに、加奈河さんはぼうっとしている。
「……腑抜けてはいないと思うが」
「加奈河くん何か変じゃない!?」
「お前どうした!?」
「何が?」
「何がじゃなくて!!」
加奈河さんの様子を見た刻浦さんはイーグルさんの方をバッと見る。
「太刀駒、イーグルも同じか?」
「イーグルくーん! ほら君の好きな中指〜」
太刀駒さんはイーグルさんに中指を立てる。本来やってはいけない侮蔑の動作だがイーグルさんは太刀駒さんの手を見ても肘をついたままぼうっとしている。
「いつもなら引き攣った笑顔で中指立てて返して来るのに!!」
「何が起きてる?」
「ぼんやりとかそう言う話じゃないよね!? 催眠術!?」
「軽度から中度の精神汚染か……?」
機葉さんは真っ先に何かに気付き、椅子から立ち上がる。
「イーグルアイ、失礼」
彼女はイーグルさんを突き飛ばして椅子から落とした。彼は受け身は取ったが、そのままぼんやりしている。
「いつものイーグルくんなら椅子倒される前に阻止するよ!?」
「緊張、警戒、怒りの反応が極限まで薄くなってますね」
「攻撃性の奪取か? ……さっきの宴会!」
「アーティファクト同士が仲良くしてたのも!?」
「私に効いてたのも伊達じゃなかったのかよ! ちょっと! あいつ思った以上にヤバい奴じゃない!?」
「ヤバくはないよな……」
「お殿様ならイイヒトだよ〜」
「緊張感盗られた君たちは黙ってて!」
「人間ないし生き物から攻撃性が消えれば争いはなくなる……妹のような被害者も出ない……。お経を聞いたものから攻撃性を吸い取るのか……やられた……」
「眠った者は昏睡に陥るのではなく夢から覚めると言う手段に思考が行き着かないのでしょう」
「それまずいよ、人間から主体性奪ってるじゃん!」
「おまけに星川くんまで奪われた。やはり私が……!」
刻浦さんがテーブルを離れようとした瞬間、火の鳥が大きく翼を広げる。彼女の体は大きな炎に包まれ、炎がやがて収まるとそこには燃える赤い髪の美女が立っていた。
「あら、女王様って人の姿になれたのね」
火の鳥は刻浦さんに向かって片手を突き出し行く手を阻む。
『お前たちが首を突っ込んではいけません』
「今一刻の猶予もないんだ、ありがたい不死の言葉だろうが聞けない」
『土塊如きがわたくしたちの麗しい娘の邪魔をするなと言っているのよ、解らない? あの子は自分で戻って来ます。この箱の中の人間を全て解放してね』
「……こちらを煽るってことはあんたはまともだな」
『当然です。わたくしを誰だと思っているの? 古き神であったのは貴方がた土の精霊だけではないのよ? 全く、こんな時でなかったらその太々しさ頭から焼き尽くして差し上げたのに』
刻浦さんは太刀駒さんたちと顔を見合わせる。
「……彼女は必ず戻って来る?」
『ええ、必ず』
「0120は星川くんを取り込まずに手放すと?」
『あの男にそんな下劣な欲があったら本気で極楽を作ろうとなんてしなくてよ』
「長岡城は極楽浄土の再現か……」
「人間がただの後悔でそこまで行き着く!?」
『ええ。本物ではないとしても近しい物までは作れた、それは事実です』
「とんでもねえなあいつ……」
『それだけ嘆きが深かったのよ、あの男は』
一方の私たち。私は着物が嬉しくてその場でくるくる回っている。
「一度は着物着てみたかったんだよねー」
「……星川殿は七五三をやらなかったので?」
「やったけど全部洋服だったの。……長岡さん、私のこと星川って呼んだ?」
振り向くと、長岡さんの顔がはっきりわかる。精悍な顔立ちをした若い男性だ。
「はい、星川殿」
「じゃあ頭すっきりした状態?」
「普段の某は半分こちら、半分あちらにおりますので。どちら側でも夢を見ている様な状態なのです。あちらで目覚めている時はこちらの事は覚えておりません」
「ああ、それでよく眠ってるのね」
「はい」
「さっきのお話覚えてる? 目覚めの世界にみんなを返して欲しいの」
「もちろん、分かっております。しかし星川殿、某は貴女に出会い過ちに気付きました。もうこんな事は止めます」
長岡さんは悲しそうに目を瞑った。私は彼に歩み寄って手を握る。彼は目を開け寂しそうに微笑んだ。
「……襖を開けるのを手伝って頂けますか?」
「ええ、もちろん」
「有り難う御座います」
彼は奥の間の更に奥にある、固く閉ざされた襖に手を掛ける。緊張した顔を見せ、顔を背けて襖を開ける。
そこにあったのは、彼が死んだ日の光景。
夜、顔の判別もつかないような夜更け。袈裟懸けにされた妹姫と彼女に覆い被さって大声で泣く幼い長岡さん。直後、長岡さんにも刀が振り下ろされる。部屋の中では壊れたデータのようにそのシーンだけが繰り返されていた。
私は頭よりも先に肌で理解した。ああ、ここがこの城の核だと。
「最初はただ悲しかっただけなのです、妹であり仕えるべき主であった姫を亡くして。殿の奥方は……母上は私たち二人を失うと気を患い出家しました。私もついて行った。常世へ行くには未練が多すぎたのです」
部屋の中に、尼の格好をした女性が一生懸命祈っている光景が加わる。
「母上が唱えている経を後ろで聞いて覚えました。そして此れを唱えていれば姫君は必ず痛みのない世界へ行けるだろうと思って、一緒に唱える様になりました。母上が亡くなってからも私は寺に居続け毎日毎日唱えたのです。そうして、気付いたらここに居ました」
尼となった母親が消え、斬り殺される寸前の幼い男の子と果てた女の子が残される。
「最初は此の中庭だけでした。姫と良く遊んだ場所です。しかし襖の向こうでは己の無念と後悔が渦巻いている。某はここを嫌いになりたく無くて、姫の似姿を置く様になりました。恐ろしい思い出を妹の写し身で蓋をしたのです。そうしたら、少し居心地が良くなりました。……後は皆様の知っている通りです。放逐された仇を見つけ出し、強い侍の姿となって斬り伏せた。あの時灯りがあれば良かったのに、そうしたら妹君は死なずに済んだのに。御前のせいだ、御前のせいだと。何度も何度も仇を斬りました。そして血に染まった手を見て気付いてしまったのです。己の中の恐ろしい獣に」
長岡さんはやっとあの日の惨劇を直視する。
「私自身にも、義父にも、仇の内にも心の中にこんな獣が棲んでいるからいけないのだと。全ての人が争う心を無くせばきっと皆幸せになるはずだと考えました。そして実行したのです。随分簡単だったなと言うのが最初の感想です。後はもう歯止めが効かなくなりました」
長岡さんは部屋の中に入り、窓を開ける。梅の花弁が風に乗りはらりと畳の上に落ちる。彼は私に振り返って微笑んだ。
「貴女の火に惹かれてふらりとやって来た私は、貴女の内に妹姫と同じものを感じ取って久しぶりにあの夜のことを思い出しました。其の節は申し訳ない、取り乱しまして」
「いいのよ、だって辛かったんだから」
「……貴女は私に怒ってくださった。私の為に泣いてくださった。貴女は優しく、私は優しさから程遠い行いをしていた。やはり私は浅ましく、ただの子供で御座いました」
「そんなことないわ」
「慰めは要りませぬ」
「いいえ、貴方の優しさだって本物だわ! 間違えたのは手段だけよ!」
私の目に涙がにじむ。そう、間違えただけだ。でなければ彼は自分の全てを否定することになる。
「……貴女にそう仰って頂けると、嬉しいです。今までの行いも無駄では無かった様に思える」
「無駄なんかじゃないわ。貴方は妹さんの為に祈った。妹さんにもずっと祈りは届いていたはず。それを無駄なんて、言ったら私が許さない!」
長岡さんは驚いて、そして悲しそうに微笑んだ。
「貴女はお強いですね」
「長岡さんこそ」
彼は目の前を通り過ぎた梅の花弁を見てふっと顔を上げた。
「さて、ここを閉じてしまわないと」
「閉じちゃうの?」
「はい、ここは所詮偽の極楽ですから。無い方が良いでしょう。星川殿のお帰りはあちらに」
彼が指した方向を見ると、見慣れた食堂のドアが見える。
「どうも有り難う御座いました。貴女に見届けて頂けるならこれ程の幸せは……」
「……なに勝手に決めてるの?」
「……は?」
「私、一人で帰る気ない」
「え、でも星川殿はお帰りにならないと……」
「貴方が思うほど私は聞き分けのいい人間じゃないの。私はね、自分の近しい人はみんな怪我して欲しくないし、みんな幸せになって欲しいの! そこには貴方も入ってるのよ!? 長岡さん!」
彼は腰を折ったまま顔を上げて口を開けている。
「悲しい怪物は自ら成仏していきました、はいおしまい!? そんな結末許さない! 怪異だろうが第二の人生を歩んだっておかしくないでしょ!? 貴方は私と、一緒に帰るの! 向こうに!」
私はドアの方を指差してから両手を腰に当て踏ん反り返る。長岡さんは呆気にとられていたが、胸に手を当て吹き出す。
「欲の無い方だと思っていたらとんでもない強欲で御座いました」
私は彼に向かって右手を差し出す。
「帰るわよ、長岡くん。それとも鶴太郎くんの方がいい?」
ポカンとした彼は一拍置いて微笑む。
「……驚いた。いつ私の名をお知りに?」
「いつだっけ? わからないわ。貴方の妹さんがこっそり教えてくれたのかも」
彼は一度悲しそうに目を伏せて、柔らかく微笑んだ。
「結局、救われたのは私の方でしたね。梅姫」
「さ、帰りましょう」
「……はい」
長岡さんは私と食堂のドアの前まで行き、奥の間に向かって両手を合わせる。
「梅姫の魂が、未来永劫安らかであります様に」
彼は胸を張り、両手をずいと広げる。
「では皆々様、御帰宅の時間で御座います!」
彼はぱん、と両手を打った。
「〜〜〜やっぱり迎えに行く!」
『数分に一度喚かないと気が済まないのかしらこの阿呆は。お座りなさい!』
食堂で美女のままの火の鳥と暗闇さんが騒いでいると食堂の扉が開かれる。彼らの前に現れたのは着物のままの私と、私に手を引かれたチョンマゲ頭の小さな男の子だった。
「わぁ〜着物って案外重たいですね! これじゃ走れなーい」
「星川さん!! ……そのガキ誰」
「長岡さんです」
「は!?」
「0120の本体か」
「お前よくも散々……」
暗闇さんは掴みかかる勢いで0120の前に来たが、0120はその前に膝を落として土下座をする。
「此度は、様々な方に大変な御迷惑をお掛けしてしまい申し訳御座いません。皆さま既にこちらにお帰りになられております。私は己のした事の裁きを受けます」
暗闇さんは不満そうにしつつも黙ってしまい、0120の前には刻浦さんがやって来てしゃがむ。
「r-0120」
「はい」
鶴太郎くんは顔を上げる。子供らしからぬ覚悟の決まった顔を見て刻浦さんはどことなく寂しげな表情になる。
「残念だが、ここにお白洲はなくてね。我々は昨日と同じように君を拘束して世に流れないよう見張る仕事を継続するだけだ」
「……左様で御座いますか」
「君は人を本気で救おうとしたらしいが力の使い方を間違えた。だからやり方を変えればいい。まあ、要は0083のようにこの施設の中で仕事を与えてそれに従事してもらおうと思うんだが、どうかな?」
彼は目を丸くして私の顔を見た。私は笑顔で頷いて彼に視線の高さを合わせる。
「この職場、職員さんたちの疲労が溜まりがちだから鶴太郎くんがいると助かるんですって」
「先に言われてしまったね。そう、主に医療チームと一緒に行動してもらって体調不良の職員の回復を手伝ってもらう。0083同様拘束具を着けた状態で施設内を職員付きで自由行動可能にする。辻斬りの能力はアーティファクト脱走時以外は封印。どうだろうか? 休日ももちろんあるし悪い待遇ではないと思うが」
0120は戸惑いの表情を見せ私たちを見回す。
「それは、あの、星川殿にも会えるし本もえいがも見れると言う事ですか?」
私と刻浦さんは顔を見合わせる。
「休日なら可能だね」
彼は年相応に顔を赤らめた。
「い、いいの……?」
「いいんじゃない? ここの偉い人が言ってるんだし」
「本当に?」
「うん」
彼は潤んだ目元をちょっと擦って再び頭を深く下げた。
「宜しくお願い致しまする」
「よかったね」
刻浦さんはほっと胸を撫で下ろした。
「星川くんは向こうでの経緯を報告してね」
「あ、はい!」
私たちは重い着物で何とか立ち上がった。
「さて、職員が戻って来たなら忙しくなるな。その前に0120に拘束具か。あとマニュアルの続き……」
「ちょっと、一件落着みたいな雰囲気だけど私納得してないからね!」
「0083、君はいつから我々の判断に口を出せるようになったのかね?」
「刻浦てめえ! 私のこと散々こき使っておいて! そう言うところがずるいんだよ!」
「暗闇さん機嫌直してください。ほら、お姫様姿の星川ちゃんですよ〜」
「それはすっごく可愛いけれども!!」
『本当に煩い土塊ですこと』
呟いた美女の声で私はやっと不死鳥に気付く。
「はっそうだ、そちらの綺麗なお方はどちら様なんですか!?」
『嫌だ、わたくしのこと分からないの? 愛しい子』
「女王様ですか!?」
『ええ、そうです。こちらは女神としての姿です』
「わ〜ご機嫌麗しゅう〜」
私がウキウキで近寄ると、0067火の鳥は私を抱き寄せて唇を奪った。突然の出来事に私は目を丸くする。
「きゃー♡ 大胆!」
「私の星川さんなんですけどぉ!?」
「……ファーストキス奪われちゃいました」
『愛し子の初めてを土塊に譲る気はなくてよ』
「美女からの接吻だと悪い気はしませんね」
「ちょっと星川さん!?」
不死鳥は再び私を抱きしめて額に口付ける。
「痴話喧嘩は後ほどやってください」
「そうだね。0083、君も拘束具を付け直しだ」
「げえー!」
「げ、現代の方は随分大胆でいらっしゃいますね……」
私たちの横で太刀駒さんは電話を掛け応援の要請を取り下げ、通話を切る。
「ねえ0120くん!」
「はい、何か?」
「イーグルくんのこのぼんやり治してくれない!? 警備員が警戒心ないと仕事にならないんだよ〜」
「は、左様ならば」
鶴太郎くんは大人の姿になり、イーグルさんの目の前に立つ。
「では失礼致しまして。よーおっ」
彼はぱん、と手を叩いた。直後イーグルさんがびっくりして辺りを見回し、0120の姿を見ると立ち上がって距離を取る。
「わ〜んいつものイーグルくんだ! お帰り〜!」
太刀駒さんはイーグルさんに抱き付く。何が何だかわからないと言う顔でイーグルさんは太刀駒さんを見ていた。彼らを見ていた駿未さんも0120に声を掛ける。
「それ、加奈河くんたちにもお願い出来ないかなぁ?」
「む、畏まりました」
0120は加奈河さんたちの顔を覗き込む。
「お、殿様」
「わー、お殿様こっちに来たんですねー」
「こんにちは。お城ではありがとう……いい心地だったわ」
「それはそれは良う御座いました。では失礼して皆様も御目覚めください。よっ」
ぱん。彼が手を叩くと三人は不思議そうに辺りを見回した。
「……ん?」
「ほや?」
「あら? ……私たち何してたの?」
「お早う御座いまする」
「おはようございます。……いや、誰?」
「長岡と申しまする。以後御見知りおきを」
「はーい、よろしくお願いしまーす!」
「円衣さんは元々ゆるゆるだから判別付かないや」
「ゆるゆるってなんだー!!」
「うわーっ! 怪獣マルイサンだ! 戻ったー! いてててて! 袖! 袖痛いから!」
「はっはっは、皆様元気が良う御座いますな」
長岡さんの穏やかな顔を見て私は満足する。0067は私の横顔を見つめていたが、微笑むと私の唇をもう一度奪う。
「もー、女王様」
『部屋に戻るから案内して頂戴』
「あ、はい」
彼女は体を炎に包み、いつもの鳥の姿に戻る。
『土塊どもはともかく、わたくしとの会話はあの加奈河とか円衣とかには内緒よ?』
「何でですか?」
『ただの人間如きにわたくしの言葉を伝える必要はないでしょう?』
「うーん、女神様的なルールですか?」
『いいえ、わたくしのこだわり』
「こだわりなら仕方ないですねえ」
『ふふ。貴女のそう言うところ、好きよ』
「ありがとうございます……?」
後日。
「まぁた、徹夜で御座るか!!」
医務室に長岡さんの声が響き渡る。叱られている職員は肩を落としている。
「余暇は大事で御座いまするが! えすえぬえすに夢中になりすぎて睡眠時間を削るなど言語道断で御座る!! 脳も臓器なのだからしっかり休ませなさい! 寿命縮みますよ!?」
「す、すみません見かけた漫画が面白くて……」
「夢中になる気持ちは分かりますが……。滝丘殿は九時就寝六時起床を二週間強制しまする。毎晩某による読経を有り難く聞く様に。あちらでもすやすや爆睡こーすですぞ」
「そんなぁ!」
「某は他の医療すたっふと違って甘くないで御座る。ではお大事に。次のお方!」
黒髪のポニーテール、首にはチョーカーのような拘束具。白衣を着て黒いシャツを着たA-r-0120が通常の医療スタッフと一緒に職員たちの細かな生活改善に勤しんでいる。
A-r-0120は形態が三通りになることから、通称も三つになった。大人の時は『長岡』、子供の時は『鶴太郎』。刀を持っている時は『鬼斬り』。
辻斬りではなく鬼斬りになった理由は二つ。彼の戦闘能力が鬼、つまり人ならざるアーティファクトに通用するから。そして二度と人を斬らないようにと言う彼自身の願いからだった。
拘束具も0120が形態を変えるごとに外れたりキツくなったりしないよう、伸縮性の高い素材で作られた。ついでにと言わんばかりに暗闇さんの拘束具も同じ素材に変更された。暗闇さんも“前の手錠もどきよりは洒落てるかな”と肯定的だ。
A-r-0120は誕生理由が“読経による夢世界での亜空間獲得”であったため、担当は魔術部署となった。彼自身の作業、もとい休日は子供の姿で職員との対話と遊びを徹底すること。
今日鶴太郎くんは遊戯室でゲームに勤しんでいる。大人の時と同じポニーテール、身の丈に合った子供服。職員と四人でパーティを組みモンスターに立ち向かう姿は見た目通りの少年だった。
「鶴太郎そっち行ったぞ!」
「ぬぁー! 死角から来るとは小癪な! あーっぴんちで御座る! ぴんち!」
「俺んとこ逃げといで鶴太郎」
「さすが夏縞殿!! 頼れる兄貴分で御座る! 回復くだされ!」
「おっけー」
「今日も状態良好。とても楽しそう、と」
私は備考に感想を書き込んだ。
「楽しかった?」
「楽しかったで御座る! 実際の生き物を殺さずして鬱憤を晴らせるなんて現代の娯楽は凄いで御座るな!」
「鶴太郎ゲームの中でも刀振り回すと強いよな」
「手練れですよねー」
「ふふん、操作の癖を覚えてしまえばちょちょいのちょいで御座る」
「さすが」
「鶴太郎、明日新ステージ行こうぜ。DLC経費で買ったから」
「やったー! 行くで御座る!」
私たちが魔術部署に戻ろうと廊下を歩いていると、刻浦さんと鉢合わせる。
「星川くん丁度よかった。これ、誤字脱字のチェックと添削お願い」
「わかりました」
私がタブレットにマニュアルのデータを数枚分もらっていると刻浦さんと0120の目が合う。
「禁煙ちゃんと出来てるで御座るか?」
「全く妻より厳しいよ、君は」
刻浦さんは0120の診断により煙草ではなく棒付きの飴を口に入れていた。
「肺を大事にしてくだされよ!」
「はい。……肺なだけに」
「ぶふっ」
「星川さん笑いの沸点低っ」
「違います! 今のは完全に不意打ちです!」
「刻浦署長って真顔でギャグ言うんすね……」
「言うよ、ジョーク好きだからね。星川くんそのデータ終わったら二日後のテストまでに練習問題解いておいて」
「はぁい」
「ではね」
「お疲れ様でーす」
刻浦さんと別れ私は再び歩き出す。
「いやー課題増えたなぁ……」
「星川殿お忙しそうで御座るな」
「まあね」
「手伝えるなら某協力しますぞ」
「ありがとう。気持ちだけもらっておくね。鶴太郎くんにしか出来ないことがあるのと一緒で、これは私の仕事だから」
「左様ですか。……うむ、お勤めご苦労様で御座いまする」
「うん、ありがとう」
「おはようございまする星川殿〜。朝ごはんは目玉焼きにするで御座るか? それとも、ういんなーにするで御座るか?」
「うーん目玉焼きかな〜? ってこの状況は何!?」
体を起こすと目の前には高校生くらいの歳の鶴太郎くん。まるで高校生みたいな制服姿に髪型は現代風のスポーティな短髪。私は女性らしい普通の部屋の中で寝ていてパジャマ姿。ベッドから足を下ろすとニコニコした鶴太郎くんと目が合う。
「そう言う感じだと普通の女の子でござるな〜星川殿」
「それこっちのセリフなんだけど。と言うかここどこ?」
「星川殿の夢の中でござる。今日はちょっと星川殿にお話があると、さるお方が。ささ、早く着替えて降りていらっしゃい」
「私に話? 誰が?」
「まあまあ着替えて。某は目玉焼きを焼くでござるよ〜」
話を切り上げて鶴太郎くんはパタパタとスリッパを鳴らして階段を降りていった。
ちょっと納得いかなかったけど、私は着替えに袖を通す。
OLだとこんな格好なんだろうか? 灰色のカジュアルなレディスーツを身につけると鞄を持って階下へ降りる。
「おはようヒカリ」
「お、はようございます……」
朝日に照らされた一階のリビングもまるで普通のお家で、テーブルには燃えるように赤い緩やかな髪の美女が二人座っていた。片方はQ-n-0067『火の鳥』の美女バージョンだとわかるけど、もう一人、顔が似た別の赤毛の美女は初対面だ。
そして初対面だと思いつつも私は直感で彼女が誰だか理解した。私の杖だ。
「おはよう愛しい子。ツルタロウの食事を摂ったら出かけるわよ」
「どこへですか?」
「そうねえ……ひとまず服屋かしら?」
「そうね。年頃の娘ならもっと着飾らないと」
「お待たせでござるー」
エプロンを着けた鶴太郎くんは私の前に狐色にこんがり焼けたトーストと目玉焼きとコーンスープを持ってきてくれた。ミニトマト入りのサラダまでついていて朝食としてはボリュームがある。
「いただきます」
サクサクといい音を立てながらトーストは私の胃に収まっていく。
「美味しい」
「良かったでござる!」
赤毛の美女二人と高校生風の鶴太郎くんに連れられ、私は都内らしき街中を歩いていた。行き交う人々。雑踏も信号機の音も電光掲示板も喋る看板も、何もかも収容施設に来るまで当たり前に見てきた光景だった。
「ここ夢なんですよね? 妙にリアルですけど」
「夢を経由して外へ出てきているの」
「え」
「星川殿は眠っていらっしゃいますが、今いるここは見た通りの街中で御座る。某も皆さまも普通〜に他の方々から見えていらっしゃいまする」
「ええ?」
(何それ。そんなこと出来たら自分の体いらなくない?)
「もう朝なんですけど。わたし寝坊してません?」
「貴女にとっては夢だから、目覚めるまで体は夜の時間を過ごしてるわ」
「頭こんがらがってきた……」
赤毛に白肌の美女二人が華やかなドレス姿でいるからか、街ゆく男性たちの視線は彼女らに釘付けだ。
(当然のようにモテてる……)
「さあヒカリ。まずは着飾りましょう。その後大切な話をするわ」
「大切な話?」
「そう。貴女についての大切な話よ」
不死鳥たちに連れられ私は一軒のブティックへ。当然のようにドレスを選ばされた私は試着室へ向かう。
「は?」
鏡に映った自分を見て驚愕する。十九になるはずの私はいくつか年齢が上になっていて、二十代前半の女性だった。それに後ろで佇む赤毛の美女たちと並ぶと顔立ちが似ていて、髪の色も赤で揃ってまるで姉妹に見える。彼女らと違うのはサラサラのストレートヘアだと言うこと。
「え? あれ?」
「これは貴女が取れる選択肢の一つ」
「え?」
「こちらでなければ、あちらよ」
火の鳥は背後にある試着室の鏡を指差す。そこに映っていたのは全身から火を噴く人型の何かだった。
「うへっ」
「どちらにする? 貴女次第よ」
「び、美女にしておきます……」
あっちだと周りが火事になっちゃう。
「そうでしょうね」
「もちろんよ。さあ着替えて」
「は、はい」
ブティックでドレスを着た私はそのまま美容院に連れ込まれ、髪も化粧もバッチリ決める。お姫様のような出で立ちになった赤毛の私は不死鳥の美女たちに挟まれ街を歩く。男性からも女性からも視線が飛んできて、何とも窮屈。
「……何で私、そのまま見た目が変わってるんですかね」
「今の姿が本当の貴女よ」
「いや、私こんな美人じゃないし赤毛でもありませんし……」
「いいえヒカリ。貴女はわたくしたちの娘。その姿でなければおかしいの」
二人には何かにつけて娘と呼ばれていたが、物の喩えだと思っていた私ははたと足を止める。
「……娘って本気で言ってます?」
「当然よ」
「まあ、冗談だと思っていたの?」
「何かの例えだと思ってて……。え? でも私お父さんとお母さんの子……」
「だから、その話をしたいのよ」
0067の方に腕を引かれ再び歩き出す。不死鳥たちは前を向いたまま話を始めた。
「貴女はわたくしたち火の鳥、炎の女神の血を継ぐ娘の裔(すえ)にいる子なの。だからわたくしたちと貴女は血縁関係にあるのよ」
「ええ……?」
「わたくしは貴女を導く杖として時を待ち、そちらのわたくしは貴女に何かあった時すぐ手助けが出来るように先にあの“収容所”へ入ったの」
「わたくしたちは時代ごとに星に求められ生まれる運命。貴女はこの時代に次の炎の女神として覚醒すると、生まれた時には決まっていたの」
「えー、すみません。話が壮大すぎてついていけてません」
「真面目にお聞き」
「だ、だって私人間だし……」
「そこから違うのよ。貴女は神の血を引く巫女と人が交わった一族の子」
「わたくしたちの血を絶やさずに継いで生まれたのは現代では貴女が最後の子なの。貴重な血なのよ?」
「そんな立派な家系図うちにはないんですが……」
「男系の家系図に載る訳ないでしょう? 女系を遡らなければわたくしたちには辿り着かないわ」
「……そうなると私のお母さんも巫女の末裔ってことに……」
「そうよ。でも貴女の母は人止まり。女神の素質はなかったの」
「女神……」
ふと大きな窓に映った自分を見て立ち止まる。赤いストレートヘアの、目鼻立ちの整った若い女性が似た顔の美女や高校生の鶴太郎くんと並んでいる。
「私が……?」
「そうよ。わたくしたちの次の世代」
「そして、わたくしたちと同列の存在。娘とも妹とも呼べる存在」
「うーん……この姿なら多少説得力出ますね。話が突飛ですけど」
「やっと信じたようよ」
「そんなにぽやっとしてたら女神は務まらないのよヒカリ。今後は気をつけなさい」
「は、はい」
「さ、喫茶店に寄りましょう」
喫茶店とは言っても私が日常で通っていたチェーン店とは程遠い、かなりいい雰囲気のお店に入った。銀食器に入れられたお砂糖をスプーンで掬い、頼んだ紅茶にサラサラと注ぐ。
「美味しい……」
紅茶の高い香りと程よい苦味を味わい、カップをそっと下ろす。
「それでその……私はお二人の子孫として……」
「このまま正式に継げば妹になるわ。その姿を拒むならさっきの火だるまよ」
「火だるまか美女かしか選べないなら美女の方がいいですねぇ……」
「当然ね」
「当然よ。土の精霊どもの介入がなければ引き継ぎももっと楽だったのだけれどね」
「土の精霊?」
「刻浦やナイルのことよ」
「え」
人じゃない暗闇さんならわかるが、刻浦さん?
「……刻浦さんは人では?」
「違うわ。あの収容所では彼が一番年長よ。事実上の支配者」
「独裁者とも呼べるわ。おかげでヒカリの目覚めを手伝うわたくしたちがツルタロウの力を借りてこそこそ立ち回る羽目に」
「でも刻浦さん、悪い人には思えないんですが……」
「貴女には優しいわね。今のところ」
「彼は既に千年くらい生きているの。社会の表と裏を行き来してるから記録は全て遡れないけれど、1970年代に生まれてるわ」
「とんでもないお爺ちゃんじゃないですか……」
「そう。それでいてあの見た目よ。わたくしたちも同様だけれど」
「見た目は若いけど実際はずっと長生きしてるんですね。でも色々分からないな……。暗闇さんと刻浦さんが同じ種族なら……」
「土の精霊は一体しかいないわ。化身ごとに体が違うだけ」
「……刻浦さんと暗闇さんは同じ人なんですか?」
「強いて言えばそう。刻浦が収容所の所長で、周りを固めている上層部も半分ほどは土の精霊。後から来たナイルは職員の目を引くための囮役と言うところかしら?」
「わたくしたちも全てを把握している訳ではないけれど、おおよそ調べはしたの」
“お姉さま”の話を聴きつつ私は紅茶で喉を湿らせる。
「土の精霊さんたちはどうしてアーティファクトたちをあそこに詰め込んでるんですかね?」
「本当はそこを調べたかったの。でも思ったより大きな組織で、中枢人物である刻浦の実家、ソルピー家に辿り着くのがやっとだった」
「刻浦は本名をノア・ソルピーと言うの。結婚して日本に帰化したけどそもそもはアメリカ人」
「ああ、帰化した話はご本人に聞きました」
「そう。ソルピー家は一族全員土の精霊なの。刻浦はその中でも重宝されていたみたいで三男坊なのに事実上の跡継ぎになっている」
「彼の奥様は元々人間だったようだけど、連れ合いになるために人ではなくなってしまったようなの」
「あら……」
恐ろしい話にも聞こえるが、愛が深いなとも思う。愛している人のために人間を捨てるなんてなかなか出来ることではない。
「刻浦が親の計画を継いで日本の収容所を稼働させたところまでは把握している。でもわたくしたちのような存在をあそこへかき集めて何をしたいのかまでは把握出来ていない」
「それを調べていたら貴女が生まれると分かって、わたくしたちは自ら敵陣に潜り込んだの。無抵抗なふりをしてね」
「敵陣って……」
「土の精霊はこの星の神ではないの。星の海にいる神よ。彼はもっと上の存在に仕えているの」
「土の精霊はこの星の神々に友好的ではあるけれど、そもそもは部外者。わたくしたちのようなこの星の生まれの神々は彼らを警戒しているわ。土の精霊だけじゃなく他にも色々いるのよ、部外者は」
「話が大きくなってきました……」
「まだ半分も話していないわ。頭を整理しながら聞きなさい」
「は、はい。えっとじゃあ“お姉さま”と土の精霊が敵対してて……それから?」
私が無意識に“お姉さま”と呼ぶと二人は満足そうに微笑む。
「土の精霊にとっては炎の精霊が天敵なの。昔から相容れない存在でね」
「炎の精霊? ……ああ、あの人」
収容所へ配属されてすぐ遭遇した炎の人。私が嫌いなんて言ってしまって悲しい思いをさせてしまった。
「ナイルが苦手と言っていたのでしょう? 刻浦や他の土の精霊から見てもそうなの。そして、ヒカリ。貴女はわたくしたち火の鳥だけではなく炎の精霊の血も受け継いでいる」
「な、なんですって……?」
最早のんびりクッキーを食べてる場合じゃない。話が本当なら私はとんでもない混血児と言うことになる。
「永い時を経る間に、わたくしたちの娘が部外者であるはずの炎の精霊から力を取り込んだようなの」
「その娘自身は儀式に失敗したけれど、子供と言う形で力は受け継がれた。これはわたくしたちも想定外だったけれど、あちらの力は微々たるものだったし子供たちに悪さもしない」
「だから見逃すしかなかったのよ。そうしたらヒカリ、貴女と言う形で炎の精霊は復活した」
「ま、待ってください。私人間じゃないんですか?」
「人間だったのよ。でも、色々なものを内包していた」
「刻浦たちは貴女に手を加えて炎の精霊として目覚めるよう仕向けてきた。でも貴女はわたくしたちの娘でもある。血の中にどちらの力がどれだけ濃く受け継がれているかは誰にも分からなかった。だから貴女には選ぶ権利がある。さっきのは簡単な問診に近かったけれど、貴女がそちらを選んだのなら貴女はもうわたくしたちの妹よ」
「おめでとうヒカリ。正式にわたくしたちと姉妹ね。さて、現状は相手も穏やかだし、ひとまずこちらの配下と具体的な勢力を伝えて今日のところは解散しましょう」
「え、えっと……」
それは、刻浦さんたちと敵対する前提で話が進んでいないだろうか?
(私の中では敵とは決まってない……)
「わたくしたちに明確に忠誠を誓っているのは魔術部署の中では塙山だけ。でも魔術省出身の夏縞(かしま)は昔から塙山の部下だから敵ではないわ。安心して」
「逆に気を付けなければいけないのは鐘戸」
「え? 鐘戸さん?」
「鐘戸はわたくしたちを無下にはしないけれど、刻浦がスカウトして来た占い師。警戒しておいた方がいいわ」
「そうなんだ……」
(でも私、鐘戸さんとも仲がいいのに……)
「科学部署の署長も土の精霊に取り込まれた人間だから気を付けなさい」
「機葉(はたば)さんも!?」
「そうよ」
「本部長の太刀駒は純正の土の精霊。あとイーグルアイと呼ばれている人間は太刀駒の忠実な犬よ」
「他には……?」
「駿未と言う男も土の精霊よ」
「ああ……」
暗闇さんと刻浦さんと駿未さんがそれぞれ仲良さそうに見えたのはそう言うことか……。
「そっか、あの人たち兄弟と話してるようなものだったのか……」
「大体掴めたようね。さて、お茶はこのくらいにして戻りましょう」
「え? もうですか?」
「一時間は喋っていたもの。お茶の時間としては程々ね」
「そんなに経ってたんだ……」
お姉さまと共に喫茶店を出て、私たちは元いた家の方向へ歩き出す。
「ツルタロウは貴女に懐いているから頼って大丈夫だし、わたくしたちも常に陰から手助け出来るようにしておくわ」
「はい、ありがとうございます」
「刻浦たちが貴女に直接手出しをして来ない限りはわたくしたちも動かないようにするわ。唯一してやられた成長剤はいい方向に働いたから目を瞑りましょう」
「成長剤?」
「水薬を飲んでから貴女の魔術素養が高くなったのよ。魔術的に作用するもの以外考えられないわ」
「ああ、暗闇さんも何か言ってたような……」
「とにかく目が覚めてからも気をつけるのよ、ヒカリ」
「はーい」
は、と目を覚ますと見慣れた収容所の自室だった。ぼんやりした頭で起き上がってうーんと腕を伸ばすと現実感が戻ってくる。
(変な夢見たような……)
着替えようと姿見の前を通った私は自分の姿に釘付けになる。赤いストレートヘア、十九の年頃ではあるものの背は高く脚もすらりと長い。
「おお……」
思わず自分の体に見惚れてしまい、姿見の前でちょっと気取ってみたりしてようやく制服に手を伸ばす。服がキツくなってたり寸足らずになっていないか不安になったが、制服は何故か今の私にもぴったりだった。
ダークブラウンの木箱を取り出し“お姉さま”を両手で持つ。
「おはようございます、お姉さま」
『おはようヒカリ。夢のことは覚えていて?』
「はい。あの、この姿ほかの人にどう説明したらいいですかね?」
『説明なんて要らないわ。人間相手なら認識が上書きされて終わりだもの』
「つまり?」
『誰も貴女に違和感を抱かないわ。刻浦たちは違うけれど』
「……それってまずいような」
『大丈夫よ。自然体でいなさい。貴女自身も変わったことに気付いていない。そう言う振りをしていればいいの』
「うーん、誤魔化せるかなぁ……?」
『大丈夫よ。わたくしたちの妹だもの』
「理屈になってないのに、お姉さまの言葉で自信付いちゃうのが不思議」
化粧をさっと済ませた私は自室を出る。
状況は大きく動いた。不死鳥の言葉通りなら刻浦さんたちは私に何かしてくるけど、味方はいるし、刻浦さんたちも本当に敵とは限らない。
靴音を鳴らしながら食堂へ着いた私は、いつも通り0083部署のメンバーへと手を振った。
次作へ続く。
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