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「果て」へ。
何かがうまくいかない時、悩みがある時、私は散歩をする。
ただ無心に歩く。
この習慣は、暇を持て余していた大学時代からだ。
大学近くの海岸線をただひたすらに歩いた。
悩んで眠れない時、歩き終えた後の疲労感が心地よい______
社会人になり、悩みの種類は違うものの相変わらず眠れず、落ち着かずの日がある。
今住んでいる熊本市内の近くには海がなく、代わりにと言っては何だが、川沿いを散歩している。
ただ、川と海では何かが違う。
川沿いでは疲労感こそ得られるものの、頭の片隅にずっと悩みがあり、無心とは言い難い。
日常が付き纏うのだ。
かなりの距離を歩いた後でさえ、疲労感はあるのに眠れずにいた。
どこかでモヤモヤが残っている。
時は経ち、2023年7月の三連休。
ふと、どこか果てまで行きたくなった。
海外も考えたが、あまりに直前すぎるのと連休効果も相まって軒並み高騰している。
月に一回は福岡方面へ行っているし、長崎も大分もこの一年で数回は訪れている。となれば残すは九州南部。
小5の社会科で習ったカツオの名産地『枕崎』がふと頭に浮かんだ__
そうなれば早い。
愛車のハスラーに荷物を積み込み、下道6時間、九州の西側を海岸線沿いにひたすら車を走らせた。
天草、長島と海の向こうの島々を横目に無心にアクセルを踏む。
いちき串木野辺りからいつも鹿児島市内へ山間部に入るのだが、今回はあえて海岸線沿いを行く。初めて通る道だ。
6時間。長い道のりであった。
カツオ漁船が並ぶ漁港へ車を止める。
あと15分で閉まる市場でカツオの腹皮焼きを食べる。
運転中無心であったとはいえ、腹は空く。
漁港から車で5分。
小高い丘の上、海岸線の一番端の展望台へ向かう。
![](https://assets.st-note.com/img/1689494191227-usNCMFSL6R.jpg?width=1200)
島影一つないまっさらな水平線にすうっと引き込まれる。
そこに佇んでいる間は、今までの悩み、考え全て忘れることができた。
「果て」
求めていたのはこの景色、感覚だ。
厳密に言えば九州最南端ではないが、JRの駅では最南端にあたる枕崎。
「果て」に来たのだ。
希望峰から見える景色もこんな感じだろうか______
日常を忘れ、すうっと頭が軽くなった。
海、どこまでも終わりのないまっさらな水平線。
前述の川沿いの散歩では得られない感覚とはまさにこれだ。
海はいつだって私達を包み込んでくれる。
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