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「ラピュタ」のサントラを聴いて思い出したW先輩との喧嘩別れの話(後編)。

あまりこういう記事の書き方はしないようにしていたのだけれど、以下の記事の続編になります。

ありがたいことに、続きが気になるというご意見を幾つか頂戴しましたため…

そのため、今回の記事は上記の話を前提に書かれています。もしお読みでない場合は、先にこちらをお読みください。

あと、こんな、前編・後編なんて勿体ぶってみましたが、そこまで大した話ではないので、過度なご期待はなさらず・・。

では、以下、本編。

※めちゃくちゃ長いのでご注意ください。

1)サークル内の序列と一抹の不安

大学時代に私の所属していたサークルは、規模はそこまで大きくなく、その当時は全メンバー合わせて、恐らく20人も居なかったのではないかと思う。

記憶を辿ると、1回生が6人、2回生6人、3回生4人、4回生2~3人(※関西地方では、大学の学年のことを「●年生」ではなく「●回生」と呼んでいた)。だったか。

現部長は3回生。W先輩は2回生で、私は当時1回生だった。

当時、前編の記事にも書いたけれど、私は関東の片田舎から関西地方の大学に進学し、周りには知り合いが誰も居なかった。大学の同じ専攻の少人数クラス内にも、同郷の人間は居ない。

言わば、初めてゼロから人間関係を構築する必要があった。高校までは暗黒時代だったので、大学デビューではないけれど、今までの自分とはキャラを全く変えて、明るく振舞うよう心掛けた。入学オリエンテーションでは隣の席に座った同級生にいきなりグイグイ話しかけて連絡先を交換してみたり、興味のあるものは手当たり次第に同時に複数のサークルに加入してみたり、近所のドラッグストアで店員のおっちゃんと訳も無く雑談してみたり。とにかく必死に、慣れない町に溶け込もうと躍起になっていた。

だから、このサークル内でも、上下関係なくどの回生の人たちとも話すようにして、交流する機会を持っていた。食事や飲みの誘いは断らず、とにかく乗ってみる。その結果、割と上回生からも受け入れられ、同じ1回生のほぼ全員とも仲良くなれた。

そんな中、そのサークルでは、例年3回生が部長になるということで、来年、次期部長は誰になるかという話し合いが行われた。通例では、上回生だけで決められるその話し合いの場に、なぜか私も呼ばれることにもなった。

そこで話し合いの結果、次の部長に就任することになったのが、W先輩だった。

ただ、その場で3回生のM先輩が妙なことを言っていた。

M「いいけど、あいつで大丈夫かな・・」

私も、なんとなく胸騒ぎはしていた。

しかし、彼を差し置いて、2回生の中で適任は他にいないとも思った。というのも、W先輩にはたしかに人間性に問題はあるように見えたが、誰に対しても臆することなく自分の意見を通そうとする度胸や、コミュニケーション能力、そして、強引ながらもメンバーをまとめ上げて一つの方向へ持っていくリーダーシップがあったのだ。

だから「君はどう思う?」と訊かれた時、「はい、W先輩が良いんじゃないかと思います」と答えてしまった。

2)貸してしまった原付バイク

当時、私は大学から自転車で10分程度のアパートに下宿していた。また、飲み会があっても市内の繁華街から歩いて帰ることも可能だった。

そのため、基本的には自転車か徒歩。楽したいときはバス。そして、少し遠い観光地や行楽地に行く際には、電車とバス。というふうに、交通手段を使い分けていた。

そしてこれが、この話の火種になるのだが、自転車のほかに、原付バイクも私は所有していた。

そもそも、原付バイクと呼んでいいのかな。私は実際には、原チャリとか原付と呼んでたけど、とりあえず記事の中では原付バイクと呼ぶことにする。

で、実は私の従兄弟も、同じ県内にある大学に進学していて、行動する足として原付バイクを使っていたらしい。そういった背景から、私も使うだろうということで、親が買い与えてくれたものだった。

それを買いに行った時のことも憶えている。地元のバイク屋さんで選び、購入して、それをわざわざ私の下宿先まで親が運んできてくれたものだった。

しかし親には申し訳なかったが、これは、使い道が全く無かった。

というのも、住んでいた町は、建物も多く、人も大勢行き交い、道が細くて狭いところだった。従兄弟が住んでいた町は微妙な田舎だったため、こことは交通事情が少し異なるのだ。

そのうえ、私自身、原付バイクの運転など慣れていないものだから、たまたま一度だけ乗った時に、標識を見落として一方通行の道を逆走してしまい、通行人のおじいさんに怒られたことがあった。それ以来、ビビりな私は「危ないし怒られるの嫌だし・・」と恐怖のあまり乗らなくなっていたのだ。当時、褒められて伸びるタイプだった私は、一度の失敗で心が折れたというわけだ。

だから、自分で使わないのなら、そろそろ誰かに売るか実家に引き上げるなどして、この原付バイクは処分しようと考えていた。

ある日のこと。

私はいつものように、W先輩と連れ立って行動していた。あまりに暇なので、サークルの練習場近くの定食屋さんでご飯を食べ、ただ何をするでもなくフラフラしていた。

そんな時、W先輩は、私の下宿先のアパートに寄らせろと言い出したので、その申し出を受け入れた。

下宿先に着き、そこでまた我々は、何をするでもなくテレビを観たりパソコンを使ったり、くだらない話をしたりして、ただ時間を潰していた。

そうして、時間も遅くなってきたのでそろそろ先輩が帰ろうとした矢先。

彼は、ふと、アパートの駐輪場にあった使われていない原付バイクに目が留まった。

W「これ、お前の?」
私「ああ、はい、そうです。でも普段乗っていないんですよ」

W「は?もったいねえな。お前馬鹿じゃねえの」
私「いや、市内って道細いし、運転するの怖いんすよ」

W「ふうん。・・あのさ、」

一瞬何やら考え込んだ後、W先輩は、こう切り出した。

W「使ってないんだったら、俺に貸してくれない?」

使っていないことは事実だったが、正直、それを人に貸すのは気が引けた。

というのも、その原付バイクは、親が私のために買ってくれたものだったし、自分がまだほとんど使っていないのにもかかわらず、他人にそれを貸すというのは、なんだか親に申し訳なく思ったからだ。

それに、原付バイクは、道路交通法上は「原動機付自転車」と言って、「自転車」という名称はついているものの、車道を走るれっきとした車両なわけで、臆病な私は、それを貸したことで先輩が事故に遭ったり、または誰かを巻き込む事故が起きてしまう事態も避けたかった。

だから、丁重に断った。

私「いや、悪いですけど、貸せないっす。
  嫌ですもん、事故とか起こしたら」

しかしW先輩は引き下がらなかった。

W「いいじゃん、いいじゃん。大丈夫だって。
  めっちゃ気を付けて運転するから。
  それに、ちょっと遠出して行きたいところがあってさ。
  そこ行ってきたら、すぐ返すから」

気が進まなかったが、本人が気を付けて乗るというのであれば、それに、目的さえ果たせば返すというなら、私はW先輩の申し出を受け入れた。

だが、これが間違いだった

3)投げ捨てられ渡された千円札

W先輩に原付バイクを貸していたことなどすっかり忘れるほど、私は、能天気でアホな大学生だった。

サークルにも顔を出していたが、旅館のアルバイトを初めてからは、徐々にアルバイトの仲間と過ごす時間も増えて行った。

皿洗いの業務希望で採用されたはずなのに、なぜかホール担当になっていたり、それでも配膳の仕事をこなしたり、休憩中に板前さんが作ってくれた賄い料理がこの世のものとは思えないくらい美味しかったり、ヤンチャな先輩たちに可愛がってもらったり(※変なことはしてない)、初めて貰ったお給料で、欲しかったレッドウィングのブーツを買ったり友人にご飯を奢ったりしながら、それなりに楽しい日々を過ごしていた。

そんなある日、自宅の郵便受けに、見たこともない封筒が入っていることに気付いた。「なんだこれ」と思い、封筒を開けて中身を見てみる。すると、何やら無機質でありながら仰々しい用紙が出てきた。

その用紙に記載されていたのは、
「 放置違反金納付書 」の文字。

そして一瞬にして思い出す、W先輩の顔。

そう、W先輩が、先日私から借りた原付バイクで駐車違反をしたのだ。その違反金の納付書が、所有者である私宛に届いたということだった。

すぐさま私はW先輩に連絡し、自宅に呼んだ。貸したバイクも持ってきてもらった。

私「えっ、これなんすか。困るんすけど」
W「あー、すまん。駐車違反した。言わなかったっけ」

私「聞いてないっすよ」
W「仕方ねえじゃん。ちょっと目を離した隙だったし」
  で、いくら?」

私「違反金ですか?ここに書いてありますけど・・」
W「ほらっ」

そう言って先輩は、財布から千円札を何枚か取り出し、私に対して、投げるように手渡した。

いや、そうなんだけど、なんというか、おかしくないか・・。

当時、私は大した取柄もなかったけれど、警察のお世話になることだけはしてきていないという自負があった。それが、自分の知らないところで、違反行為が行われ、それによって社会的な制裁を食らうことになってしまったことが、純真無垢だった当時の私にとっては、何とも受け入れがたいことだった。無知でもあったので「前科者になるのでは・・」とまで考えて青ざめてしまった。

もちろん、今にしてみれば、貸した私の責任はある。けれど、私はその時の先輩の態度、言動に納得がいかなかったのだ。

「金払えばそれでいいってわけじゃないだろ・・
 いったい何なんだ、その態度・・」

そう言いたい気持ちを抑えて、その時は怒りというか虚しさを飲み込み、先輩には帰ってもらった。もちろん、原付バイクは返してもらった。

極めつけに、W先輩はこんなことを言って去っていったのだった。

W「あーあ、余計な出費だったなぁ。
  勿体無え…」

「余計な出費」だと・・?

私の中に溜まっていたモヤモヤが、抱えきれないほど大きくなっていくのを感じた。

本当は、顔面ぶっ飛ばしてやりたい気持ちもあったが、警察沙汰にもなりたくないし、何より私はビビりなのでグッとこらえた。

4)王将での深夜の悪ノリ

その日の夜。

私は、どうしても納得がいかず、そのことを友人に打ち明けた。彼も同じサークルのメンバーだったが、あまり練習には参加していなかった。けれども、よく一緒に遊ぶ中で、こうして夜な夜な酒を飲んだりしていた。

すると、彼はこう言ってくれた。

友「いや、おかしいっしょ。
  それはダメだわ。あいつはクズだよ」

クズか…。ああ、ありがとう。自分も同じことを思っていたよ。言えなかった言葉を、よく言ってくれた。そんなふうに同調してくれた友人の言葉があまりに嬉しくて、私はどんどん饒舌になっていく。

私「本当に信じられなくてさ。
  以前あの人と一緒に歩いてたら、
  拾った財布からお金だけ抜いて
  財布捨てたりしてたのよ。
  普通に犯罪だよな。注意したけど無視された」

友「えっ、それはさすがに酷すぎる。
  そういえば俺もこんなことがあって、」

愚痴の大会は楽しかった。

けれど、散会して、一人家に帰ってきたら、何だか虚しくなってきた。

当時、mixi というSNSが全盛期で、私も大学の友人たちも例外なくその mixi のアカウントを持っていた。そこではサークルのメンバーも同じで、私も色んな先輩に紹介文を書いたり、書いてもらったりしていた。

そして、何気なくマイページを見ていたら、W先輩が私に対して書いた紹介文が、更新されていることに気付いた。「あれ、紹介文が変わってる・・」その文章はこうだった。

「色々あったけど、また仲良くしてくれよな!」

その紹介文を読んだ瞬間、私の中で何かが吹っ切れた。

「色々」って・・。ああ、この人の中では、この件はもう終わったことなんだな。私だけが取り残され、私だけがこだわっているだけなのか。なんか疲れちゃったな。もういいか。

そしてよく考え、私は友人に一通メールを入れた。

私「サークル、辞めようと思う。
  あの人の下では、やっていく自信無いわ」

すぐに友人からメールが返ってきた。

友「分かった。君が辞めるなら、俺も辞める。
  今どこにいる?ちょっと会おう」

場所は、私の下宿先からほど近い、餃子の王将だ。集まったメンバーは、彼以外に2人。全員1回生の同じサークルのメンバーだ。

私の話を聞いて、彼らは一緒に辞めると言ってくれた。

私は、彼らを巻き込むことになって申し訳ない気持ちになったが、話を聞いていると、彼らも全員が、W先輩の横暴さ加減に嫌気が差しているとのことだった。

友「だから、俺たちが辞めるのは、自分の意志だよ」

そう言ってくれた。

仲間とは、こうまで素晴らしいものなのか。私は自分が辞めるということも、原付バイクのことも忘れて、楽しく飲み食いして、騒いで時間を過ごした。

それからふと、友人が、思い出したように切り出した。

「じゃあどうやって、辞めることを伝える?」

その頃には、正直言って、もう酔いが回ってワケが分からなくなっていた。それに対して、酔いに任せて悪ノリした誰かがこう言った。

「全員で一斉に、Wに対してメールを入れよう」

今に思えば、どうかしている。ちょっと申し訳なかった。先輩にしてみたらかなり驚くだろう。しかも深夜だ。迷惑でしかない。酔いすぎてどうかしていた。

満場一致だった。

後戻りはできなかった。若気の至りである。

5)夜更けの大学構内での決着

すぐさま、W先輩に連絡を入れる。

「行くぞ?せーのっ!
 ・・・
 送れた?送れた?あー、スッキリしたね」

この時は、今まで彼から散々酷い目に遭わされてきたその仕返しとばかりに、少し震える指先で息を合わせて送信ボタンを押した。

送信完了の画面を目にした途端、その場に居た全員が達成感に打ちひしがれていた。

と、それも束の間、W先輩からすぐに返信があった。

W「今から大学の■■棟前に来てください。
  話を聞きます」

えっ・・・普段は口が悪くて、偉そうなことを言っているW先輩が、敬語だ。

全員、ちょっとだけ肝を冷やした。しかも、今は深夜1時。嘘だろ、今から会うのかよ・・。酔いも冷めかけてきていた。

一瞬たじろいだが、後には引けぬ。というか、それでもまだ若干酔っていたので、もう勢いのままに進むしかなかった。景気づけに、我々はもう一杯さらに一杯と酒をあおってから、寒空の下に出て行った。

大学構内。指定された学棟に向かう。途中、めちゃくちゃ寒い。冬の時期だったのに、温かい部屋の中で浴びるほど酒を飲んで体も火照っていたものだから、つい薄着で出かけてしまった。だが、後には引けない。

指定された場所には、W先輩と、その取り巻きが居た。

W「おい・・・これ、どういうことだ?」

先輩が、ケータイを見せながら言う。

いつもの乱暴な口調だ。そして声が少し震えている。それは寒さのせいばかりでもなさそうだ。きっと、これは相当怒っている。

しかし、我々の気持ちは変わらない。「どうもこうもないです」そう私は切り出して、今までのW先輩の振る舞いに疑問を感じていたこと、人を人とも思わないような扱いが不満だったこと、不信感を抱いたこと、そしてそれは原付バイクの一軒で決定的となったこと。そのようなことをする人と一緒にサークル活動などできないということを、最後に伝えた。勢いづいていたからか、言いたいことはすべて吐き出したように思う。

そうしてW先輩は、静かに答えた。

W「話は分かった。
  俺はお前(私のこと)を一番信用していたし、
  次の部長も任せようとしていたけど、残念だ」

と。

その時、私は申し訳ないことをしたかな、という気持ちも多少はあった。部長の地位なんぞどうでもよかったが、それよりも「今更何を言ってんだ」という気持ちも大きくて、半ば聞き流すような形で、話し合いの場を切り上げた。

そして、私は、そして他の3人についても、正式にサークルを辞めることになった。


物語としては、これでおしまい。


以上が、タイトルにもあるように「喧嘩別れ」の顛末。

いかがでしょう?
最後まで読まれた方が居らっしゃったら、さぞ私の器の小ささにドン引きしたことでしょう。。

なお、喧嘩別れという名の通り、辞めてからは連絡先も消し、全く連絡を取る手段もなくなった。彼が、今もどこで何をしているのか不明だ。きっと、パワフルな方なので、そのような一件も、取り立てて彼の人生に何か大きな影響を与えるものではなかったかもしれない。

余談)再発防止として

さて。

ここからは、この件を、今になって振り返ってみたこと。

まず、教訓としては、

  • 原付バイクを他人に貸しちゃダメ

  • 貸したとしても、信用できる人に貸すこと

  • 寝込みを襲うようなのはさすがに可哀想

  • そこまで心許せないのに深入りしすぎは禁物

というところだろうか、と思う。

まず、原付バイクに限らずだけれど、自分の所有物ということを意識しておかないといけない。特に、クルマとかバイクとかそういう加害者にも被害者にもなりかねないものは特に注意が必要。借りた側の責任を問えない場合は、こちら側が尻拭いする必要が出てくるからだ。

この一件があったからなのか、それ以前からなのか忘れてしまったが、私は他人とのモノの貸し借りが嫌いになっている。

「返さなきゃいけない」というプレッシャーも嫌なのだが、貸したものがきちんと返ってくるのかを待っている時間も不安で大嫌いなのだ。それならいっそ貸すんじゃなくて差し上げたい。だから差し上げていいものだったら喜んで貸す。

そして、貸すなら貸すで、あげる覚悟ではあるけれど、その人自身に意識を向けて「この人だったら貸したい」という人になら、貸してもいいと思う。最悪、無くしちゃってもいいし、返してくれなくてもいいよ、と。逆に、貸すにあたって、こういう信用が無い人に貸すとなると、不思議なもので、「早く返してほしいな」と思ってしまう。

今回の件は、ひょっとすると、人によっては「違反されたとしてもお金払ってくれたんならオッケーじゃん?」と考える人も居ると思う。けれど、器が小さいことを承知で言うが、私が許せなかったのは、何より、W先輩の言動だった。

それは、もしかしたら今に思えば些細なことかもしれない。単に「人からモノを借りておいて、違反行為をしたのにもかかわらず、それを本人に伝えずにしらばっくれて、違反金を払うときにお金を投げて寄越した挙句、『余計な出費』と言い切り、処分を受けるこちら側への配慮が全く感じられなかったこと」というだけなのだ。一言で言っちゃったけど。

さすがに、深夜に一斉メールを送るとかは申し訳なかったと思うけれど、それ以上に、鬱憤が溜まりに溜まっていたのだろうと思う。いや、辞め方はたしかに酷いが。

結果論になってしまうことは否めないけれど、明らかに当時の先輩は、信用に足る人ではなかった。それなのに、私は最終的に折れてしまって原付バイクを貸してしまった。当時の彼が人間性に難ありと分かっていたなら尚更、私は貸すべきではなかったのだ。そのような非が自分側にありながらも、それを許せない自分の、人間の小ささは否めない。

ただ、W先輩は、あの時どういう行動をとっていたら、私は許せたのだろうか。

違反行為の事実が取り消せるわけでもないし、お金を払う以外に、また、そのお金払うにしても、先輩がどのような態度で私に謝罪をすれば溜飲を下げることができたのだろう。

逆にあの時、あのまま私が許していたとして、サークル活動も辞めないでいたとしたら、どういう付き合いが待っていたのだろうか。

そして、もしこの先どこかで、また再会することがあったとしら、彼とはどういう会話をしてどういう関係性になるのだろう。

今も、たまにだが、そのような考えても仕方のないことを考える。

もう連絡先も知らないし、当時の繋がりのあるメンバーとは交流も一切無いので、恐らくこの先一生会う可能性は低いとは思うのだけれど。ただ、時間が経った今なら、何か当時とは違う関係が築けたりするのかな、なんて思ったりするのだ。当時のような純真な自分ではなく、それ以上に許しがたいことも経験してきた今となっては。

それは、当時の私の行動を後悔しているとか、先輩との関係の修復を希望しているとかいうわけではなく、単に今後の人間関係の構築方法としてのノウハウというか経験値というか、その類で興味を持っているのかもしれない。

そういえば、話は脱線するけれども、よくよく考えてみると、結構私は、「何かの所属を辞める時」というのはあまり良い思い出が無い。

会社も何度か移った経験があるけれど、そのたびに後を去ってから「あー、もっと他にやり方無かったかなぁ・・」という思いを抱いている。その決断自体や、その先の進路そのものに悔いは無いし、何なら今の状況を考えると、そのいずれの選択も「結局は正解だった」と思ってはいるんだけれど、もう少し賢く生きられなかったかな、と。

でも、なぜだかどうしても、毎回退路を断ってしまう。こんな生き方しかできないのが自分なのかな、とも開き直ってみたりする。

とにかく、「後味の悪い別れ」というのは何とも尾を引いて、心に引っかかってきたりするもので、できれば経験はしたくない。そんな再発防止を考えながら、日々を過ごしたりしている。


いやぁ、とにかく若気の至り満載の記事。しかも今回は言いたいことを盛り込みすぎて、かなりのボリュームを書き殴ってしまった…。

というわけで、完結編でした。後日談は特に無いです。たぶん。前編と後編までお読みいただいた方がもしいらっしゃったら、ありがとうございます。以上でーす。

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