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孤独な既読、気の毒な未読


分かろうとするのも愛。分かったふりをしないのも愛。傷の舐め合いを略して作ったキズナでも誰にも奪わせはしない。他愛もない時間があるから特別は特別な時間として屹立する。偏愛なあのひとの偏愛対象になりたい。笑かすなよ。手垢が付きまくった月並みな自意識あるうちはまだまだ途方もない距離。けれど距離があるからこそ美しく感じるものが無数にある。夕陽も満月も星も滝も打ち上げ花火も水平線も地平線も。あの場所に辿り着きたいと誓う殊勝な決意、あのひとの心に重なりたいと願う健気な憧れ。未練は試練。遠くの追憶。遠のく苦悩。

才能のあるひとが好きって大抵のひとは言うけれど、才能はそれに憧れ魅せられる凡人を惹き寄せるのは当然として、同じレベルの才能も磁石のように惹きつける。才能は別の才能に出会って囲まれる。その環境で研磨され続けた才能はさらに光りや尖りを遂げていく。絶え間ない努力の積み重ねや奇跡的な環境と巡り合わせの連続に逃げずに能動的になることで得られた人生のすべてを、「才能」の一言で片付けられてるケースは往々にしてある。内容量が遺伝だろうがセンスだろうが鍛錬訓練の賜物だろうが、いわゆる"才能の持ち主"にあたる人たちは、相対的な才能にも何もない人の何も無さにも否応なく瞬時に気付くんじゃなかろうか。才能のある人の前に立つのに畏怖を覚えることもある。才能からの言い分は「なぜ出来ない?」じゃなくて、「なぜ出来るようになるまで労を惜しまない?」そんな感覚もあるのかもしれない。HUNTER×HUNTERでネフェルピトーも「凡夫って大変だなァ。こんな面倒なことをしなきゃ能力を引き出せないなんて」って言ってたね。

リアル逃走中みたいな、リアルSASUKEみたいな生き方して、無謀や無茶に対して無知で。夢中で渦中を生きて火中の栗を拾って。ソシャゲなら課金して有料の石みたいなの何個も消費して何度も生き返った感じ?何にそんなに急き立てられたのか。そもそもリスクを取るほどの価値がその瞬間にはあの頃の自分にはあったんだと、後からならいくらでも正当化できる。自分を守るための言い訳や切り返しばかりコレクションしたはいいけれど、果たしてそれいつ使うんだろうね。誰かを救える優しさや思いやりの使い方、いつまで経っても覚えない理由ってそれかもね。

「捨てたのかよ?逃げたんだろ?」
大切なことはぜんぶ冨樫義博が台詞に書いてるよ。背徳感の輪郭も罪悪感の手触りも知らない。今年もまた石を消費して蘇って青春リボ払い。何度も何度も延長線。痛がったふりして倒れて試合を止めて時計を止める。人生にアディショナルタイムなんてないのにさ。いっちょ前に従順も矛盾も許せず逡巡して苦渋を舐めて。優柔不断なまま過重な負荷を普段から課して。課した分だけ貸したもの返ってきたらいいのに世の中そう甘くもないから。

140文字以内におさまらない、イイねもシェアも保存もされない、加工もスクショもされない。鍵すらも壊れたパスワードも通用しない世界で、誰からも気付かれない一滴のような想いが、今夜もきっとどこかで人知れず垂れている。たまたまでも全然何でもいいから、別にきちんと解読なんてできていなくたって少しぐらい誤読していたっていい。SOSにも見えないそんな瞬間に気付ける才能だけを突き詰めている。

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