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三日月で思い出す大学時代の友人Aの話。

私にとって「三日月」と言えば、絢香ではなく、くるりだ。そしてなぜか分からないが、大学時代の友人Aのことを思い出す。

Aとは大学内のサークルで出会った。ただ、肝心のサークル活動にはほとんど参加せず、学部も違うAと、なぜか分からないが、よく行動を共にした。彼は、たしか実家が飲食店を経営していると聞いたことがある。そして裕福というエピソードを幾つか聞いた覚えもある。だからなのか、彼と遊ぶと、美味しいご飯屋さんをよく教えてくれた。

が、別に、彼はグルメだからお高いものしか食べないというわけではなく、餃子の王将や天下一品、マクドナルドなんかにもよく行った。定期試験前には、近所のガストに二人で詰めて、深夜、閉店時間になるまで一緒に勉強した。学部も専攻も全く違うので、その時は、純粋に、勉強時間だけを共有していた。

普段の彼は、冗談ばかり言ってふざけていて、何を考えているか分からないような、友人たちの間でも「なんだか変わったやつ」という評価だった。

でも私は知っている。
彼が、当時交際していた女の子と別れたことで傷心していると聞いた。だから、それを慰めるために私が奴を誘って家でサシ飲みをした際、彼は最後には大泣きして眠りについていたこと。
私の親父が大学3年の時に亡くなって、ちょうどその頃は就職活動にも忙しくて、友人の誰にもそのことを報告したりできなかった。そんな時たまたま彼に、メールか何かでそのことを伝えたことがあった。その後しばらくして会う機会があったら、いつもヘラヘラ笑っていた彼が神妙な顔で黙って香典をくれたこと。そんなことをしてくれたのは友人の中で彼だけだった。
彼は、実はまっすぐで良い奴だって知っている。

大学を卒業すると、私は上京したが、彼は研究の道に進むとのことで大学に残った。私が社会人になった後も、暇を見つけてはかつて学んだ町へ赴き、何回か会っていた。会話をしていると、お互い、学生の頃とは違う道を歩んできて、そして学生の頃とは違う時間の過ごし方をしていると感じた。そのような話は、自分の領域とは異なる点で刺激的な感じもあったが、どこか昔の友人関係から遠ざかっている気がして少し寂しさも感じた。

しかし、結婚して子供が生まれると次第に会う頻度も少なくなっていた。最後に会ったのかいつだったか、たしか三年くらい前だっただろうか。その時は、彼は研究の道を歩みながらも、教育の分野にも携わっていると聞いた。そして彼も結婚し、子供が生まれたとの報告をもらった。奇しくも、私の下の子供と年齢は同じ。名前も、ほんのすこし語感が似ていた。

今ではほとんど会うこともなくなったが、たまに LINE で連絡が来る。いつかまた、落ち着いたら、会ってご飯でも食べられたら良いなと思う。それまで互いに元気で居たい。

三日月

ーくるり

この MV のように、あいつとは一緒にメシ食ったのを思い出す。会話もそれほど無い、でも一緒の時間を共有している感覚が、なんとなく心地良かった。

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